無名突撃隊
アーク号の船内に、「船長の許可なくして入室を禁ず」と貼り紙をした部屋があった。中では、わあわあと、元気な人の声がしていた。 「ゲームは、おれの勝だ。あとは誰かと入れかわろう」 「中尉どの、わしが出ます」 「おう、ピート一等兵か。お前、やるのか。めずらしいのう」 「いや、さすがに気長のわしも、もうこの部屋の生活には、あきあきしましたので、なにかかわったことをしたいというわけです」 「あははは、ピートが、とうとう陥落したぞ。この部屋を呪わない者は、一人もなくなったよ、あははは」 カールトン中尉が、大きなこえで、笑いだした。 「全く、永い航海だ。外は見えないし、新聞も来ないし、そしてこのとおり波にゆすぶられ通しでよ、これであきあきしなかったら、どうかしているよ」 「そういえば、今日は、ばかに揺れるじゃないか。そして、すこし冷えるようだね」 三十人ばかりのアメリカ陸軍の将兵が、スチームのむんむんする部屋で、トランプにうち興じているのであった。 彼等は、籠の鳥にひとしかった。いや籠の鳥なら、籠の外に陽がさしているのも見えるし、猫が窓のところを通るのも見えることがあった。しかし、この無名突撃隊の隊員たちには、船内をぶちぬいた教室以外には、少しも外の様子が見えないようになっていたのであった。船腹に、窓がついていたけれど、この窓さえが、外から、かたく眼ばりをされてあった。まるで、重大犯人を護送していくようなものものしさがあった。 ピート一等兵は、この部隊の人気者だった。彼は、一番年少の十九歳であったし、そのうえ、彼はなかなか我慢づよく、そしてふだんは黙り屋であったけれど、どうかすると、鼻をぶりぶりと、ラッパのようにならして、軍歌や流行唄などをふいてみせた。出港以来、一番たくさんのページをつかって、こくめいに日記をつけているのも、このピート一等兵であった。 「ねえ、中尉どの。もういいころじゃありませんか。いってくださいよ」 低いこえで、中尉の袖をひいたのは、パイ軍曹だった。彼は、一行中の巨人であった。日本でいえば、相撲の大関格ぐらいのからだの所有者だった。 「なにをいうんだ。おれが知っているくらいなら、もうとっくの昔に、お前たちに話をしてやったよ。上陸してみないことには、なんにも分らないんだ」 「どうもへんですな。隊長が、われわれの隊の任務について全然知らないというのは、どうもふにおちませんよ。どうかいってください。われわれは、どんなことをきかされても、尻込みをしませんよ。国家へ忠誠をちかいます」 「知らないんだ、本当に」 「ほんとですか。戦車兵が、船にのる場合はどんな任務のもとにおかれるのでしょうか。それを考えてみてください。私だけに、そっといってくだすってもよろしいんですよ。私は、誰にも洩らしませんから。それなら、いいでしょう」 「だめだ。ほんとにわしは知らないのだ。いうときには、皆にいうよ。だってそうじゃないか。中尉だの一等兵だのという区別はあるが、無名突撃隊の一員であることについては、すこしもかわりがないのだからなあ」 パイ軍曹は、もう口を開こうとはしなかった。だが、彼は、腹の中で舌うちをしていた。 (どこまで強情な中尉だろう。よし、今にみておれ。のっぴきならぬ何ものかをつかまえて、これでも話をせぬかと、ぎゅうぎゅういわせてやろう) カールトン中尉は、パイ軍曹の横顔をちらりと見て、さりげなく煙草の煙をふーっと吹いた。 「食事です。食事を入れます」 高声器から、へんななまりの、子供のこえが聞えた。 「おい、皆、そこでストップだ。食事をやってからにしよう」 「よし来た。今日は、どうか、陽なたくさいほうれん草のスープは、ねがいさげにして……」 「おいよろこべ」 「なんだ、例のスープか。セロリが入っているんだろう」 「いいや、陽なたくさいほうれん草のスープだよ」 「うわーッ」
氷山
アーク号は、全機関に、せい一杯の重油をたたきこんで、全力をあげて吹雪の中を極地へ近づこうと、大骨を折っていた。 だが、それはほとんど無駄骨に近かった。船はうまい具合に、前進をはじめたかと思うと、またどんどんと後方へ押し戻されて、思うように前進ができなかった。 あまつさえ、アーク号の危険は、刻一刻とせまってきたようであった。なにしろ、前が見えないのに、どんどん進んでいくのだから、まるで眼の見えない人が、杖なしで、崖のうえをはしっているようなものであった。 船橋に立って、外套の襟をたて、波のしぶきを見つめている船長と一等運転士の顔は、生きた色とてなかった。 「船長。これはもうだめですね」 「うん、だめなことはわかっている」 「ばかばかしいではありませんか。リント少将には、なんとかあとでいいわけをすることにして、せめて吹雪のやむまで、船を流すことにしては」 「もう、それは、おそい。リント少将は、大きな賭をしているのだ。大アメリカ連邦のために、この大きな賭をしているのだ。われわれもまた、この大きな賭に加わらなければならない。なぜならば……」 「あっ、船長、氷山が……」 「うん、しまった。――無電で、リント少将へ……」 船長の、悲痛なさけびがおわるか終らないうちに、船の舳に、とつぜん山のような氷のかたまりがゆらぐのが見えた。とたんに、大音響とともに、船上にいた乗組員たちは、いっせいに、ばたばたとたおれた。 警笛が、はげしく鳴った。 アーク号は、めりめりと音をたてて氷山のうえにのしあげた。 機関がさけたのであろうか、舷側から、白いスチームが、もうもうとふきだした。 「全員、甲板へ!」 吹雪する甲板に、乗組員はとびだした。たたきつけるような氷の風だった。たちまち四五人が、つるつるとすべって、海へおちた。 無名突撃隊の部屋にも、いちはやく警報がつたわった。 おどろいたのは、隊員だった。 「氷山と衝突した。全員、甲板へ!」 氷山というのさえ、思いがけないのに、その氷山と衝突して、船は沈みかかっているのであった。 隊員たちは、さっきすこし寒くなったから、汽船は、ニューファウンドランド沖を、加奈陀の方へ北航しかかったのだろうぐらいに思っていたのであった。 「なんだ、もうベーリング海峡へ来ていたのか」 ベーリング海峡ではない。それと反対の方向の南極のそば近くへ来ていたのである。 無名突撃隊をひきいるカールトン中尉は、衝突のときに、はげしく頭部を鉄扉にぶっつけて、重傷を負っていた。だが、彼はさすがに軍人であった。すぐさまカーテンをさいて、たくましい鉢巻をすると、隊員たちに向って叫んだ。 「皆、おちつくんだ。ここは南極に程近いが、やがてリント少将が、救援隊をよこしてくれるだろう」 「えっ、南極?」 「そうだ、もういっても遅いが南極こそ、われわれ無名突撃隊の目的地だったんだ。われわれは、リント少将の指導下に入って、はじめて、行動の命令をうけるはずであったのだ。それから、われわれは……」 「おーい、ボートはこっちだ。無名突撃隊! 早く、こっちへ来い!」 中尉の言葉は途中で切られた。 隊員は、傾いた甲板をすべりながら、われがちに、ボートの方へ走っていった。 「おちつけ! そのうちに、救助隊が、きっとやってくるぞ!」 吹雪の中に、中尉の声は、ともすれば、うち消された。 そのうちに、不幸な事がおこった。 それは、とつぜん、船内から爆発が起ったことであった。ボイラーの中に冷い海水がとびこんだため、爆発が起ったらしい。 船は、どーんと、はげしくゆれながら、そのたびに傾斜度が加わった。 ピート一等兵は、パイ軍曹とともに、最後に部屋をでた。彼等二人は、一度部屋を出かけたが、外は吹雪と知って、直ちに引きかえして、防寒服を出しにかかったのであった。日頃の訓練が、この非常時に、役に立ったのであった。 「パイ軍曹どの。なかなか壮観でありますな」 「なにィ、おい、お前は、くそおちつきに、おちついているじゃないか。われわれは、ここで死ぬかもしれないんだぞ」 「一度死ねば、二度と死にませんよ。ゆるゆるとこの千載一遇の壮観を見物しておくのですな」 「ふん、お前と話をしていると、わしは、コーヒーでもわかしてのみたくなるよ」 そういうパイ軍曹も、あわてている方ではなかった。
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