第五
また顔を出して窓から川を見た。さつきは雨脚が繁くつて、宛然、薄墨で刷いたやう、堤防だの、石垣だの、蛇籠だの、中洲に草の生へた処だのが、点々、彼方此方に黒ずんで居て、それで湿つぽくツて、暗かつたから見えなかつたが、少し晴れて来たからものゝ濡れたのが皆見える。 遠くの方に堤防の下の石垣の中ほどに、置物のやうになつて、畏つて、猿が居る。 この猿は、誰が持主といふのでもない、細引の麻繩で棒杭に結えつけてあるので、あの、占治茸が、腰弁当の握飯を半分与つたり、坊ちやんだの、乳母だのが袂の菓子を分けて与つたり、赤い着物を着て居る、みいちやんの紅雀だの、青い羽織を着て居る吉公の目白だの、それからお邸のかなりやの姫様なんぞが、皆で、からかいに行つては、花を持たせる、手拭を被せる、水鉄砲を浴びせるといふ、好きな玩弄物にして、其代何でもたべるものを分けてやるので、誰といつて、きまつて、世話をする、飼主はないのだけれど、猿の餓ゑることはありはしなかつた。 時々悪戯をして、其紅雀の天窓の毛をつたり、かなりやを引掻いたりすることがあるので、あの猿松が居ては、うつかり可愛らしい小鳥を手放にして戸外へ出しては置けない、誰か見張つてでも居ないと、危険だからつて、ちよい/\繩を解いて放して遣つたことが幾度もあつた。 放すが疾いか、猿は方々を駆ずり廻つて勝手放題な道楽をする、夜中に月が明い時寺の門を叩いたこともあつたさうだし、人の庖厨へ忍び込んで、鍋の大いのと飯櫃を大屋根へ持つてあがつて、手掴で食べたこともあつたさうだし、ひら/\と青いなかから紅い切のこぼれて居る、うつくしい鳥の袂を引張つて、遙かに見える山を指して気絶さしたこともあつたさうなり、私の覚えてからも一度誰かが、繩を切つてやつたことがあつた。其時はこの時雨榎の枝の両股になつてる処に、仰向に寝転んで居て、烏の脛を捕へた、それから畚に入れてある、あのしめぢ蕈が釣つた、沙魚をぶちまけて、散々悪巫山戯をした揚句が、橋の詰の浮世床のおぢさんに掴まつて、顔の毛を真四角に鋏まれた、それで堪忍をして追放したんださうなのに、夜が明けて見ると、また平時の処に棒杭にちやんと結へてあツた。蛇籠[#「ぢや」はママ]の上の、石垣の中ほどで、上の堤防には柳の切株がある処。 またはじまつた、此通りに猿をつかまへて此処へ縛つとくのは誰だらう/\ツて、一しきり騒いだのを私は知つて居る。 で、此猿には出処がある。 其は母様が御存じで、私にお話しなすツた。 八九年前のこと、私がまだ母様のお腹ん中に小さくなつて居た時分なんで、正月、春のはじめのことであつた。 今は唯広い世の中に母様と、やがて、私のものといつたら、此番小屋と仮橋の他にはないが、其時分は此橋ほどのものは、邸の庭の中の一ツの眺望に過ぎないのであつたさうで、今市の人が春、夏、秋、冬、遊山に来る、桜山も、桃谷も、あの梅林も、菖蒲の池も皆父様ので、頬白だの、目白だの、山雀だのが、この窓から堤防の岸や、柳の下や、蛇籠の上に居るのが見える、其身体の色ばかりが其である、小鳥ではない、ほんとうの可愛らしい、うつくしいのがちやうどこんな工合に朱塗の欄干のついた二階の窓から見えたさうで。今日はまだおいひでないが、かういふ雨の降つて淋しい時なぞは、其時分のことをいつでもいつてお聞かせだ。
第六
今ではそんな楽しい、うつくしい、花園がないかはり、前に橋銭を受取る笊の置いてある、この小さな窓から風がはりな猪だの、奇躰な簟だの、不思議な猿だの、まだ其他に人の顔をした鳥だの、獣だのが、いくらでも見えるから、ちつとは思出になるトいつちやあ、アノ笑顔をおしなので、私もさう思つて見る故か、人があるいて行く時、片足をあげた処は一本脚の鳥のやうでおもしろい、人の笑ふのを見ると獣が大きな赤い口をあけたよと思つておもしろい、みいちやんがものをいふと、おや小鳥が囀るかトさう思つてをかしいのだ。で、何でもおもしろくツてをかしくツて吹出さずには居られない。 だけれど今しがたも母様がおいひの通り、こんないゝことを知つてるのは、母様と私ばかりで何うして、みいちやんだの、吉公だの、それから学校の女の先生なんぞに教へたつて分るものか。 人に踏まれたり、蹴られたり、後足で砂をかけられたり、苛められて責まれて、熱湯を飲ませられて、砂を浴せられて、鞭うたれて、朝から晩まで泣通しで、咽喉がかれて、血を吐いて、消えてしまいさうになつてる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑はれて、慰にされて、嬉しがられて、眼が血走つて、髪が動いて、唇が破れた処で、口惜しい、口惜しい、口惜しい、口惜しい、畜生め、獣め、ト始終さう思つて、五年も八年も経たなければ、真個に分ることではない、覚えられることではないんださうで、お亡んなすつた、父様トこの母様とが聞いても身震がするやうな、そういふ酷いめに、苦しい、痛い、苦しい、辛い、惨刻なめに逢つて、さうしてやう/\お分りになつたのを、すつかり私に教へて下すつたので。私はたゞ母ちやん/\てツて母様の肩をつかまいたり、膝にのつかつたり、針箱の引出を交ぜかへしたり、物さしをまはして見たり、縫裁の衣服を天窓から被つて見たり、叱られて逃げ出したりして居て、それでちやんと教へて頂いて、其をば覚えて分つてから、何でも鳥だの、獣だの、草だの、木だの、虫だの、簟だのに人が見えるのだからこんなおもしろい、結構なことはない。しかし私にかういふいゝことを教へて下すつた母様は、とさう思ふ時は鬱ぎました。これはちつともおもしろくなくつて悲しかつた、勿体ないとさう思つた。 だつて母様がおろそかに聞いてはなりません。私がそれほどの思をしてやう/\お前に教へらるゝやうになつたんだから、うかつに聞いて居ては罰があたります。人間も鳥獣も草木も、混虫類も皆形こそ変つて居てもおんなじほどのものだといふことを。 トかうおつしやるんだから。私はいつも手をついて聞きました。 で、はじめの内は何うしても人が鳥や、獣とは思はれないで、優しくされれば嬉しかつた、叱られると恐かつた、泣いてると可哀想だつた、そしていろんなことを思つた。其たびにさういつて母様にきいて見るト何、皆鳥が囀つてるんだの、犬が吠えるんだの、あの、猿が歯を剥くんだの、木が身ぶるいをするんだのとちつとも違つたことはないツて、さうおつしやるけれど、矢張さうばかりは思はれないで、いぢめられて泣いたり、撫でられて嬉しかつたりしい/\したのを、其都度母様に教へられて、今じやあモウ何とも思つて居ない。 そしてまだ如彼濡れては寒いだらう、冷たいだらうと、さきのやうに雨に濡れてびしよ/\行くのを見ると気の毒だつたり、釣をして居る人がおもしろさうだとさう思つたりなんぞしたのが、此節じやもう唯変な簟だ、妙な猪の王様だと、をかしいばかりである、おもしろいばかりである、つまらないばかりである、見ツともないばかりである、馬鹿々々しいばかりである、それからみいちやんのやうなのは可愛らしいのである、吉公のやうなのはうつくしいのである、けれどもそれは紅雀がうつくしいのと、目白が可愛らしいのと些少も違ひはせぬので、うつくしい、可愛らしい。うつくしい、可愛らしい。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] 下一页 尾页
|