四
要なければここには省く。少年はお蓮といえりし渠の姉が、少き時配偶を誤りたるため、放蕩にして軽薄なる、その夫判事なにがしのために虐遇され、精神的に殺されて入水して果てたりし、一条の惨話を物語りつ。語は簡に、意は深く、最もものに同情を表して、動かされ易きお貞をして、悲痛の涙に咽ばしめたり。 語を継ぎて少年言う。 「姉様もやっぱり酷いめにあわされるから、それで髯が嫌なんだろう。」 折からぶつぶつと湯の沸返りて、ぱっと立ちたる湯気に驚き、少年は慌しく鉄瓶の蓋を外し、お貞は身を斜になりて、茶棚より銅の水差を取下して急がわしく水を注しつ。 「いいえ、違うよ。私のはまた全く芳さんの姉さんとは反対で、あんまり深切にされるから、もう嫌で、嫌で、ならないんだわ。」 少年は太く怪み、 「そんな事っちゃアあるもんでない。何だって優しくされて、それで嫌だというがあるものか。」 「まあさ、お聞きなね。深切だといえば深切だが、どちらかといえば執着いのだわ。かいつまんで話すがね、ちょいと聞賃をあげるから。」 と菓子皿を取出して、盛りたる羊羹に楊枝を添え、 「一ツおあがり、いまお茶を入替えよう。」 と吸子の茶殻を、こぼしにあけ、 「芳ちゃんだから話すんだよ。誰にも言っちゃ不可いよ。実は私の父親は、中年から少し気が違ったようになって、とうとうそれでおなくなりなすったがね、親のことをいうようだけれど、母様は少し了簡違いをして、父親が病気のあいだに、私には叔父さんだ、弟ごと関着いたの。 するとお祖父さんのお計らいで、私が乳放れをするとすぐに二人とも追出して、御自分で私を育てて、十三の時までお達者だったが、ああ、十四の春だった。中風でお悩みなすってから、動くことも出来なくおなりで、家は広し、四方は明地で、穴のような処に住んでたもんだから、火事なんぞの心配はないのだけれど、盗賊にでも入られたら、それこそどうすることもならないのよ。お金子も少々あったそうだし。 雇いの婆さんは居たけれど、耳は遠いし、そんなことの助けにゃならず、祖父さんの看病も私一人では覚束なし、確な後見をといった処で、また後見なんていうものは、あとでよく間違が出来るものだから、それよりか、いっそ私に……というので、親類中で相談を極めて、とうとうあてがったのが今の旦那なの。 その頃ちょうど高等中学校を卒業したので、ま、宅へ来てから、東京へ出て、大学へ入ろうという相談でね、もともと内の緊りにもなってもらわなきゃあならないというんでさ、わざッと年の違ったのを貰ったもんだから、旦那は二十九で、私は十四。」 お貞は今吸子に湯をばささんとして、鉄瓶に手を懸けたる、片手を指折りて数えみつ。 「十五の違だね。もっとも晩学だとかいうので、大抵なら二十五六で、学士になるのが多いってね。」 「無論さ。」 と少年は傾聴しながら喙を容れたり。 お貞は煎茶を汲出だして、まず少年に与えつつ、 「何だか知らないけれど、御婚礼をした時分は、嬉しくもなく、恐くもなく、まるで夢中で、何とも思やしなかったが、実はおじいさんと二人ばかりで、他所の人の居ない方が、御膳を頂く時やなんか、私ゃ気が置けなくて可かったわ。 変に気が詰まって、他人の内へ泊にでも行ったようで、窮屈で、つまらなくッて、思ってみればその時分から旦那が嫌いだったかも知れないよ。でも大方甘やかされた癖で、我儘の方が勝ってたのであろうと思う。 そのうちお祖父さんも安心をなすったせいか、大層気分も好くなるし、いよいよ旦那が東京へたつというので、祝ってたたしたお酒の座で、ちっと飲ようが多かったのがもとになってね、旦那が出発をしたそのおひるすぎに、お祖父様は果敢なくおなりなすったのよ。私ゃもうその時は……」 とお貞は声をうるましたり。
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