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業平文治漂流奇談(なりひらぶんじひょうりゅうきだん)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/9/7 10:54:35 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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六 文治が友之助を助けた翌日、お村の母親の所へ掛合(かけあい)に参りまして、帰り掛(がけ)に大喧嘩の出来る、一人の相手は神田(かんだ)豊島町(としまちょう)の左官の亥太郎(いたろう)と申す者でございます。其の頃婀娜(あだ)は深川、勇みは神田と端歌(はうた)の文句にも唄いまして、婀娜は深川と云うのは、其の頃深川は繁昌で芸妓(げいぎ)が沢山居りました。夏向座敷へ出ます姿(なり)は絽(ろ)でも縮緬(ちりめん)でも繻袢(じゅばん)なしの素肌(すはだ)へ着まして、汗でビショ濡(ぬれ)になりますと、直ぐに脱ぎ、一度切(ぎ)りで後(あと)は着ないのが見えでございましたと申しますが、婀娜な姿(なり)をして白粉気(おしろけ)なしで、潰(つぶ)しの島田に新藁(しんわら)か丈長(たけなが)を掛けて、笄(こうがい)などは昔風の巾八分長さ一尺もあり、狭い路地は頭を横にしなければ通れないくらいで、立派を尽しましたものでございます。又勇みは神田にありまして皆腕力があります、ワン力と云うから犬の力かと存じますとそうではない、腕に力のあるものだそうでございます。腕を突張(つッぱ)り己(おれ)は強いと云う者が、開けない野蛮の世の中には流行(はやり)ましたもので、神田の十二人の勇(いさみ)は皆十二支を其の名前に付けて十二支の刺青(ほりもの)をいたしました。大工の卯太郎(うたろう)が兎(うさぎ)の刺青を刺(ほ)れば牛右衞門(うしえもん)は牛を刺り、寅右衞門(とらえもん)は虎を刺り、皆紅差(べにざ)しの錦絵(にしきえ)のような刺青を刺り、亥太郎は猪の刺青を刺りましたが、此の亥太郎は十二人の中(うち)でも一番強く、今考えて見れば馬鹿々々しい訳ですが、実に強い男で「これは亥太郎には出来まい」と云うと腹を立(たっ)て、「何でも出来なくって」と云い、人が蛇や虫を出して、「これが食えるか」と云うと「食えなくって」と云って直ぐに食い、「亥太郎幾ら強くってもこれは食えめえ」と云うと「食えなくって」と云いながら小室焼(こむろやき)の茶碗や皿などをぱり/\/\と食って仕舞い、気違いのようです。或(ある)時亥太郎が門跡様(もんぜきさま)の家根(やね)を修復(しゅふく)していると、仲間の者が「亥太郎何程(なにほど)強くっても此の門跡の家根から転がり堕(おち)ることは出来めえ」と云うと「出来なくって」と云って彼(あ)の家根からコロ/\/\と堕ちたから、友達は減ず口を利いて飛んだ事をしたと思って冷々して見ていると、ひらりっと体(たい)をかわして堕際(おちぎわ)で止ったから助かりましたが危い事でした。門跡様では驚いて、これから屋根へ金網を張りました。あれは鴻(こう)の鳥が巣をくう為かと思いました処が、そうではない亥太郎から初まった事だそうでございます。此の亥太郎が大喧嘩をいたしますのは後のお話にいたしまして、さて文治はお村を助けました翌日、友之助の主人芝口三丁目の紀伊國屋善右衞門(ぜんえもん)の所へ参り、友之助は柳橋の芸者お村と云うものに馴染み、主人の金を遣(つか)い込み、申訳がないから切羽詰って、牛屋の雁木からお村と心中するところを、計らずも私(わし)が通り掛って助けたが、何処までもお前さんが喧(やか)ましく云えば、水の出花の若い両人(ふたり)、復(ま)た駈出して身を投げるかも計られないから、何(ど)うか私(わし)に面じて勘弁してくれまいか、そうすれば思い合った二人が仲へ私(わし)が入り、媒妁(なこうど)となって夫婦にして末永く添遂(そいと)げさせてやりたいから、と事を分けて話しました処が、紀の善も有難うございます、左様仰(おっし)ゃって下さるなら遣い込の金子は、当人が見世を出し繁昌の後少々宛(ずつ)追々に入金すれば宜しい、併(しか)し暖簾(のれん)はやる事は出来ないが、貴方(あなた)が仰しゃるなら此の紀伊國屋の暖簾も上げましょう、代物(しろもの)も貸してやりますが、当人の出入(でいり)は外(ほか)の奉公人に対して出来ませんから止める。と事を分けての話に文治も大(おおい)に悦んで、帰り掛けに柳橋の同朋町(どうぼうちょう)に居るお村の母親お崎婆(ばゞあ)の所へ参りました。 上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >> 尾页
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