二十
「その癖門の戸は閉っている。土間が狭いから、下駄が一杯、杖、洋傘も一束。大勢余り隙だから、歩行出したように、もぞりもぞりと籐表の目や鼻緒なんぞ、むくむく動く。 この人数が、二階に立籠る、と思うのに、そのまた静さといったら無い。 お組がその儀は心得た、という顔で、 (後で閉めたんでございますがね、三輪ちゃん、お才はんが粗々かしく、はあ、) と私達を見て莞爾しながら、 (駆出して行きなすった、直き後でございますよ。入違いぐらいに、お年寄が一人、その隅こから、扁平たいような顔を出して覗いたんでございますよ。 何でも、そこで、お上さんに聞いて来た、とそう言いなすったようでしたっけ……すたすた二階へお上りでございました。) さ、耳の疎いというものは。 (どこの人よ、) とお三輪が擦寄って、急込んで聞く。 (どこのお婆さんですか。) (お婆さんなの、ちょいと……) 私たちが訊ねたい意は、お三輪もよく知っている。闇がり坂以来、気になるそれが、爺とも婆とも判別が着かんじゃないか。 (でしょうよ、はあ、……余程の年紀ですから。) (いいえさ、年寄だってね、お爺さんもお婆さんもありますッさ。) (それがね、それですがね三輪ちゃん。) と頭を掉って、 (どっちだかよく分りません。背の低い、色の黄色蒼い、突張った、硝子で張ったように照々した、艶の可い、その癖、随分よぼよぼして……はあ、手拭を畳んで、べったり被って。) 女たちは、お三輪と顔を見合わせた。 (それですが、どうかしましたか。) (どうもこうもなくってよ……)とお三輪は情ない声を出す。 (不可ませんでしたかねえ。私はやっぱり会にいらしった方か、と思って。) ……成程な、」 と民弥は言い掛けて苦笑した。 「会へいらしったには相違は無い。 (今時分来る人があって、お組さん。もう二時半だわ。) (ですがね、この土地ですし……ちょいと、御散歩にでもお出掛けなすったのが、帰って見えたかとも思いましたしさ……お怪の話をする、老人は居ないかッて、誰方かお才はんに話しをしておいでだったし、どこか呼ばれて来たのかとも、後でね、考えた事ですよ。いえね、そんな汚い服装じゃありません。茶がかった鼠色の、何ですか無地もので、皺のないのを着てでした。 けれども、顔で覗いてその土間へお入んさすった時は、背後向きでね、草履でしょう、穿物を脱いだのを、突然懐中へお入れなさるから、もし、ッて留めたんですが、聞かぬ振で、そして何です、そのまんま後びっしゃりに、ずるッかずるッかそこを通って、) と言われた時は、揃って畳の膝を摺らした。 (この階子段の下から、向直ってのっそりのっそり、何だか不躾らしい、きっと田舎のお婆さんだろうと思いました。いけ強情な、意地の悪い、高慢なねえ、その癖しょなしょなして、どうでしょう、可恐い裾長で、……地へ引摺るんでございましょうよ。 裾端折を、ぐるりと揚げて、ちょいと帯の処へ挟んだんですがねえ、何ですか、大きな尻尾を捲いたような、変な、それは様子なんです。…… おや、無面目だよ、人の内へ、穿物を懐へ入れて、裾端折のまんま、まあ、随分なのが御連中の中に、とそう思っていたんですがね、へい、まぐれものなんでございますかい。) わなわな震えて聞いていたっけ、堪らなくなった、と見えてお三輪は私に縋り着いた。 いや、お前も、可恐ながる事は無い。…… もう、そこまでになると、さすがにものの分った姉さんたちだ、お蘭さんもお種さんも、言合わせたように。私にも分った。言出して見ると皆同一。」……
二十一
「茶番さ。」 「まあ!」 「誰か趣向をしたんだね、……もっとも、昨夜の会は、最初から百物語に、白装束や打散らし髪で人を怯かすのは大人気無い、素にしよう。――それで、電燈だって消さないつもりでいたんだから。 けれども、その、しないという約束の裏を行くのも趣向だろう。集った中にや、随分娑婆気なのも少くない。きっと誰かが言合わせて、人を頼んだか、それとも自から化けたか、暗い中から密と摺抜ける事は出来たんだ。……夜は更けたし、潮時を見計らって、……確にそれに相違無い。 トそういう自分が、事に因ると、茶番の合棒、発頭人と思われているかも知れん。先刻入ったという怪しい婆々が、今現に二階に居て、傍でもその姿を見たものがあるとすれば……似たようなものの事を私が話したんだから。 (誰かの悪戯です。) (きっとそう、) と婦人だちも納得した。たちまち雲霧が晴れたように、心持もさっぱりしたろう、急に眠気が除れたような気がした、勇気は一倍。 怪しからん。鳥の羽に怯かされた、と一の谷に遁込んだが、緋の袴まじりに鵯越えを逆寄せに盛返す……となると、お才さんはまだ帰らなかった。お三輪も、恐いには二階が恐い、が、そのまま耳の疎いのと差対いじゃなお遣切れなかったか、また袂が重くなって、附着いて上ります。 それでも、やっぱり、物干の窓の前は、私はじめ悚然としたっけ。 ばたばたと忙しそうに皆坐った、旧の処へ。 で、思い思いではあるけれども、各自暗がりの中を、こう、……不気味も、好事も、負けない気も交って、その婆々だか、爺々だか、稀有な奴は、と透かした。が居ない……」 梅次が、確めるように調子を圧えて、 「居ないの、」 「まあ、お待ち、」 と腕を組んで、胡坐を直して、伸上って一呼吸した。 「そこで、連中は、と見ると、いやもう散々の為体。時間が時間だから、ぐったり疲切って、向うの縁側へ摺出して、欄干に臂を懸けて、夜風に当っているのなどは、まだ確な分で。突臥したんだの、俯向いたんだの、壁で頭を冷してるのもあれば、煙管で額へ突支棒をして、畳へめったようなのもある。……夜汽車が更けて美濃と近江の国境、寝覚の里とでもいう処を、ぐらぐら揺って行くようで、例の、大きな腹だの、痩せた肩だの、帯だの、胸だの、ばらばらになったのが遠灯で、むらむらと一面に浮いて漾う。 (佐川さん、) と囁くように、……幹事だけに、まだしっかりしていた沢岡でね。やっぱり私の隣りに坐ったのが、 (妙なものをお目に懸けます。) (え、) それ、婆々か、と思うとそうじゃ無い。 (縁側の真中の――あの柱に、凭懸ったのは太田(西洋画家)さんですがね、横顔を御覧なさい、頬がげっそりして面長で、心持、目許、ね、第一、髪が房々と真黒に、生際が濃く……灯の映る加減でしょう……どう見ても婦人でしょう。婦人も、産後か、病上りてった、あの、凄い蒼白さは、どうです。 もう一人、) と私の脇の下へ、頭を突込むようにして、附着いて、低く透かして、 (あれ、ね、床の間の柱に、仰向けに凭れた方は水島(劇評家)さんです。フト口を開きか何か、寝顔はという躾で、額から顔へ、ぺらりと真白は手巾を懸けなすった……目鼻も口も何にも無い、のっぺらぽう……え、百物語に魔が魅すって聞いたが、こんな事を言うんですぜ。) ところが、そんなので無いのが、いつか魅し掛けているので気になる……」
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