八
お貞はいかに驚きしぞ、戸のあくともろともに器械のごとく刎ね上りて、夢中に上り口に出迎えつ。蒼くなりて瞳を据えたる、沓脱の処に立ちたるは、洋服扮装の紳士なり。頤細く、顔円く、大きさ過ぎたる鼻の下に、賤しげなる八字髭の上唇を蔽わんばかり、濃く茂れるを貯えたるが、面との配合を過れり。眼はいと小さく、眦垂れて、あるかなきかを怪むばかり、殊に眉毛の形乱れて、墨をなすりたるごとくなるに、額には幾条の深く刻める皺あれば、実際よりは老けて見ゆべき、年紀は五十の前後ならむ、その顔に眼鏡を懸け、黒の高帽子を被りたるは、これぞ(ちょいとこさ)という動物にて、うわさせし人の影なりける。 良夫と誤り、良夫と見て、胸は早鐘を撞くごとき、お貞はその良人ならざるに腹立ちけむ、面を赤め、瞳を据えて、屹とその面を瞻りたる、来客は帽を脱して、恭しく一礼し、左手に提げたる革鞄の中より、小き旗を取出して、臆面もなくお貞の前に差出しつ。 「日本大勝利、万歳。」 と謂いたるのみ、顔の筋をも動かさで、(ちょいとこさ)は反身になり、澄し返りて控えたり。 渠がかくのごとくなす時は、二厘三厘思い思いに、その掌に投げ遣るべき金沢市中の通者となりおれる僥倖なる漢なりき。 「ちょいとこ、ちょいとこ、ちょいとこさ。」 と渠は、もと異様なる節を附し両手を掉りて躍りながら、数年来金沢市内三百余町に飴を売りつつ往来して、十万の人一般に、よくその面を認られたるが、征清のことありしより、渠は活計の趣向を変えつ。すなわち先のごとくにして軒ごとを見舞いあるき、怜悧に米塩の料を稼ぐなりけり。 渠は常にものいわず、極めて生真面目にして、人のその笑えるをだに見しものもあらざれども、式のごとき白痴者なれば、侮慢は常に嘲笑となる、世に最も賤まるる者は時としては滑稽の材となりて、金沢の人士は一分時の笑の代にとて、渠に二三厘を払うなり。 お貞はようやく胸を撫でて、冷かに旧の座に直りつ。代価は見てのお戻りなる、この滑稽劇を見物しながら、いまだ木戸銭を払わざるにぞ、(ちょいとこさ)は身動きだもせで、そのままそこに突立ちおれり。 ややありてお貞は心着きけむ、長火鉢の引出を明けて、渠に与うべき小銭を探すに、少年は傍より、 「姉さん、湯銭のつりがあるよ、おい。」 と板敷に投出せば、(ちょいとこさ)は手に取りて、高帽子を冠ると斉しく、威儀を正して出行きたり。
九
出行く(ちょいとこさ)を見送りて、二人は思わず眼を合しつ。 「なるほど肖ているねえ。」 とお貞は推出すがごとくに言う。少年はそれには関せず。 「まあ、それからどうしたの?」 渠は聞くことに実の入りけむ、語る人を促せり。 「さあその新潟から帰った当座は、坊やも――名は環といったよ――環も元気づいて、いそいそして、嬉しそうだし、私も日本晴がしたような心持で、病気も何にもあったもんじゃあないわ。野へ行く、山へ行くで、方々外出をしてね、大層気が浮いて可い心持。 出来るもんならいつまでも旦那が居ないで、環と二人ッきり暮したかったわ。 だがねえ、芳さん、浮世はままにならないものとは詮じ詰めたことを言ったんだね。二三度旦那から手紙を寄越して、(奉公人ばかりじゃ、緊が出来ない、病気が快くなったら直ぐ来てくれ。)と頼むようにいって来ても、何の、彼のッて、行かないもんだから、お聞きよ、まあ、どうだろうね。行ってから三月も経たない内に、辞職をして帰って来て、(なるほどお前なんざ、とても住めない、新潟は水が悪い)ッさ。まあ! するとまた環がね、どういうものか、はきはきしない、嫌にいじけッちまって、悪く人の顔色を見て、私の十四五の時見たように、隅の方へ引込んじゃあ、うじうじするから、私もつい気が滅入って、癇癪が起るたんびに、罪もないものを……」 と涙を浮め、お貞はがッくり俯向きたり。 「その癖、旦那は、環々ッて、まあ、どんなに可愛がったろう。頭へ手なんざ思いも寄らない、睨める真似をしたこともなかったのに、かえって私の方が癇癪を起しちゃ、(母様)と傍へ来るのを、 (ええ、も、うるさいねえ、)といって突飛ばしてやると、旦那が、(咎もないものをなぜそんなことをする)てッて、私を叱るとね、(母様を叱っては嫌よ、御免なさい御免なさい)と庇ってくれるの。そうして、(あんな母様は不可のう、ここへ来い)と旦那が手でも引こうもんなら、それこそ大変、わッといって泣出したの。 (あ、あ、)と旦那が大息をして、ふいと戸外へ出てしまうと、後で、そっと私の顔を見ちゃあ、さもさもどうも懐しそうに、莞爾と笑う。そのまた愛くるしさッちゃあない。私も思わず莞爾して、引ッたくるように膝へのせて、しっかり抱しめて頬をおッつけると、嬉しそうに笑ッちゃあ、(父様が居ないと可い)と、それまたお株を言うじゃあないかえ。 だもんだから、つい私もね、何だか旦那が嫌になったわ。でも或時、 (お貞、吾も環にゃ血を分けたもんだがなあ。)とさも情なそうに言ったのには、私も堪らなく気の毒だったよ。 前世の敵同士ででもあったものか、芳さん、環がじふてりやでなくなる時も、私がやる水は、かぶりつくようにして飲みながら、旦那が薬を飲ませようとすると、ついと横を向いて、頭を掉って、私にしがみついて、懐へ顔をかくして、いやいやをしたもんだから、ついぞ荒い言をいったこともない旦那が、何と思ったか血相を変えて、 (不孝者!)といって、握拳で突然環をぶとうとしたから、私も屹となって、片膝立てて、 (何をするんです!)と摺寄ったわ。その時の形相の凄じさは、ま、どの位であったろうと、自分でも思い遣られるよ。言憎いことだけれど、真実にもう旦那を喰殺してやりたかったわね。今でも旦那を環の敵だと思うもの。あの父親さえ居なけりゃ、何だって環が死ぬものかね、死にゃあしないわ、私ばかりの児だったら。」 お貞はしばらく黙したりき。ややあり思出したらんかのごとく、 「旦那はそのまま崩折れて、男泣きに泣いたわね。 私ゃもう泣くことも忘れたようだった。ええ、芳さん、環がなくなってから、また二三度も方々へいい役に着いたけれども、金沢なら可いが、みんな遠所なので、私はどういうものか遠所へ行くとしきりに金沢が恋しくなッて、帰りたい帰りたい一心でね、済まないことだとは思ってみても、我慢がし切れないのを、無理に堪えると、持病が起って、わけもないことに泣きたくなったり、飛んだことに腹が立ったりして、まるで夢中になるもんだから、仕方なしに帰って来ると、旦那も後からまた帰る、何でも私をば一人で手放しておく訳にゃゆかないと見えて、始終一所に居たがるわ。 だもんだからどこも良い処には行かれないで、金沢じゃ、あんなつまらない学校へ、腰弁当というしがない役よ。」 と一人冷かに笑うたり。
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