早業
パイ軍曹が、林檎と幽霊の関係について、おもいわずらっている間にピート一等兵は、早いところ、その林檎をしっけいして、皮もたねも、みんな自分の胃袋へおくりこんでしまったのだった。 すばらしい味だった。彼は、生れてこの方、こんなうまいものを、たべたことがないと思った。胃袋が、いつまでも、生き物のように、うごめいているのが、はっきりわかった。 おかげで、ピート一等兵は、たいへん元気づいた。もう、幽霊もなんにも、なかった。 ピート一等兵の元気にひきかえ、パイ軍曹の方は、とつぜん姿を消した林檎の幽霊のことで二重の恐ろしさを、ひしひしと感じ、ますます青くなって、ちぢかんだ。南極の凍りついた海底ふかくおちこんだうえに、人間の幽霊のほかに、林檎の幽霊にまで、くるしめられるとは、なんという情けないことだろう。軍曹は、しゃがんだまま、頭を抱えて、考えこんだ。 それを見ると、ピート一等兵は、ちょっと気の毒やら、おかしいやらであった。だが、笑うわけにも、いかなかった。 そこで、彼は、軍曹にこえをかけた。 「軍曹どの、このままで、じっとしていては、われわれは、死ぬよりほかありません。ですから、思い切って、この地底戦車をうごかして、ニューヨークまで、かえっては、どうでありますか」 パイ軍曹は、顔をあげた。そして、あきれがおで、 「ばか。ニューヨークまで、こんな地底戦車にのってかえれるものか」 「しかし、軍曹どの。われわれ軍人は、常にそれくらいの元気は、もっていなければならぬと思うのであります」 「それは、わかっとる。しかし、ニューヨークまでかえるには、何ヶ月かかるかわからない。その間重油をどうするんだ。また、われわれは、なにを食べて、その何ヶ月かを生きていればいいんだ」 パイ軍曹は、こうなると、ますますひかんしていった。 「なァに、軍曹どの、なにか考えれば、どうにかなりますよ」 と、ピート一等兵は、ますます元気なこえでいった。くいかけの林檎一個が、たいへんな力を、彼にあたえたのだ。 「どうかなると、口でいうだけでは、どうもならん」 「だめです。軍曹どのは、やってみないうちから、もういけないとおもっていられるから、だめなんです。どうせ、死ぬときは死ぬのですから、じっとしていて死ぬよりも、軍人らしく、この地底戦車で突進しながら、たおれた方が、軍人らしい最期ではありませんか」 「なるほど、なあ」 パイ軍曹は、大きくうなずきながら、立ち上った。 「お前みたいな臆病者に、こっちが、はげまされようとは考えなかった。お前は、ほんとは、臆病者じゃなかったのかなあ」 パイ軍曹は、感心していった。そして、さっと、しせいを正しくすると、 「集まれ!」 と、号令をかけた。 ピート一等兵は、とつぜん、集まれをかけられて、びっくりしたが、すぐさま、かけ足をして、パイ軍曹の前に、不動のしせいをとった。 「番号!」 パイ軍曹は、大まじ目でいった。 「一チ!」 ピート一等兵は、きまりがわるくなった。二イ三ンとひとりで、もっとさきをいいたいくらいであった。 「異状ないか」 「はい、全員異状、ありません」 全員といっても、たった一人である。隊長をあわせても、たった二人だ。 「命令。地底戦車兵第……ええと、第百一連隊第二大隊第三中隊第四小隊のパイ分隊は、只今より出動する」 と、べら棒に大きな数をいって、 「戦車長は、パイ軍曹。操縦員は、ピート一等兵。第一番砲手はピート一等兵。第二番砲手はパイ軍曹。通信兵はパイ軍曹。機関員はパイ軍曹……」 どこまでいっても、要するに、たった二人であった。たいへん手が足りないが、どうも仕方がない。 「全員部署につけ!」 そこでパイ軍曹は、一番高い戦車長席につき、ピート一等兵は、前の方の、操縦席についた。 「部署につきました」 「よし。では、出動! 針路、真南! 傾斜をなおしつつ、前進」
地中前進
ピート一等兵が、エンジンをかけた。車内は、たちまち、轟々たる音響にとざされた。レバーをたおすと、地底戦車は、ごとんごとんと、前進をはじめたのであった。 パイ軍曹は、配電盤を睨んだり、戦車のゆく方を考えたり、なかなかいそがしかった。 「おい、ピート。エンジンの調子は、わるくないようだな」 軍曹は、送話器をひきよせて、いった。ピート一等兵の耳にくくりつけた高音受話器が、軍曹のこえのとおりに鳴った。 「エンジンの調子は、異状ありません」 ピート一等兵は、なかなか操縦上手だった。戦車は、はじめ、ひどく傾いていたが、まもなく、ちゃんと水平になおって、気もちがよくなった。 ぎーン、ぴし、ぴし、ぴしッ。 地底戦車の前にとりつけてある硬い廻転螺旋刃が、きりきりとまわり、土か氷か岩石かはしらぬが、どんどんくだいて、戦車を前進させているようであった。 距離積算計というメーターが、だんだんと大きな数字を、あらわしていった。たしかに前進しているのであった。 こうやって、気もちよく前進していくと、戦車は地上を走っているように思われるのであった。たいへん具合がよろしい。 「停め!」 パイ軍曹が、号令を下した。 ピート一等兵は、あわてて、レバーをひいて、ギアをはずした。そして、足踏み式の、給油バルブを閉めつけた。地底戦車は、ぎぎーッと、とまった。 「どうしたのでありますか、軍曹どの」 「うん、ちょっと、外をのぞいてみようと思うのだ」 「ああ、そうですか。多分、海底の氷の塊の中でしょう」 「そうかもしれないなあ」 パイ軍曹は、展望鏡を、戦車の上から出すために、ハンドルをまわした。 ハンドルは、なかなかまわらなかった。 「硬いものが、おさえつけているらしい」 それでも、展望鏡は、頭だけを少し出しているようであった。軍曹は、そこで、車外に、赤外線灯をとぼした。そして、展望鏡でのぞいてみた。赤外線をあてて、展望鏡をちょっとかえると、まっくらなところでも、はっきり見えるのだった。地底戦車には、なくてはならない展望鏡だった。 「おや、これは、土の中だ」 と、パイ軍曹は、叫んだ。展望鏡の中にうつったものは、たしかに、小さい石を交えた水成岩とも土ともつかないあつい層であった。 「えっ。土の中ですか」 「そうだ。われわれは、もうすでに、陸にぶつかっているのだ。これをどんどん進んでいくとうまくいけば、やがて、わが南極派遣隊の駐屯しているところへ出られるかもしれないぞ」 「そうですか。そいつはいい。うまくいくと、これは、たすかりますね」 「うん、とにかく、もっと前進をしてみよう、前進!」 パイ軍曹のかおにも、生色が、よみがえってきた。地底戦車は、ふたたび、轟々と音をたてて、前進をはじめた。 「針路、真南!」 キーン、ぴし、ぴし、ぴしッ。 地底戦車は、ときどき空まわりをしながら、それでも、だんだん前進していった。 「よし、この分では、相当見込みがあるぞ」 パイ軍曹は、にんまりと笑った。 下をみると、ピート一等兵が、汗ばみながら、しきりにハンドルをとっている。電熱器のおかげか、それとも地底深いせいか、車内は、かなりに温い。そのとき、パイ軍曹の眼は、とつぜん、あやしいものの姿を、とらえた。 「おや、林檎だ。さっきの林檎が、あんなところに落ちていた」 林檎は、ごろごろと転げながら、軍曹の席に近づいた。軍曹は、身をおどらせて、下に下りると、その林檎を手にとった。たしかにほんとの林檎だ。すてきな香りがする。掌の中に、ひんやりとした感じがつたわる。そのとき、林檎を手にとってみていたパイ軍曹は、 「おや、これはへんだよ。歯型がない!」 と、小首をかしげた。なぜ、こうして、いくつも、林檎が、ころころ転げだしてくるのだろうか。
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