月下の殺人
「お葉かえ!」とその途端に、二階から女の声がかかった。 お葉は無言で二階を見上げた。 欄干から半身をのり出して、あやめが下を見下ろしている。 「あッ、お姉様! どうしてそこには?」 しかしあやめはそれには答えず、松女の姿へじっと眼をつけ、 「お葉やお葉や、そこにいるのは?」 「お母様よ! お姉様!」 「お母様だって? 良人殺しの!」 「…………」 「良人殺しの松女という女かえ!」 「…………」 「よくノメノメとここへは来られたねえ」 「いいえお姉様」とお葉は叫んだ。 「わたしがお母様をここまで連れて……」 「お前がお母様を? 何のために?」 「お父様を殺したあのお部屋へ、お母様をお連れして懺悔させようと……」 「その悪女、懺悔するかえ?」 「あやめや!」とはじめて松女は叫んだ。 連続して起こる意外の出来事に、今にも発狂しようとして、やっと正気を保っている松女が、嗄れた声で叫んだのである。 「あやめや……お前までが……この屋敷へ! ……いいえいいえ生みの家へ……おおおお帰っておいでだったのか! ……あやめや、あんまりな、あんまりな言葉! ……悪女とは! 懺悔するかえとは! ……わたしは、あれから、毎日々々、涙の乾く暇もないほどに、後悔して後悔して……」 「お黙り!」と絹でも引裂くような声が、――あやめの声が遮った。 「わたしは先刻から雨戸の隙から、お前さんたちの様子を見ていたのだよ。……お葉がお前さんを引っ張って、この二階へ連れて来ようとするのに、お前さんは行くまいと拒んでいたじゃアないか……ほんとうに後悔しているなら、日夜二階の部屋へ来て、香でも焚いて唱名して、お父様の菩提を葬えばよいのだ! ……それを行くまいとして拒むのは、……」 「あやめや、それも恐ろしいからだよ。……あのお方の怨みが恐ろしく、わたしの罪業が恐ろしく、その館が恐ろしく……」 「おおそうとも、恐ろしいとも! この館は今も恐ろしいのだ! ……恐ろしいのも色々だが、今のこの館の恐ろしさは、又もやむごたらしい人殺しが、行なわれようとしていることさ!」 「また人殺しが? 誰が、誰を?」 「お前さんの良人の主馬之進と、主馬之進の兄の松浦頼母とが、たくさんの眷族をかたらって、わたしとわたしの恋しい人とを、この館へとりこめて、これから殺そうとしているのさ。……お聞き、聞こえるだろう、戸をこわしている音が! ……館の裏の戸をぶちこわして、この館へ乱入し、わたしたちを殺そうとしているのさ! ……あッ、しめた! いいことがある! ……お葉やお葉やその女を捉え、ここへおよこし、引きずり上げておくれ! 人質にするのだよその女を! ……もう大丈夫だ、殺されっこはない。その女を人質に取っておいたら、いかな主馬之進や頼母でも、わたしたちを殺すことは出来ないだろうよ。……」 松女の腕を捉り引きずり引きずり、梯子を上るお葉の姿が、すぐに月光に照らされて見えた。 松女を中へ取り籠めて、あやめとお葉と主税とが、刀や短刀を抜きそばめ、闇の二階の部屋の中に、息を殺して突立ったのは、それから間もなくのことであった。 裏戸の破られた音が聞こえた。 乱入して来る足音が聞こえた。 間もなく階段を駈け上る、数人の足音が聞こえてきた。 「よし降り口に待ちかまえていて……」と、主税は云いすて三人を残し、階段の降り口へ突進して行った。 頼母の家来の一人の武士が、いつの間に用意したか弓張提燈をかかげて、階段を駆け上り姿を現わした。 その脳天を真上から、主税は一刀に斬りつけた。 わッという悲鳴を響かせながら、武士は階段からころがり落ちた。 「居たぞ!」 「二階だ!」 「用心して進め!」 声々が階下から聞こえてきた。
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