「アナウンサーです。劇『原子弾戦争の果』は終りました」 「どうでしたか、東助君、ヒトミさん。蠅のテレビ劇はおもしろかったですか」 ポーデル博士がたずねた。 東助とヒトミは、それにすぐ答えることができなかった。二人の眼には、涙がいっぱいたまっている。 「おや、悲しいですか。何を涙しますか」 博士は、やさしく二人の頭をなでた。 「でもね、博士」と東助がとうとう声をだした。 「今の蠅の劇は、あんまりですよ。人類を意地悪くとりあつかっていますよ。人類は、そんなに愚か者ではありません。原子弾を叩きつけあって、人類を全滅させるなんて、そんなことないと思うのです」 「しかし、原子弾の力、なかなかすごいです。人類や生物、全滅するおそれあります。地球がこわれるおそれもあります。安心なりましぇん」 「しかし、原子弾の破壊力をふせぐ方法も研究されているから、人類が全滅することはないと思います」 ヒトミも、考えをいった。 「しかし、ヒトミさん。地球こわれますと、人類も全滅のほかありません。原子弾の偉力とその進歩、はなはだおそろしいこと、世の人々あまりに知りません」 「ああ、そうだ。今の蠅のテレビ劇ですね。あれをみんなに見せたいですね。するとわれわれ人間は、蠅に笑れたり、ざまをみろといわれたくないと思うでしょう。だからもう人類同士戦というようなおろかなことはしなくなると思います」 「そうです。人類はたがいに助けあわねばなりません。深く大きい愛がすべてを解決し、そして救います。人類は力をあわせて、自由な正しいりっぱな道に進まねばなりません。人類の責任と義務は重いのです」 「博士がそういって下さるので、やっと元気がでてきましたわ」 「そうだ。僕もだ。けっして、蠅だけの住む地球にしてはならない。僕はみんなに、今の蠅の劇の話をしてやろう」
重力がなくなる
ポーデル博士は、樽ロケット艇の操縦席についた。 「博士。出発ですか」 東助が聞いた。 「そうです。また新しい目的地へでかけます」 「こんどは、どんな『ふしぎ国』へ案内して下さいますの」 ヒトミが博士にたずねた。 「こんどはね、ある宇宙艇の中に案内いたします」 「宇宙艇ですって」 「そうです。地球を後に、月世界へ向かう宇宙艇の中へ、あなたがた二人を連れてはいります。その宇宙艇は、だんだん宇宙を進んでいくうちに、だんだん重力がへってきます。――重力とは何か、あなたがた、知っていますね。どうですか、ヒトミさん」 「重力というと、あれでしょう。ニュートンが、リンゴが頭の上から地上へごつんと落ちたのを見て、重力を発見したというあれでしょう」 「そのあれです。しかしそれはどういうことなのでしょう。どんな法則ですか」 「ぼくがいいます。重力とは、物と物とがひきあう力です。そしてその力は、その二つの物の重さをかけあわしたものが大きいほど、重力は大きいです。それからその二つの物がはなれている距離が、近ければ近いほど、重力は大きいのです。もっとくわしくいうと、『距離の自乗』に反比例するのです」 「そうです、そうです。東助君、なかなかよく知っていますね。……ところで、さっきお話した宇宙艇ですが、はじめは地球に近いから地球の重力にひっぱられていますが、だんだん月の表面に近くなると、こんどは月の重力の方が大きくなります。そしてその途中のあるところでは、地球からの重力と、月からの重力とが、ほとんど同じに働きます。さあ、そうなると妙なことが起ります」 「妙なことというと、どんなことですの。またこわいお話ですか」 「いや、こわくはありませんが、じつに妙なのです。つまりそのところでは、地球からの重力と月からの重力が同じであるが、この二つの重力は、方向があべこべなんです。地球の重力が、ま下の方へひくと、お月さまの重力は反対にま上へひくのです。下へと上へと両方へ、同じ力でひっぱられると、さてどんなことになると思いますか」 ポーデル博士は、にやにやと笑いながら、東助とヒトミを見くらべた。 「それじゃあ、同じ力でひっぱりっこだから、結局力が働いていないのと同じですね。二つの力を加えると、零ですものね」 東助が、こたえた。 「そのとおり。つまり、そのところでは、両方の重力が釣合って重力がないのと同じことになります。さあ、そういう重力のないところでは、どんなことか起るか」 「どんなことが起るでしょうね」 「物は、重さというものがなくなったように見えるでしょう。重さがなくなると、どんなことになりますか」 「大きな岩でも鉄の金庫でも、指一本でもちあげられるでしょうね」 と、東助がいった。 「そうです。もっと外のことも考えられますか」 「ああ、そうだわ。鉄でこしらえてある金庫に腰をかけて、お尻にうんと力をいれると、その金庫がまるで紙製の箱のようにめりめりといって、こわれてしまうでしょう」 「いや、ヒトミさん。それはちがいます。重力がなくなっても、そんなことにはなりません。なぜといって、重力がなくなっても、鉄の強さとか紙のやわらかさとかには変りはないのです。鉄はやっぱりかたいし、紙はそれにくらべるとやわらかいです」 「地球とか月とかの方へ引きつけている力がなくなるだけなんですねえ」 「まあ、そうです。そのほか、そこらにある物同士がおたがいに引きあっている重力もなくなるわけですが、この方は、地球又は月の重力にくらべると小さいから、はじめからないのと同じようなものです。地球とか月とかは、他の物――たとえば建築物や大汽船にくらべてみても、とてもくらべものにならないほど大きいから、重力も大きく作用するのです。さあ、それでは今から宇宙艇ギンガ号の中へ案内しますよ」 「ポーデル先生は、どうなさるんですか」 「わしもいっています」 「いっていますとは……」 「わしはその宇宙艇ギンガ号の乗組員の一人に変装していますから、どの人がわしであるか、向うへいったら、ぜひ探してごらんなさい」 と、博士がことばを結んだと思ったら、急にあたりが暗くなった。
宇宙艇の食堂
停電のような闇だった。 どこからともなく、ごとごとごとと、機械のまわっている音が聞えてくる。と、あたりはだんだん明るさをとりかえしていった。 (おや、りっぱな部屋だ、広くはないけれど。……ここはどこだろうか) と、東助はあたりを見まわした。 それは、大きな球の中を部屋にしたようであった。壁がまっすぐではなく、凹んで曲っていた。まん中に、横に長い机がおいてあり、腰掛もある。東助は、その腰掛にお尻をのせ、机に向ってほほづえをついている。 正面に窓口みたいなところがあって、それに紺色の小さい幕がたれている。 その幕の間から、白い手がでてきた。 と、湯気のたっているココアのコップと、パイナップルの缶詰とがあらわれた。白い手は幕の中に引っこんだ。 すると横手の戸があいて、ウェイトレスがでてきた。見るとそれはヒトミによく似ていた。しかしずっと年は上で、大人に近かった。 ヒトミにちがいないのだが。…… 「お待ちどうさま、三等機関士さん。どっちも上等の品ですよ。ほっぺたが落ちないように。……ほほほほ」 そういいながら、ココアとパイナップルの缶詰を、東助の前においた。 (えへへ、おれのことを三等機関士なんていったぞ) 「今日は、食堂はひまなんだね」 東助は、すらすらと、そういった。口がひとりで、ぺらぺらと動きだしたのである。ふしぎなこともあればあるものだ。 「もう五分もすれば交替時間ですから、みなさんいらっしゃると思うわ」 「ああ、そうか。僕は修理で時間外に働いたから早く終ってでてきたんだ」 「どこを直していらっしたの」 「超音波の発生機だ。困ったよ。こんど故障を起すと、人工重力装置がきかなくなると思うね。そうしたら一大事だよ」 「そうすると、どうなりますの」 「そうするとね、今ちょうど地球の引力と月の引力が釣合っている重力平衡圏をわがギンガ号は飛んでいるんだが、もし人工装置がきかなくなると、艇内に重力というものがなくなって、皿がとんだり、天井に足がついたり、たいへんなことになるよ」 「まあ、たいへんね。そんなことになっては困りますわ。なぜもっと安全なように艇をこしらえておかなかったんでしょう」 「人工重力装置はぜったいに故障を起さないものとしてあったんだが、昨日大きな隕石が艇の機関室の外側へぶつかったことを知っているね。あれ以来、どうも調子がよくないんだよ」 「困ったわねえ。重力は停電のように、ぴしゃりと消えちまうものなの」 「いや、じわじわと重力がへってくるだろう。しかし七八分たてば重力は完全に消えるだろうね」 東助は、とくいになって話しながら、パイナップルの缶詰を、缶切でひらいた。 「ああ、いい匂いだ。うまいぞ、このパイ缶は。……おや」 東助が、さっと顔色をかえた。 「どうなすったの、三等機関士さん」 「からだが急にふわっと軽くなった。あんたはどう。そう感じない」 「あらッ、へんよ。あたしも、からだがふわっと軽くなりました。どうしたんでしょうか」 「いよいよ、おいでなすったんだ」 「えっ、何がおいでなすったのですの」 「人工重力装置が故障になったにちがいない、重力がだんだん消えていく。あッからだが浮きあがってくる」 「あら、まあ。どうしましょう」 「なあに心配することはない。大丈夫。ただ、いろんなものが動きだすからね。……あッ、ほら、缶詰の中からパイナップルの輪切になったのが、ぞろぞろと外へせりだしてきた」 そのとおりだ。缶詰の外へ、黄色いパイナップルの輪切になったのが、まるで生き物のように、ぞろぞろとはいだしてきたのである。 「あれッ。パイナップルのお化け!」 と、ウェイトレスがびっくりして、とびあがった。すると彼女のからだは、すうっと天井の方へのぼっていった。足で床をけったので、重力がきいていないから、かるがるとからだが浮きあがったのである。 「あーれエ。君、どこへいく?」 東助はウェイトレスをつかまえようと思って立上ったが、そのときやはり床をけったので、彼のからだも、ふわーり。 「おや、おや」 「あいたッ」 ヒトミによく似たウェイトレスは天井に頭をぶっつけた。そしてその反動で、こんどはからだがすーうと下り始めた。上る東助と、下りるウェイトレスとが、途中でいきあって、両方から手をだしてつかまりあったものだから、こんどは二人のからだがからみついて、空中をふーわ、ふーわ。 そのとき、紺色の幕の奥で、 「うわッ、助けてくれ」 といった者がある。つづいてがたんがたんと、机や腰掛のぶつかる音。 と、戸があいて、そこからふわーッとでてきたのは、顔中髭だらけのコック長であった。 「た、助けてくれ。コーヒーが、わしをおっかけてくる。あッ、あちちち。これはたまらん。助けてくれイ」 コック長は、一生けんめいに逃げる。彼のからだが、池の中へとびこむ蛙のように長くのび、空間をすうーッとななめにとぶ。するとそのあとから、長い、にょろにょろした茶褐色の棒が、ぽっぽと湯気をたてながら、コック長をおっかけて、彼のくびすじのところへつきあたる。 「あッ、あちちち。助けてくれ。コーヒーをとりおさえてくれ。やけど攻めだ。わしは死んじまう」 その茶褐色の棒は熱いコーヒーだった。料理場の火の上にかかっていたコーヒー沸しの口から、にょろにょろと外へでてきた熱い熱いコーヒーだった。重力がなくなったので、コーヒーはコーヒー沸しの底にじっとしてなくなったのだ。そこへちょっとした力が働いて、液状のコーヒーは、コーヒー沸しの口から、にょろにょろと外へはいだしたのだ。 そのとき、天井の隅にとりつけてある高声器が、交替時間になったことを告げた。 すると、反対の入口の扉があいた。そこから大ぜいの人が、この食堂へはいってきた。誰も彼もみんなからだを横にして部屋の中へはいってくる。まるで海でおよいでいるような恰好だった。ちょっとした力を加えると、からだが前に走りすぎて、もう停まらなかった。だから、そういう連中は、そこらにある柱や壁や、電灯の笠や机や腰掛にかじりついて、やっと自分のからだを停めるのだった。 もちろん腰掛も机も、こんなときの用心に、しっかりと床に、ボールトとナットでしめつけてあった。 「おい。おいしいものを早くだしてくれたまえ」 「おや、ウェイトレスのヒトミさんやコック長がこんなところで、まごまごしているよ。パイ缶を一つとミルクセーキ一ぱい、早いところ頼むぜ」 と、食堂の空中を泳ぎながら、みんな註文をだす。 「はいはい。只今。しかし熱い料理や飲料は今、できませんよ。わしもみなさんも大火傷しますからね。とにかく困ったものだ。早く人工重力装置の故障が直ってくれないことには、仕事がさっぱりできません。はい只今」 そういいながら、髭のコック長は、蛙のような恰好で料理場へとびこんでいった。 とたんに、停電のように急にあたりが暗くなった。
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