第三
母様は莞爾なすつて、 「あゝ、それで何かい、先生が腹をお立ちのかい。」 そればかりではなかつた。私が児心にも、アレ先生が嫌な顔をしたなト斯う思つて取つたのは、まだモ少し種々なことをいひあつてからそれから後の事で。 はじめは先生も笑ひながら、ま、あなたが左様思つて居るのなら、しばらくさうして置きましやう。けれども人間には智恵といふものがあつて、これには他の鳥だの、獣だのといふ動物が企て及ばない、といふことを、私が川岸に住まつて居るからつて、例をあげておさとしであつた。 釣をする、網を打つ、鳥をさす、皆人の智恵で、何にも知らない、分らないから、つられて、刺されて、たべられてしまふのだトかういふことだった。 そんなことは私聞かないで知つて居る、朝晩見て居るもの。 橋を挟んで、川を溯つたり、流れたりして、流網をかけて魚を取るのが、川ン中に手拱かいて、ぶる/\ふるへて突立つてるうちは顔のある人間だけれど、そらといつて水に潜ると、逆になつて、水潜をしい/\五分間ばかりも泳いで居る、足ばかりが見える。其足の恰好の悪さといつたらない。うつくしい、金魚の泳いでる尾鰭の姿や、ぴら/\と水銀色を輝かして刎ねてあがる鮎なんぞの立派さには全然くらべものになるのぢやあない。さうしてあんな、水浸になつて、大川の中から足を出してる、そんな人間がありますものか。で、人間だと思ふとをかしいけれど、川ン中から足が生へたのだと、さう思つて見て居るとおもしろくツて、ちつとも嫌なことはないので、つまらない観世物を見に行くより、ずつとましなのだつて、母様がさうお謂ひだから私はさう思つて居ますもの。 それから、釣をしてますのは、ね、先生、とまた其時先生にさういひました。 あれは人間ぢやあない、簟なんで、御覧なさい。片手懐つて、ぬうと立つて、笠を冠つてる姿といふものは、堤坊[#「堤坊」はママ]の上に一本占治茸が生へたのに違ひません。 夕方になつて、ひよろ長い影がさして、薄暗い鼠色の立姿にでもなると、ます/\占治茸で、づゝと遠い/\処まで一ならびに、十人も三十人も、小さいのだの、大きいのだの、短いのだの、長いのだの、一番橋手前のを頭にして、さかり時は毎日五六十本も出来るので、また彼処此処に五六人づゝも一団になつてるのは、千本しめぢツて、くさ/\に生へて居る、それは小さいのだ。木だの、草だのだと、風が吹くと動くんだけれど、茸だから、あの、茸だからゆつさりとしもしませぬ。これが智恵があつて釣をする人間で、些少も動かない。其間に魚は皆で優々と泳いでてあるいて居ますわ。 また智恵があるつて口を利かれないから鳥とくらべツこすりや、五分五分のがある、それは鳥さしで。 過日見たことがありました。 他所のおぢさんの鳥さしが来て、私ン処の橋の詰で、榎の下で立留まつて、六本めの枝のさきに可愛い頬白が居たのを、棹でもつてねらつたから、あら/\ツてさういつたら、叱ツ、黙つて、黙つてツて恐い顔をして私を睨めたから、あとじさりをして、そツと見て居ると、呼吸もしないで、じつとして、石のやうに黙つてしまつて、かう据身になつて、中空を貫くやうに、じりツと棹をのばして、覗つてるのに、頬白は何にも知らないで、チ、チ、チツチツてツて、おもしろさうに、何かいつてしやべつて居ました。 其をとう/\突いてさして取ると、棹のさきで、くる/\と舞つて、まだ烈しく声を出して啼いてるのに、智恵のあるおぢさんの鳥さしは、黙つて、鰌掴にして、腰の袋ン中へ捻り込むで、それでもまだ黙つて、ものもいはないので、のつそりいつちまつたことがあつたんで。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] 下一页 尾页
|