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化銀杏(ばけいちょう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-23 10:26:42 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



       十二

 お貞は幾年来独り思い、独り悩みて、鬱積うっせきせる胸中の煩悶はんもんの、その一片をだにかつてもらせしことあらざりしを、いま打明くることなれば、順序も、次第も前後して、乱れ且つ整わざるにも心着かで、再び語り続けたり。
「いっちゃ女の愚痴だがね。私はさっきいったように、世の中というものがあって、自分ばかりじゃないからと、断念あきらめて、旦那につかえてはいるけれど、一日に幾度となく、もうふツふツ嫌になることがあるわ。
 芳さんも知っておいでだ。ついこないだのことだっけ、晩方旦那の友達が来たので、私もその日は朝ッから、塩梅あんばいが悪くッて、奥のに寝ていた処へ、推懸おしかけたもんだから、外に別に部屋はなし、ここへ出て坐っていたの。
 お客がまた私の大嫌だいきらいな人で、旦那とは合口あいくちだもんだから、愉快おもしろそうに[#「愉快おもしろそうに」は底本では「愉快おもしろさうに」]話してたッけが、私は頭痛がしていた処へ、その声を聞くとなお塩梅が悪くなって、胸は痛む、横腹よこッぱらは筋張るね、おいおい薄暗くはなって来る。暑いというので燈火あかりはつけずさ。陰気になって、いろんなことを考え出して、ついたまらなくなったから、横になろうと思っても、直ぐ背後うしろに居るんだもの、立膝たてひざも出来ないから、台所へ行って板の間にでもと思ったが、あすこにゃひどいし、仕方がないから戸外おもてへ出て、軒下にしゃがんで泣いてた処へ、ちょうどお前さんが来ておくれで、二階へ来いとおいいだから、そっと上ると、まあ、おとしよりが御深切に、胸を押して下すったので、私ゃもう難有ありがたくッて、嬉しくッて、心じゃ手を合せて拝んだわ。
 おかげでやっと胸が開きそうになって、ほっと呼吸いきをついた処へ、
(貞はそこに参っておりましょうな。)と、壇階子だんばしごの下へ来て、わざわざ旦那が呼んだじゃあないかね。
 私ゃあんまりくさくさしたから、返事もしないで黙っていると、おばあさんがお聞きつけなすッて、
階下したへおいで、ね、ね、そうしないと悪い)ッて、みんなもうちゃんと推量して、やさしく言って下さるんだもの。
(ここに居とうございます!)と、おばあさんの膝にすがりついたの。
 下ではなお呼ぶもんだから、おばあさんが私のかわりに返事をなすって、
(可いから、可いから。)と、低声こごえでおっしゃってね、せなかを撫でて下さるもんだから、仕方なしに下りて行くと、お客はもう帰っていてね、嫌な眼でにらまれたよ。
 空いてるがないもんだから、そういう時には困っちまう。アレ悪く取っちゃあ困るわね。
 何も芳さんに二階を貸しておいて、こういっちゃあわるいけれど、はじめッからこのうちは嫌いなの。
 水は悪いし、流元ながしもとなんざ湿地で、いつでもじくじくして、心持が悪いっちゃあない。雪どけの時分ころになると、庭が一杯水になるわ。それから春から夏へかけてはすももの樹が、毛虫で一杯。
 それに宅中うちじゅう陰気でね、明けておくと往来から奥のまで見透みとおしだし、ここいら場末だもんだから、いや、あすこの宅はどうしたの、こうしたのと、近所中で眼を着けて、晩のお菜まで知ってるじゃあないかね。大嫌な猫がまた五六疋、野良猫が多いので、のそのそ入って、ずうずうしく上り込んで、追ってもにげるような優しいんじゃない。
 隣の小猫はまた小猫で、それ井戸は隣と二軒で使うもんだから、あすこのへだてから入って来ちゃあ、畳でも、板の間でも、ニャアニャア鳴いて歩行あるくわ。
 隣の猫のこッたから、あのまた女房おかみが大抵じゃないのだからね、(うちの猫を)なんて言われるが嫌さに、つわけにはもとよりゆかず、二三度干物でも遣ったものなら、可いことにして、まつわって、からむも可いけれど、芳さん、ありゃ猫の疱瘡ほうそうとでもいうのかしら。からだじゅう一杯のできもので、一々うみをもって、まるで、毛が抜けて、肉があらわれてね、汚なくって手もつけられないよ。それがさ、昨夜ゆうべ蚊帳かやの中へ入込んで、寝ていた足をなめたのよ。何の因果だか、もうもう猫にまで取着とッつかれる。」
 と投ぐるがごとく言いすてつ。苦笑にがわらいしてつぶやきたり。
「ほんとうになくよりわらいだねえ。」

       十三

 お貞のことば途絶えたる時、先刻さっきより一言ひとことも、ものいわでかれが物語を味いつつ、是非の分別にさまよえりしごとき芳之助の、何思いけん呵々からからと笑い出して、
「ははは、姉様ねえさんは陰弁慶だ。」
 お貞は意外なる顔色かおつきにて、
「芳さん、何が陰弁慶だね。」
「だってそんなに決心をしていながら、一体僕の分らないというのはね、人ががらりと戸を明けると、眼に着くほどびっくりして、どきり! する様子がたしかに見えるのは、どういうものだろう。ひげの留守に僕と談話はなしでもしている処へ唐突だしぬけ戸外おもてがあけば、いま姉様がいった世間よのなかの何とかで、吃驚びっくりしないにも限らないが、こうしてみるに、なにもその時にゃ限らないようだ。いつでもそうだから可笑おかしいじゃないか。それに姉様のは口でいうと反対で、髯の前じゃおどおどして、何だか無暗むやみに小さくなって、一言ものをいわれても、はッと呼吸いきのつまるように、おびえ切っている癖に。今僕に話すようじゃ、酸いも、甘いも、知っていて、旦那を三銭さんもんとも思ってやしない。僕が二厘の湯銭の剰銭つりで、(ちょいとこさ)を追返したよりは、なおひどく安くしてるんだ。その癖、世間じゃ、(西村の奥様は感心だ。今時の人のようでない。まるで嫁にきたてのように、旦那様を大事にする。婦人おんなはああかなければ嘘だ。貞女のかがみだ。しかし西村にはおしいものだ。)なんとそう言ってるぞ。そうすりゃ世間も恐しくはなかろうに、何だって、あんなにびくびくするのかなあ。だから姉様は陰弁慶だ。」
 と罪もなくけなしたるを、お貞は聞きつつ微笑ほほえみたりしが、ふと立ちて店にき、往来の左右をながめ、もとの座に帰りて四辺あたり※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわし、また板敷に伸上りて、裏庭より勝手などを、巨細こさいに見て座に就きつ。
「それはね、芳さん、こうなのよ。」
 という声もハヤふるえたり。
「芳さんだと思って話すのだから、そう思ッて聞いておくれ。
 私はね、可いかい。そのつもりで聞いておくれ。私はね、いつごろからというたしかなことは知らないけれど、いろんな事がかさなり重りしてね、旦那が、旦那が、どうにかして。
 死んでくれりゃいい。死んでくれりゃいい。死ねばいい。死ねばいい。
 とそう思うようになったんだよ。ああ、罪の深い、呪詛のろうのも同一おんなじだ。親のかたきででもあることか、人並より私を思ってくれるものを、(死んでくれりゃいい)と思うのは、どうした心得違いだろうと、自分で自分を叱ってみても、やっぱりどうしてもそう思うの。
 そのおもいが段々こうじて、朝から晩まで、寝てからも同一おんなじことを考えてて、どうしてもその了簡りょうけんがなおらないで、後暗いことはないけれど、なんに着け、に着け、ちょっとの間もそのおもいが離れやしない。始終そればかりが気にかかって、何をしても手に着かないしね、じっと考えこんでいる時なんざ、なおのこと、何にも思わないでその事ばかり。ああ、人の妻の身で、何たる恐しい了簡だろうと、心の鬼に責められちゃあ、片時も気がやすまらないで、始終胸がどきどきする。
 それがというと、私の胸にあることを、人に見付かりやしまいかと、そう思うから恐怖こわいんだよ。
 わけても、旦那に顔を見られるたびに、あの眼が、何だか腹の中まで見透みすかすようで、おどおどしずにゃいられない。(貞)ッて一声呼ばれると、直ぐその、あとの句が、(お前、おれの死ぬのが待遠いだろう。)とこう来るだろうと思うから、はッとしないじゃいられないわね。それで何ぞ外のことを言われると、ほッと気が休まって、その嬉しさっちゃないもんだから、用でも、何でも、いそいそする。
 それにこうやって、ここへ坐って、一人でものを考えてる時は、頭の中で、ぐるぐるぐるぐる、(死ねば可い)という、鬼か、じゃか、何ともいわれない可恐こわいものが、私の眼にも見えるように、眼前めさきかけまわっているもんだから、自分ながら恐しくッて、観音様を念じているの。そこへがらりと戸を開けられちゃあ、どうして慌てずにいられよう。(ああ、めッかった。)と、もう死んだ気になっちまう!
 それが心配で、心配で、どうぞして忘れたいと思うから、けもないことにわあわあ騒いだり、笑ったり、他所よそめには、さも面白そうに見えようけれど、自分じゃ泣きたいよ。あとではなおさら気がめいッて、ただしょんぼりと考え込むと、また、いつもの(死ねばいい)が見えるようなの。
 恐しくッてたまらないから、どうぞこの念がなくなりますようにと、観音様に願っても、罪が深いせいなのか、段々強くなるばかり。
 気のせいか知らないけれど、旦那は日に日に血色が悪くなって、次第に弱って行く様子、こりゃ思いが届くのかと考えると、私ゃもう居てもってもたまらない。
 だから旦那が煩いでもすると、ハッと思って、こりゃどうでも治さないと、私が呪詛のろい殺すのだと、もうもうさほどでもない病気でも、の目も寝ないで介抱するが、お医者様のお薬でも、私の手から飲ませると、かえって毒になるようで、何でも半日ばかりの間は、今にも薬の毒がまわって、血でも吐きやしないかしらと、どうしてその間の心配というものは! でもそれでもやっぱり考えることといったら、ちっともちがいはない、(死ねば可い。)で、早くなおって欲しいのは、実は(死ねば可い。)と思うからだよ。
 ねえ、芳さん分ったろう。もう胸が一杯で、口も利かれやしないから、後生だ、推量しておくれ。も、私ゃ、私はもう芳さんどうしたら可いんだねえ。」
 と身を震わしたるいじらしさ!
 お貞がこの衷情ちゅうじょうに、少年はいたく動かされつ。思わず暗涙なみだを催したり。
「ああ姉様は可哀そうだねえ。僕が、僕が、僕が、どうかしてあげようから、姉さん死んじゃあ不可いけないよ。」
 お貞は聞きて嬉しげに少年の手をじっと取りて、
「嬉しいねえ。何の自害なんかするもんかね、世間と、旦那として私をこんなにいじめるもの。いじめ殺されて負けちゃ卑怯ひきょうよ。意気地が無いわ。可いよ、そんな心配は要らないよ。私ゃつらあてにでも、きている。たといこの上幾十倍のつらい悲しいことがあっても、きっとこらえて死にゃあしないわ。と心強くはいってみても、死なれないのが因果なのだねえ。」
 ほろりとして見る少年の眼にも涙をたたえたり。時に二階より老女の声。
「芳や、帰ったの。」
「あれ、おばあさんが。」
「はい、唯今ただいま。」

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