急潜航
「ねえ船長さん。まだ僕は、なんだかうたがわれているようで、気もちがわるいですね」 と、正太がいった。 船長は受話器をかけながら、ふふんと鼻のさきで笑った。 「この前も信号の煙のでるボールを海になげこんだようにうたがわれ、それを大木さんが口をだしてくれて、うたがいが晴れたはずですが、まだ船長さんたちは僕をうたがっているようです。一体どこがそんなにうたがわしいのですか」 「なにを。君はなんという図々しい少年だ」一等運転士が前へのりだす。 「まあ待て一等運転士。そのことよりも、今はあそこに見える潜水艦から魚雷のとんでくることをしんぱいせねばならないのだ」 「船長。それはわかっていますが、でもこの子供のいうことをきいていると、むかむかしてきてたまりません」 正太は、もっといいたかったが、船長がいったとおり、今はウラル丸を狙っている怪潜水艦の方が大事であることに気がつき、それ以上、自分のことでいうのをひかえた。 「ねえ船長さん。僕にできることなら、なんでもしますよ。ボートを漕ぐことなんか、僕にだってできますよ」 「ふん。君はだまっていたまえ」 船長は、じっと海面をながめている。一等運転士はまた潜水艦と正太とを、半分半分にながめていたが、そのうちおどろきのこえをあげ、 「おや、船長。潜水艦が潜水にうつったようではないですか」 一等運転士のいうとおりだった。ウラル丸をとりまいていた四隻の怪潜水艦が、にわかにぶくぶくと水中にもぐりはじめたのだ。 「そうだ、いやにあわてているようだね。どうしたんだろう」といっているところへ、ぶーんと飛行機の音が耳にはいってきた。しかもかなりたくさんの飛行機らしい音だ。 「あっ、飛行機だ。どこの飛行機だろう」 そういっているうちに、南の空から翼をつらねて堂々たる姿をあらわしたのは、九機からなるまぎれもない、わが海軍機の編隊であった。 「あっ、日本の飛行機だ。海軍機だ」 「ああ、はじめにうったSOSの無電が通じて、わがウラル丸をたすけにきてくれたのだ。だから怪潜水艦は逃げだしたのだ。うわーっ、ば、ばんざーい」 海面には、いつしか怪潜水艦の姿は消えさっていた。海軍機は、ウラル丸のうえをとおりすぎ、堂々たる編隊のまま、なおも北の方へとんでいく。
ゆるせない砲撃
怪潜水艦のあとをおいかけていた海軍機の大編隊が、とつぜん三つの編隊にわかれた。 「おや、どうしたのだろう」 これを船橋のうえでながめていた正太少年はふしぎにおもった。 すると、どどーんという大きな音がして、ぱっぱっぱっと高角砲のたまが空中で破裂した。そこはちょうど、編隊のまん中であった。飛行機の方でぐずぐずしていれば今の砲撃で、機体はばらばらになるところだった。たちまちそれと察して、編隊をといた海軍機もえらかった。そうおもっていると、つづいて二回目の砲撃だ。どどーん、ぱっぱっぱっと、ものすごい音をたて、目のくらむようなはげしい光をたてる。船長も船員も、正太もマリ子も、みんなびっくりしてこの砲撃を見守っている。一体、どこからこの高角砲弾はとんできたのであろうか。 「やあ、飛行機が急降下するぞ!」 正太がさけんだそのとき、三つにわかれた編隊は、それぞれ宙がえりもあざやかに、機首をさかさまにしてひゅーっとまいさがる。 どこを狙っているのか? それはすぐわかった。波間に見えつかくれつしているのは、さっきにげだしたはずの怪潜水艦だ。にげると見せておいて、にげもせず、波間からすきを見て、どどん、どどんと空中へ死にものぐるいの砲撃をはじめているのだった。ずるい潜水艦だ。 そのとき急降下中のわが編隊は、つばさの下から、黒い爆弾をぽいと放りだした。爆弾は風をきって、海上めがけておちてゆく。そのあげく、どどどーん、ぐわーんという大爆発だ。海上からは、まるで大きな塔のような水柱がたち、海面にはものすごい波のうねりがひろがってゆく。そのなかに、まっくろな煙がすーとたちのぼりはじめた。おやとおもうまもなく、その煙はどどんと一度に爆発して、海面は一めんの焔の海と化した。潜水艦に命中したのである。卑怯な不法砲撃を海軍機にむかってやったため、とうとうあべこべにやっつけられたのだ。そのころまた次の爆弾が海面にもぐりこんだ。あらためて、ものすごい爆発がおこった。天地はいまにもくずれそうに、ふるえるのだった。高射砲は、すっかりだまりこんでしまった。 硝煙は海面をおおって、あたりをだんだん見えなくしてゆく。天候もわるくなってきたようだ。そのうちに、飛行機のすがたも、煙霧のなかにとけてしまって、やがて見えなくなった。ただエンジンだけが、つづいてはげしい唸りごえをたてていたが、それもいつしかとおくになってしまった。ウラル丸の船員といわず船客といわずみんないいあわしたようにほっとため息をついて、なに一つこわれたところのない船体をふしぎそうにながめまわすのであった。
敦賀港
そののちは、べつにかわったこともなく、ウラル丸はついにめでたく敦賀の港に錨をおろした。ウラル丸の検疫がすんだ。もうこのうえは上陸してもよいということになった。そこで桟橋に、横づけとなりそして出口がひらかれた。 まっさきに出口へ突進したのはひげだらけの老紳士大木であった。 「さあ、おまえたちも、わしについて、早く上陸するのじゃ。こんな縁起のわるい船は、すこしでも早くおりたがいいぞ。さあ、わしについてくるのじゃ」 大木老人は、正太とマリ子の手をとって、他の船客をらんぼうにおしのけながら、出口をとおりすぎようとする。大木老人はそれでもいいが、彼に手をとられた二人の兄妹こそ大めいわくだ。マリ子などは、さっきからいくたびか足を踏まれたり、そして顔を大人の洋服ですりむいたり、全くひどい目にあっている。 「もしもし、あなたがたは、切符をどうしました。切符をおいていってください」 出口にがんばっていた船員が、大木老人たちをよびとめた。 「なんじゃ、切符かね」 大木老人は、もどってきて、ポケットからしわだらけの切符をとりだした。 「さあ、おまえたちも切符を出して、このおじさんにくれてやるんじゃ」 大木老人は、兄妹の方をふりかえっていった。正太とマリ子は、それぞれ切符をとりだして、船員にわたした。 「兄さん、はやく出ましょうよ」 マリ子は正太の腕をひっぱった。そのときマリ子は、兄の腕がたいへん固いので、びっくりした。それをたずねようとおもっているとき、また大木老人がうしろをふりかえって、 「さあさあ、なにをぐずぐずしているのじゃ。早くこっちへおりてこんか」 と、ひげをうごかしながらどなった。 マリ子は、それに気をとられてそのまま汽船をおり、桟橋に立った。 「こっちじゃ。この自動車にお前さんがたもおのり。わしが途中まで送っていってやるよ」 大木老人は、なにもかも胸のなかにのみこんでいる気になって、車の中から兄妹をいそがせた。正太がさきに自動車のなかに入った。 マリ子もつづいて入った。扉はしまる。自動車は、警笛をならしながら、すぐさまたいへんなスピードを出して、桟橋からはしりさった。 あまりスピードを出したものだから、桟橋ではたらいていた仲仕が、びっくりして身体をかわした。そしていうことに、 「ああ、らんぼうな奴だ。おれが今、あのままじっとしていたら、あの自動車はおれの身体を半分轢いていったろう。なんだって、あのようなスピードを出すのじゃろう」 そういって、彼はとおざかりゆく自動車の番号を、にらみつけた。
にせ切符
それから三十分ばかりたってのことであった。ウラル丸の船客は、もうほとんどみんな出てしまった。出口に立って、船客から切符をうけとっていた切符掛の船員は、すこしつかれをもよおし、あたりはばからぬ大あくびをした。そのとき奥から、高級船員があらわれて、こえをかけた。 「おい、あくびなんかするなよ。そのあいだに、船客切符の番号でもあわしておけ」 つまらないところを見られたものだと、切符掛の船員は、ぶつぶついいながら、一号二号三号と切符をそろえだした。彼は、もうすこしで全部の切符をかぞえおわろうとしたとき、船客がひとりそこへ出てきた。 「もしもし切符はこっちへください」 そういって、船員が手を出した。見ると、その船客というのは一人の少年だった。少年の顔をみると、切符掛の船員は、あれっ、へんだなと、こころのなかで、さけんだ。 「ああ切符なら、これです」 少年は、十九号と番号のうってある切符をさしだした。切符掛が切符をうけとろうとすると、かの少年はあわてて、手をひっこめた。 「ま、待ってください。いま船をおりるわけじゃないんです」 「だって、船はここでおしまいですよ。早くおりてください」 「それはわかっていますよ。しかし僕の妹がどこへいったのか、見えないんです」 「えっ、なんですって」 「さっきから妹のマリ子を船内あちこちとさがしているんですが、どこへいったのか、いないんです。僕、困っちゃったなあ」 少年は、ほんとうに困っているらしくみえる。だが、船員は、この少年のふるまいを、たいへんあやしいとにらんだ。 「もしもし、ちょっとその切符をみせなさい」 「切符よりも妹をはやくしらべてください」 「いやいやそうはいきません。その切符はあやしいですぞ。君は十九号という切符をもっているが、ほら、これをごらんなさい。十九号という切符は、もうすでに私がちゃんとお客さまからいただいてある。君のもっている切符は、にせ切符だ。君は、どこからそんなにせ切符をもってきたのか。それともじぶんでこしらえたのか。これ、もうにがさんぞ」 そういって切符掛は、少年にとびつくがはやいか、力にまかせてねじふせてしまった。この少年の顔をよくみると、ふしぎにも、正太少年と、そっくりの顔をしていた。
ほんとうの切符
このしらせが、船長のところへいった。船長はおどろいて出口のところへとんできた。 「ふーん、やっぱり君だったか。どうしてにせ切符をもっているのか、へんじをしたまえ」 「おじさんがたは、僕の切符をにせ切符だ、にせ切符だというが、なぜそういうんです。この切符は、ちゃんとお父さんに買ってもらった切符で、にせ切符なんかじゃない。よくしらべてから、おこったがいいや」少年は、顔をまっ赤にしていった。 船長はうなずき、切符掛から、十九号と書いた二枚の切符をとって、くらべてみた。どっちもおなじような切符だ。船長は、指さきで切符の紙の質をしらべたり、それがすむと陽にすかしてみたり、いろいろやった。 「ふーん、こいつはへんだ。こっちの切符は本物だが、こっちの切符はにせ切符だ」 船長は、にせ切符の方へ、赤鉛筆でしるしをつけた。 「はっきり、にせ切符だということがわかりましたか」と切符掛はにやりと笑い、そして少年の方をむくと急にこわい顔をして「おい、もうだめだぞ。船長さんが目ききをした結果、おまえの切符は、にせ切符ときまった。さあ、白状せい!」 「待て」 船長は、船員の肩をおさえた。 「えっ」 「君は、おもいちがいをしている。この少年の持っている切符の方が本物で、はじめに君がうけとっておいた十九号の切符の方がにせ切符なんだ。この少年を、にせ切符のことでうたがったのはわるかった。君もこの少年にあやまりたまえ」 そういって、船長は少年にわびをいった。切符掛は、なんだかわけがわからないが、船長があやまれというので、そのあとについてぺこぺこ頭をさげた。少年は、みんなにあやまられても、別にうれしそうでもなかった。彼の顔は、さっきよりも一そう青ざめていた。
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