血蜘蛛の紙帳
それを聞くと、角右衛門は笑ったが、 「貴殿方は、どの親分のもとへ参らるる気かな。拙者は、松戸の五郎蔵殿のもとへ参るつもりじゃ。関東には鼻を突くほど、立派な親分衆がござるが、五郎蔵殿ほど、我々のような浪人者を、いたわってくださる仁はござらぬ」 「それも、五郎蔵殿が、武士あがりだからでございましょうよ」 酔った頬を、夜風に嬲られる快さからか、四人の者は、雨戸の間に、目白のように押し並び、しばらくは雑談に耽ったが、やがて部屋の中へはいった。とたんに、 「やッ、腰の物が見えぬ!」と、角右衛門が、狼狽したように叫んだ。 皿や小鉢や燗徳利の取り散らされてある座敷に突っ立ったまま、四人は、また顔を見合わせた。わずかな時間に、四人の刀が、四本ながら紛失しているではないか。 「盗まれたのじゃ」 「家の者を呼んで……」 「いやいやそれ前に、一応あたりを調べて……」と、年嵩だけに、角右衛門は云い、燭台をひっさげると、次の間へ出た。次の間にも刀はなかった。その次の間へ行った。そこにも刀はなかった。そこを出ると廊下で、鉤の手に曲がっていた。その角にあたる向こう側の襖をあけるや、角右衛門は、 「おお、これは!」と云って、突っ立った。 続いた三人の武士も、角右衛門の肩ごしに部屋の中を覗いたが、「おお、これは!」と、突っ立った。 その部屋は十畳ほどの広さであったが、その中央に、紙帳が釣ってあり、燈火が、紙帳の中に引き込まれてあるかして、紙帳は、内側から橙黄色に明るんで見え、一個の人影が、その面に、朦朧と映っていた。総髪で、髷を太く結んでいるらしい。鼻は高いらしい。全身は痩せているらしい。そういう武士が、刀を鑑定ているらしく、刀身が、武士の膝の辺りから、斜めに眼の辺りへまで差し出されていた。――そういう人影が映っているのであった。それだけでも、四人の武士たちにとっては、意外のことだったのに、紙帳の面に、あるいは蜒々と、あるいはベットリと、あるいは斑々と、または飛沫のように、何物か描かれてあった。その色の気味悪さというものは! 黒に似て黒でなく、褐色に似て褐色でなく、人間の血が、月日によって古びた色! それに相違なかった。描かれてある模様は? 少なくも毛筆で描かれた物ではなかった。もし空想を許されるなら、何者か紙帳の中で屠腹し、腸を掴み出し、投げ付けたのが紙帳へ中り、それが蜒り、それが飛び、瞬時にして描出したような模様であった。一所にベットリと、大きく、楕円形に、血痕が附いている。巨大な蜘蛛の胴体と見れば見られる。まずあそこへ、腸を叩き付けたのであろう。瞬間に腸が千切れ、四方へ開いた。蜘蛛の胴体から、脚のように、八本の線が延びているのがそれだ。蜘蛛の周囲を巡って、微細い血痕が、霧のように飛び散っている。張り渡した蜘蛛の網と見れば見られる。ところどころに、耳ほどの形の血痕が附いている。網にかかって命を取られた、蝶や蝉の屍と見れば見られる。血描きの女郎蜘蛛! これが紙帳に現われている模様であった。では、その蜘蛛を背の辺りに負い、網の中ほどに坐っている紙帳の中の武士は、何んといったらよいだろう? 蜘蛛の網にかかって、命を取られる、不幸な犠牲というべきであろうか? それとも、その反対に、蜘蛛を使い、生物の命を取る、貪婪、残忍の、吸血鬼というべきであろうか? と、紙帳に映っていた武士の姿が崩れた。斜めに映っていた刀の影が消え、やがて鍔音がした。鞘に納めたらしい。横を向いていた武士の顔が、廊下に突っ立っている、四人の浪人の方へ向いた。 「鈍刀じゃ、四本とも悉く鈍刀じゃ。お返し申す」 四本の刀が、すぐに、紙帳の裾から四人の方へ抛り出された。この時まで息を呑み、唾を溜めて、紙帳を見詰めていた四人の浪人は、不覚にも狼狽した声をあげながら、刀へ飛びかかり、ひっ掴み、腰へ差した。その時はじめて怒りが込み上げて来たらしく、 「これ、そこな武士、無礼といおうか、不埓といおうか、無断で我らの腰の物を持ち去るとは何事じゃ! 出て来い! 出て来て謝罪いたせ!」と、角右衛門が怒鳴った。 すると、それに続いて、南京豆のような顔をした紋太郎が、 「出て来い! 出て来て謝罪いたせ!」と鸚鵡返しのように叫び、「それに何んぞや鈍刀とは! 我らの刀を鈍刀とは!」 「何者じゃ! 名を宣れ! 身分を明かせ!」 とさらに角右衛門が怒鳴った。 すると、紙帳の中の武士は、少し嗄れた、錆のある声で、「拙者の名は、五味左門と申す、浪人じゃ。当家が浪人を厚遇いたすと聞き、昨夜遅く訪ねて参り、一泊いたしたものじゃ。疲労れていたがゆえに、この部屋へ早く寝た。しかるにさっきから、遠くの部屋から、賑やかな、面白そうな話し声が聞こえて来た。一眠りして、疲労の癒えた拙者、眼が冴えて眠れそうもない。会話の仲間へはいり、暇を潰そうと声をしるべに尋ねて行ったところ、広い部屋へ出た。酒肴が出ておる。悪くないなと思ったぞ。が、見れば、四本の刀が投げ出してあり、刀の主らしい四人の者が、廊下に立って、夜景色を見ておる。長閑の風景だったぞ。そこでわしの心が変った。貴殿方と話す代りに、貴殿方の腰の物を拝見しようとな。悪気からではない。わしの趣味からじゃ。そこでわしは貴殿方の腰の物をひとまとめにして持って参り、今までかかって鑑定いたした。さあ見てくれといわぬばかりに投げ出してあった刀、四本のうち一本ぐらい、筋の通った銘刀があるかと思ったところ、なかったぞ。フ、フ、フッ、揃いも揃って、関の数打ち物ばかりであったよ」
蜘蛛の犠牲
「チェッ」と舌打ちをしたのは、短気らしい山口という武士で、やにわに刀を抜くと、「他人の腰の物を無断で見るさえあるに、悪口するとは何事じゃ。出て来い! 斬ってくれる!」 「斬られに行く酔狂者はない。出て行かぬよ。用があらば、そっちから紙帳の中へはいって参れ。ただし、断わっておくが、紙帳の中へはいったが最後、男なら命を女なら……」 「黙れ!」と、山口という武士は、紙帳に映っている影を目掛け、諸手突きに突いた。 瞬間に、紙帳の中の燈火が消え、紙帳は、経帷子のような色となり、蜘蛛の姿も――内側から描かれていたものと見え、燈火が消えると共に消えてしまった。そうして、突かれた紙帳は、穏しく内側へ萎み、裾が、ワングリと開き、鉄漿をつけた妖怪の口のような形となり、細い白い手が出た。 「!」 悲鳴と共に、山口という武士はのけぞり、片足を宙へ上げ、それで紙帳を蹴った。しかし、すぐに、武士は、足から先に、紙帳の中へ引き込まれ、忽ち、断末魔の声が起こり、バーッと、血飛沫が、紙帳へかかる音がしたが、やがて、森然と静まってしまった。角右衛門は、持っていた燭台を抛り出すと、真っ先に逃げ出し、つづいて、紋太郎が逃げ出した。 しかし片岡という武士は、さすがに、同宿の誼みある浪人の悲運を、見殺しに出来ないと思ったか、夢中のように、紙帳へ斬り付けた。とたんに、紙帳の裾が翻り、内部から掬うように斬り上げた刀が、廊下にころがったままで燃えている、燭台の燈に一瞬間輝いた。 「わ、わ、わーッ」と、苦痛の声が、片足を股から斬り取られ、四つ這いになって、廊下を這い廻っている武士の口から迸った。紙帳の中はひっそりとしていた。
こういう間も、キリキリという、轍でも軋るような音は、屋敷の周囲を巡って、中庭の方へ移って行った。 (何んの音だろう?)と、四人の浪人が不審を打ったように、その音に不審を打ったのは、中庭に近い部屋に寝ていた、伊東頼母であった。 頼母は、この屋敷へ来るや、まず朝飯のご馳走になった。給仕をしてくれた娘の口から聞いたことは、この屋敷が、飯塚薪左衛門という郷士の屋敷であることや、娘は、その薪左衛門の一人娘で、栞という名だということや、今、この屋敷には、頼母の他に五人の浪人が泊まっているということや、父、薪左衛門は、都合があって、どなたにもお眼にかかれないが、皆様がお泊まりくだされたことを、大変喜んでいるということなどであった。 「どうぞ、幾日でもご逗留くださりませ」と栞は附け加えた。 頼母は、忝けなく礼を云ったが、こんな不思議な厚遇を受けたことは、復讐の旅へ出て一年になるが、かつて一度もなかったと思った。 彼は下総の国、佐倉の郷士、伊東忠右衛門の忰であった。伊東の家柄は、足利時代に、下総、常陸等を領していた、管領千葉家の重臣の遺流だったので、現在の領主、堀田備中守も粗末に出来ず、客分の扱いをしていた。しかるに、同一家柄の郷士に、五味左衛門という者があり、忠右衛門と不和であった。理由は、二人ながら、国学者で、尊王家であったが、忠右衛門は、本居宣長の流れを汲む者であり、左衛門は、平田篤胤の門下をもって任じている者であり、二人ながら 「大日本は神国なり。天祖始めて基いを開き、日神長く統を伝え給う。我が国のみこの事あり。異朝にはその類なし。このゆえに神国というなり」という、日本の国体に関する根本思想については、全然同一意見であったが、その他の、学問上の、瑣末の解釈については、意見を異にし、互いに詈言い、不和となったのであった。もちろん、性格の相違もその因をなしていた。忠右衛門は、穏和で寛宏であったが、左衛門は精悍で狷介であった。
敵討ちの原因
ところが、去年の春のことであったが、忠右衛門と左衛門とは、備中守殿によって、観桜の宴に招かれた。その席で二人の者は、国学の話については、遠慮し、大事を取り、云い争わなかったが、刀剣の話になった時、とうとう云い争いをはじめてしまった。忠右衛門が、天国という古代の刀工などは、事実は存在しなかったもので、したがって鍛えた刀などはないと云ったのに対し、左衛門は、いや天国は決して伝説中の人物ではなく、実在した人物であり、その鍛えた刀も残っておる、平家の重宝小烏丸などはそれであり、我が家にもかつて一振り保存したことがあったと主張し、激論の果て、左衛門は「水掛け論は無用、この上は貴殿と拙者、この場において試合をし、勝った方の説を、正論と致そう」と、その精悍の気象から暴論を持ち掛けた。忠右衛門は迷惑とは思ったが、引くに引かれず承知をし、試合をしたところ、剣技は左衛門の方が上ではあったが、長年肺を患っていて、寒気を厭い、紙帳の中で生活しているという身の上で、体力において忠右衛門の敵でなく、忠右衛門のために打ち挫がれ、自分から仕掛けた試合に負け、これを悲憤し、自宅へ帰るや、紙帳の中で屠腹し、腸を紙帳へ叩き付けて死んだ。しかるに左衛門には、左門という忰があって、「父上を自害させたのは忠右衛門である」と云い、遊学先の江戸から馳せ帰り、一夜、忠右衛門を往来に要して討ち取り、行衛を眩ました。こうなってみると、伊東家においても、安閑としてはいられなくなり、 「頼母、そち、左門を探し出し、討って取り、父上の妄執を晴らせ」 ということになり、さてこそ頼母は、復讐の旅へ出たのであったが、困ったことには、彼は討って取るべき、左門という人間を知らなかった。と云うのは、この時代の風習として、家庭にいないで、江戸へ出、学問に精進していたからである。そう、頼母も左門も、幼少の頃から江戸に遊学し、頼母は、宣長の門人伴信友の門に入り、国学を修め、左門は、平田塾に入って、同じく国学を究める傍ら、戸ヶ崎熊太郎の道場に通い、神道無念流を学び、二人は互いにその面影を知らないのであった。 キリキリという、轍の軋るような音を聞き、頼母は、枕から顔を放し、耳を聳てた。 (何んの音だろう?) 音は、中庭まで来たようであった。 頼母は、夜具から脱け出し、枕もとの刀を握ると、立ち上がった。彼の眼は、すっかり覚めていた。彼は、朝飯を食べるや、すぐに床を取って貰い、ぐっすりと眠り、疲労を癒し、今は元気を恢復してもいるのであった。有り明けの燈に、刀の鞘を照らしながら、頼母は部屋を出、廊下を右の方へ歩き、それが、さらに右の方へ曲がっている角の雨戸を、そっと開けて見た。海の底かのように、庭は薄蒼く月光に浸っていた。庭は、まことに広く、荒廃れていた。庭の一所に、頼母の眼を疑がわせるような、物象が出来ていた。古塚のような形の、巨大な岩が、碑と小松とをその頂きに持って、瘤のように立っているのであった。それはまったく、頼母が、紙帳から出て来た武士によって、気絶させられた地点に――そこに出来ていた、野中の道了様そっくりのものであった。酷似といえば、塚の左手、遙か離れた所に、植え込みが立っていて、それが雑木林に見えるのも、あの場所の景色とそっくりであった。 (紙帳が釣ってはあるまいか?)ゾッとするような気持ちで、頼母は、植え込みを見た。しかし紙帳は釣ってはなかった。あの場所の景色と異うところは、あそこでは、塚と林との彼方が、広々と展開けた野原だったのに、ここでは、土塀が、灰白く横に延びているだけであった。 (碑には、髭題目が刻られてあるに相違ない)こう思って、頼母は、縁から下り、塚の方へ歩いて行き、碑を仰いで見た。碑は、鉛めいた色に仄見えていたが、はたして、南無妙法蓮華経という、七字の名号が、鯰の髭のような書体で、刻られてあった。(不思議だなあ)と呟きながら、頼母は、少し湿ってはいるが、枯れ草が、氈のように軟らかく敷かれている地に佇み、(道了様の塚を、何んのために、中庭などへ作ったのであろう?) 急に彼は地へ寝た。
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