幽霊指揮官
「こっちを向きたまえ」 と、黄いろい幽霊は、おちつきはらった声で命令した。 パイ軍曹とピート一等兵は、おずおずと廻れ右をして、黄いろい幽霊の方に向いた。 (あっ、こいつは、まさしく東洋人だ。中国人じゃないかなあ。いや、エスキモー人かも知れない。いやいや、こんな大胆なことをやるのは、日本人より外にない) これは、パイ軍曹の腹の中であった。 ピート一等兵の方は、そんなおちついたことを考えるひまがない。 (はあて、この幽霊め、おれたちと、あまりかわらない服装をしているぞ。防寒服を着た幽霊は、はじめてみたよ) と、ピート一等兵はがたがたふるえている。 「さあ、これからは、私――黄いろい幽霊が、この地底戦車の指揮をとる。それについて不服な者があるなら、一歩前へ出なさい」 誰も出ない。そうであろう。黄いろい幽霊は、そういいながら、わきの下にかかえている機関銃の銃口を、二人の方へ、かわるがわる向けているのだ。不服があるといったら、すぐにも発砲しそうである。誰が一歩前に出るものか、それは自殺するようなものだから……。 「よし、わかった」 と、黄いろい幽霊は、おごそかに、いった。 「お前たち二人とも、わしが指揮をとることに不服はないのだな。それでは、ただちに命令する。二人とも、操縦席につけ!」 「うへッ」 パイ軍曹とピート一等兵とは、仕方なしに操縦席についた。 「前進せよ。針路は南東だ」 パイ軍曹は、いわれたとおり、戦車を南東へ向けて、出発させた。 エンジンは、ごうごうと音を発し戦車の中には、つよい反響が起った。 「おい、パイ軍曹。針路を、ちゃんと正しくなおせ。お前は、命令をきかないつもりか。きかないつもりなら、ここでお弁当代りに銃弾を五、六発、君の背中にお見舞い申そうか」 「いや、いや、いや、いや」 パイ軍曹は、急にハンドルを切って、黄いろい幽霊のいうとおり、地底戦車の針路を南東に向きをかえた。 「黄いろい幽霊閣下、只今我々は、ちゃんと南東に向け、前進中であります。でありますからして、銃弾をわしの背中にくらわせることは、御無用にねがいたいもので……」 と、うしろを向いて、おろおろごえで哀訴した。 「うしろを向いてはならん。それでは前進方向が、くるってくるではないか」 と、黄いろい幽霊は、パイ軍曹を、しかりとばした。 そのそばでは、ピート一等兵が、予備のハンドルを握って、ぶるぶるふるえている。 (おれは、ああいう風に、ぽんぽん叱りつける幽霊の話を、きいたことがないぞ。南極地方には、かわった幽霊が出ると、豆本かなんかに、書いておいてくれればよかったのに……) と、ピートは、どこまでも、彼を幽霊だと思っている様子だった。 一体、この黄いろい幽霊は、どこから来たのだろうか。もちろん、本当の幽霊ではない。 その謎は、この黄いろい幽霊が、戦車の隅に大きな袋の中に一ぱいつめた食料品をかくしていることによって、とかれるようだ。あの生々しい林檎は、この黄いろい幽霊が、わざと、床のうえにころがしたものであった。――彼は、密航者だった。 だが、なんと風がわりな密航者よ。わざわざ、南極地方へいく地底戦車の中にしのび入るなんて、ただ者ではない。彼は、一体なにをするつもりか。それはおいおいとわかってくるであろう。
秘密は御存知
「おい、パイ軍曹。もっと地底戦車のスピードをあげろ」 黄いろい幽霊は、おごそかに命令をした。 「は。もうこれ以上、出ませんです」 「うそをつけ」 と、黄いろい幽霊は、言下に、パイ軍曹をしかりつけた。 「おい、スピードのことは、ちゃんとわかっているのだぞ。極秘の陸軍試験月報によれば、地底戦車は、地中では最高三十五キロ、海底では、百五十キロまで出ると発表されているぞ」 「えっ、それまで知っているのですか。――では仕方がない。――ほら、スピード・メーターをみてください。いま、三十三キロまで出ていますよ。もうストップです」 「ごま化しては、いかん。それは地中スピードだ。しかるに、わが戦車は、いま海底を伝って前進しているのではないか。ほら、その計器をみろ。岩や土をそぎとる高速穿孔車輪が、すこしもまわっていないではないか。ほら、こっちのスイッチが、ひらかれたままになっている。ごま化すのは、いいかげんにしろ」 「うへッ」 黄いろい幽霊が、おそろしく地底戦車のことをよく知っているので、さすがのパイ軍曹も、とうとうかぶとをぬいでしまった。 「わかりました。おっしゃるとおりいくらでもスピードをあげます。しかし幽霊閣下は、この戦車を、一体どこへお向けになろうというのですか」 「目的地か。そんなことは、聞かないでも分っていそうなものではないか。ほら、その地図のうえの、ここだ!」 と、黄いろい幽霊は、操縦席の前にかかっている南極地方の地図のうえを、機関銃の先で指さした。そこには、絶望の岬と、妙な地名が書きこんであった。 「えっ、ここですか。ここは絶望の岬ですよ。いくらなんでも、こればかりは、おことわりいたします」 と、パイ軍曹は、顔色をかえた。 そうでもあろう、この絶望の岬というのは、この前、十九名からなるノールウェイの南極探険隊の一行が、岬へ上陸したのはいいが、そのまま険悪な天候にとじこめられてしまって、半年間も立往生し、ついに全員が、恨みをのんで、死んでしまった魔の場所であった。パイ軍曹が、顔色をかえるのも、無理ではなかった。 「いや、行くのだ。行くのがいやなら、すぐこの戦車から下りたまえ」 どこで聞いていたか、黄いろい幽霊は、パイ軍曹の口ぶりをまねして下りろといった。 「下りるのが、いやなら、銃弾をくらうかね」 軍曹が、だまっていると、となりに座っているピート一等兵は、しんぱいして、口をひらいた。 「軍曹どの。その幽霊のいうことを聞いた方がいいですよ。幽霊なんてものは、むちゃくちゃなことをいいだすものですからね、それにさからうと、よくありませんよ。自分の村では、幽霊にさからった者がいて、いつの間にか全身の血が、一滴のこらず、自分のからだからなくなってしまったのですよ。軍曹どの、だから、さからってはいかんです。もしそうなったら自分は、幽霊と、さしむかえで暮すことになるわけで、こりゃ、やりきれませんよ」 だが、軍曹は、なにもいわなかった。そのとき彼の眼は、急にあやしい光をおびたが、とたんに、彼は、 「ヤッ!」 と、さけんで、自分の肩ごしに、前へ出ている機銃の銃身を、ぐっとつかんだ。 「さあ、つかんだぞ。力くらべなら、幽霊なんかに負けるものか。こいつさえ、幽霊の手からこっちへとってしまえばいいのだ。おい、ピート一等兵、お前も下りてきて、手つだえ!」
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