不思議な動物
兄妹が、一歩室内に足をふみ入れたとたん、とつぜん「うーう、わわわわ、わん」と足もとに吠えついたものがあった。マリ子はびっくりして、あっと叫ぶなり、正太の腕にすがりついた。見れば、それは一頭の小牛ほどもあろうという猛犬だった。 「これ、ダップ。あっちへゆきなさい」博士は、いきなり足をあげて、犬を蹴った。そのときごとんと椅子を蹴ったときのような音がした。犬は尻尾をまいて、奥の方へにげさった。 「すごい犬をお飼いですね」正太がいった。 「なあに、あれは人造犬あります」 「えっ、人造犬ですか。マリちゃん、あれは人造犬だってさ」 「まあ、人造犬なの。すると機械で組立ててある犬なのね。まるで本物の犬そっくりだわ」 「そのとおり、ありまーす、人造犬がくいつくと、手でも足でも、ち切れます。本当の犬なら、そうはなりません」 「じゃ、本当の犬よりつよいのですね」 「そうですそうです。私、なかなか自慢している人造犬です」と博士は上機嫌でいって「もっと面白いものあります。いま、手を叩きます」と、博士はぽんぽんと叩いた。 すると、ういういういと鳴き声をたてながら、カーテンの蔭から、一頭の白い豚が走りいで博士の前にぴたりととまった。 「この豚の背中を見てくださーい。背中が卓子になっています」 なるほど、よく見ればおどろくではないか、白い豚の背中は、板を置いたようになっていた。 「この中に、おいしい酒がありまーす。私、命令する。その酒、コップに入って出てきます」 博士が豚の方に手をさしのばすと、豚の背中がぱくりと左右にひらきその下からうまそうな洋酒が盃にはいって、三つも出てきた。そして背中が閉まると、盃はそのうえにちゃんとのっている。豚の身体が、酒をたくわえる倉庫のようになっているのだった。 「いかがです。酒をのんでくださーい」博士は盃をとりあげた。 「いや、僕たちはのみませんから、博士だけでおのみください」 「そうですか。では私もやめまーす、動く卓子をかたづけましょう」 といって博士は豚のお尻をぽんと叩いた。すると豚は向うへかけだした。かけだしながら、また背中が二つに割れて洋酒の盃が自動的に中にかくれるのが見えた。 「はははは、どうです。面白いでしょう。あれも本物の豚ではなく、私がつくった人造豚です」 「はーん、あれは人造豚ですか。おどろいたなあ」 「あたし、なんだか気味がわるくなったわ。兄ちゃん、もうかえりましょうよ」 マリ子はしきりに兄の横腹をつつき、邸を出ようとさいそくした。 「ちょっとお待ちください。もっと面白いもの見せます。自慢の人造人間エフ氏、見せます」 「もうたくさんだわ」 「いや、人造人間エフ氏、なかなかりっぱな人間です。見ておくと、話の種になります。あなたがた近く日本へかえります。よい土産ばなしができます」 正太はそれを聞きとがめ、 「えっ、僕たちが日本にかえることを、どうして博士はご存知なんですか」 「はははは。それは皆わかります。私には世界中のことが何でもすぐわかります」 博士は、別におかしくもないことを、ははははと声を出して笑いつづける。
未完成のエフ氏
正太とマリ子の父は、このウラジオに店をもっている貿易商だった。二人の母は病弱で、郷里の鎌倉にいるが、だいぶん永いあいだ二人の子供にあわないので帰ってほしいといってきた。そこで二人は近く日本へかえることになったのだ。このことは、うちで決めただけで、まだ領事館へもソ連の官憲へも知らせてないのに、はやくもイワノフ博士がそれを知っているとはおどろいたことだった。 「では、人造人間エフ氏だけ見て、それでおかえりくださーい。マリ子しゃん、恐ろしいですか。恐ろしければ、あなたは部屋の外でお待ちくださーい。正太しゃんだけ、見ていただきます。正太しゃん、きっと感心してくれます」 博士は、にこにこ顔で、兄妹の手をとって廊下づたいに奥へ奥へと案内した。 やがて廊下は行きどまりとなった。 「ここから階段をおりて、地下室へゆきます。マリ子さん、恐ろしいですか。それなら、ここに待っていてください。そこから庭へでてもよろしいです」 「じゃ、マリちゃん。ここで待っててね。僕が来るまで、どこへもいっちゃいけないよ」 「ええ、待っているわ。できるだけ早くかえってきてね、兄さん」 マリ子は拝むようにいった。正太は博士につれられて、うすぐらい階段をおりていった。 「博士、人造人間エフ氏というのを、なぜそんなに僕に見せたがるのですか」 「うふん、それは――それはつまり世界中で一番すぐれた人造人間だからです。いままでの人造人間は、ゴリラか巨人のように大きかったですが、人造人間エフ氏は、たいへん小さくできています。日本語も、私たちより、なかなかよく話します」 「へえ、日本語を話すのですか、その人造人間エフ氏は――」 「そうです。日本語のほか、英語でも、ロシヤ語でもよく話します。十三ヶ国の言葉を喋ります。なかなか私、苦心しました」 博士は鍵を出して、扉の錠をはずした。 「どうぞ、おはいり下さい」 紫色の電灯がついている。なにかじいじいじいと妙な音がしている。よく見ると、電灯の下に、椅子に腰をかけている人間の形をしたものがあった。しかしそれは、変なことに、まるで受信機の中のように沢山の針金が重なりあって、人間の形を保っているだけのものであった。 「エフ氏って、あれですか」 「そうです。エフ氏は、まだ中身だけしかできていましぇん。まだあの上に、肉をつけ、そして皮をかぶせ、人間に見えるようにいたします。まだできあがっていないのです。しかしよく動きますよ。さあ入りましょう」 そういって博士は、正太を室内にひっぱりこんだ。扉はぱたんとしまった。
怪しい扉の中
こっちは、廊下に待っているマリ子だった。すぐかえってくるという約束の正太が、十分たっても二十分たってもかえってこない。正太はどうしたろう。マリ子は、急に心細くなって、胸が早鐘のように鳴りだした。 (兄さんは、どうしたのでしょう。すぐ出てくるといったのに、まだ出てきてくださらないわ。見物人もみなかえってしまって、こうして待っているのは、あたしひとりなんですもの。ああ、なんだか心細くなって、気が変になりそうだわ) マリ子は、廊下をみまわした。夕闇が、廊下の隅に、暗いかげをおとしていた。奇妙な塔が窓からじっとマリ子をのぞきこんでいるようであった。 (マリ子さん、兄さんはもうどこかに行ってしまって、のこっているのは、あなたひとりだけですよ) 奇妙な塔は、なんだかそんな風にマリ子に話しかけているような気がした。 「ああ、もういやだ。あたし、これから地下室へいってみるわ」 マリ子は、ひとりごとをいって、廊下を走りだした。 地下室へくだる階段は、もうすっかり闇の中に沈んでいたが、マリ子は兄にあいたい一心で、とんとんとんとかけくだった。階段をおりると、そこにはまた広い廊下があった。そして大きな扉をもった室がいくつもあった。 一番ちかい部屋の扉の前に立って、マリ子はこわごわ室内の様子をうかがった。扉のむこうは、しずかであった。人のいるようなけはいはしなかった。 (この部屋ではないらしいわ) マリ子は、おびえたように、扉を見なおすと、“倉庫”という文字が、マリ子にもよめた。 「あら、ここは倉庫なんだわ」 マリ子は、足早に、廊下を歩いて、次の部屋の前に立った。すると、部屋の中から、じいじいじい、じいじいじいというかなり高い物音がひびいてきた。 そこには“人造人間エフ氏の室”と書いてあった。 (まあ、人造人間エフ氏の室、兄さんはここにいるのじゃないかしら) マリ子は、おもいきって、扉をとんとんと叩いた。 「兄さん、正太兄さん。マリ子ですわ」 マリ子は、そういって、しばらく返事をまった。 しかしどうしたものか、マリ子のまっていた返事はきかれなかった。ただ扉の向うでは、あいかわらずじいじいじいと奇妙な物音がしつづけであった。マリ子は、不安のため目の前がくらくなった。 「兄さん、兄さん。マリ子よ、マリ子が待っているのよ。兄さん、居たら返事をしてください」 そういってマリ子は、扉をやけに、とんとんとはげしくたたいた。手がいたくなって扉が叩けなくなったとき、マリ子は身体をどしんどしんと扉にぶっつけて、 「兄さん。どうしたの。マリ子よ。早くここへ出てきてくださらない」 と、半分泣きながら叫んだのであった。 そのとき、扉のむこうで、がちゃりと鍵をまわす音がした。そして間もなく、扉がすーっと内にひらいた。その扉のかげから現れた一つの顔
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