張の白状
「それをいうと殺されるって、いったい誰に殺されるというのか」 と、船長がきつくたずねた。 「その子供にですよ」と張はいって、はっと口をとじたが、もうまにあわない。 「えっ、子供だって」船長はききかえした。 「それをたのんだのは、子供か、おい、へんじをしろ」 張は、歯のねもあわず、がたがたふるえている。 「わたし、いわない、いわない」 「なにをいっているのか。お前にたのんだのは子供だとまで白状してしまったんじゃないか。いわないといっても、そりゃもうおそいよ。お前にたのんだその子供というのは、どんな顔をしていたか。またどんななりをしていたか。それをいえば、お前の罪はゆるしてやる」 張は、どうも困りはてたという風に、誰かたすけてくれる人はないかと、あたりにあつまった人々の顔をみまわした。そのとき、彼の目が、正太の顔のうえにおちたとき、どうしたものか、張はああっとおどろきのこえをあげ船員の手をふりはらってにげだした。 「おい待て、張!」 船員たちは、にがしてはなるものかと張のあとをおいかけた。張は、もう死にものぐるいである。階段をごろごろとすべりおちるかとおもえば、扉にぶつかったり、椅子をひっくりかえしたり、まるで鼠のようににげまわったが、船員たちのはげしい追跡にあって、とうとう船具室のすみっこでつかまってしまった。そのときはもう、張は死骸のようにのびていた。 船長のところへしらせがいったので、やがて彼は船具室までおりてきた。 「おい、張。なにもかも、もうすっかり白状したがいいぞ」 「ううっ――」 「白状すれば、お前の罪をゆるしてやるといっているのが、わからないか。おい、張、さっきお前は、正太という船客の顔をみて、なぜおどろいてにげだしたのだい」 「ああっ、それは――」 「こっちにはすっかりわかっているんだ。はやく白状しただけ、お前の得だぞ」 「ああ、もういいます」と張はくるしそうにいった。 「――が、あの子供、そこにいると、わたしいえない」 「あの子供のお客さんはこの船具室にはいないよ」 「ほんと、あるな。では、いう。わたし、あの子供にたのまれた」
怪火
中国人コックの張は、意外にも、煙をだすボールを海のなかへなげこむことを、正太少年にたのまれたと白状した。 「ええっ、あの正太さんに頼まれたというのか」 まさかとおもったのに、張が正太に頼まれたといったものだから、船長もことの意外におどろいた。もしや張が、同じ姿の少年である正太を、同じ人とみまちがえたのではないかと念をおしたが、張はつよくかぶりをふって、 「いや、あの子供にちがいない。わたし、人の顔、まちがえることない」というのであった。 船長はじめ、これを聞いていた一同は、この中国人がうそをいっているのでないと知った。すると、こんどはあのかわいい日本少年の正太が、たいへんあやしい人物になってしまう。それはどうしたものであろうか。 正太は、船長からよばれて、その前へいった。張は、正太がマリ子をつれてはいってきたのをみると、さもおどろいた顔つきで、船員のうしろにかくれた。 「正太さん。さっき海へなげこんだ煙のボールは、あなたにたのまれて、この中国人コックの張がやったのだといいますが、なにかいいわけすることがありますか」 「えっ、なんですって」と正太も、はじめてきく意外なうたがいにびっくりして「とんでもない話です。僕はそんなことはしません」 「いや、あの子供、わたしにたのみました。わたし、けっしてうそいわない」 張は船員のかげから、正太少年をゆびさして、ゆずろうとはしない。すると、大木老紳士がおこったような顔をして、前へでてきた。 「そうだ。正太君がやらなかったことは、あのときわしも正太君のうしろにいて、みてしっている。正太君につみはない」 「そうですか。これはへんなことになった。張は正太君にたのまれたというし、あなたがたは正太君がやったのではないという。どっちがいったい本当なのだろう」 正太にも、この事件がたいへんふしぎにおもえてきた。 (まてよ。もしかしたら、僕にたいへんよく似た少年がこの船のなかにいるのではないかしら) そのことを船長にいいだそうかとおもったが、彼はとうとういわないでしまった。なぜなら、そのときとつぜん船内で大さわぎがはじまったからである。 「おう、火事だ、火事だ。第六船艙から、火が出たぞ。おーい、みな手を貸せ」 怪しい船火事! 船員も船客も、いいあわせたように、さっと顔いろをかえた。 そのとき、老紳士がはきだすようにいった。 「そらみろ。さっきの信号が怪しかった。船火事だけですめばいいが」 そのことばがおわるかおわらないうちに、海面にうきあがった潜水艦隊。あっというまに、ウラル丸をぐるっととりまいてしまった。
燃えるウラル丸
「あっ、潜水艦だ! おや、あれはどこの潜水艦か。日本には、あんなのはない!」 ウラル丸の甲板上を、目のいろをかえた船客がさわぎたてる。船内では、船火事をはやく消さないと、船が沈むかもしれないというので、消火にかかっている船員たちの顔には、必死のいろがうかんでいる。 「おい、船底の荷物の間から、さかんに煙をふきだしているぞ。ポンプがかりに、そういってやれ。もっと力をいれてポンプをおさないと、とてもものすごい火事を消せないとな」 「おい、こっちだこっちだ。こっちからも煙がでてきた。船客の荷物に火がついたぞ」 船火事と、怪しい潜水艦! 二つのものにせめたてられ、ウラル丸の船客も船員も、いきがとまりそうだった。正太とマリ子は、甲板にでて、潜水艦をにらんで立っていた。 「兄ちゃん。あの潜水艦は、なにをするつもりなのかしら」 「さあ、なにをするつもりかなあ――」 正太ははっきりわからないような返事をしたが、その実こころのなかでは、この潜水艦はたぶん、ソ連の艦であり、そして船火事をおこしてウラル丸が沈むのを見まもっているのであろうと考えていた。しかしそれをいうと、妹のマリ子がどんなにしんぱいするかもしれないとおもい、ことばをにごしたわけだった。そのとき、兄妹のうしろを、気が変になったようなこえをだしてとおる者があった。それは例の大木老人だった。 「ああ、わしはたいへんな船にのりこんだものじゃ。わしが一生かかってようやく作りあげた全財産が、焼けて灰になってしまう。たとえ灰にならなくても、その次は、あの怪潜水艦のために、水底へしずめられてしまうのじゃ。ああ、わしはもう気が変になりそうじゃ」 大木老人はあたまの髪を両手でかきむしりながら、走ってゆく。 「兄ちゃん。あのお爺さんは、あんなことをいっているわよ。あの潜水艦は、ウラル丸をしずめようとおもっているのね」 マリ子は、とうとう第二のおそろしいことに気づいてしまった。 「なあに、大丈夫だよ」 「いいえ、大丈夫ではないわ」 「ねえ兄ちゃん、あたしたちは火事で焼け死ぬか、潜水艦のために殺されるか、どっちかなんだわ。そうなれば、もう覚悟をきめて、日本人らしく死にましょうよ。そうでないともの笑いになってよ」
正太の決心
(そうだ。僕はぼんやりしていられない!) 正太は、はっと吾にかえった。今の今まで彼は気のよい少年としてひっこんでいたが、彼は今こそふるいたつべき時であるとおもった。自分のいのちはどうでもよいが、マリ子だけはどうにかして無事にこのさいなんから切りぬけさせ、日本に待っていらっしゃるお母さまの手にとどけなければならない。そうだ、それだ。マリ子を救わなければならない。 (自分のいのちを的にして、一つおもいきりこの危難とたたかってみよう) 正太は、いまやよわよわしい気持をふりすてて、いさましい日本少年としてたたかう決心をしたのだった。 「ねえ、マリちゃん。どう考えても、まだしんぱいすることはないよ。僕も、船員のひとに力をあわせて、ウラル丸がたすかるようにはたらいてくるから、マリちゃんはさびしいだろうけれど、その間、船室で待っておいでよね」 「まあ兄ちゃんちょっと待ってよ」 「兄ちゃんのことはいいよ。はやく船室にはいって……」 「兄ちゃん、兄ちゃん……」 マリ子はこえをかぎりに、兄の正太をよびとめたが、正太はどんどんと甲板の人ごみのなかにはしりこんで、姿は見えなくなった。 そのとき、ウラル丸の船橋には、船長と一等運転士が顔をそばへよせて、なにごとか早口で囁きあっていた。 「船長。どっち道、もうだめですよ」 「そう弱気をだしちゃ、こまるね。しかし無電機をこわされちまったのは困ったな」 「無電技士が、しきりにSOSをうっているとき、うしろに人のけはいがしたので、ふりむいた。するととたんに頭をなぐられて、気がとおくなってしまった。そのとき、ちらりと相手の顔をみたそうですが、それが例の正太という少年そっくりの顔をしていたそうですよ」 「そうか。あの少年は、いつの間にやら、私のところから逃げだしたとおもったが、そんな早業をやったか。無電機をこわしたのも、もちろん無電技士をなぐりつけた犯人と同一の人物にちがいない。――というと、正太という少年のことだが、あんなかわいい顔をしていながら、見かけによらないおそろしい奴だな」 「そうです。おそろしい奴です。そしておそろしい力をもった奴です。無電技士を気絶させたばかりではなく、無電機のこわし方といったら、めちゃめちゃになっていまして、大人だってちょっと出ないくらいの力をもっているんですよ、あの正太という子供は!」
怪少年?
正太はそんな力持であろうか。 船長と一等運転士とは、正太のおそろしい力に身ぶるいをしていると、そこへひょっこりと、正太少年が顔をだしたものだから、二人は、あっといって、二三歩うしろへよろめいた。 「船長さん。まだ日本の軍艦はこないんですか」 「えっ?」 「船長さん、SOSの無電はうったのですか。それともまだうたないのなら、早くうってはどうですか」 船長と一等運転士とは、顔をみあわせた。そして二人とも心のなかで、(この少年は、なんという図々しい少年だろう。自分が無電機をこわしておきながら、まだ無電をうたないのかなどとたずねるとは)と、あきれたり、おどろいたり。 「船長さんたちは、海の勇士ではありませんか。しっかりしてください」 正太は、一生けんめいに船長と一等運転士をはげました。 それをきいていた一等運転士は、こころのなかにむっとして、ポケットからピストルをぬきだすと、正太をめがけて、今にも銃口をむけそうな気配を示した。そのとき、電話のベルが、けたたましく鳴った。それは正太のために、一命をすくったようなものであった。 「船艙から電話がかかってきたのだろう。おい、なんだ」と、船長が電話にかかった。 「なに、船艙の火事が消えた。それはいいあんばいだ。……ええっ、電気仕掛の口火がみつかったって。それをつかって、荷物とみせかけてあったダイナマイトを爆発させたことがわかったのだって? そいつはおどろいたね。……その電気仕掛の口火を誰がつけたのかわからないって。ふんふん、それはわからんことはないよ」 と船長は、じろりと正太の方に眼をうごかしたが、すぐ眼を元にもどして、 「とにかく、火事の方がかたづいたら、こんどは怪潜水艦と取組む番だ。いつこっちへ、魚雷がとんでくるかもしれないから、お前たちはすぐ昇降階段の下へ集っていろ。そしていつでも甲板へとびだせるように用意をしておくんだ。命令をするまでは、甲板へ出てはならない。こっちがうろたえているところを潜水艦にみつかると、都合がわるいからね」
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