血曼陀羅紙帳武士 |
国枝史郎伝奇文庫22、講談社 |
1976(昭和51)年6月12日 |
1976(昭和51)年6月12日第1刷 |
1976(昭和51)年6月12日第1刷 |
腰の物拝見
「お武家お待ち」 という声が聞こえたので、伊東頼母は足を止めた。ここは甲州街道の府中から、一里ほど離れた野原で、天保××年三月十六日の月が、朧ろに照らしていた。頼母は、江戸へ行くつもりで、街道筋を辿って来たのであったが、いつどこで道を間違えたものか、こんなところへ来てしまったのであった。声は林の中から来た。頼母はそっちへ眼をやった。林の中に、白い方形の物が釣ってあった。紙帳らしい。暗い林の中に、仄白く、紙帳が釣ってある様子は、巨大な炭壺の中に、豆腐でも置いたようであった。声は紙帳の中から来たようであった。 塚原卜伝が武者修行の際、山野に野宿する時、紙帳を釣って寝たということなどを、頼母は聞いていたので、林に紙帳の釣ってあることについては、驚かなかったものの、突然、横柄な声で呼び止められたのには、驚きもし腹も立てた。それで黙っていた。すると、紙帳の裾が揺れ、すぐに一人の武士が、姿を現わした。武士の身長が高いので、紙帳を背後にして立った形は「中」という字に似ていた。 「お腰の物拝見出来ますまいかな」と、その武士は、頭巾で顔を包んだままで云った。 「黙らっしゃい」と頼母は、とうとう癇癪を破裂させて叫んだ。 「突然呼び止めるさえあるに、腰の物を見せろとは何んだ! 成らぬ!」 「そう仰せられずに、お見せくだされ。相当の物をお差しでござろう」 「黙れ! 無礼な奴、ははア、貴様、追い剥ぎだな。腰の物拝見などと申し、近寄り、懐中物を奪うつもりであろう。ぶった斬るぞ!」 「賊ではござらぬ。ちと必要あって腰の物拝見したいのじゃ。何をお差しかな。まさか天国はお差しではござるまいが」 「ナニ、天国? あッはッはッ、何を申す、馬鹿な。天国や天座など、伝説中の人物、さような刀鍛冶など、存在したことござらぬ。鍛えた刀など、何んであろうぞ」 すると武士は、頭巾の中で、錆のある、少し嗄れた声で笑ったが、「貴殿も、天国不存在論者か。馬鹿者の一人か。まアよい、腰の物お見せなされ」と、近寄って来た。 頼母は、傍若無人といおうか、自信ある行動といおうか、相手の武士が、無造作に、近寄って来る態度に圧せられ、思わず二、三歩退いたが、冠っていた編笠を刎ね退け、刀の柄へ手をかけた。父の敵を討つまでは、前髪も取らぬと誓い、それを実行している頼母は、この時二十一歳であったが、前髪を立てていた。当時の若衆形、沢村あやめに似ていると称された美貌は、月光の中で蒼褪めて見えた。 武士は、頼母の前、一間ばかりの所で立ち止まったが、「まだお若いの。若い貴殿を蜘蛛の餌食にするのも不愍、斬るのは止めといたすが、云い出したからには、腰の物は拝見いたさねばならず……眠らせて!」 「黙れ!」 鍔音がした! 「はーッ」と頼母は、思わず呼吸を引いた。武士によって鳴らされた鍔音が、神魂に徹ったからであった。 猛然と頭巾が逼って来た。頭巾の主の体が、怒濤のように殺到して来た。そうして次の瞬間には、頼母は、地上へ叩き付けられていた。体当たりを喰らったのである。 俯向けに地に倒れた頼母は、(俺はここで死ぬのか。死んでは困る。俺は父の敵五味左門を討たなければならないのだから)と思った。 そういう彼の眼に見えたものは、彼の両刀を調べている武士の姿であった。そうして、その武士の背後の地面から、瘤のように盛り上がっている古塚であった。その古塚は、数本の松と、一基の碑とを、頂きに持っていた。そうして……しかし、頼母の意識は朦朧となってしまった。
参詣に来た娘
その頼母が、誰かに呼ばれているような気がして、正気づいた時、まず見えたのは、自分の顔へ、近々と寄せている、細い新月のような眉、初々しい半弓形の眼の、若い女の顔であった。円味の勝った頤につづいて、剥き胡桃のような、肌理の細かな咽喉が、鹿の子の半襟から抜け出している様子は、艶かしくもあれば清らかでもあった。 「もし、お武家様、お気づかれましたか」と娘は云った。 頼母は弱々しく頷いて見せ、そうして、(俺はこの娘に助けられたらしい)と思った。しかしすぐに、紙帳から出て来た武士のことが気にかかった。それで、まだ弛く、自由になりにくい首をやっと廻して、林の方を見た。どんぐりや櫟や柏によって形成られている雑木林には、今は陽があたっていて、初葉さえ附けていない裸体の幹や枝が、紫ばんだ樺色に立ち並んでいたが、紙帳は釣ってなかった。(夜の間に立ち去ったのだな。それにしてもあの武士、何者なのであろう? 突然紙帳の中から出て来て、刀を見せろと云い、見せないといったら、体当たりをくれ、俺を気絶させおった。紙帳を林の中に釣って寝ていたところから察すると、武者修行の者らしいが、着流しで、頭巾を冠っていた様子から推すと、そうでもないらしい)頼母は、頭に残っている疲労の中で、こんなことを考えた。(それにしても、彼と俺との、武技の相違はどうだったろう)これを思うと頼母は、赧くならざるを得なかった。(大人と子供といおうか。世には恐ろしい奴があればあるものだ) この時娘が、 「野中の道了様へお詣りに参りましたところ、あなた様が気絶をしておいでなさいましたので、ご介抱申し上げたのでございます。でも正気づかれて、ほんとうに嬉しゅうございます」 と云った。細々としていて、優しい、それでいて寂しみの籠もっている声であった。 頼母は娘の顔へ眼をやり、 「忝けのうございました。おかげをもちまして、命びろいいたしました」と云ったが、(何んだ俺はまだ寝ているではないか)と気づき、起き上がろうとした。しかし、倒れた時、体をひどく打ったらしく、節々が痛んで、なかなか起き上がれなかった。 「いえいえ、そのままでおいでなさいませ。お寝ったままで。どうせそのお体では、すぐにご出立は出来ますまい。むさくるしい所ではございますが、妾の家で、二、三日ご逗留し、ご養生なさいませ。いえいえご遠慮には及びませぬ。よく妾の家へは、旅のお武家様がお立ち寄りでございます。父が大変喜びますので。でも、家は一里ほど離れておりますので、お徒歩いではお困りでございましょう。乳母がおりますゆえ、町へやり、駕籠をひろわせて参りましょう。……乳母!」と、娘は立ち上がりながら呼んだ。 五十あまりの、品のよい婦が、古塚のような小丘の裾に佇んでいたが、すぐに寄って来た。それへ娘は何やら囁いた。 「はい、お嬢様、かしこまりましてございます」乳母はそう云ったかと思うと、雑木林を巡って歩いて行った。 娘は、しばらくそれを見送っていたが、やがて屈むと、地に置いてあった線香の束を取り上げ、「どれ、それでは妾は、ちょっと道了様へ。……」と云い、古塚のような、小丘の方へ歩いて行った。 (あれが道了様なのか)と、頼母は、それでもようやく起き上がった体を、小丘の方へ向け、つくづくと眺めた。それは、高さ二間、周囲十間ぐらいの大岩で出来ている塚であったが、その面に、苔だの枯れ草だの枯れ葉だのがまとい付いている上に、土壌が蔽うているので、早速には、岩とは見えなかった。塚の頂きに立っている碑には、南無妙法蓮華経と、髭題目が刻まれていた。碑は、歳月と風雨とに損われて、諸所欠けている高さ六尺ぐらいの物で、色は黝かったが、陽に照らされ、薄光って見えた。その碑の面を、縒れたり縺れたりしながら、蒼白い、漠とした物が立ち昇って行った。娘が供えた線香の煙りであった。煙りの裾、碑の前に、つつましく屈み、合掌しているのが娘で、その姿が、数本の小松に遮られていたので、かえって趣き深く眺められた。 「絵だ」と、頼母は、娘の赤味の勝った帯などへ眼をやりながら、呟いた。
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