山に住む人々の三
警察と鉄道に従事する人達は他郷からの移住者が多い。町の平和を監督する署長さんと言えば、大抵他の地方の人だ。ここの巡査の中にはでも土地から出て奉職する人なぞがあって、ポクポクと親しみのある靴の音をさせる。 鉄道の方の人達は停車場の周囲に全く別に世界を造っている。忍耐力の強い越後人より外に、この山の上の鉄道生活に堪え得るものは無いとも言われている。大手に住む話好きな按摩から、今の駅長のことを聞いたことが有った。この人は新橋から直江津に移り、車掌を五年勤め、それから助役に七年の月日を送って来たという。同じ山の上に住んでも、こうした懸け離れた生活を送っている人もある。 以前ある駅長が残して行った話だと言って、按摩はまた次のようなことを私に語って聞かせた。「もと、越後の酒造で、倉番した人ということで御座います。遽かに出世致しまして、ここの駅長さんと御成んなさいました。ある時、電信掛の技手に向い、葡萄酒罎の貼紙を指しまして、どうだ君にこの英語が読めるかとそう申しました。読めるなら一升奢ろうというんで御座います。その駅長さんの無学なことは技手も承知しておりましたから、わざと私には読めません、貴方一つ御読みなすって下さい。それこそ私が酒でもこの葡萄酒でも奢りますからと申しました。フムそうか、君はよくこんなものが読めなくて鉄道が勤まるネ、そんな話でその場は分れて了いました。技手はもし譴責でもされたら酒にかこつける下心で、すこし紅い顔をして駅長さんの前に出ました。先刻は大きに失礼致しました、憚りながらこんなものは英語のイロハだ、皆さんも聞いて下さい。この貼紙にはこう云うことが書いてあると言うて、ペロペロと読んで聞かせました。ウンそうかい、そういうことが書いてあるのかい、成程君はエライものだ、そういう学力があろうとは今まで思わなかった……」 こんな口論の末から駅長と技手とはすべて反対に出るように成った。間もなくその駅長は面白くなくて、小諸を去ったとか。 線路の側に立っているポイント・メンこそはこの山の上で寂しい生活を送る移住者の姿であろう。勤めの時間は二昼夜にわたって、それで一日の休みにありつくという。労働の長いのに苦むとか。私は学校の往還に、懐古園の踏切を通るが、あの見張番所のところには、ポイント・メンが独りでポツンと立っているのをよく見かける。
柳田茂十郎
先代柳田茂十郎さんと言えば、佐久地方の商人として、いつでも引合に出される。茂十郎さんの如きは極端に佐久気質を発揮した人の一人だ。 諸国まで名を知られたこの商人も、一時は商法の手違いから、豆腐屋にまで身を落したことがある。そこまで思い切って行ったところが茂十郎さんかも知れない。でも、この人が小諸で豆腐屋を始めた時は、誰も気の毒に思って買う人が無かったとのことだ。茂十郎さんの家では、もと酒屋であったが、造酒は金を寝かして商法に働きの少いのを見て取り、それから茶商に転じたという。時間の正しい人で、すこしでも掛値[#「掛値」は底本では「掛直」]《かけね》すれば、ずんずん帰って行くという風であったとか。幾人かの子に店を出させ、存命中はキチンキチンと屋賃を取り、死に際にその店々を分けてくれて行った。一度でも茂十郎さんの家へ足踏したもののためには、死後に形見が用意してあったと言って驚いて、他に話した女があったということも聞いた。私達の学校の校長に逢うと、よく故人の話が出て、客に呼ばれて行って一座した時でも無駄には酒を飲まなかったと言って徳利を控えた手付までして聞かせる。 「酒は飲むだけ飲めば、それで可いものです」 万事に茂十郎さんはこういう調子の人だったと聞いた。
小作人の家
学校の小使の家を訪ねる約束をした。辰さんは年貢を納める日だから私に来て見ろと言ってくれた。 小諸新町の坂を下りると、浅い谷がある。細い流を隔てて水車小屋と対したのが、辰さんの家だ。庭には蓆を敷きつめ、籾を山のように積んで、辰さん兄弟がしきりと働いていた。 かねて懇意な隠居に伴われて私は暗い小作人の家へ入った。猫の入物とかで、藁で造った行火のようなものが置いてある。私には珍らしかった。しるしばかりに持って行った手土産を隠居は床の間の神棚の前に供え、鈴を振り鳴らし、それから炬燵にあたりながら種々な話を始めた。極く無愛想な無口な五十ばかりの痩せた女も黙って炬燵にあたっていた。その側には辰さんの小娘も余念なく遊んでいた。この無口な女と、竈の前に蹲踞っている細帯〆た娘とは隠居の家に同居する人らしかった。で、私はこれらの人に関わず隠居の話に耳を傾けた。 話好きな面白い隠居は上州と信州の農夫の比較なぞから、種々な農具のことや地主と小作人の関係なぞを私に語り聞かせた。この隠居の話で、私は新町辺の小作人の間に小さな同盟罷工ともいうべきが時々持ち上ることを知った。隠居に言わせると、何故小作人が地主に対して不服があるかというに、一体にこの辺では百坪を一升蒔と称え、一ツカを三百坪に算し、一升の籾は二百八十目に量って取立てる、一ツカと言っても実際三百坪は無い、三百坪なくて取立てるのはその割で取る、地主と半々に分けるところは異数な位だ。そこで小作人の苦情が起る。無智な小作人がまた地主に対する態度は、種々なところで人の知らない復讐をする。仮令ば俵の中へ石を入れて目方を重くし、俵へ霧を吹いて目をつけ、又は稲の穂を顧みないで藁を大事にし、その他種々な悪戯をして地主を苦める。こんなことをしたところで、結局「三月四月は食いじまい」だ。尤も、そのうちには麦も取れる。 「しかし私の時には定屋様(地主)がお出なさると、必と一升買って、何がなくとも香の物で一杯上げるという風でした。今年は悴に任しときましたから、彼奴はまたどんな風にするか……私の時には昔からそうでした」 こう隠居は私に話して笑った。 そのうちに家の外では「定屋さんになア、来て御くんなんしょって、早く行って来てくれや」という辰さんの声がする。日の光は急に戸口より射し入り、暗い南の明窓も明るくなった。「ああ、日が射して来た、先刻までは雪模様でしたが、こりゃ好い塩梅だ」と復た辰さんが言っていた。 細帯締た娘は茶を入れて私達の方へ持って来てくれた。炬燵にあたっていた無口な女は、ぷいと台所の方へ行った。 隠居は小声に成って、 「私も唯一人ですし、平常は誰も訪ねて来るものが無いんです。年寄ですからねえ……ですから置いてくれというので、ああいうものを引受けて同居さしたところが忰が不服で黙ってあんなものを入れたって言いますのさ」 「飯なぞは炊いてくれるんですか」と私が聞いた。 「それですよ、世間の人はそう思う。ところが私は炊いて貰わない。どうしてそんな事をしようものなら皆な食われて了う……そこは私もなかなか狡いや。だけれども世間の人はそう言わない。そこがねえ辛いと言うもんです」 古い洋傘の毛繻子の今は炬燵掛と化けたのを叩いて、隠居は掻口説いた。この人の老後の楽みは、三世相に基づいて、隣近所の農夫等が吉凶を卜うことであった。六三の呪禁と言って、身体の痛みを癒す祈祷なぞもする。近所での物識と言われている老農夫である。私はこの人から「言海」のことを聞かれて一寸驚かされた。 「昔の恥を御話し申すんじゃないが、私も若い時には車夫をしてねえ、日に八両ずつなんて稼いだことが有りましたよ。八両サ。それがねえ、もうぱっぱと湯水のように無くなって了う。どうして若い時の勢ですもの。私はこれで、どんなことでも人のすることは大概してみましたが、博奕と牢屋の味ばかしは知らない――ええこればかしは知らない」 こう隠居が笑っているところへ、黄な真綿帽子を冠った五十恰好の男が地味な羽織を着て入って来た。 「定屋さんですよ」と辰さんが呼んだ。 地主は屋の内に入って炬燵に身を温めながら待っていた。私が屋外の庭の方へ出ようとすると、丁度水車小屋の方から娘が橋を渡って来て、そこに積み重ねた籾の上へ桝を投げて行った。辰さんは年貢の仕度を始めた。五歳ばかりの小娘が来て、辰さんの袖に取縋った。辰さんが父親らしい情の籠った口調で慰めると、娘は頭から肩まで顫わせて、泣く度に言うこともよく解らない位だった。 「今に母さんが来るから泣くなよ」 「手が冷たい……」 「ナニ、手が冷たい? そんなら早く行ってお炬燵へあたれ」 凍った娘の手を握りながら、辰さんは家の内へ連れて行った。 谷に面した狭い庭には枯々な柿の樹もあった。向うの水車も藁囲いされる頃で、樋の雫は氷の柱に成り、細谷川の水も白く凍って見える。黄ばんだ寒い日光は柿の枯枝を通して籾を積み上げた庭の内を照らして見せた。年老いた地主は白髪頭を真綿帽子で包みながら、屋の内から出て来た。南窓の外にある横木に倚凭って、寒そうに袖口を掻合せ、我と我身を抱き温めるようにして、辰さん兄弟の用意するのを待った。 「どうで御座んすなア、籾の造え具合は」 と辰さんに言われて、地主は白い柔かい手で籾を掬って見て一粒口の中へ入れた。 「空穂が有るねえ」と地主が言った。 「雀に食われやして、空穂でも無いでやす。一俵造えて掛けて見やしょう」 地主は掌中の籾をあけて、復た袖口を掻き合せた。 辰さんは弟に命じて籾を箕に入れさせ、弟はそれを円い一斗桝に入れた。地主は腰を曲めながら、トボというものでその桝の上を丁寧に撫で量った。 「貴様入れろ、声掛けなくちゃ御年貢のようで無くて不可」と辰さんは弟に言った。「さあ、どっしり入れろ」 「一わたりよ、二わたりよ」と弟の呼ぶ声が起った。 六つばかりの俵がそこに並んだ。一俵に六斗三升の籾が量り入れられた。辰さんは桟俵を取って蓋をしたが、やがて俵の上に倚凭って地主と押問答を始めた。地主は辰さんの言うことを聞いて、目を細め、無言で考えていた。気の利いた弟は橋の向うへ走って行ったかと思ううちに、酒徳利を風呂敷包にして、頬を紅くし、すこし微笑みながら戻って来た。 「御年貢ですか、御目出度う」と言って入って来たのは水車小屋の亭主だ。 私は、藁仕事なぞの仕掛けてある物置小屋の方に邪魔にならないように居て、桟俵なぞを尻に敷きながら、この光景を眺めた。辰さんは俵に足を掛けて藁縄で三ところばかり縛っていた。弟も来てそれを手伝うと、乾いた縄は時々切れた。「俵を締るに縄が切れるようじゃ、まだ免状は覚束ないなア」と水車小屋の亭主も笑って見ていた。 「一俵掛けて見やしょう」 「いくらありやす。出放題あるわ。十八貫八百――」 「これは魂消た」 「十八貫八百あれば、まあ好い籾です」 「俵にもある」 「そうです、俵にもありやすが、それは知れたもんです」 「おらがとこは十八貫あれば可いだ」 「なにしろ坊主九分混りという籾ですからなア」 人々の間にこんな話が交換された。水車小屋の亭主は地主に向って、米価のことを話し合って、やがて下駄穿のまま籾の上を越して別れて行った。 「どうだいお前の体格じゃ二俵位は大丈夫担げる」 と地主に言われて辰さんの弟は一俵ずつ両手に抱え、顔を真紅にして持ち上げてみたりなぞして戯れた。 「まあ、お茶一つお上り」 と辰さんは地主に言って、私にもそれを勧めた。真綿帽子を脱いで屋の内に入る地主の後に随いて、私も凍えた身体を暖めに行った。「六俵の二斗五升取りですか」 こう辰さんが言ったのを隠居は炬燵にあたりながら聞咎めた。地主の前に酒徳利の包を解きながら、 「二斗五升ってことが有るもんか。四斗五升よ」 「四斗……」と地主は口籠る。 「四斗五升じゃないや。四斗七升サ。そうだ――」と復た隠居が言った。 「四斗七升?」と地主は隠居の顔を見た。 「ああ四斗七升か」と云い捨てて、辰さんは庭の方へ出て行った。 私達は炬燵の周囲に集った。隠居は古い炬燵板を取出して、それを蒲団の上に載せ、大丼に菎蒻と油揚の煮付を盛って出した。小皿には唐辛の袋をも添えて出した。古い布で盃を拭いて、酒は湯沸に入れて勧めてくれた。 「冷ですよ。燗ではありませんよ――定屋様はこの方で被入っらしゃるから」 こう隠居も気軽な調子で言った。地主は煙管を炬燵板の間に差込み、冷酒を舐め舐め隠居の顔を眺めて、 「こういう時には婆さんが居ると、都合が好いなア」 地主の顔には始めて微かな笑が上った。隠居は款待顔に、 「婆さんに別れてからねえ、今年で二十五年に成りますよ」 「もう好加減に家へ入れるが可いや」 「まあ聞いて下さい。婆さんには子供が七人も有りましたが、皆な死んで了った……今の辰は貰い子でサ……どうでしょう、婆さんが私の留守に、家の物を皆な運んで了う。そりゃ男と女の間ですから、大抵のことは納まりますサ……納まりますが……盗みばかりは駄目です。今ここで婆さんを入れる、あの隠居も神信心だなんて言いながら、婆さんの溜めたのを欲しいからと人が言う。それが厭でサ。婆さんが来ても、直に盗みの話に成ると納まらないや。モメて仕様が無い。ホラ、あの話ねえ――段々卜ってみると、盗人が出て来ましたぜ。可恐しいもんだねえ」 隠居の話し振には実に気の面白い、小作人仲間の物識と立てられるだけのことがあった。地主と隠居の間には、台所の方に居る同居人母子のことに就いてこんな話も出た。 「へえ、あれが娘ですか」 「子も有るんでさあね。可哀そうだから置いて遣ろうと言うんですよ。妙に世間では取る……私だって今年六十七です……この年になって、あんな女を入れたなんて言われちゃ、つまらない――そこが口惜しいサ」 「幾歳に成ったって気は同じよ」 御蔭で私もめったに来たことのない屋根の下で、百姓らしい話を聞きながら、時を送った。菎蒻と油揚の馳走に成って、間もなく私はこの隠居の家を辞した。
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その十二
路傍の雑草
学校の往還に――すべての物が白雪に掩われている中で――日の映った石垣の間などに春待顔な雑草を見つけることは、私の楽みに成って来た。長い間の冬籠りだ。せめて路傍の草に親しむ。 南向きもしくは西向の桑畠の間を通ると、あの葉の縁だけ紫色な「かなむぐら」がよく顔を出している。「車花」ともいう。あの車の形した草が生えているような土手の雪間には、必と「青はこべ」も蔓いのたくっている。「青はこべ」は百姓が鶏の雛にくれるものだと学校の小使が言った。石垣の間には、スプゥンの形した紫青色の葉を垂れた「鬼のはばき」や、平べったい肉厚な防寒服を着たような「きしゃ草」なぞもある。蓬の枯れたのや、その他種々な雑草の枯れ死んだ中に、細く短い芝草が緑を保って、半ば黄に、半ば枯々としたのもある。私達が学校のあるあたりから士族屋敷地へかけては水に乏しいので、到るところに細い流を導いてある。その水は学校の門前をも流れている。そこへ行って見ると、青い芝草が残って、他の場所で見るよりは生々としている。 どういう世界の中にこれ等の雑草が顔を出して、中には極く小さな蕾の支度をしているか、それも君に聞いて貰いたい。一月の二十七日あたりから三十一日を越え、二月の六日頃までは、殆んど寒さの絶頂に達した。山の上に住み慣れた私も、ある日は手の指の凍り縮むのを覚え、ある日は風邪のために発熱して、気候の激烈なるに驚かされる。降った雪は北向の屋根や庭に凍って、連日溶くべき気色もない……私は根太の下から土と共に持ち上って来た霜柱の為に戸の閉らなくなった古い部屋を見たことがある。北向の屋根の軒先から垂下る氷柱は二尺、三尺に及ぶ。身を包んで屋外を歩いていると気息がかかって外套の襟の白くなるのを見る。こういう中で元気の好いのは屋根の上を飛ぶ雀と雪の中をあさり歩く犬とのみだ。 草木のことを言えば、福寿草を小鉢に植えて床の間に置いたところが、蕾の黄ばんで来る頃から寒さが強くなって、暖い日は起き、寒い日は倒れ萎れる有様である。驚くべきは南天だ。花瓶の中の水は凍りつめているのに、買って挿した南天の実は赤々と垂下って葉も青く水気を失わず、活々と変るところが無い。 君は牛乳の凍ったのを見たことがあるまい。淡い緑色を帯びて、乳らしい香もなくなる。ここでは鶏卵も氷る。それを割れば白味も黄身もザクザクに成っている。台処の流許に流れる水は皆な凍り着く。葱の根、茶滓まで凍り着く。明窓へ薄日の射して来た頃、出刃包丁か何かで流許の氷をかんかんと打割るというは暖い国では見られない図だ。夜を越した手桶の水は、朝に成って見ると半分は氷だ。それを日にあて、氷を叩き落し、それから水を汲入れるという始末だ。沢庵も、菜漬も皆な凍って、噛めばザクザク音がする。時には漬物まで湯ですすがねばならぬ。奉公人の手なぞを見れば、黒く荒れ、皮膚は裂けてところどころ紅い血が流れ、水を汲むには頭巾を冠って手袋をはめてやる。板の間へ掛けた雑巾の跡が直に白く凍る朝なぞはめずらしくない。夜更けて、部屋々々の柱が凍み割れる音を聞きながら読書でもしていると、実に寒さが私達の骨まで滲透るかと思われる…… 雪の襲って来る前は反って暖かだ。夜に入って雪の降る日なぞは、雨夜のさびしさとは、違って、また別の沈静な趣がある。どうかすると、梅も咲くかと疑われる程、暖かな雪の夜を送ることがある。そのかわり雪の積った後と来ては、堪えがたいほどの凍み方だ。雪のある田畠へ出て見れば、まるで氷の野だ。こうなると、千曲川も白く氷りつめる。その氷の下を例の水の勢で流れ下る音がする。
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