扉
「おい、ピート、早くしろ」 「えっ」 「ほら、お前の足もとを見ろ。下から、海水がぶくぶく湧いてきたじゃないか」 「あっ、もういけませんなあ」 「おい、戦車の扉を開け」 「待ってください。すぐあけます」 「おい、早くしないと、隊長どの、折角の希望が水の泡になる」 「えっ、もう泡をふきだしたのか」 「ちがうちがう。早く、戦車をあけろ」 「やあ、もう大丈夫。さあ、あきますぞ!」 うーんと、大力のピート一等兵が、両腕に力をこめてハンドルをねじると、戦車の扉は、ついにぐーと、大きく開いた。 「あきました、あきました、軍曹どの」 「ばか。もう間にあわないや」 「えっ。どうしました」 「中尉どのは、昇天された。“生前に、一度でいいから、折角ここまで持ってきた地底戦車に乗ってみたい”といわれたのに、お前が戦車の扉をあけるのに手間どっているもんだから、ほら、もうこのとおり、天使になってしまわれた。ああ、さぞかし無念でしょう。中尉どの、これ一重に、平生ピート一等兵が、訓練に精神をうちこまなかったせいです」 「ねえ、軍曹どの。こうなりゃ、気は心でさあ。中尉どのは、息を引取られたかはしらないけれど、一度、この戦車の中へ入れて、座席につかせてあげては、どうでしょう」 「この野郎。中尉どのに、申しわけないと気にして、いやに中尉どのにサービスするじゃないか」 「軍曹どの、早く。ぐずぐずしていると、戦車の中に、海水が入ります。中の器械が、濡れてしまいますぜ」 ピート一等兵が注意を発したので、パイ軍曹は、ぎくりとした。 「おい、早くしろ。浸水させちゃ駄目だ。お前から、先へ入れ」 軍曹は、ピートの尻をうしろから、どんとつきあげた。ピートは、ばね仕掛の人形のように戦車の中に飛びのったが、そのときまたどどーん、どどーんと、相ついで小爆発が起って、船体がぐらぐらと、動揺した。 「あっ、軍曹どの。早く、こっちへ入って、戦車の扉をしめてください。いよいよ、これは浸水、まぬがれ難しです」 「そうか。あっ、ほんとだ。それ、そこから海水が流れこんでいたじゃないか、靴をぬいで、どんどんかいだせ」 「軍曹どの、扉を!」 「おお、そうだ。扉を閉めるぞ!」 パイ軍曹は、力一杯、戦車の扉をばたんと閉じた。 とたんに、戦車内には、電灯が、ぱっと点いた。自動式の点灯器がついていたのである。二人は、うれしそうに、あたりを見廻していたが、そのうちに二人の視線が、ぱっと合った。そのとき二人は、べつべつに、同じことを思い出した。 「おい、ピート一等兵。カールトン中尉どのの姿が、見えないじゃないか」 「そうです、軍曹どの。いま、私が申上げようと思ったところです。あなたは、なぜ、中尉を外に置いたまま、その扉をお閉めになったんですか」 「ふーん、失敗った。おれが悪いというよりも、貴様が、たいへんな声を出して、扉を閉めろ閉めろと、さわぎたてるもんだから、とうとうこんなことになったんだ」 「あっ、そうでありましたか。じゃあ、わしがすぐいって、お連れしてまいりましょう」 ピート一等兵は、奥からのこのこと出てきて、戦車の扉のハンドルをまわそうとしたから、パイ軍曹はおどろいて、ピートの手に噛みついた。
落下速度
「ああ痛い。軍曹どのに申上げます。軍曹どのは、狂犬病に罹られました」 と、ピート一等兵は大粒の涙をはらいおとしながら、叫んだ。 「なにを、このばか者! この扉をあけて、どうしようというのか。この扉をあければ、たちまち海水が、どっと流れこんでくるじゃないか」 「えっ、そんなことはありません。どっと、流れこんでくるなんて、そんな……」 「さっきとはちがうぞ。あれからかなり時刻がたっている。おいピート。この戦車は、もう海面下に沈んでしまった頃だぞ」 パイ軍曹は、そう叫んで、自分でも、真青な顔になった。 「ええっ、本当ですか、軍曹どの。この戦車は、ついに、海面下に没しましたか」 「大丈夫、それに違いない」 「それじゃ、わしたちは、もう海の上を見ることかできなくなったんですか」 「もう、よせ。貴様がくだらんことをいうから、くだらんことを思い出す」 「いや、くだらんことではないです。わしは、この戦車が、われわれの棺桶であることを、どうかして、早く信じ、なお且つ、ついでに、この棺桶を一歩外へ出た附近の地理を、なるべく、頭の中に入れておこうと思って、懸命に努力しているところです」 「もういい。戦車の外のことなんて、もうどうでもいい」 「じゃあ、この棺桶は、じつにすばらしいですなあ。オール鋼鉄製の棺桶ですぞ。棺桶てえやつは、たいていお一人さん用に出来ていますが、軍曹どの、われわれのこの棺桶は、ぜいたくにも、お二人さん用に出来上っていますぜ」 「おい、しばらく、黙っとれ。おれは、なにがなにやら、わけがわからなくなった」 パイ軍曹は、座席のうえに、うつ伏して、両腕で、自分の頭を抱えてしまった。 それを見て、ピート一等兵も、なにやら、心細くなって、自然に口に蓋をした。 ざあざあと、気味のわるい音が、この戦車の壁の外でする。ごーん、ごーんと、鉄板を叩くような音も、聞える。 と、とつぜん、どどどどーんと、四連発の大砲を、あわてて撃ちだしたときのように、おそろしい響きが伝わってきた。――と、思ったとき、そのとき遅く、二人の乗っていた戦車は、ぐらぐらとうごきだした。 「おい、たいへんだ」 「足が、ひとりでに、上へ向いていくぞ」 戦車はまるでフットボールを山の上から落したときのように、天井と床とが、互いちがいに下になり上になりして、弾みながら、落下していくのが、二人にも、やっとわかった。 (どうなるのであろう? これも、カールトン中尉の遺骸を、外に置き忘れてきたためか!) 二人は、もう、生きた心もなかった。
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