空飛ぶ怪物
それから後、もっと恐ろしいことが起るのではないかと、二人はかくごしていた。 しかしその後、べつに恐ろしいことは起らなかった。音もせず、光りもせず、静かな広々とした一面のやけ野原がねむっているだけのことであった。 東助とヒトミは、ようやく気をとりなおして、左右にはなれた。そして二人は、おたがいが今見たことについて語りあった。二人は全く同じものを見、そしてそれが落ちた場所についても意見が一致することをたしかめた。 「いってみようか、落ちたところへ。きっとあれは『空飛ぶ円盤』の一種だろうから、今見ておけば僕の書く論文の参考になるからねえ」 東助は元気づいて、そうまで思うようになった。恐怖の念は、いつの間にか消えてしまい、それにかわって、ぜひそのふしぎな物体を近くで見たいという好奇心が、むくむくとあたまをもたげてきた。 ヒトミも、もともとメソ子ちゃんの組ではなく、なにごとにもどんどんとびこんでいく方の明るい性質の少女だったから、東助がそういいだすと、ヒトミもおもしろがって、早くあそこへいってあれをひろいましょうといって、足を向けた。 二人は駆けだした。だれかにひろわれては損をすると思ったからだ。しかしよく考えてみると、この広々としたやけあとは無人の境としてほってあるので、さっきから長い間、二人のほかに一人の人影もみなかったほどである。だからひろわれることもあるまいと思われた。 二人の足は、しだいにおそくなった。それは、あのあやしい物体の落ちた近くまできたので、気味がわるくなったわけだ。二人はいつの間にか、としよりのように前かがみになり、全身を神経にして、用心ぶかく一足一足近づいていった。 たしかに、ここだと思うところまできた。しかるに、あのあやしい物体は見つからないのであった。 「へんだねえ。たしかにここんところへ落ちたんだがね。ねえヒトミちゃん」 「そうよ。むこうから見ると、あの太い焼棒くいと、こっちの鉄の扉との間だったから、どうしてもこのへんにちがいないと思うわ」 「でも、見つからないね、まさか消えてしまうはずもなし、どうしたのかしらん」 二人は、ふしぎに思って、そこらをさがしまわった。が、ないものはなかった。あるのは瓦や石っころやさびた鉄ばかり。二人は夢を見たのであろうかと、うたがった。 そのときヒトミが東助をよんで、地上を指した。 「東助さん。ここに穴があいているわ。この穴の中へころげこんだんじゃあない」 「なるほど、穴があるね。これかしらん」 と、東助が穴の方へ近よったとき、ふいに足の下がくずれだした。ヒトミが手をだして東助をすばやく手許へひっぱってやらないと、東助は穴の中へ落ちこんだことであろう。 土がくずれて、あとにできた穴は大きかった。一坪ぐらいの穴になった。どうしたわけかと二人がのぞきこむと、どうやらそこは地下へおりる階段があるらしく思われた。そしてその底はまっくらで、何があるのか分らなかった。 ここまでつきとめたことだから、二人はもういくところまでいく決心をした。 二人は持っていた捕虫網やどうらんをそこへおくと、砂や石ころのざらざらする階段を、そろそろと下りていった。 長い階段をようやくおりきると、そこはがらんとした地下室になっていた。そしてどこからか一道の光がさしこんでいて、しばらくすると二人の目がやみになれて、室内をどうやら見定めることができるようになった。 このだだっぴろい地下室には、なんにも残ってなかった。――いや、一つだけあった。奥の隅っこに、一つの黒ずんだ樽がちょこなんと床の上におかれてあった。二人は同時にそれを発見したので、同時にびっくりして、両方からよりあって、手をにぎった。 「あれが空を飛んでいたんだ」 「そうよ。やっぱりこの穴へ落ちこんだのね。なんでしょう、樽みたいだけれど……」 「そばへよって、よく見てみよう。だけれど時限爆弾じゃないかなあ」 「そんなものが今空をとんでいるはずはないわ。きっと樽よ。中にお酒か、金貨が入っているんじゃない」 「よくばっているよ、ヒトミちゃんは。そばへよってから、どかんと爆発して、死んでしまっても知らないよ」 「だって、ただの樽の形をしているわ。きっとぶどう酒が入っているのよ」 「ぶどう酒が入っている樽が、どうして空をとぶんだい。へんじゃないか」 そういっているとき、とつぜん樽に小さい煙突みたいなものがはえた。と思ったら、にわかにどろどろとあやしい鳴りものがし、ぴかぴかと電光が光った。 「あッ」 「東助さん」 とつぜんの変事に、二人はしっかり抱きあった。しかし二人の目は、樽からはなれなかった。 その時、樽の煙突からすうッと白い煙がでて、高くのぼった。と、その煙の中から、大きな人の顔があらわれた。鼻の高い、ひげもじゃの、あまり見かけない顔だった。 何者であろうか、その怪人は?
怪しい博士
ほんとうのことをいうと、東助とヒトミは気をうしなう一歩手前までいった。しかしそれをようやくがんばることができた。二人は見た。樽の煙突の中からたちのぼった白い煙の中から、背の高い怪人があらわれて、そばに立ったことを。 「あなたがた、こわがること、ありましぇん。わたくし、ポーデル博士であります」 怪しい人は、そういって、二人の方に笑って見せた。彼は外国人のようであった。脂ぎった白い顔に、ほほひげがもじゃもじゃだ。大きな鼻の上に、黒い眼鏡をかけている。頭の上には、小さな四角い大学帽がのって、上から赤い房がたれている。そういえば、この怪人は肩から長い緋色のガウンを着ていた。白い顔と白いカラーが、赤い房と緋色のガウンによくうつる。しかし彼の顔はどこまでも気味がわるい。 「わたくし、あなたがたにあうために、この土地へきました。あなたがたを、おもしろいふしぎな国へあんないいたします。あなたがた、わたくしについてきます、よろしいですか」 ポーデル博士は、そういって、しきりに手を樽の方へふってすすめる。 東助とヒトミは、そのときまで声をだすことさえできなかったが、あまりおそれていてもよくないと思ったので、東助はヒトミに目くばせをして、怪人の方へすすみよった。 「あなたは、いったいどなたですか。ポーなんとか博士とおっしゃいましたが、どこの国の方ですか」 東助は、なるべく気をおちつけようとつとめながら、一語一語をはっきりいった。 「わたくし、ポーデル博士です。ポーデル博士という名前、よびにくいですか。それならば、ポー博士でもかまいましぇん」 「どこの国の方ですか」 「わたくしの国? ははは、それは今いいません。しかしやがて自然に分りましょう。けっしてあやしい者ではありましぇん。安心して、ついてくるよろしいです」 「いや、あなたを信用することなんかできません。あなた――ポー博士と名乗るあなたはいろいろ、あやしいことだらけです。第一、さっきから見ていれば、あなたは白い煙の中から姿をあらわしました。その白い煙は、この小さな樽の中からでてきました。この樽は、あなたの身体の四分の一の大きさもありません。その中から、そんな大きな身体がでてくるなんて理屈にあわないことです。ですから僕たちは、あなたをお化けか、それとも魔法使いだと思います。そういうあやしい人のいうことなんか聞いて、ついていけません。ふしぎな国は見たいですけれど……」 「ははは。あなたがた、つまらない心配しています。わたくし、決してあやしくない。お化けでもありましぇん、魔法使いでもありましぇん。あなたがたがあやしいと思うこと、本当は決してあやしくありましぇん。あなたがた理科の勉強が足りないから、そう思うのです」 「お待ちなさい、ポーデル博士。僕の問いをごまかしてもだめです。なぜ博士の大きな身体が、小きな樽からでてきたかをわかるように説明して下さらない間は、何一つ信用しません」 東助は、なかなかゆずらなかった。 すると怪人博士は、大きくうなずいてから、ヒトミの方を見ながらいった。 「あなたがたは、この世界をユークリッド幾何学の空間であると考えていますね。しかしそれはまちがいです。ユークリッドでない空間、つまり、非ユークリッド空間というものが本当にあるのです。それですよ、わたくしが今でてきたのは。この世界と、樽の中の世界とは、非ユークリッド空間でもって、つながっているのです。うそだと思ったら、あなたがた、わたくしのいうとおりにして、この煙突から樽の中へ入ってみる、よろしいです。そこにはびっくりするほどの広々とした世界があります。そこへ案内いたしましょう」 ポーデル博士は熱心を面にあらわして二人にすすめた。 あまりのふしぎにうごかされ、東助とヒトミは思いきって、その樽の中にはいってみようかという気になった。 小さい樽の中に、うまくはいれるだろうか。またそのふしぎの樽の中には、どんなにおどろくべき世界が待っているのだろうか。
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