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高野聖(こうやひじり)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-22 13:25:57 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



     十五

婦人おんなは驚いた顔をして、
(それでは森の中で、大変でございますこと。旅をする人が、飛騨ひだの山では蛭が降るというのはあすこでござんす。貴僧あなたは抜道をご存じないから正面まともに蛭の巣をお通りなさいましたのでございますよ。お生命いのち冥加みょうがなくらい、馬でも牛でも吸い殺すのでございますもの。しかしうずくようにおかゆいのでござんしょうね。)
(ただいまではもう痛みますばかりになりました。)
(それではこんなものでこすりましてはやわらかいお肌が擦剥すりむけましょう。)というと手が綿のようにさわった。
 それから両方の肩から、背、横腹、いしき、さらさら水をかけてはさすってくれる。
 それがさ、骨に通って冷たいかというとそうではなかった。暑い時分じゃが、理窟りくつをいうとこうではあるまい、わしの血がいたせいか、婦人おんな温気ぬくみか、手で洗ってくれる水がいい工合ぐあいに身に染みる、もっともたちい水は柔かじゃそうな。
 その心地ここちもいわれなさで、眠気ねむけがさしたでもあるまいが、うとうとする様子で、きずの痛みがなくなって気が遠くなって、ひたとくっついている婦人おんなの身体で、わしは花びらの中へ包まれたような工合。
 山家やまがの者には肖合にあわぬ、都にもまれな器量はいうにおよばぬが弱々しそうな風采ふうじゃ、背中を流すうちにもはッはッと内証ないしょ呼吸いきがはずむから、もう断ろう断ろうと思いながら、例の恍惚うっとりで、気はつきながら洗わした。
 その上、山の気か、女のにおいか、ほんのりと佳いかおりがする、わし背後うしろでつく息じゃろうと思った。」
 上人しょうにんはちょっと句切って、
「いや、お前様お手近じゃ、そのあかりき立ってもらいたい、暗いとしからぬ話じゃ、ここらから一番野面のづらやっつけよう。」
 まくらを並べた上人の姿もおぼろげにあかりは暗くなっていた、早速燈心とうしんを明くすると、上人は微笑ほほえみながら続けたのである。
「さあ、そうやっていつの間にやらうつつとも無しに、こう、その不思議な、結構な薫のするあったかい花の中へ柔かに包まれて、足、腰、手、肩、えりから次第しだい天窓あたままで一面にかぶったから吃驚びっくり、石に尻餅しりもちいて、足を水の中に投げ出したから落ちたと思うとたんに、女の手が背後うしろから肩越しに胸をおさえたのでしっかりつかまった。
貴僧あなた、おそばに居て汗臭あせくそうはござんせぬかい、とんだ暑がりなんでございますから、こうやっておりましてもこんなでございますよ。)という胸にある手を取ったのを、あわてて放して棒のように立った。
(失礼、)
(いいえ誰も見ておりはしませんよ。)とすまして言う、婦人おんなもいつの間にか衣服きものを脱いで全身を練絹ねりぎぬのようにあらわしていたのじゃ。
 何とおどろくまいことか。
(こんなに太っておりますから、もうおはずかしいほど暑いのでございます、今時は毎日二度も三度も来てはこうやって汗を流します、この水がございませんかったらどういたしましょう、貴僧あなた、お手拭てぬぐい。)といってしぼったのを寄越よこした。
(それでおみ足をおきなさいまし。)
 いつの間にか、体はちゃんと拭いてあった、お話し申すもおそれ多いが、はははははは。」

     十六

「なるほど見たところ、衣服きものを着た時の姿とはちごうてししつきの豊な、ふっくりとしたはだえ
(さっき小屋へ入って世話をしましたので、ぬらぬらした馬の鼻息が体中にかかって気味が悪うござんす。ちょうどようございますから私も体を拭きましょう。)
 と姉弟きょうだい内端話うちわばなしをするような調子。手をあげて黒髪をおさえながらわきの下を手拭でぐいと拭き、あとを両手で絞りながら立った姿、ただこれ雪のようなのをかかる霊水で清めた、こういう女の汗は薄紅うすくれないになって流れよう。
 ちょいちょいとくしを入れて、
(まあ、女がこんなお転婆てんばをいたしまして、川へおっこちたらどうしましょう、川下かわしもへ流れて出ましたら、村里の者が何といって見ましょうね。)
白桃しろももの花だと思います。)とふと心付いて何の気もなしにいうと、顔が合うた。
 すると、さもうれしそうに莞爾にっこりしてその時だけは初々ういういしゅう年紀としも七ツ八ツ若やぐばかり、処女きむすめはじふくんで下を向いた。
 わしはそのまま目をらしたが、その一段の婦人おんなの姿が月を浴びて、薄い煙に包まれながら向う岸のしぶき[#「さんずい+散」、140-10]れて黒い、なめらかな大きな石へ蒼味あおみを帯びて透通すきとおって映るように見えた。
 するとね、夜目で判然はっきりとは目にらなんだが地体じたい何でも洞穴ほらあながあるとみえる。ひらひらと、こちらからもひらひらと、ものの鳥ほどはあろうという大蝙蝠おおこうもりが目をさえぎった。
(あれ、いけないよ、お客様があるじゃないかね。)
 不意を打たれたように叫んで身悶みもだえをしたのは婦人おんな
(どうかなさいましたか、)もうちゃんと法衣ころもを着たから気丈夫きじょうぶたずねる。
(いいえ、)
 といったばかりできまりが悪そうに、くるりと後向うしろむきになった。
 その時小犬ほどな鼠色ねずみいろ小坊主こぼうずが、ちょこちょことやって来て、あなやと思うと、がけから横に宙をひょいと、背後うしろから婦人おんなの背中へぴったり。
 裸体はだかの立姿は腰から消えたようになって、だきついたものがある。
畜生ちくしょう、お客様が見えないかい。)
 と声にいかりを帯びたが、
(お前達は生意気なまいきだよ、)と激しくいいさま、腋の下からのぞこうとしたくだんの動物の天窓あたま振返ふりかえりさまにくらわしたで。
 キッキッというて奇声を放った、件の小坊主はそのまま後飛うしろとびにまた宙を飛んで、今まで法衣ころもをかけておいた、枝のさきへ長い手でつるさがったと思うと、くるりと釣瓶覆つるべがえしに上へ乗って、それなりさらさらと木登きのぼりをしたのは、何とさるじゃあるまいか。
 枝から枝を伝うと見えて、見上げるように高い木の、やがてこずえまで、かさかさがさり。
 まばらに葉の中をすかして月は山のを放れた、その梢のあたり。
 婦人おんなはものにねたよう、今の悪戯いたずら、いや、毎々、ひき蝙蝠こうもりと、お猿で三度じゃ。
 その悪戯にいた機嫌きげんそこねた形、あまり子供がはしゃぎ過ぎると、若い母様おふくろにはてある図じゃ。
 本当に怒り出す。
 といった風情ふぜい面倒臭めんどうくさそうに衣服きものを着ていたから、わしは何にも問わずに小さくなって黙ってひかえた。」

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