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化銀杏(ばけいちょう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-23 10:26:42 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



       十四

 二段ばかり少年は壇階子だんばしごを昇り懸けて、と顧みて驚きぬ。時彦は帰宅して、はや上口あがりぐちの処に立てり。
 我が座を立ちしと同時ならむ。と思うも見るもまたたくま、さそくの機転、下をのぞきて、
「もう、奥様おくさん何時なんどきです。」
「は。」
 とお貞はちたるが、不意に顛倒てんどうして、起ちつ、居つ。うろうろ四辺あたりを見廻すひまに、時彦は土間に立ちたるまま、粛然として帯の間より、懐中時計を取出とりいだし、丁寧に打視うちながめて、少年を仰ぎ見んともせず、
「五十九分前六時です。」
憚様はばかりさま。」
 と少年は跫音あしおと高く二階に上れり。
 時彦は時計を納めつ。立ちも上らず、坐りも果てざる、妻にむかいて、沈める音調、
「貞、床を取ってくれ、気分が悪いじゃ。貞、床をとってくれ、気分が悪いじゃ。」
 おもては死灰のごとくなりき。

       十五

 時彦はその時よりまたたず、肺結核の患者は夏を過ぎて病勢募り、秋の末つ方に到りては、恢復かいふくのぞみ絶果てぬ。その間お貞が尽したる看護の深切は、実際隣人を動かすに足るものなりき。
 かれは良人の容体の危篤に陥りしより、ほとんど一月ばかりの間帯を解きて寝しことあらず、分けてこのごろに到りては、一七日いちしちにちいまだかつてまぶたを合さず、渠は茶を断ちて神に祈れり。塩を断ちて仏に請えり。しかれども時彦を嫌悪の極、その死のすみやかならんことを欲する念は、良人に薬を勧むる時も、その疼痛とうつうの局部をさすひまも、須臾しゅゆも念頭を去りやらず。甚しいかなその念の深く刻めるや、おのが幾年の寿命を縮め、身をもて神仏のにえに供えて、合掌し、瞑目めいもくして、良人の本復を祈る時も、その死を欲するの念は依然として信仰の霊を妨げたり。
 良人の衰弱は日にしるけきに、こは皆おのが一念よりぞと、深更四隣静まりて、天地沈々、病者のために洋燈ランプを廃して行燈あんどんにかえたる影暗く、隙間すきまもる風もあらざるにぞ、そよとも動かぬ灯影ほかげにすかして、そのじゃくたること死せるがごとき、病者の面をそとながめて、お貞は顔を背けつつ、おとがい深く襟にうずめば、時彦の死を欲する念、ここぞとさかんに燃立ちて、ほとんど我を制するあたわず。そがなすままにまかしおけば、奇異なる幻影眼前めさきにちらつき、ぱっ[#「火+發」、153-7]と火花の散るごとく、良人のはだを犯すごとに、太く絶え、細く続き、長くかすけき呻吟声うめきごえの、お貞の耳を貫くにぞ、あれよあれよとばかりに自ら恐れ、自らいたみ、且つ泣き、且ついかり、且つ悔いて、ほとんどその身を忘るる時、
「お貞。」
 と一声ひとこえ、時彦は、うつし沈める音調もて、枕も上げで名を呼びぬ。
 この一声を聞くとともに、一桶ひとおけの氷を浴びたるごとく、全身の血は冷却して、お貞は、
「はい。」
 とおののきたり。
 時彦はいとものしずかに、
「お前、このごろから茶を断ッたな。」
「いえ、何も貴下あなた、そんなことを。」
 と幽かにいいて胸をおさえぬ。
 時彦はおとがいのあたりまで、夜着の襟深く、仰向あおむけに枕して、眼細まぼそく天井を仰ぎながら、
塩断しおだちもしてるようだ。一昨日おとといあたりから飯も食べないが、一体どういう了簡りょうけんじゃ。」
(貴下を直したいために)といわんは、渠の良心の許さざりけむ、差俯向さしうつむきてお貞は黙しぬ。
「あかりが暗い、掻立かきたてるが可い。お前がひどせッこけて、そうしょんぼりとしてる処は、どう見ても幽霊のようじゃ、行燈が暗いせいだろう。な。」
「はい。」
 お貞は、深夜幽霊の名を聞きて、ちりけもとより寒さを感じつ。身震いしながら、少しく居寄りて、燈心の火を掻立てたり。
「そんなに身体からだを弱らせてどうしようという了簡なんか。うむ、お貞。」
 根深く問うに包みおおせず、お貞はいとも小さき声にて、
「よく御存じでございます。」
「むむ、お前のすることは一々おりゃ知っとるぞ。」
「え。」
 とお貞はずり退さがりぬ。
茶断ちゃだち塩断しおだちまでしてくれるのに、おれはなぜ早く死なんのかな。」
 お貞は聞きて興覚顔きょうざめがおなり。
 時彦の語気は落着けり。
はやく死ねば可いと思うておって、なぜそんな真似をするんだな。」
 と声に笑いを含めてえり。お貞はほとんど狂せんとせり。
 病者はなおもやわらかに、
「何、そう驚くにゃ及ばない。昨日今日にはじまったことではないが、お貞、お前は思ったよりはるかに恐しい女だな。あれは憎い、憎い奴だから殺したいということなら、おれも了簡のしようがあるが、(死んでくれりゃ可い。)は実に残酷だ。人を殺せば自分も死なねばならぬというまず世の中に定規さだめがあるから、我身わがみを投出して、つまり自分が死んでかかって、そうしてその憎い奴を殺すのじゃ。誰一人生命いのちおしまぬものはない、活きていたいというのが人間第一の目的じゃから、その生命いのちを打棄ててかかるものは、もうのぞみを絶ったもので、こりゃ、あわれむべきものである。
 お前のはそうじゃあない。(死んでくれりゃ可い)と思うので、つまり精神的に人を殺して、何のむくいも受けないで、白日青天、嫌な者が自分の思いで死んでしまったあとは、それこそ自由自在の身じゃでの、仕たい三昧ざんまい、一人で勝手に栄耀えようをして、世を愉快おもしろく送ろうとか、すきな芳之助といことをしようとか、しからんことを思うている、つまり希望というものがお前にあるのだ。
 人の死ぬのを祈りながら、あとあとのたのしみを思うている、そんな太い奴があるもんか。
 おれはきっと許さんぞ。
 そうそうすきなまねをお前にされて、吾も男だ、指をくわえて死にはしない。
 といつも思っていたんだが、もうこの肺病には勝たれない、いや、つまり、お前に負けたのだ。
 してみれば、お貞、お前が呪詛のろい殺すんだと、吾がそう思っても、仕方があるまい。
 吾はどのみち助からないと、初手ッから断念あきらめてるが、お貞、お前の望がかのうて、後で天下ばれたのしまれるのは、吾はどうしても断念められない。
 謂うと何だか、女々しいようだが、報のない罪をし遂げて、あとでたのしみをしようという、虫の可いことは決して無い。またそうさせるような吾でもない。
 お貞、謝罪わびをしちゃあかんぞ。お前は何も謝罪をすることもなし、吾も別に謝罪を聞く必要も認めんじゃ。悪かったというて謝罪をすればそれで済む、謝罪を聞けば了簡すると、そんな気楽なことを思うと、吾のいうことが分るまいでな。何でもしたことには、それ相当の報酬むくいというものが、多くもなく、少なくもなく、ちょうど可いほどあるものだと、そう思ってろ! 可いか、お貞、……お貞。」
 と少しき込みて、絶え入るばかりにむせびつつ、しばらく苦痛を忍びしが、がらがらと血を吐きたり。
 いつもかかることのある際には、一刀ひとかたな浴びたるごとく、あおくなりてすがり寄りし、お貞は身動みうごきだもなし得ざりき。
 病者は自ら胸をいだきて、まなこねむること良久ひさしかりし、一際ひときわ声のからびつつ、
「こう謂えばな、親を蹴殺けころした罪人でも、一応は言訳をすることが出来るものをと、お前は無念に思うであろうが、法廷で論ずる罪は、囚徒が責任を負ってるのだ。
 今お前が言訳をして、今日からどんな優しい気になろうとも、とても助からない吾に取っては、何の利益も無いことで、死んでしまえば、それ、お前は日本晴で、可いことをしてたのしむんじゃ。そううまくはきっとさせない。言訳がましいことを謂うな。聞くような吾でもなし。またお前だってそうだ。人殺ひとごろしよりなおひどい、(死んでくれれば可い)と思うほどの度胸のある婦人おんなでないか。しっかりとしろ! うむ、お貞。」
 お貞はきっと顔を上げて、
「はい、決して申訳はいたしません。」
 といと潔よく言放てる、両の瞳の曇は晴れつ。旭光きょっこう一射霜を払いて、水仙たちまちりんとせり。
 病者は心地げにうなずきぬ。
し、よく聞け、お貞。人の死ぬのを一日待に待ち殺して、あとでよい眼を見ようというはずるいことだ。考えてみろ。お前は今までに人情の上から吾に数え切れない借があろう。それをな、その負債をな。今吾に返すんだ。吾はどうしても取ろうというのだ。」
 いと恐しき声にもおじず、お貞は一膝乗出のりいだして、看病疲れに繕わざる、乱れし衣紋えもんを繕いながら、胸を張りて、おもてを差向け、
「旦那、どうして返すんです。」
「離縁しよう。いまここで、この場から離縁しよう。死にかかっている吾を見棄てて、芳之助と手をいて、温泉へでも湯治にけ。だがな、お前は家附の娘だから、出てくことが出来ぬと謂えば、ナニ出て行くには及ばんから、床ずれがして寝返りも出来ない、この吾を、芳之助と二人でおぶって行って、姨捨山おばすてやまへ捨てるんだ。さ、どちらでも構わない。ただ、(人の妻たる者が、死にかかってる良人を見棄てた。)とこういうことが世間へ知れて、世の中の者がみんなその気でお前に附合えば、それで可い、それで可い。ちっとは負債が返せるのだ。
 しかし、これはお前には出来ぬこッた。お前は世間体というものを知ってるから、平生、吾が健全たっしゃな時でも、そんな事は※(「口+愛」、第3水準1-15-23)おくびにも出さないほどだ。それが出来るくらいなら、もうとっくに離別わかれてしまったに違いない。うむ、お貞、どうだ、それとも見棄てて、離縁が出来るか。」
 お貞は一思案にも及ばずして、
「はい、そんなことは出来ません。」
 病者はさもこそと思えるさまなり。
「それではお貞、お前のおもいで死なないうちに、……おれを殺せ。」
 としずかにいう。
「え、貴下あなたを!」
「うむ、おれを。お貞、ずるい根性を出さないで、表向おもてむきに吾を殺して、公然、良人殺しの罪人になるのだ。お貞、良人ころしの罪人になるのだ。うむお貞。
 吾を見棄てるか、吾を殺すか、うむ、どちらにするな。何でも負債を返さないでは、あんまり冥利みょうりが悪いでないか。いや、ないかどころでない! そうしなけりゃ許さんのだ。うむ、お貞、どっちにする、殺さないと、離縁にする!」
 といとおごそかに命じける。お貞は決する色ありて、
貴下あなた、そ、そんなことを、私にいってもいいほどのことがあるんですか。」
 声ふるわしてきっと問いぬ。
「うむ、ある。」
 と確乎かっことして、謂う時病者は傲然ごうぜんたりき。
 お貞はかの女が時々神経に異変をきたして、かしらあたかもるるがごとく、足はわななき、手はふるえ、満面あおくなりながら、身火しんか烈々身体からだを焼きて、こうとして、ぼうとして、ほとんど無意識に、されど深長なる意味ありて存するごとく、満身の気をまなこにこめて、その瞳をも動かさで、じっと人を目詰みつむれば他をして身の毛をよだたすことある、その時と同一おなじ容体ありさまにて、目まじろぎもせで、死せるがごとき時彦の顔をみまもりしが、俄然がぜん崩折くずおれて、ぶるぶると身震いして、飛着くごとく良人にすがりて、血を吐く一声夜陰を貫き、
「殺します、旦那、私はもう……」
 とわッとばかりに泣出しざま、なげうたれたらんかのごとく、障子とともにたおれ出でて、き、勝手もとやみを探りて、かれは得物を手にしたり。
 時彦ははじめのごとく顔の半ばに夜具をかつぎ、仰向あおむけに寝て天井を眺めたるまま、此方こなたを見向かんともなさずして、いともしずかに、ひややかに、着物の袖も動かさざりき。
 諸君、他日もし北陸に旅行して、ついでありて金沢をよぎりたまわん時、好事こうずの方々心あらば、通りがかりの市人に就きて、化銀杏ばけいちょうの旅店? と問われよ。老となく、少となく、皆直ちに首肯して、その道筋を教え申さむ。すなわち行きて一泊して、就褥しゅうじょくのちに御注意あれ。
 広き旅店の客少なく、夜半の鐘声しんとして、凄風せいふう一陣身に染む時、長き廊下の最端に、跫然きょうぜんたる足音あり寂寞せきばくを破り近着ききたりて、黒きものとうつる障子の外なる幻影の、諸君の寝息をうかがうあらむ。その時声を立てられな。もししわぶきをだにしたまわば、怪しき幻影は直ちに去るべし。忍びて様子をうかがいたまわば、すッと障子をあくると共に、銀杏返いちょうがえし背向うしろむきに、あとあし下りにり来りて、諸君の枕辺まくらべに近づくべし。その瞬時真白なる細き面影を一見して、思わず悚然しょうぜんとしたまわんか。トタンにくだんの幽霊は行燈あんどんの火を吹消ふっけして、暗中を走る跫音あしおと、遠く、遠く、遠くなりつつ、長き廊下の尽頭はずれに至りて、そのままハタとむべきなり。
 はいよいよ更けて、風寒きに、怪者の再来をおもんばかりて、諸君は一夜を待明かさむ。
 明くるを待ちて主翁あるじに会し、就きて昨夜の奇怪を問われよ。主翁は黙して語らざるべし。再び聞かれよ、強いられよ、なお強いられよ。主翁は拒むことあたわずして、愁然しゅうぜんとしてその実を語るべきなり。
 聞くのみにてはあき足らざらんか、主翁に請いて一室ひとまけ。密閉したる暗室内に俯向うつむき伏したる銀杏返の、その背と、もすその動かずして、あたかもなきがらのごとくなるを、ソト戸のすきより見るをべし。これけだし狂者の挙動なればとて、公判廷より許されし、良人を殺せし貞婦にして、旅店の主翁はその伯父なり。
 されど室内に立入りて、そのおもてを見んとせらるるとも、主翁は頑としてがえんぜざるべし。諸君涙あらば強うるなかれ。いかんとなれば、狂せるお貞は爾来じらい世の人に良人殺しの面を見られんを恥じて、長くこの暗室内に自らその身を封じたるものなればなり。かれ恐懼おそれて日光を見ず、もし強いて戸を開きて光明そのはだえに一注せば、渠は立処たちどころに絶して万事まむ。
 光をいとうことかくのごとし。されば深更一縷いちる燈火ともしびをもお貞は恐れて吹消ふっけし去るなり。
 渠はしかくきながら暗中に葬り去られつ。良人を殺せし妻ながら、諸君請うじょせられよ。あえて日光をあびせてもてこの憐むべき貞婦を射殺いころすなかれ。しかれどもその姿をのみ見て面を見ざる、諸君はさぞ本意ほいなからむ。さりながら、諸君より十層二十層、なお幾十層、ここに本意なき少年あり。渠は活きたるお貞よりもむしろその姉の幽霊を見んと欲して、なお且つしかするを得ざるものをや。

明治二十九(一八九六)年二月




 



底本:「泉鏡花集成2」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年4月24日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二卷」岩波書店
   1942(昭和17)年9月30日発行
初出:「文芸倶楽部」
   1896(明治29)年2月
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2006年7月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
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    「火+發」    153-7

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