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吉原新話(よしわらしんわ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-23 10:57:55 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


       十一

「それはもう、きれいに断念あきらめたものなの、……そしてね、幾日いくかの何時頃に死ぬんだって――言うんですとさ、――それが延びたから今日はきっと、あれだって、また幾日の何時頃だって、どうしてでしょう。死ぬのを待っているようなの。
 ですからね、照吉さんのは、気病きやみだって。それから大事の人の生命いのちに代って身代みがわりに死ぬんですって。」
「身代り、」と聞返した時、どのかまたあかりの加減で、民弥の帷子かたびらが薄く映った。且つそれよりも、お三輪の手絡てがらが、くっきりと燃ゆるように、声も強い色に出て、
「ええ、」
 と言う、目も※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはられた気勢けはいである。
「この方が怪談じゃ、」と魯智深が寂しい声。堀子爵が居直って、
「誰の身代りだな、情人いいひとのか。」
「あら、情人いいひとなら兄さんですわ、」
 とおくせず……人見知ひとみしりをしない調子で、
「そうじゃないの、照吉さんのは弟さんの身代りになったんですって。――弟さんはね、先生、自分でも隠してだし、照吉さんも成りたけ誰にも知らさないようにしているんだけれど、こんな処の人のようじゃないの。
 学校へ通って、学問をしてね、よく出来るのよ。そして、今じゃ、あの京都の大学へ行っているんです。卒業すれば立派な先生になるんだわ、ねえ。先生。
 姉さんもそればっかりたのしみにして、地道に稼いじゃ、お金子かねを送っているんでしょう。……ええ、あの、」
 と心得たように、しかも他愛の無さそうに、
「水菓子屋の方は、あれは照吉さんのおっかさんがはじめた店を、そのおっかさんが亡くなって、姉弟きょうだい二人ぼっちになって、しようが無いもんですから、上州の方の遠い親類の人に来てもらって、それが世話をするんですけれど、どうせ、あれだわ。田舎を打棄うっちゃって、こんな処へ来て暮そうって人なんだから、人はいけれども商売は立行たちゆかないで、照吉さんには、あの、重荷に小附こづけとかですってさ。ですから、お金子でも何でも、みんな姉さんがして、それでもたのしみにしているんでしょう。
 そうした処が、この二三年、その弟さんが、大変に弱くなったの。困るわねえ。――試験が済めばもう卒業するのに、一昨年おととしも去年もそうなのよ、今年もやっぱり。続いて三年病気をしたの。それもあの、随分大煩いですわ、いつでも、どっと寝るんでしょう。
 去年の時はもう危ないって、電報が来たもんですから、姉さんが無理をして京都へ行ったわ。
 二年続けて、彼地あっちで煩らったもんですから、今年の春休みには、是非お帰んなさいって、姉さんも云ってあげるし、自分でも京都の寒さが不可いけないんだって、久しぶりで帰ったんです。
 水菓子屋の奥に居たもんですから、内へも来たわ。若旦那わかだんなって才ちゃんが言うのよ。おとっさんはね、お侍が浪人をしたのですって、――石橋際に居て、寺子屋をして、御新造ごしんさんの方は、裁縫おしごとを教えたんですっさ、才ちゃんなんかの若い時分、お弟子よ。
 あとで、私立の小学校になって、内の梅次さんも、子供の内は上ってたんですさ。おっかさんの方は、私だって知ってるわ。品のい、せいのすらりとした人よ。水菓子屋の御新造ごしんさんって、みんながそう言ったの。
 ですもの、照吉さんは芸者だけれど、弟さんは若旦那だわね。
 また煩いついたのよ、困るわねえ。
 そして長いの、どっと床に就いてさ。みんな、お気の毒だって、やっぱり今の、あの海老屋の寮で養生をして、おんなじ部屋だわ。まわり縁の突当りの、丸窓の付いた、池に向いた六畳よ。
 照吉さんも家業があるでしょう、だもんですから、ちょいとのひまも、の目も寝ないで、つきっ切りに看病して、それでもちっともくならずに、段々塩梅あんばいが悪くなって、花が散る頃だったわ、お医者様もね、もうね。」
 と言う、ちっと切なそうな息づかい。

       十二

 お三輪は疲れて、そして遣瀬やるせなさそうな声をして、
さあちゃんを呼んで来ましょうか、私は上手に話せませんもの。」と言う、覚束おぼつかない娘の口から語る、照吉の身の上は、一層夜露に身に染みたのであった。
いよ、三輪みいちゃんで沢山だ。お話し、お話し、」と雑貨店主、沢岡が激ました。
「ええ、もうちっとだわ。――あの……それでお医者様が手放したもんですから、照吉さんが一七日いちしちにち塩断しおだちして……最初はじめッからですもの、断つものも外に無いの。そして願掛けをしたんですって。どこかねえ、谷中やなかの方です。遠くまで、朝ねえ、まだ夜の明けない内に通ったのよ。そのおかげで……きっとそのお庇だわ。今日にも明日にも、といった弟さんが、すっかり治ってね。夏のはじめに、でもまだ綿入を着たなりで、京都へ立って行ったんです。
 塩断をしたりなんかして、夜も寝なかった看病疲れが出たんだって、みんなそう言ったの。すぐ後で、姉さんが病みついたんでしょう。そして、その今のような大病になったんでしょう。
 ですがね、つい二三日前、照吉さんが、誰にも言わない事だけれどって、そう云って、内の才ちゃんに話したんですって。――あの、そのね、谷中へ願掛けをした、満願、七日なぬか目よ、……一七日いちしちにちなんですもの。いつもお参りをして帰りがけに、しらしらと夜の明ける時間なのが、その朝は、まだ真暗まっくらだったんですとさ。御堂を拝んで帰ろうとすると、上の見上げるような杉の大木の茂った中から、スーと音がして、ばったり足許へ落ちて来たものがあるの。常燈明の細いあかりで、ちょいと見ると、鳥なんですって、死んだのだわねえ、もう水を浴びたように悚然ぞっとして、何の鳥だかよくも見なかったけれど、謎々よ、……解くと、弟は助からないって事になる……その時は落胆がっかりして、こけの生えた石燈籠いしどうろうにつかまって、しばらく泣きましたって、姉さんがね、……それでも、一念が届いて弟が助かったんですから……思い置く事はありません、――とさ。
 ああ、きっとそれじゃ、……その時治らない弟さんの身代りに、自分がお約束をしたんだろう。それだから、ああやって覚悟をして死んでくのを待っておいでだ。事によったら、月日なんかも、その時めて頼んだのかも分らない、可哀相だ、つて才ちゃんも泣いていました。
 そしてね、今度の世は、妹に生れて来て甘えよう、私は甘えるものが無い。弟は可羨うらやましい、あんな大きななりをして、私に甘ったれますもの。でも、それが可愛くって殺されない。さきへ死ぬ方がまだましだ、あの子は男だからこらえるでしょう、……後へ残っちゃ、私はおんなで我慢が出来ないって言ったんですとさ。……ちょいとどうしましょう。私、涙が出てよ。……
 どうかして治らないものでしょうか。誰方どなたか、この中に、お医者様のえらい方はいらっしゃらなくって、ええ、皆さん。」
 一座寂然ひっそりした。
「まあ、」
「ねえ……」
 と、蘭子と種子が言交わす。
「弱ったな、……それは、」とちょいと間を置いてから、子爵がつぶやいたばかりであった。
「時に、」
 と幹事が口を開いて、
「佐川さん、」
「は、」
 と顔を上げたが、民弥はなぜかすくむようになって、身体からだを堅く俯向うつむいてそれまで居た。
「お話しの続きです。――貴下あなたがその今日途中でその、何か、どうかなすったという……それから起ったんですな、三輪ちゃんの今の話は。」
「そうでしたね。」とぼやりと答える。
「その……近所のお産のありそうな処は無いかって、何か、そういったような事から。」
「ええ、」
 とただ、腕をこまぬく。
「どういう事で、それは、まず……」
「一向、つまらない、何、別に、」と可恐おそろしく謙遜けんそんする。
 人々は促した。――

       十三

「――気がしたから、私は話すまい、と思った。けれども、行懸ゆきがか[#ルビの「ゆきがか」は底本では「ゆきかが」]で、揉消もみけすわけにも行かなかったもんだから、そこで何だ。途中で見たものの事を饒舌しゃべったが、」
 と民弥は、西片町にしかたまちのその住居すまいで、安価やすかまど背負しょって立つ、所帯の相棒、すなわち梅次に仔細しさいを語る。……会のあった明晩あくるばんで、夏の日を、日が暮れてからやっと帰ったが、時候あたりで、一日寝ていたとも思われる。顔色も悪く、気も沈んで、いたく疲れているらしかった。
 寒気がするとて、茶の間の火鉢に対向さしむかいで、
「はじめはそんな席へ持出すのに、余りえな過ぎると思ったが、――先刻さっきから言った通り――三輪坊みいぼうがしたお照さんのその話を聞いてからは、自分だけかも知れないが、何とも言われないほど胸がふさいだよ。第一、三輪坊が、どんなにか、可恐こわがるだろう、と思ってね。
 場所が谷中だと言うんだろう、……私の出会ったのもやっぱりそこさ。――くらがりざかを通った時だよ。」
「はあ、」と言って、梅次は、団扇うちわを下に、胸をすっと手をいた。が、黒繻子くろじゅす[#ルビの「くろじゅす」は底本では「くろじゅず」]引掛ひっかけ結びの帯のさがりをななめすべる、指の白さも、団扇の色の水浅葱みずあさぎも、酒気さけけの無い、寂しい茶の間に涼し過ぎた。
 民弥はくつろぎもしないで、端然ちゃんとしながら、
昨日きのうは、お葬式とむらいおくれてね、すっかり焼香の済んだのが、六時ちっと廻った時分。後で挨拶をしたり、……茶屋へ引揚げて施主たちに分れると、もう七時じゃないか。
 会は夜あかしなんだけれど、ゆっくり話そうって、幹事からの通知は七時遅からず。私にも何かの都合で、一足早く。承知した、と約束がしてある。……
 久しぶりのお天気だし、すずしいし、紋着もんつきで散歩もおかしなものだけれども、ちょうどい。なかまで歩行あるいて、とうちを出る時には思ったんだが、時間が遅れたから、茶屋の角で直ぐに腕車くるまをそう言ってね。
 乗ってさ。出る、ともう、そこらでふくろうの声がする。寂寥しんとした森の下を、墓所に附いて、薄暮合いに蹴込けこみ真赤まっかで、晃々きらきら輪が高く廻った、と思うと、早や坂だ。――切立きったてたような、あの闇がり坂、知ってたっけか。」
「根岸から天王寺へ抜ける、細い狭い、蔽被おっかぶさった処でしょう。――近所でも芋坂の方だと、ちょいちょい通って知ってますけれど、あすこは、そうね、たった一度。可厭いやな処だわね、そこでどうかなすったんですか。」
「そうさ、よく路傍みちばたの草の中に、揃えて駒下駄こまげたが脱いであったり、上の雑樹の枝に蝙蝠傘こうもりがぶら下っていたり、鉄道で死ぬものは、大概あの坂から摺込ずりこむってね。手巾ハンケチが一枚落ちていても悚然ぞっとする、とみんなが言う処だよ。
 昼でも暗いのだから、暮合くれあいおんなじさ。別に夜中では無し、私は何にも思わなかったんだが、きまって腕車くるまから下りる処さ、坂の上で。あの急勾配だから。
 下りるとね、車夫わかいしはたった今乗せたばかりの処だろう、空車からぐるまの気前を見せて、ひとけで、顱巻はちまきの上へ梶棒かじぼうを突上げるいきおいで、真暗まっくらな坂へストンと摺込すべりこんだと思うと、むっくり線路の真中まんなかを躍り上って、や、と懸声だ。そこはまだ、ほんのあかるい、白っぽい番小屋の、あおつッと切って、根岸の宵の、蛍のような水々みずみずしたあかりの中へ消込きえこんだ。
 蝙蝠こうもりのように飛ぶんだもの、離れ業と云ってい速さなんだから、一人でしばらく突立つったって見ていたがね、考えて見ると、面白くも何とも無いのさ。
 足許だけぼんやり見える、黄昏たそがれ下闇したやみを下り懸けた、暗さは暗いが、気は晴々せいせいする。
 以前と違って、それからく、……吉原には、恩愛もなし、義理もなし、借もなし、見得外聞があるじゃなし……心配も苦労も無い。叔母さんにもらった仲の町の江戸絵を、葛籠つづらから出して頬杖ほおづえいて見るようなもんだと思って。」

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