人間はおき去り
「どうです。重力のない世界はおもしろかったですか」 いつの間にかポーデル博士が、操縦席からうしろをふりかえって、東助とヒトミに呼びかけた。 「ああ、コック長だ。博士はコック長に変装していたんですね」 「ははは。見つけられましたね」 「髭だらけのコック長なんて、見たことがありませんわ」 「ははは、髭はとった方がよかったですね。さて君たちにたずねます。今訪問した世界は、宇宙艇の中の出来事でありました。ところが、もし、ああいうことが、地球の上で起ったとしたら、どんな現象が起るでしょうか」 「地球の上で生活しているとき、急に重力がなくなったら、どうなるかというんですか」 「そうです。どんなことが起りますか」 「分りました。私たちは鳥のように高い空をとぶこともできるし、ハンモックもないのに空中で昼寝をすることができますわ。たのしいですこと」 「海の水が陸へあがってくると思う。その海の水が雲のようになって空を飛ぶんだ。すごいなあ。アフリカのライオンが、いつの間にか空を流れて日本へやってくるようになる。そうですね、ポーデル先生」 「いや、もっとすごいことになります。あれをごらんなさい。地球に重力がなくなったときの光景が、航時機の映写幕の上にうつしだされています。ほら、丸い地球の表面に、たいへんなことが起りはじめましたよ」 博士が指した壁のうえの映写幕に、地球の北半球の一部がうつっていた。地平線は丸く曲っていた。地表から何物かが、ふわふわまいあがっている。よくみると、それは家屋だった。橋だった。それから小さいものは自動車だった。みみずみたいに長いものは列車だった。きらきらと、塵のようなものが浮かんで地表を離れていくのが見えたが、それはおびただしい人間の群だった。 「見えましょう。大都会が、今こわれていくところです。市民たちは、ずんずん地面から離れていくでしょう」 「なぜ人間や建物なんかが、あのように、どんどんとんでいくのですか。はげしすぎるではありませんか」 「はげしすぎることはありません。そのわけはこうです。地球は一秒間に三十キロメートルの速さで、空間を走っているのです。重力があれば、建物も人間も、地球の表面にすいつけたまま、このすごい速さで公転していくのですが、重力がなくなると、あのとおり、建物も人間も、あとへ取残されてしまいます。そして人間もけだものも植物も、みんな死んだり枯れたりしてしまいます」 「それはたいへんですね。重力がなくなることを願ってはいけませんね」 「ははは。ほんとうは重力はなくなる心配はありません。しかしやがて、人間が発明するであろうところの重力を減らす装置を、うんと使いすぎると、あのような大椿事がもちあがるでしょう。そのことはあらかじめ、十分注意しておかねばなりません」 博士は、しんみりと警告をあたえた。
ポーデル博士の松永さん
その日、東助とヒトミが、ポーデル博士の飛ぶ樽の中へはいってみると、博士は、はだかになって着がえの最中だった。ふしぎなことに、前には羽織や袴がでている。 「先生こんにちは。この羽織や袴をどうなさるのですか」 「やあ、君たち、きましたね。この着物を、わたし、着ます。そして日本人に化けるのです。見ていて下さい」 「日本人に化けてどうするのですか」 「あなたがたを、ふしぎな国へ案内するためです。今日は心霊実験会へつれていきます」 「心霊実験会とは、どんなことをするのですか」 「待って下さい。先に変装をすませますから」 ポーデル博士は、鏡の前へいって、眉を黒く染めたり、高い鼻をおしつけて低くしたり、ひっこんだ目を少し前にだしたり、顔に黄色い顔料をぬったりした。それから袴をつけ、羽織を着た。するとそこにはいつもの博士の姿は消えて、人のいい老日本人がにこにこ笑っているのだった。 「さあ、これでいい。日本人と見えましょう。わたくしは今日は、松永さんという老人に化けました。松永さんは、心霊実験会の会員として知られています。松永老人がいくと、その心霊実験会の方では安心して会場へ入れてくれます。会員でない人がいくと、なかなか入れてくれません。それでわたくし、松永老人に化けました」 「ああ、なるほど」 「私たち子供はいいんですかしら」 「あなたがた二人は、松永老人の孫あります。それなら大丈夫、入場許されます」 「なかなかやかましい会なんですね」 「そうです。心霊が霊媒の身体にのりうつって、ふしぎなことをいたします」 「心霊とは何ですか。霊媒とは何でしょうか」 「心霊とは人間の霊魂のことです。たましい、ともいいます」 「ああ、たましいのことですか。先生、人間が死んでも、たましいは残るのでしょうか」 「さあ、それが問題です。今夜の実験をごらんになれば、それについて一つの答を知ることができましょう」 「たましいなんて、人間が死ねば、一しょになくなってしまうもんだ。たましいがあるなんて、うそだと思うよ」 東助は、心霊の存在をうち消した。 「でも、あたし本当に、人魂がとぶところを見たことがあってよ。あれは四年前の夏だったかしら」 「あれは火の玉で、人間のたましいじゃないよ。ねえ、先生」 「さあ、どうでしょうか」 いつになくポーデル博士は、今日ははっきり答えない。 「先生。霊媒というのは、どんなものですの」 「おお、その霊媒です。霊媒は特別の人間であります。そして心霊と人間との間にいて、連絡をいたします。つまり、じっさいには、心霊が霊媒の身体にのりうつるのです。心霊だけでは、声を発することもできません。ものをいうこともできません。そこで心霊は、霊媒の身体にのりうつり、霊媒ののどと、口とをかりて言葉をつづるのです。ですから霊媒がいてくれないと、わたくしたちは心霊と話をすることができないのです。どうです。お分りになりましたか」 「すると、霊媒人間が、心霊に自分の身体を貸すんですね」 「そうです」 「人間は、誰でも霊媒になれますの」 「いいえ。さっきもいいましたが、特別の人間でないと霊媒になれません。霊媒になれる人は、ごくわずかです。霊媒にも、すぐれた霊媒と、おとった霊媒とがあります。すぐれた霊媒は、心霊がらくにのりうつることができます。のり心地がいいのです」 「特別の人間というと、どんな人でしょう」 「心霊実験会のえらい人は申します。霊媒になれる人は、心霊というもののあることを信じる人、自分の身体から自分のたましいをおいだして、たましいのない空家にすることができる人、それが完全にできる人ほど、上等の霊媒だそうです。さあ、それではそろそろでかけましょう」
名霊媒
松永老人に化けたポーデル博士につれられて、東助とヒトミは、心霊実験会の会場へいった。それは東京の郊外の焼けのこった町の岡の上にある広い邸宅であった。 会員たちは、もうだいぶ集っていた。 「おや松永さん。久しぶりですね」 「おお、これは金光会長さん。今日は孫を二人連れてきましたわい」 「ほう、それはようございました。お孫さんたち、ふしぎなおもしろいことが今日見られますよ」 金光会長は、顔の外までとびだしている白い八字髭をゆりうごかして、東助とヒトミにそういった。この会長は、松永老人がにせ者だということにすこしも気がついてない様子。 「霊媒の、今日の身体の調子はどうですか」 「調子はいいそうですよ。もっとも岩竹さんは、今日は身体の調子が悪いといったことは今までに一度もないですなあ」 「おっしゃるとおりです。岩竹女史ほどのいい霊媒は、ちょっと今までに例がありませんね」 会員たちのこんな話から察すると、この会の霊媒の岩竹女史は、たいへんすぐれた霊媒らしい。 「皆さん。お待たせしました。実験室の用意ができましたから、あちらへどうぞ」 金光会長が一同をよびにきた。十四五名の会員たちは席を立って、奥へ入る。もちろんポーデル博士も、東助とヒトミも、とりすました顔でその中に交っていた。 実験室というのは、十二三坪位の広さの板の間じきのがらんとした部屋だった。手前の方に、会員のすわるための椅子が二十脚ほど馬蹄形にならべてあった。正面の奥、つまり板ばりの壁の前に、電気死刑の椅子のような形のがっちりした肘かけ椅子が一つおいてあり、その左右に小さな角卓子が二つずつあった。その外に、主催者側で使うらしい椅子が四つ五つあった。 壁には、まっ黒なカーテンが、長い裾をひいて、隅々にしばってあった。 と、左手の廊下から、ぞろぞろと四、五人づれの人があらわれた。その中に、ひとりの女性が交っていた。力士のようにふとった大きな婦人で、としの頃は三十をすこしこえていると思われた。ただ顔色がよくない。青ぶくれに近い。それが名霊媒の岩竹女史であることは、会員席からのささやきで知れた。他の男の人たちは、この会の幹部であった。この人たちは、正面の左右に並んだ。 いちばんあとから、白い長髭の会長がはいってきて、障子をしめた。そして正面に立って会員たちにあいさつをした。 「これから第九十九回目の心霊実験会をはじめます。本日は、みなさまのご熱望により、特に岩竹女史においでをねがいまして、有名なるゴングの心霊をここへよびだしていただき、いろいろとめずらしい実験をお頼みしたいと思います。それでは暗室にいたします。なおいつものようにお煙草はおひかえ願います。それから暗黒の中においても、写真撮影と録音とは、絶対におことわりいたします。では幹部の方々。黒幕を三重にはって、この部屋を完全暗室にして下さい」 そこで幹部たちは席を立って、まわりの黒いカーテンを引いて完全暗室にした。 そのとき室内に一つ十燭光の電灯がついた。これは会長がつけたのだ。 「それでは、例によりまして霊媒の岩竹女史を、この椅子にしっかりしばりつけます。会員の方も四五名、ここへおいで下すって手をお貸し下さい」 会長が岩竹女史に対して、うやうやしく礼をした。すると女史はゆうぜんと立上って、中央のおそろしそうな椅子にどっかと腰をかけた。幹部たちは、太い綱を十五、六本、もちだした。 会長が女史に、白い手拭で目かくしをし、その上にさらにゴム布で二重の目かくしをする。そしてうしろへ身を引き、合図の手をあげると、綱をもった幹部と会員とが女史のそばへより、女史の身体や手足を、むごいほどきつく椅子にしばりつける。二重にしばったところもある。両手などはうしろに組合わしてしばった上、さらにそれを椅子の背にしばりつける。 これでは女史は全く身うごきもできないし、さぞ身体が痛いことだろうと思われた。 「これ位でいいでしょう。岩竹先生、痛くありませんか」 「今日はずいぶん、きつくしばりましたねえ」 「すこしゆるめましょうか」 「いや、いいです。もう二三本しばってみて下さい」 また追加の綱でしばった。 「それでは、岩竹先生のお身体を、心霊にひきわたします」 髭の会長は前にでて、女史に向って合掌し、なにか呪文のようなものをいって、えいっと声をかけると、椅子の中の女史は、うーんと呻って、身をうしろへそらせた。 「かかったようです。では電灯を消します。二十分間、おしずかにねがいます」 会長が、ぱちっと電灯のスイッチをひねった。室内はまっくらになった。
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