樽の中
ポーデル博士の話のおもしろさにつられて、東助もヒトミも、ふしぎの樽の中へ入ってみようと思った。 しかし、なんだか気味がわるい。 「では、三人で、手をつないではいりましょう。東助さん、先へはいります。東助さんの手、ヒトミさん、にぎります。するとヒトミさん、次に樽の中へはいります。ヒトミさんの手、私にぎります。すると三番目に、私、はいります。これ、よろしいではありましぇんか」 博士は、三人が手をつなぎあってはいることを、すすめた。 「だって、こんな小さい穴の中へ、ぼくの大きなからだがはいるはずはないです」 「まだ、あなた、そんなこといってますか。私のことば信じなされ。その小さな樽の中にきっとはいれると思いなさい。そうしてとびこむ、よろしいです。ふしぎに、はいれます。うそ、いいましぇん」 「そうかなあ」 「平行線は、どこまでいっても交わらない。そうきめたのはユークリッド空間です。しかし私のご案内する非ユークリッド空間では、平行線もやがて交ります。だから大きいものも、先へすすめば小さくなります。あなたのからだも小さくなってはいります。うたがうことありましぇん。さあ早くおはいりなさい」 東助には、博士のいうことが、よく理解できなかったけれど、平行線がやがて交わるものなら、やがてからだも小さくなるような気がしたので、思いきって樽の小さい穴へとびこんでみることにした。 「ではお先へ、ワン、ツー、スリー」 東助は、思いきって、小さい穴の中へとびこんだ。水泳のとびこみのように、手と頭の方を先にして。……ただし左手はヒトミと手をつないでいるので、右手だけを先にのばした。 と、東助の頭は、急にくらくらとなった。耳もとで、すごい雷のような音を聞いた。しかしそれもほんのちょっとの間ですんだ。次は急に気もちがよくなった。 さわやかな音楽が耳に入った。すばらしいいい香が、はなの中へはいってきた。あたりが明るくなった――見なれない部屋の中に、彼は腰をおろしていた。 あまり広くない部屋ではあるが、まわりにいっぱい器械がならんでいた。そうだ、どうやら大きな飛行機の操縦室のようだ。しかしそれにしても、あまりにりっぱな複雑な器械がいっぱい並んでいる。こんな大仕掛の操縦室をもった飛行機は、よほど大きい飛行機にちがいない。 「東助さん。なにをぼんやり考えこんでいらっしゃるの」 ヒトミの声だった。 うわッと、われにかえってふりかえると、いつの間にはいってきたのか、ヒトミもいるし、ポーデル博士もにこにこと、ひげだらけの顔をうごかして笑っている。 「どうです。私、いったとおり、ありましょう。小さい穴、はいれました。そして中、このとおりなかなか広い」 博士は得意のようだ。いつの間にか服がかわっていた。探検家がアフリカの猛獣狩にいくような半パンツの軽装になっている。頭の上には、四角い大学帽のかわりに、白いヘルメット帽がのっている。そして口には、とうもろこしでこしらえたパイプをくわえて、煙草のけむりをぷかーり、ぷかーり。 東助は、自分のとおってきたあとを考えて、ふしぎでしかたがない。 「ここは樽の中ですか。それとも、別の場所ですか」 「もちろん樽の中です」 すると、自分たちのからだは小さくちぢまったことになるのかな。 「さあ、私がこれからこの樽を操縦しておもしろい国へ案内しますよ。あなたがた、そこのいすに腰かけて十五分ほど待つ、よろしいです」 そういうと博士は、操縦席らしいいすの一つに腰をかけた。そしてレバーをうごかしたり、操縦桿をひねったりした。かすかな震動が起って、部屋がうごきだした。 ああ、今、樽がとびだしたのだ。 どこへいく、奇妙な飛行樽は?
何の注射か
博士は、その行先について、なにも語らなかった。いってから、目をあけて見れば、ひとりでによくわかるといった。 東助とヒトミとは、向こうへいきつくより前に、すこしでもその国がどんなところであるか知りたかった。そして博士に、いくどもねだった。 博士は怒りもせず、ますます上きげんに見えた。そしてやっとパイプのすきまから、すこしばかりしゃべった。 「世界には、だれが住んでいますか」 「世界にですか。人間が住んでいます」 博士の質問に、東助がこたえた。 「人間だけですか。蟻はどうですか。桜の木はどうですか」 「ああそうか。さっきの答を訂正します。世界にはたくさんの動物が住んでいます。人間もふくめて動物の世界です」 東助は、ヒトミをふりかえって、この答は正しいだろうと、目できいた。ヒトミはうなずいた。 「そうでしょうか」と博士はいった。 「では、もう一つききます。地球の上でうごきまわっているのは何ですか」 まるで「話の泉」のようであった。 「それは動物です。人間や馬や鳥や魚や、それから甲むしや蝶々やみみずや……みんな動物です」 これはヒトミが答えた。 「その外ありましぇんか」 「動物の外、うごいているものはありません。動物とは、動くものと書くんですから、動くものは動物です」 ヒトミが自信をもっていった。 「そうでしょうか」と博士はいった。 「ではもう一つだけたずねます。地球の上で、感覚をもっているものは何でしょうか。いきたいと思った方へいったり、寒くなれば寒さにたえるように用心したり、おいしい空気をすったり、のみたければどんどん水をのんだりもする。それは何でしょうか」 「それは動物です」 「あたしもそう思います。動物です」 二人は答えた。それにきまっているからだ。 「そうでしょうか」 と、博士は、こんども疑いのことばで答えた。 なぜ、そんなにわかりきったことを疑うのですか。――と、東助もヒトミも博士にききかえしたいくらいだった。 「世界は動物のもの。地球の上で動くのは動物。感覚があり、したいことをするのも、また動物。あなたがた、そういいましたね。――よくこのことをおぼえていて下さい。あとになって、私はもう一度、あなたがたに、同じことをたずねます」 博士は、なぞのようなことをいった。 「話をしているうちに、もうきました。そのふしぎな国へ下りていきます。ちょっと目まいがするかもしれましぇん。すこしですから、がまんする、よろしいです」 博士のことばが切れると同時にとこからともなく、へんな音響がきこえはじめた。それは奇妙な音色をあげつつ、かわっていった。と、二人は俄に胸さきがわるくなって、はきそうになった。 が、間もなくそれは消えた。いやな音も消えた。震動もなくなった。博士がのっそりと操縦席から立上った。 「いよいよ、あの国へきました。これから下りていくのですが、その前に、私たちは特別の注射をいたします。この注射をしていかないと、おもしろいもの見られましぇん。腕をおだし下さい」 博士の手に、いつの間にか注射針がにぎられていた。 もうここまできては、博士のいうことをきくしかないので、東助もヒトミに目くばせして、注射をしてもらった。それはべつに痛くもかゆくもない注射だった。気分も大してかわらなかった。ただなんとなく気がのびのびして前よりは、いい気持だった。 「それでは、こっちからでましょう」 博士は先へ立って、戸を開いた。 直径二メートルほどの大きな円形の戸口があいていた。外はくらくてみえない。 博士に手をひかれて、東助とヒトミとは、ワン、ツー、スリーで外へとびだした。雷鳴のような音、息ぐるしさ。それらは前と同じようであった。 が、急にあたりが明るくなった。 太陽が頭上にかんかんとかがやいている。涼しいそよ風がふいてくる。見ると一面の砂漠であった。 ふりかえると、この前、地下室で見たと同じ形の小さい樽が一つ、砂の上にあった。そして白い煙をはいていた。この小さい樽の中からでてきたのかと思うと、ふしぎでならない東助とヒトミだった。 「ここはどこですか。どこに、おもしろいものがあるんですか」 「まだ気がつきましぇんか。あそこをごらんなさい」 博士が地平線をゆびさした。 東助とヒトミは、ゆびさされた方を見た。が、見る見る二人の顔におどろきの色がうかんだ。
緑色の怪物
地平線のかなたに、何が見えたか。 はじめは、地平線の上に、緑色の海があって、波が立っているように思われた。が、すぐそれはまちがいであると分った。地平線の上を、緑色のあやしい姿をした怪物が、さかんに踊りまわっているのであった。 それは、おそろしいほどたくさんの集団に見えた。 「なんでしょう、あれは……」 「こっちへくるわ。いやあねえ」 「なんですか、あれは。ええと、ポーデル博士」 東助は、うしろに立って、にやにや笑っている博士にたずねた。 「彼らは、今に、こっちへくる。来れば、それが何者だかわかるでしょう」 博士は、それ以上語ろうとはしなかった。 博士のいう「彼ら」とは、いったい何者であろう。二人が目をみはっているうちにも、彼らの集団は、だんだんこっちへ近づくのが分った。彼らは、頭の上に長い手をふりたてて踊りくるっている。みんな緑色の細いからだを持っている。赤い花みたいなもので、からだをかざりたてているのもあるようだ。 「あれ、何なの。あんな生きもの見たことないわ」 「あれで動いていないと、熱帯の林のようなんだけれどね。しかし林ではない。林はしずかなところだ。彼らは、それとはちがって、気が変になったように踊っている。いや、こっちへおしよせてくる。気持が悪いね」 ヒトミは、いつとなく東助の方へからだをよせて、手をしっかりにぎっていた。 彼らの姿が二人の方に近くなるにしたがって、彼らのいきおいのはげしさにおどろかされた。彼らは洪水のように、こっちへおしよせてくる。 その間にも、東助は彼らの正体をつかもうとして一生けんめいだった。 「ヒトミちゃん。あれは木だよ、蔓草だよ。みんな植物だ。植物が、あんなに踊っているんだ。いや、ぼくたちを見つけて、突撃してくるんだ。おお、これはたいへんだ」 「ああ、気味がわるい。なんだって植物がうごきまわるんでしょう。あれは椰子の木だわ。あッ、マングローブの木も交っているわ。あの青い蛇のようにはってくるのは蔓草だわ。まあ、こわい」 「ふしぎだ、ふしぎだ。今までにあんな植物を見たことがない。話に聞いたこともありゃしない。ふしぎな植物だ。動物になった植物とでもいうのかしら」 東助もヒトミも、息をつめて、奇怪なる有様に気をうばわれている。 彼らはますます近くなって、ふしぎな姿をはっきり見せた。すくすくと天の方へのびて、梢にみるみる実を大きくふくらませる椰子の木。とめどもなく枝を手足のようにのばし、枝のさきをいくつにもひろげて、こっちへおしよせてくるマングローブの木。煙がはうようにのびてくる仏桑花。そして赤い大きな花がひらいたと思うと、たちまちすぼみ、また大きな花がたくさん次々に咲いてはすぼみ、まるで花で呼吸をしているようであった。 と、いつの間にか蔓草が地をはってしのびよっていた。ヒトミはびっくりして、悲鳴をあげた。そのときはもうおそかった。ヒトミの腰から下は、蔓草のためにぐるぐるまきになってしまった。そしてその蔓草の先が、蛇のように鎌首をあげてヒトミの肩へはいあがった。 「なにをするんだ。こいつ……」 と、東助はヒトミを助けるつもりで蔓草とたたかった。しかし彼はかんたんに蔓草にまかれてしまった。二分間とかからないうちに東助は、蔓草のためぐるぐるまきにされてしまった。 ヒトミも東助も、悲鳴をあげるばかりであったが、そのうちに、二人のまわりは草と木とでとりまかれ、日光もさえぎられてしまった。密林の中にとじこめられたんだ。いや、その密林は緑色をした化物どものあつまりで、二人のまわりにおどりまわっている。 「た、助けてくれ……」 「助けて下さい。ポーデル先生」 「はっはっはっ。ほんとうに悲鳴をあげましたね。助けてあげましょう。しかし分ったでしょう。植物も動くということを。そして地球は動物の世界だというよりも、むしろ植物の世界だということを、植物にも感覚があるということ――三つとも分かりましたね」 「ええ。でも、彼らは特別の植物です。お化けの植物です」 「そうではありましぇん。ふつうの植物です。いまあなたがたに注射をすれば分ります」 博士は二人に注射をした。 するとふしぎなことがあった。今まで踊っていた植物どもは、急におとなしくなり、やがてぴったりしずまった。――それはどこにでも見られるしずかな熱帯林の姿であった。 博士は、二人のからだから蔓草を切りとった。そして笑いながら説明をしてくれた。 「さっきここへきてから三十分にしかならないと思うでしょう。しかし本当は三年間たちました。つまり注射の力で、あなたがたは三年間をたった三十分にちぢめて植物のしげっていくのを見たのです。こうして時間をちぢめてみると、生物であること、よく動くことがお分りでしょう。どうですか。おもしろかったでしゅか。お二人さん」 東助とヒトミは、ほっと安心して、ため息をつくばかりであった。
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