炬燵話
私が君に山上の冬を待受けることの奈様に恐るべきかを話した。しかしその長い寒い冬の季節が又、信濃に於ける最も趣の多い、最も楽しい時であることをも告げなければ成らぬ。 それには先ず自分の身体のことを話そう。そうだ。この山国へ移り住んだ当時、土地慣れない私は風邪を引き易くて困った。こんなことで凌いで行かれるかと思う位だった。実際、人間の器官は生活に必要な程度に応じて発達すると言われるが、丁度私の身体にもそれに適したことが起って来た。次第に私は烈しい気候の刺激に抵抗し得るように成った。東京に居た頃から見ると、私は自分の皮膚が殊に丈夫に成ったことを感ずる。私の肺は極く冷い山の空気を呼吸するに堪えられる。のみならず、私は春先まで枯葉の落ちないあの椚林を鳴らす寒い風の音を聞いたり、真白に霜の来た葱畠を眺めたりして、屋の外を歩き廻る度に、こういう地方に住むものでなければ知らないような、一種刺すような快感を覚えるように成った。 草木までも、ここに成長するものは、柔い気候の中にあるものとは違って見える。多くの常磐樹の緑がここでは重く黒ずんで見えるのも、自然の消息を語っている。試みに君が武蔵野辺の緑を見た眼で、ここの礫地に繁茂する赤松の林なぞを望んだなら、色相の相違だけにも驚くであろう。 ある朝、私は深い霧の中を学校の方へ出掛けたことが有った。五六町先は見えないほどの道を歩いて行くと、これから野面へ働きに行こうとする農夫、番小屋の側にションボリ立っている線路番人、霧に湿りながら貨物の車を押す中牛馬の男なぞに逢った。そして私は――私自身それを感ずるように――この人達の手なぞが真紅に腫れるほどの寒い朝でも、皆な見かけほど気候に臆してはいないということを知った。 「どうです、一枚着ようじゃ有りませんか――」 こんなことを言って、皆な歩き廻る。それでも温熱が取れるという風だ。 それから私は学校の連中と一緒に成ったが、朝霧は次第に晴れて行った。そこいらは明るく成って来た。浅間の山の裾もすこし顕れて来た。早く行く雲なぞが眼に入る。ところどころに濃い青空が見えて来る。そのうちに西の方は晴れて、ポッと日が映って来る。浅間が全く見えるように成ると、でも冬らしく成ったという気がする。最早あの山の巓には白髪のような雪が望まれる。 こんな風にして、冬が来る。激しい気候を相手に働くものに取って、一年中の楽しい休息の時が来る。信州名物の炬燵の上には、茶盆だの、漬物鉢だの、煙草盆だの、どうかすると酒の道具まで置かれて、その周囲で炬燵話というやつが始まる。
小六月
気候は繰返す。温暖な平野の地方ではそれほど際立って感じないようなことを、ここでは切に感ずる。寒い日があるかと思うと、また莫迦に暖い日がある。それから復た一層寒い日が来る。いくら山の上でも、一息に冬の底へ沈んでは了わない。秋から冬に成る頃の小春日和は、この地方での最も忘れ難い、最も心地の好い時の一つである。俗に「小六月」とはその楽しさを言い顕した言葉だ。で、私はいくらかこの話を引戻して、もう一度十一月の上旬に立返って、そういう日あたりの中で農夫等が野に出て働いている方へ君の想像を誘おう。
小春の岡辺
風のすくない、雲の無い、温暖な日に屋外へ出て見ると、日光は眼眩しいほどギラギラ輝いて、静かに眺めることも出来ない位だが、それで居ながら日蔭へ寄れば矢張寒い――蔭は寒く、光はなつかしい――この暖かさと寒さとの混じ合ったのが、楽しい小春日和だ。 そういう日のある午後、私は小諸の町裏にある赤坂の田圃中へ出た。その辺は勾配のついた岡つづきで、田と田の境は例の石垣に成っている。私は枯々とした草土手に身を持たせ掛けて、眺め入った。 手廻しの好い農夫は既に収穫を終った頃だ。近いところの田には、高い土手のように稲を積み重ね、穂をこき落した藁はその辺に置き並べてあった。二人の丸髷に結った女が一人の農夫を相手にして立ち働いていた。男は雇われたものと見え、鳥打帽に青い筒袖という小作人らしい風体で、女の機嫌を取り取り籾の俵を造っていた。そのあたりの田の面には、この一家族の外に、野に出て働いているものも見えなかった。 古い釜形帽を冠って、黄菊一株提げた男が、その田圃道を通りかかった。 「まあ、一服お吸い」 と呼び留められて、釜形帽と鳥打帽と一緒に、石垣に倚りながら煙草を燻し始めた。女二人は話し話し働いた。 「金さん、お目はどうです――それは結構――ああ、ああ、そうとも――」などと女の語る声が聞えた。私は屋外に日を送ることの多い人達の生活を思って、聞くともなしに耳を傾けた。振返って見ると、一方の畦の上には菅笠、下駄、弁当の包らしい物なぞが置いてあって、そこで男の燻す煙草の煙が日の光に青く見えた。 「さいなら、それじゃお静かに」 と一方の釜形帽はやがて別れて行った。 鳥打帽は鍬を執って田の土をすこしナラし始めた。女二人が錯々と籾を振ったり、稲こきしたりしているに引替え、この雇われた男の方ははかばかしく仕事もしないという風で、すこし働いたかと思うと、直に鍬を杖にして、是方を眺めてはボンヤリと立っていた。 岡辺は光の海であった。黒ずんだ土、不規則な石垣、枯々な桑の枝、畦の草、田の面に乾した新しい藁、それから遠くの方に見える森の梢まで、小春の光の充ち溢れていないところは無かった。 私の眼界にはよく働く男が二人までも入って来た。一人は近くにある田の中で、大きな鍬に力を入れて、土を起し始めた。今一人はいかにも背の高い、痩せた、年若な農夫だ。高い石垣の上の方で、枯草の茶色に見えるところに半身を顕して、モミを打ち始めた。遠くて、その男の姿が隠れる時でも、上ったり下ったりする槌だけは見えた。そして、その槌の音が遠い砧の音のように聞えた。 午後の三時過まで、その日私は赤坂裏の田圃道を歩き廻った。 そのうちに、畠側の柿や雑木に雀の群のかしましいほど鳴き騒いでいるところへ出た。刈取られた田の面には、最早青い麦の芽が二寸ほども延びていた。 急に私の背後から下駄の音がして来たかと思うと、ぱったり立止って、向うの石垣の上の方に向いて呼び掛ける子供の声がした。見ると、茶色に成った桑畠を隔てて、親子二人が収穫を急いでいた。子供はお茶の入ったことを知らせに来たのだ。信州人ほど茶好な人達も少なかろうと思うが、その子供が復た馳出して行った後でも、親子は時を惜むという風で、母の方は稲穂をこき落すに余念なく、子息はその籾を叩く方に廻ってすこしも手を休めなかった。遠く離れてはいたが、手拭を冠った母の身を延べつ縮めつするさまも、子息のシャツ一枚に成って後ろ向に働いているさまも、よく見えた。 子供にあんなことを言われると、私も咽喉が乾いて来た。 家へ帰って濃い熱い茶に有付きたいと思いながら、元来た道を引返そうとした。斜めに射して来た日光は黄を帯びて、何となく遠近の眺望が改まった。岡の向うの方には数十羽の雀が飛び集ったかと思うと、やがてまたパッと散り隠れた。
農夫の生活
君はどれ程私が農夫の生活に興味を持つかということに気付いたであろう。私の話の中には、幾度か農家を訪ねたり、農夫に話し掛けたり、彼等の働く光景を眺めたりして、多くの時を送ったことが出て来る。それほど私は飽きない心地で居る。そして、もっともっと彼等をよく知りたいと思っている。見たところ、Openで、質素で、簡単で、半ば野外にさらけ出されたようなのが、彼等の生活だ。しかし彼等に近づけば近づくほど、隠れた、複雑な生活を営んでいることを思う。同じような服装を着け、同じような農具を携え、同じような耕作に従っている農夫等。譬えば、彼等の生活は極く地味な灰色だ。その灰色に幾通りあるか知れない。私は学校の暇々に、自分でも鍬を執って、すこしばかりの野菜を作ってみているが、どうしても未だ彼等の心には入れない。 こうは言うものの、百姓の好きな私は、どうかいう機会を作って、彼等に近づくことを楽みとする。 赤い茅萱の霜枯れた草土手に腰掛け、桟俵を尻に敷き、田へ両足を投出しながら、ある日、私は小作する人達の側に居た。その一人は学校の小使の辰さんで、一人は彼の父、一人は彼の弟だ。辰さん親子は麦畠の「サク」を掛け起していたが、私の方へ来ては休み休み種々な話をした。雨、風、日光、鳥、虫、雑草、土、気候、そういうものは無くて叶わぬものでありながら、又百姓が敵として戦わねば成らないものでもある。そんなことから、この辺の百姓が苦むという種々な雑草の話が出た。水沢瀉、えご、夜這蔓、山牛蒡、つる草、蓬、蛇苺、あけびの蔓、がくもんじ(天王草)その他田の草取る時の邪魔ものは、私なぞの記憶しきれないほど有る。辰さんは田の中から、一塊の土を取って来て、青い毛のような草の根が隠れていることを私に示した。それは「ひょうひょう草」とか言った。この人達は又、その中から種々な薬草を見分けることを知っていた。「大抵の御百姓に、この稲は何だなんて聞いても、名を知らないのが多い位に、沢山いろいろと御座います」 話好きな辰さんの父親は、女穂、男穂のことから、浅間の裾で砂地だから稲も良いのは作れないこと、小麦畠へ来る鳥、稲田を荒らすという虫類の話などを私にして聞かせた。「地獄蒔」と言って、同じ麦の種を蒔くにも、農夫は地勢に応じたことを考えるという話もした。小諸は東西の風をうけるから、南北に向って「ウネ」を造ると、日あたりも好し、又風の為に穂の擦れ落ちる憂が無い、自分等は絶えずそんなことを工夫しているとも話した。 「しかし、上州の人に見せたものなら、こんなことでよく麦が取れるッて、消魂られます」 こう言って、隠居は笑った。 「この阿爺さんも、ちったア御百姓の御話が出来ますから、御二人で御話しなすって下さい」 と辰さんは言い置いて、麦藁帽の古いのを冠りながら復た畠へ出た。辰さんの弟も股引を膝までまくし上げ、素足を顕して、兄と一緒に土を起し始めた。二人は腰に差した鎌を取出して、時々鍬に附着する土を掻取って、それから復た腰を曲めて錯々とやった。 「浅間が焼けますナ」 と皆な言い合った。 私は掘起される土の香を嗅ぎ、弱った虫の声を聞きながら、隠居から身上話を聞かされた。この人は六十三歳に成って、まだ耕作を休まずにいるという。十四の時から灸、占の道楽を覚え、三十時代には十年も人力車を引いて、自分が小諸の車夫の初だということ、それから同居する夫婦の噂なぞもして、鉄道に親を引つぶされてからその男も次第に、零落したことを話した。 「お百姓なぞは、能の無いものの為るこんです……」 と隠居は自ら嘲るように言った。 その時、髪の白い、背の高い、勇健な体格を具えた老農夫が、同じ年格好な仲間と並んで、いずれも土の喰い入った大きな手に鍬を携えながら、私達の側を挨拶して通った。肥し桶を肩に掛けて、威勢よく向うの畠道を急ぐ壮年も有った。
収穫
ある日、復た私は光岳寺の横手を通り抜けて、小諸の東側にあたる岡の上に行って見た。 午後の四時頃だった。私が出た岡の上は可成眺望の好いところで、大きな波濤のような傾斜の下の方に小諸町の一部が瞰下される位置にある。私の周囲には、既に刈乾した田だの未だ刈取らない田だのが連なり続いて、その中である二家族のみが残って収穫を急いでいた。 雪の来ない中に早くと、耕作に従事する人達の何かにつけて心忙しさが思われる。私の眼前には胡麻塩頭の父と十四五ばかりに成る子とが互に長い槌を振上げて籾を打った。その音がトントンと地に響いて、白い土埃が立ち上った。母は手拭を冠り、手甲を着けて、稲の穂をこいては前にある箕の中へ落していた。その傍には、父子の叩いた籾を篩にすくい入れて、腰を曲めながら働いている、黒い日に焼けた顔付の女もあった。それから赤い襷掛に紺足袋穿という風俗で、籾の入った箕を頭の上に載せ、風に向ってすこしずつ振い落すと、その度に粃と塵埃との混り合った黄な煙を送る女もあった。 日が短いから、皆な話もしないで、塵埃だらけに成って働いた。岡の向うには、稲田や桑畠を隔てて、夫婦して笠を冠って働いているのがある。殊にその女房が箕を高く差揚げ風に立てているのが見える。風は身に染みて、冷々として来た。私の眼前に働いていた男の子は稲村に預けて置いた袖なし半天を着た。母も上着の塵埃を払って着た。何となく私も身体がゾクゾクして来たから、尻端折を下して、着物の上から自分の膝を摩擦しながら、皆なの為ることを見ていた。 鍬を肩に掛けて、岡づたいに家の方へ帰って行く頬冠りの男もあった。鎌を二挺持ち、乳呑児を背中に乗せて、「おつかれ」と言いつつ通過ぎる女もあった。 眼前の父子が打つ槌の音はトントンと忙しく成った。 「フン」、「ヨウ」の掛声も幽かに泄れて来た。そのうちに、父はへなへなした俵を取出した。腰を延ばして塵埃の中を眺める女もあった。田の中には黄な籾の山を成した。 その時は最早暮色が薄く迫った。小諸の町つづきと、かなたの山々の間にある谷には、白い夕靄が立ち籠めた。向うの岡の道を帰って行く農夫も見えた。 私はもうすこし辛抱して、と思って見ていると、父の農夫が籾をつめた俵に縄を掛けて、それを負いながら家を指して運んで行く様子だ。今は三人の女が主に成って働いた。岡辺も暮れかかって来て、野面に居て働くものも無くなる。向うの田の中に居る夫婦者の姿もよく見えない程に成った。 光岳寺の暮鐘が響き渡った。浅間も次第に暮れ、紫色に夕映した山々は何時しか暗い鉛色と成って、唯白い煙のみが暗紫色の空に望まれた。急に野面がパッと明るく成ったかと思うと、復た響き渡る鐘の音を聞いた。私の側には、青々とした菜を負って帰って行く子供もあり、男とも女とも後姿の分らないようなのが足速に岡の道を下って行くもあり、そうかと思うと、上着のまま細帯も締めないで、まるで帯とけひろげのように見える荒くれた女が野獣のように走って行くのもあった。 南の空には青光りのある星一つあらわれた。すこし離れて、また一つあらわれた。この二つの星の姿が紫色な暮の空にちらちらと光りを見せた。西の空はと見ると、山の端は黄色に光り、急に焦茶色と変り、沈んだ日の反射も最後の輝きを野面に投げた。働いている三人の女の頬冠り、曲めた腰、皆な一時に光った。男の子の鼻の先まで光った。最早稲田も灰色、野も暗い灰色に包まれ、八幡の杜のこんもりとした欅の梢も暗い茶褐色に隠れて了った。 町の彼方にはチラチラ燈火が点き始めた。岡つづきの山の裾にも点いた。 父の農夫は引返して来て復た一俵負って行った。三人の女や男の子は急ぎ働いた。 「暗くなって、いけねえナア」と母の子をいたわる声がした。 「箒探しな――箒――」 と復た母に言われて、子はうろうろと田の中を探し歩いた。 やがて母は箒で籾を掃き寄せ、筵を揚げて取り集めなどする。女達が是方を向いた顔もハッキリとは分らないほどで、冠っている手拭の色と顔とが同じほどの暗さに見えた。 向うの田に居る夫婦者も、まだ働くと見えて、灰色な稲田の中に暗く動くさまが、それとなく分る。 汽笛が寂しく響いて聞えた。風は遽然私の身にしみて来た。 「待ちろ待ちろ」 母の声がする。男の子はその側で、姉らしい女と共に籾を打った。彼方の岡の道を帰る人も暗く見えた。「おつかれでごわす」と挨拶そこそこに急いで通過ぎるものもあった。そのうちに、三人の女の働くさまもよくは見えない位に成って、冠った手拭のみが仄かに白く残った。振り上ぐる槌までも暗かった。 「藁をまつめろ」 という声もその中で聞える。 私がこの岡を離れようとした頃、三人の女はまだ残って働いていた。私が振返って彼等を見た時は、暗い影の動くとしか見えなかった。全く暮れ果てた。
巡礼の歌
乳呑児を負った女の巡礼が私の家の門に立った。 寒空には初冬らしい雲が望まれた。一目見たばかりで、皆な氷だということが思われる。氷線の群合とも言いたい。白い、冷い、透明な尖端は針のようだ。この雲が出る頃に成ると、一日は一日より寒気を増して行く。 こうして山の上に来ている自分等のことを思うと、灰色の脚絆に古足袋を穿いた、旅窶れのした女の乞食姿にも、心を引かれる。巡礼は鈴を振って、哀れげな声で御詠歌を歌った。私は家のものと一緒に、その女らしい調子を聞いた後で、五厘銅貨一つ握らせながら、「お前さんは何処ですネ」と尋ねた。 「伊勢でござります」 「随分遠方だネ」 「わしらの方は皆なこうして流しますでござります」 「何処の方から来たんだネ」 「越後路から長野の方へ出まして、諸方を廻って参りました。これから寒くなりますで、暖い方へ参りますでござりますわい」 私は家のものに吩咐けて、この女に柿をくれた。女はそれを風呂敷包にして、家のものにまで礼を言って、寒そうに震えながら出て行った。 夏の頃から見ると、日は余程南よりに沈むように成った。吾家の門に出て初冬の落日を望む度に、私はあの「浮雲似二故丘一」という古い詩の句を思出す。近くにある枯々な樹木の梢は、遠い蓼科の山々よりも高いところに見える。近所の家々の屋根の間からそれを眺めると丁度日は森の中に沈んで行くように見える。
[#改ページ]
その八
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >> 尾页
|