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吉原新話(よしわらしんわ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-23 10:57:55 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



       二十四

「子爵がきっとなって、坐り直ったようだっけ。
(知らんか、残酷という事を、知らなけりゃ聞かせようじゃないか、前へ出ないか、おい、こっちへ入らんか。)
こうのう、殿、そのそばへ参ろうじゃがの、そこに汚穢むさいものがあろうがや。早やそれが、汚穢うて汚穢うてならぬ。……退けてくされませ、殿、)と言うんだ。
むさいもの、何がある。)
(小丼に入れた、青梅の紫蘇巻しそまきじゃ。や、香もならぬ、ふっふっ。ええ、胸悪やの、先刻さっきにから。……早く退けしゃらぬと、わし嘔吐もどそう、嘔吐そう、殿。)
 茶うけに出ていた甘露梅の事だ。何か、女児おんなごも十二三でなければ手に掛けないという、その清浄しょうじょうな梅漬を、汚穢くてならぬ、嘔吐すと云う。
(吐きたければ吐け、何だ。)
(二寸の蚯蚓みみず、三寸の蛇、ぞろぞろと嘔吐すがしゅうないか。)
 余り言種いいぐさ自棄やけだから、
(蛇や蚯蚓は構わんが、そこらで食って来た饂飩うどんなんか吐かれては恐縮だ。悪い酒をあおったろう。佐川さん、そこらにあったら片附けておやんなさい。)
 私はそっ押遣おしやって、お三輪と一所に婦人だちを背後うしろかばって、座を開く、と幹事も退いて、私に並んでたてになる。
 次の間かけて、敷居の片隅、大きな畳の穴が開いた。そこを……もくもく、鼠に茶色がかった朦朧もうろうとした形が、フッ、と出て、浮いて、通った。――
 どうやら、しりからさきへ、背後うしろ向きに入るらしい。
 ト前へかぶさったはずだけれども、琴の師匠の裸の腹はやっぱり見えた。縁側の柱の元へ、音もなく、子爵に並んだ、と見ると、……気のせいだろう、物干の窓は、ワヤワヤと気勢けはい立って、やつが今居るあたりまで、ものの推込おしこんだ様子がある。なぜか、向うの、その三階の蚊帳が、空へずッと高くなったように思う。
 ちょうど、子爵とそのばばあとの間に挟まる、柱にもたれた横顔が婦人おんなに見える西洋画家は、フイと立って、真暗まっくらな座敷の隅へ姿を消した。真個しんに寐入っていたのでは無かったらしい。
(残酷というのはね、仮にもしろ、そんな、優しい、可憐いじらしい、――弟のために身代りになるというような、若い人の生命いのちを「とりあげ」に来たなどという事なんだ。世の中には、随分、娑婆塞しゃばふさげな、死損しにぞこないな、)
 と子爵も間近に、よくその婆々ばばあを認めたろう、……当てるように、そう言って、
(邪魔な生命いのちもあるもんだ。そんなやつの胸に爪を立てる方がまだしもだな。)
(その様な生命いのちはの、殿、殿たちの方で言うげな、……やみほうけた牛、せさらぼえた馬で、私等わしらがにも役にも立たぬ。……あわれな、というはの、あぶらの乗った肉じゃ、いとしいというはの、かおりい血じゃぞや。な、殿。――此方衆こなたしゅ、鳥を殺さしゃるに、親子の恩愛を思わっしゃるか。獣を殺しますに、兄弟の、身代りの見境みさかいがあるかいの。うおも虫も同様おなじでの。親があるやら、一粒種やら、可愛いの、いとしいの、分隔てをめされますかの。
 弱いものいうたら、しみしんしゃくもさしゃらず……毛を※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしる、腹を抜く、背をひらく……串刺くしざしじゃ、ししびしおじゃ。油で煮る、火炎ほのおで焼く、きながらなますにも刻むげなの、やあ、殿。……ひもじくばまだしもよ、栄耀えようぐいの味醂蒸みりんむしじゃ。
 れれば、ものよ、何がそれを、ひどいとも、いとしいとも、不便ふびんなとも思わず。――一ツでもつなげる生命いのちを、二羽も三頭みッつも、飽くまでめさる。また食おうとさしゃる。
 誰もそれをとがめはせまい。咎めたとて聞えまい、わしも言わぬ、私もそれをむごいと言わぬぞ。知らぬからじゃ、不便ふびんもいとしいも知らねばこそいの。――何と、殿、むごい事を知らぬものは、何と殿、殿たちにも結構に、重宝にあろうが、やいの、のう、殿。)
(何とでも言え、対手あいてにもならん。それでも何か、そういうものは人間か。)
 と吐出すように子爵が言った。」

       二十五

「ト其奴そいつが薄笑いをしたようで、
(何じゃ、や、人間らしく無いと言うか。誰が人間になろうと云うた。殿たち、人間がさほどえらいか、へ、へ、へ、)
 とさげすんで、
(この世のなかはの、人間ばかりのもので無い。私等わしらが国はの、――殿、殿たちが、目の及ばぬ処、耳に聞えぬ処、心の通わぬ処、――広大な国じゃぞの。
 殿たちの空を飛ぶ鳥は、私等わしらが足の下を這廻はいまわる、水底みなそこうお天翔あまかける。……烏帽子えぼしかぶった鼠、素袍すおうを着た猿、帳面つける狐も居る、かまどを炊く犬もる、いたちこめく、蚯蚓みみずが歌う、蛇が踊る、……や、面白い世界じゃというて、殿たちがものとは較べられぬ。
 何――不自由とは思わねども、ただのう、殿たち、人間が無いに因って、時々来てはさらえてく……老若男女ろうにゃくなんにょの区別は無い。釣針にかかった勝負じゃ、緑の髪も、白髪しらがも、顔はいろいろの木偶でくの坊。孫等まごどもに人形の土産じゃがの、や、殿。殿たち人間の人形は、私等が国の玩弄物おもちゃじゃがの。
 身代りになるおんななぞは、白衣びゃくえを着せてひなにしょう。芋殻いもがらの柱で突立つったたせて、やの、数珠じゅずの玉を胸に掛けさせ、)
 いや、もう聞くに堪えん。
(まあ、面を取れ、真面目まじめに話す。)と子爵が憤ったように言う。
(面、)
(面だ。)
 面だ、面だ、とささやく声が、そこここに、ひそひそ聞えた。眠らずにいた連中には、残らず面に見えたらしい。
 成程、そう言えば、端近へ出てから、例のあかりの映る、その扁平ひらったい、むくんだ、が瓜核うりざねといった顔は、蒼黄色あおきいろに、すべすべと、しわが無く、つやがあって、皮一重ひとえ曇った硝子ビイドロのように透通って、目が穴に、窪んで、掘って、眉が無い。そして、唇の色が黒い。気が着くと、ものを云う時も、やつ薄笑うすわらいをする時も、さながら彫刻ほりつけたもののようでじっとしたッきり、口も頬もビクとも動かぬ。眉……眉はぬっぺりとして跡も無い、そして、手拭てぬぐいを畳んだらしいものを、額下りに、べたん、と頭へ載せているんだ。
(いや、いや、)
 と目鼻の動かぬ首を振って、
るまい、除らぬは慈悲じゃ。この中には、な、彫刻ほりものをする人もある、その美しいものは、私等わしらが国から、遠くゆびさ花盛はなざかりじゃ、散らすは惜しいに因って、わざと除らぬぞ!……何が、気の弱い此方こなたたちが、こうして人間の面をかぶっておればこそ、の、わしが顔を暴露むきだいたら、さて、一堪ひとたまりものう、ひげが生えた玩弄物おもちゃろうが。)
あかりけよう、何しろ。)
 と、幹事が今は蹌踉よろけながら手探りで立とうとする。子爵が留めて、
(お待ちなさい。串戯じょうだんこうじると、抜差しが出来なくなる。誰か知らんが、悪戯いたずらがちと過ぎます。面は内証で取るがい、今の内ならちっとも分らん、電燈でんきけてからは消えにくくなるだろう。)
 子爵はどこまでも茶番だ、と信ずるらしい。
 ……後で聞くと、中には、対方あいてこしらえて応答うけこたえをする、子爵その人が、悪戯をしているんだ、と思ったのもあったんだ。
(明るさ、暗さの差別は無いが、の、の、殿、わしがしょう事、それをせねば、日が出ましても消えはせぬが。)
よし、何をしに来たんだ、ここへ。……まあ、仮にそっちが言う通りのものだとすると。)
(されば、さればの、殿。……)
 とまた落着いたように、ぐたりと胸を折った、うずくまった形がひしゃげて見えて、
(身代りが、――そのことで、やいの、の、殿、まだ「とりあげ」が出来ぬに因って、一つな、このあたりで、間に合わせに、ろう!……さて、どれにしょうぞ、と思うて見入って、ながまわいていたがやいの、のう、殿。)
 みんな、――黙った。
(殿、ふと気紛きまぐれて出て、思懸おもいがけのうねんごろ申したしるしじゃ、の、殿、望ましいは婦人おなごどもじゃ、何と※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)じょうろうを奪ろうかの。)
 婦人おんなたちのその時の様子は、察してかろう。」

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