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化銀杏(ばけいちょう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-23 10:26:42 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



       四

 要なければここには省く。少年はおれんといえりしかれの姉が、わかき時配偶を誤りたるため、放蕩ほうとうにして軽薄なる、その夫判事なにがしのために虐遇され、精神的に殺されて入水して果てたりし、一条の惨話を物語りつ。ことばは簡に、意は深く、最もものに同情を表して、動かされ易きお貞をして、悲痛の涙にむせばしめたり。
 語を継ぎて少年言う。
姉様ねえさんもやっぱりひどいめにあわされるから、それでひげが嫌なんだろう。」
 折からぶつぶつと湯の沸返にえかえりて、ぱっと立ちたる湯気に驚き、少年はあわただしく鉄瓶のふたを外し、お貞は身をななめになりて、茶棚よりあかがねの水差を取下して急がわしく水をしつ。
「いいえ、違うよ。私のはまた全く芳さんの姉さんとは反対あちこちで、あんまり深切にされるから、もう嫌で、嫌で、ならないんだわ。」
 少年はいたあやしみ、
「そんな事っちゃアあるもんでない。何だって優しくされて、それで嫌だというがあるものか。」
「まあさ、お聞きなね。深切だといえば深切だが、どちらかといえば執着しつこいのだわ。かいつまんで話すがね、ちょいと聞賃をあげるから。」
 と菓子皿を取出とりいだして、盛りたる羊羹ようかん楊枝ようじを添え、
「一ツおあがり、いまお茶を入替えよう。」
 と吸子の茶殻を、こぼしにあけ、
「芳ちゃんだから話すんだよ。誰にも言っちゃ不可いけないよ。実は私の父親おとっさんは、中年から少し気が違ったようになって、とうとうそれでおなくなりなすったがね、親のことをいうようだけれど、母様おっかさんは少し了簡違りょうけんちがいをして、父親おとっさんが病気のあいだに、私には叔父さんだ、弟ごと関着くッついたの。
 するとお祖父じいさんのお計らいで、私が放れをするとすぐに二人とも追出して、御自分で私を育てて、十三の時までお達者だったが、ああ、十四の春だった。中風ちゅうぶでお悩みなすってから、動くことも出来なくおなりで、うちは広し、四方は明地あきちで、穴のような処に住んでたもんだから、火事なんぞの心配はないのだけれど、盗賊どろぼうにでも入られたら、それこそどうすることもならないのよ。お金子かねも少々あったそうだし。
 雇いの婆さんは居たけれど、耳は遠いし、そんなことの助けにゃならず、祖父おじいさんの看病も私一人では覚束おぼつかなし、たしかな後見をといった処で、また後見なんていうものは、あとでよく間違が出来るものだから、それよりか、いっそ私に……というので、親類中で相談をめて、とうとうあてがったのが今の旦那なの。
 その頃ちょうど高等中学校を卒業したので、ま、うちへ来てから、東京へ出て、大学へ入ろうという相談でね、もともと内のしまりにもなってもらわなきゃあならないというんでさ、わざッと年の違ったのを貰ったもんだから、旦那は二十九で、私は十四。」
 お貞は今吸子に湯をばささんとして、鉄瓶に手を懸けたる、片手を指折りて数えみつ。
「十五のちがいだね。もっとも晩学だとかいうので、大抵なら二十五六で、学士になるのが多いってね。」
「無論さ。」
 と少年は傾聴しながらくちれたり。
 お貞は煎茶を汲出くみいだして、まず少年に与えつつ、
「何だか知らないけれど、御婚礼をした時分は、嬉しくもなく、こわくもなく、まるで夢中で、何とも思やしなかったが、実はおじいさんと二人ばかりで、他所よその人の居ない方が、御膳ごぜんを頂く時やなんか、私ゃ気が置けなくてかったわ。
 変に気が詰まって、他人ひとの内へとまりにでも行ったようで、窮屈で、つまらなくッて、思ってみればその時分から旦那が嫌いだったかも知れないよ。でも大方甘やかされた癖で、我儘わがままの方が勝ってたのであろうと思う。
 そのうちお祖父さんも安心をなすったせいか、大層気分もくなるし、いよいよ旦那が東京へたつというので、祝ってたたしたお酒の座で、ちっとのみようが多かったのがもとになってね、旦那が出発をしたそのおひるすぎに、お祖父さん果敢はかなくおなりなすったのよ。私ゃもうその時は……」
 とお貞は声をうるましたり。

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