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家(いえ)2 (下巻)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-8 10:50:37 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 家(下)
出版社: 新潮文庫、新潮社
初版発行日: 1955(昭和30)年5月10日、1968(昭和43)年4月30日第18刷改版
入力に使用: 1998(平成10)年9月5日第50刷

 

      一

 橋本の正太は、叔父を訪ねようとして、両側に樹木の多い郊外の道路へ出た。
 叔父の家は広い植木屋の地内で、金目垣(かなめがき)一つ隔てて、直(じか)にその道路へ接したような位置にある。垣根の側(わき)には、細い乾いた溝(みぞ)がある。人通りの少い、真空のように静かな初夏の昼過で、荷車の音もしなかった。垣根に近い窓のところからは、叔母のお雪が顔を出して、格子に取縋(とりすが)りながら屋外(そと)の方を眺(なが)めていた。
 正太は窓の下に立った。丁度その家の前に、五歳(いつつ)ばかりに成る児(こ)が余念もなく遊んでいた。
「叔母さん、菊(きい)ちゃんのお友達?」
 心易(やす)い調子で、正太はそこに立ったままお雪に尋ねてみた。子供は、知らない大人に見られることを羞(は)じるという風であったが、馳出(かけだ)そうともしなかった。
 短い着物に細帯を巻付けたこの娘の様子は、同じ年頃のお菊のことを思出させた。
 お雪が夫と一緒に、三人の娘を引連れ、遠く山の上から都会の方へ移った時は、新しい家の楽みを想像して来たものであった。引越の混雑(ごたごた)の後で、三番目のお繁――まだ誕生を済ましたばかりのが亡くなった。丁度それから一年過ぎた。復(ま)た二番目のお菊が亡くなった。あのお菊が小さな下駄を穿(は)いて、好きな唱歌を歌って歩くような姿は、最早家の周囲(まわり)に見られなかった。
 姉のお房とは違い、お菊の方は遊友達も少なかった。「菊ちゃん、お遊びなさいな」と言って、よく誘いに来たのはこの近所の娘である。
 道路には日があたっていた。新緑の反射は人の頭脳(あたま)の内部(なか)までも入って来た。明るい光と、悲哀(かなしみ)とで、お雪はすこし逆上(のぼせ)るような眼付をした。
「まあ、正太さん、お上んなすって下さい」
 こう叔母に言われて、正太は垣根越しに家(うち)の内(なか)を覗(のぞ)いて見た。
「叔父さんは?」
一寸(ちょっと)歩いて来るなんて、大屋さんの裏の方へ出て行きました」
「じゃ、私も、お裏の方から廻って参りましょう」
 正太はその足で、植木屋の庭の方へ叔父を見つけに行くことにした。
 この地内には、叔父が借りて住むと同じ型の平屋(ひらや)がまだ外(ほか)にも二軒あって、その板屋根が庭の樹木を隔てて、高い草葺(くさぶき)の母屋(もや)と相対していた。植木屋の人達は新茶を造るに忙(せわ)しい時であった。縁日(えんにち)向(むけ)の花を仕立てる畠(はたけ)の尽きたところまで行くと、そこに木戸がある。その木戸の外に、茶畠、野菜畠などが続いている。畠の間の小径(こみち)のところで正太は叔父の三吉と一緒に成った。


 新開地らしい光景(ありさま)は二人の眼前(めのまえ)に展(ひら)けていた。ところどころの樹木の間には、新しい家屋が光って見える。青々とした煙も立ち登りつつある。
 三吉は眺め入って、
「どうです、正太さん、一年ばかりの間に、随分この辺は変りましたろう」
 と弟か友達にでも話すような調子で言って、茶畠の横手に養鶏所の出来たことなどまで正太に話し聞せた。
 何となく正太は元気が無かった。彼の上京は、叔父が長い仕事を持って山を下りたよりも早かった。一頃は本所辺に小さな家を借りて、細君の豊世と一緒に仮の世帯(しょたい)を持ったが、間もなくそこも畳んで了(しま)い、細君は郷里(くに)へ帰し、それから単独(ひとり)に成って事業(しごと)の手蔓(てづる)を探した。彼の気質は普通の平坦(たいら)な道を歩かせなかった。乏しい旅費を懐(ふところ)にしながら、彼は遠く北海道から樺太(からふと)まで渡り、空(むな)しくコルサコフを引揚げて来て、青森の旅舎(やどや)で酷(ひど)く煩(わずら)ったこともあった。もとより資本あっての商法では無い。磐城炭(いわきたん)の売込を計劃したことも有ったし、南清(なんしん)地方へ出掛けようとして、会話の稽古までしてみたことも有った。未だ彼はこれという事業(しごと)に取付かなかった。唯(ただ)、焦心(あせ)った。
 そればかりでは無い。叔父という叔父は、いずれも東京へ集って来ている。長いこと家に居なかった実叔父は壮健(たっしゃ)で帰って来ている。森彦叔父は山林事件の始末をつけて、更に別方面へ動こうとしている。三吉叔父も、漸(ようや)く山から持って来た仕事を纏(まと)めた。早く東京で家を持つように成ろう、この考えは正太の胸の中を往来していた。
 動き光る若葉のかげで、三吉、正太の二人はしばらく時を移した。やがて庭の方へ引返して行った。荵(しのぶ)を仕立てる場所について、植木室(うえきむろ)の側を折れ曲ると、そこには盆栽棚が造り並べてある。香の無い、とは言え誘惑するように美しい弁(べん)の花が盛んに咲乱れている。植木屋の娘達は、いずれも素足に尻端折(しりはしょり)で、威勢よく井戸の水を汲(く)んでいるのもあれば、如露(じょうろ)で花に灑(そそ)いでいるのもあった。三吉は自分の子供に逢(あ)った。
「房ちゃん」
 と正太も見つけて呼んだ。
 お房は、耳のあたりへ垂下(たれさが)る厚い髪の毛を煩(うる)さそうにして、うっとりとした眼付で二人の方を見た。何処(どこ)か気分のすぐれないこの子供の様子は、余計にその容貌(おもばせ)を娘らしく見せた。
「叔父さん、まだ房ちゃんは全然(すっかり)快(よ)くなりませんかネ」
「どうも、君、熱が出たり退(ひ)いたりして困る。二人ばかり医者にも診(み)て貰いましたがネ。大して悪くもなさそうですが、快くも成らない―なんでも医者の言うには腸から来ている熱なんだそうです。」
 こんな話をしながら、二人はお房を連れて、庭づたいに井戸のある方へ廻った。
「でも、房ちゃんは余程姉さんらしく成りましたネ」
 と正太は木犀(もくせい)の樹の側を通る時に言った。
 この木犀は可成(かなり)の古い幹で、細長い枝が四方へ延びていた。それを境に、疎(まばら)な竹の垣を繞(めぐ)らして、三吉の家の庭が形ばかりに区別してある。
「お雪、房ちゃんに薬を服(の)ましたかい」
 と三吉は庭から尋ねてみた。正太も縁側のところへ腰掛けた。
「どういうものか、房ちゃんはあんな風なんですよ」とお雪はそこへ来て、娘の方を眺めながら言った。「すこし屋外(そと)へ遊びに出たかと思うと、直に帰って来て、ゴロゴロしてます。今も、父さん達のところへ行って見ていらっしゃいッて、私が無理に勧めて遣(や)ったんですよ」


 長い労作の後で、三吉も疲れていた。不思議にも彼は休息することが出来なかった。唯(ただ)疲労に抵抗するような眼付をしながら、甥(おい)と一緒に庭へ向いた部屋へ上った。
「正太さん、大屋さんから新茶を貰いました――一つ召上ってみて下さい」
 こう言ってお雪が持運んで来た。三吉は、その若葉の香を嗅(か)ぐようなやつを、甥にも勧め、自分でも啜(すす)って、仕事の上の話を始めた。彼の話はある露西亜(ロシア)人のことに移って行った。その人のことを書いた本の中に、細君が酢乳(すぢち)というものを製(こしら)えて、著作で労(つか)れた夫に飲ませたというところが有った。それを言出した。
「ああいう強壮な体格を具(そな)えた異人ですらもそうかナア、と思いましたよ。なにしろ、僕なぞは随分無理な道を通って来ましたからネ。仕事が済んで、いよいよそこへ筆を投出した時は――その心地(こころもち)は、君、何とも言えませんでした。部屋中ゴロゴロ転(ころ)がって歩きたいような気がしました」
 正太は笑わずにいられなかった。
 三吉は言葉を継いで、「自分の行けるところまで行ってみよう――それより外に僕は何事(なんに)も考えていなかったんですネ。一方へ向いては艱難(かんなん)とも戦わねばならずサ。それに子供は多いと来てましょう。ホラ、あのお繁の亡くなった時には、山から書籍(ほん)を詰めて持って来た茶箱を削(けず)り直して貰って、それを子供の棺にして、大屋さんと二人で寺まで持って行きました。そういう勢でしたサ。お繁が死んでくれて、反(かえ)って難有(ありがた)かったなんて、串談(じょうだん)半分にも僕はそんなことをお雪に話しましたよ……ところが君、今度は家のやつが鳥目などに成るサ……」
「そうそう」と正太も思出したように、「あの時はエラかった。私も新宿まで鶏肉(とり)を買いに行ったことが有りました」
「そんな思をして骨を折って、漸くまあ何か一つ為(し)た、と思ったらどうでしょう。復たお菊が亡くなった。僕は君、悲しいなんていうところを通越(とおりこ)して、呆気(あっけ)に取られて了(しま)いました――まるで暴風にでも、自分の子供を浚(さら)って持って行かれたような――」
 思わず三吉はこんなことを言出した。この郊外へ引移ってから、彼の家では初めての男の児が生れていた。種夫(たねお)と言った。その乳呑児(ちのみご)を年若な下婢(おんな)に渡して置いて、やがてお雪も二人の話を聞きに来た。
「どんなにか叔母さんも御力落しでしょう」と正太はお雪の方へ向いて、慰め顔に、「郷里(くに)の母からも、その事を手紙に書いて寄(よこ)しました」
「菊ちゃんが死んじゃったんでは、真実(ほんと)にツマリません」とお雪が答える。
此頃(こないだ)は君、大変な婦人(おんな)が僕の家へ舞込んで来ました」と三吉が言ってみた。「――切下げ髪にして、黒い袴(はかま)を穿(は)いてネ。突然(いきなり)入って来たかと思うと、説教を始めました。恐しい権幕(けんまく)でお雪を責めて行きましたッけ」
「大屋さんの御親類」とお雪も引取って、「その人が言うには、なんでも私の信心が足りないんですッて――ですから私の家には、こんなに不幸ばかり続くんですッて――この辺は、貴方(あなた)、それは信心深い処なんですよ」こう正太に話し聞かせた。
 不安な眼付をしながら、三吉は家の中を眺め廻した。中の部屋の柱のところには、お房がリボンの箱などを取出して、遊びに紛れていた。三吉は思付いたように、お房の方へ立って行った。一寸(ちょっと)、子供の額へ手を宛(あ)ててみて、復た正太の前に戻った。
 その時、表の格子戸の外へ来て、何かゴトゴト言わせているものが有った。
「菊ちゃんのお友達が来た」
 と言って、お雪は玄関の方へ行ってみた。しばらく彼女は上(あが)り端(はな)の障子のところから離れなかった。
「オイ、菓子でもくれて遣りナ」
 と夫に言われて、お雪は中の部屋にある仏壇の扉(と)を開けた。そして、新しい位牌(いはい)に供えてあった物を取出した。近所の子供が礼を言って、馳出(かけだ)して行った後でも、まだお雪は耳を澄まして、小さな下駄の音に聞入った。


 女学生風の袴を着けた娘がそこへ帰って来た。お延(のぶ)と言って、郷里(くに)から修行に出て来た森彦の総領――三吉が二番目の兄の娘である。この娘は叔父の家から電車で学校へ通っていた。
「兄さん、被入(いらっ)しゃい」
 とお延は正太に挨拶(あいさつ)した。従兄妹(いとこ)同志の間ではあるが日頃正太のことを「兄さん、兄さん」と呼んでいた。
 毎日のようにお雪は子供の墓の方へ出掛けるので――尤(もっと)も、寺も近かったから――その日もお延を連れて行くことにした。後に残った三吉と正太とは、互に足を投出したり、寝転んだりして話した。
 その時まで、正太は父の達雄のことに就(つ)いて、何事(なんに)も話さなかった。遽(にわ)かに、彼は坐り直した。
「まだ叔父さんにも御話しませんでしたが、漸く吾家(うち)の阿父(おやじ)の行衛(ゆくえ)も分りました」
 こんなことを言出した。久しく居所(いどころ)さえも不明であった達雄のことを聞いて、三吉も身を起した。
「先日、Uさんが神戸の方から出て来まして、私に逢いたいということですから――」と言って、正太は声を低くして、「その時Uさんの話にも、阿父も彼方(あちら)で教員してるそうです。まあ食うだけのことには困らん……それにしても、あんなに家を滅茶滅茶(めちゃめちゃ)にして出て行った位ですから、もうすこし阿父も何か為(す)るかと思いましたよ」
「あの若い芸者はどうしましたろう――達雄さんが身受をして連れて行ったという少婦(おんな)が有るじゃありませんか」
「あんなものは、最早疾(とっく)にどうか成って了いましたあね」
「そうかナア」
「で、叔父さん、Uさんが言うには、考えて見れば橋本さんも御気の毒ですし、ああして唯孤独(ひとり)で置いてもどうかと思うからして、せめて家族の人と手紙の遣取(やりとり)位はさせて進(あ)げたいものですッて」
「では、何かネ、君は父親(おとっ)さんと通信(たより)を始める積りかネ」と三吉が尋ねた。
否(いいえ)」正太の眼は輝いた。「勿論(もちろん)――私が書くべき場合でもなし、阿父にしたところが書けもしなかろうと思います。そりゃあもう、阿父が店のものに対しては、面向(かおむけ)の出来ないようなことをして行きましたからネ。唯、母が可哀そうです……それを思うと、母だけには内証でも通信させて遣(や)りたい。Uさんが間に立ってくれるとも言いますから」
 こういう甥の話は、三吉の心を木曾川(きそがわ)の音のする方へ連れて行った。旧(ふる)い橋本の家は、曾遊(そうゆう)の時のままで、未だ彼の眼にあった。
「変れば変るものさネ。君の家の姉さんのことも、豊世さんのことも、君のことも――何事(なんに)も達雄さんは知るまいが。ホラ、僕が君の家へ遊びに行った時分は、達雄さんも非常に勤勉な人で、君のことなぞを酷(ひど)く心配していたものですがナア。あの広い表座敷で、君と僕と、よく種々(いろいろ)な話をしましたッけ。あの時分、君が言ったことを、僕はまだ覚えていますよ」
「あの時分は、全然(まるで)私は夢中でした」と正太は打消すように笑って、「しかし、叔父さん、私の家を御覧なさい――不思議なことには、代々若い時に家を飛出していますよ。第一、祖父(おじい)さんがそうですし――阿父(おやじ)がそうです――」
「へえ、君の父親さんの若い時も、やはり許諾(ゆるし)を得ないで修業に飛出した方かねえ」
「私だってもそうでしょう――放縦な血が流れているんですネ」
 と正太は言ってみたが、祖父の変死、父の行衛などに想(おも)い到った時は、妙に笑えなかった。
 やがて庭にある木犀の若葉が輝き初めた。お雪は姪(めい)と連立って、急いで帰って来た。彼女の袂(たもと)の中には、娘の好きそうなものが入れてあった。買物のついでに、ある雑貨店から求めて来た毛糸だ。それをお房にくれた。
「今し方まで菊ちゃんのお墓に居たものですから、こんなに遅くなりました――延ちゃんと二人でさんざん泣いて来ました」
 こうお雪は夫に言って、いそいそと台所の方へ行って働いた。
 正太がこの郊外へ訪ねて来る度(たび)に、いつも叔父は仕事々々でいそがしがっていて、その日のようにユックリ相手に成ったことはめずらしかった。夕飯の仕度(したく)が出来るまで、二人は表の方の小さな部屋へ行ってみた。畠から鍬(くわ)を舁(かつ)いで来た農夫、町から戻って来た植木屋の職人――そういう人達は、いずれも一日の労働を終って窓の外を通過ぎる。
 三吉は窓のところに立って、ションボリと往来の方を眺めながら、
「どうかすると、こういう夕方には寂しくて堪(た)えられないようなことが有るネ――それが、君、何の理由も無しに」
「私の今日(こんにち)の境涯では猶更(なおさら)そうです――しかし、叔父さん、そういう感じのする時が、一番心は軟かですネ」
 こう正太が答えた。次第に暮れかかって来た。その部屋の隅(すみ)には、薄暗い壁の上に、別に小窓が切ってあって、そこから空気を導くようになっている。青白い、疲れた光線は、人知れずその小障子のところへ映っていた。正太はそれを夢のように眺めた。
 夕飯はお雪の手づくりのもので、客と主人とだけ先に済ました。未だ正太は言いたいことがあって、それを言い得ないでいるという風であったが、到頭三吉に向ってこう切出した。
「実は――今日は叔父さんに御願いが有って参りました」
 他事(ほか)でも無かった。すこし金を用立ててくれろというので有った。これまでもよく叔父のところへ、五円貸せ、十円貸せ、と言って来て、樺太(からふと)行の旅費まで心配させたものであった。
「そんなに君は困るんですか」と三吉は正太の顔を見た。「郷里(くに)の方からでも、すこし兵糧(ひょうろう)を取寄せたら可いじゃ有りませんか」
「そこです」と正太は切ないという容子(ようす)をして、「なるべく郷里へは言って遣りたくない……ああして、店は店で、若い者が堅めていてくれるんですからネ」
 萎(しお)れた正太を見ると、何とかして三吉の方ではこの甥の銷沈(しょうちん)した意気を引立たせたく思った。彼はいくらかを正太の前に置いた。それがどういう遣(つか)い道の金であるとも、深く鑿(ほ)って聞かなかった。
 やがて正太は自分の下宿を指して帰って行った。後で、お雪は台所の方を済まして出て来て、夫と一緒に釣洋燈(つりランプ)の前に立った。
「正太さんは、未だ、何事(なんに)も為(な)すっていらッしゃらないんでしょうか」
「どうも思わしい仕事が無さそうだ。石炭をやってみたいとか、何とか、来る度に話が変ってる。何卒(どうか)して早く手足を延ばすようにして遣りたいものだネ――あの人も、橋本の若旦那(わかだんな)として置けば、立派なものだが――」
 こういう言葉を交換(とりかわ)して置いて、夫婦は同じようにお房の様子を見に行った。


 お房の発熱は幾日となく続いた。庭に向いた部屋へ子供の寝床を敷いて、その枕頭(まくらもと)へお雪は薬の罎(びん)を運んだ。鞠(まり)だの、キシャゴだの、毛糸の巾着(きんちゃく)だの、それから娘の好きな人形なぞも、運んで行った。お房は静止(じっと)していなかった。臥(ね)たり起きたりした。
 ある日、三吉は町から買物して、子供の方へ戻って来た。父の帰りと聞いて、お房は寝衣(ねまき)のまま、床の上に起直った。そして、家の周囲(まわり)に元気よく遊んでいる近所の娘達を羨(うらや)むような様子して、子供らしい眼付で父の方を見た。
「房ちゃん、御土産(おみや)が有るぜ」
 と三吉は美しい色のリボンをそこへ取出した。彼は、食のすすまない子供の為(ため)にと思って、ミルク・フッドなども買求めて来た。
「へえ、こんな好いのをお父さんに買って頂いたの」
 とお雪もそこへ来て言って、そのリボンを子供に結んでみせた。
「房ちゃんは何か食べたかネ」と三吉は妻に尋ねた。
「お昼飯(ひる)に、お粥(かゆ)をホンのぽっちり――牛乳は厭(いや)だって飲みませんし――真実(ほんと)に、何物(なんに)も食べたがらないのが一番心配です」
「ねえ、房ちゃん、御医者様の言うことを聞いて、早く快(よ)く成ろうねえ。そうすると、父さんが房ちゃんに好く似合うような袴を買ってくれるよ」
 こう父に言われて、お房は唯黙頭(うなず)いた。やがて復(ま)た横に成った。
「ああ、父さんも疲れた」と三吉は子供の側へ身体(からだ)を投出すようにした。「菊ちゃんが居なくなって、急に家の内が寂しく成ったネ。ホラ、父さんが仕事をしてる時、机の前に二人並べて置いて、『父さんが好きか、母さんが好きか』と聞くと、房ちゃんは直に『父さん』と言うし――菊ちゃんの方は暫時(しばらく)考えていて、『父さんと母さんと両方』だトサ――あれで、菊ちゃんも、ナカナカ外交家だったネ」
何方(どっち)が外交家だか知れやしない」とお雪は軽く笑った。
 病児を慰めようとして、三吉は種々なことを持出した。山に居る頃はお房もよく歌った兎(うさぎ)の歌のことや、それからあの山の上の家で、居睡(いねむり)してはよく叱られた下婢(おんな)が蛙(かわず)の話をしたことなぞを言出した。七年の長い田舎(いなか)生活の間、あの石垣の多い傾斜の方で、毎年のように旅の思をさせた蛙の声は、まだ三吉の耳にあった。それを子供に真似(まね)て聞かせた。
「ヒョイヒョイヒョイヒョイヒョイ……グッグッ……グッグッ……」
「いやあな父さん」
 とお房は寝ながら父の方を見て言った。自然と出て来た微笑(えみ)は僅(わず)かにその口唇(くちびる)に上った。
「房ちゃん、母さんが好い物を造(こしら)えて来ましたよ――すこし飲んでみておくれな」
 とお雪は夫が買って来たミルク・フッドを茶碗(ちゃわん)に溶かして、匙(さじ)を添えて持って来た。子供は香ばしそうな飲料(のみもの)を一寸味(あじわ)ったばかりで、余(あと)は口を着けようともしなかった。その晩から、お房は一層激しい発熱の状態(ありさま)に陥った。何となくこの児の身体には異状が起って来た。
真実(ほんと)に、串談(じょうだん)じゃ無いぜ」
 と三吉は物に襲われるような眼付をして、いかにしてもお房ばかりは救いたいということを妻に話した。不思議な恐怖は三吉の身体を通過ぎた。お雪も碌(ろく)に眠られなかった。
 翌々日、お房は病院の方へ送られることに成った。病み震えている娘を抱起すようにして、母は汚(よご)れた寝衣を脱がせた。そして、山を下りる時に着せて連れて来たヨソイキの着物の筒袖(つつそで)へ、お房の手を通させた。
「まあ、こんなに熱いんですよ」
 とお雪が言うので、三吉はコワゴワ子供に触(さわ)ってみた。お房の身体は火のように熱かった。
「病院へ行って御医者様に診(み)て頂くんだよ――シッカリしておいでよ」と三吉は娘を励ました。
「母さん……前髪をとって頂戴(ちょうだい)な」
 熱があっても、お房はこんなことを願って、リボンで髪を束ねて貰った。
 頼んで置いた車が来た。先(ま)ずお雪が乗った。娘は、父に抱かれながら門の外へ出て、母の手に渡された。下婢(おんな)は乳呑児の種夫を連れて、これも車でその後に随(したが)った。
「延、叔父さんもこれから行って見て来るからネ、お前に留守居を頼むよ」
 こう三吉は姪に言い置いて、電車で病院の方へ廻ることにした。慌(あわただ)しそうに彼は家を出て行った。


 留守には、親類の人達、近く郊外に住む友人などが、かわるがわる見舞に来た。「延ちゃん、お淋(さび)しいでしょうねえ」と庭伝いに来て言って、娘を慰める小学校の女教師もあった。子供の病が重いと聞いて、お雪は言うに及ばず、三吉まで病院を離れないように成ってからは、二番目の兄の森彦が泊りに来た。森彦は夕方に来て、朝自分の旅舎(やどや)へ帰った。
 相変らず家の内はシンカンとしていた。道路(みち)を隔てて、向側の農家の方で鳴く鶏の声は、午後の空気に響き渡った。強い、充実した、肥(ふと)った体躯(からだ)に羽織袴を着け、紳士風の帽子を冠(かぶ)った人が、門の前に立った。この人が森彦だ――お延の父だ。その日は、お房が入院してから一週間余に成るので、森彦も病院へ見舞に寄って、例刻(いつも)よりは早く自分の娘の方へ来た。
阿父(おとっ)さん」
 とお延は出て迎えた。
 郷里(くに)を出て長いこと旅舎生活(やどやずまい)をする森彦の身には、こうして娘と一緒に成るのがめずらしくも有った。傍(そば)へ呼んで、病院の方の噂(うわさ)などをする娘の話振を聞いてみた。田舎から来てまだ間も無いお延が、都会の娘のように話せないのも無理はない、などと思った。
「どうだね、お前の頭脳(あたま)の具合は――此頃(こないだ)もここの叔父さんが、どうも延は具合が悪いようだから、暫時(しばらく)学校を休ませてみるなんて言った――そんな勇気の無いこっちゃ、ダチカン」
 思わず森彦は郷里(くに)の方の言葉を出した。そして、旧家の家長らしい威厳を帯びた調子で、博愛、忍耐、節倹などの人としての美徳であることを語り聞かせた。久しく森彦の傍に居なかったお延は、何となく父を憚(はばか)るという風で、唯黙って聞いていた。
「や、菓子をくれるのを忘れた」
 と森彦は思付いたように笑って、袂の内から紙の包を取出した。やがて、家の内を眺め廻しながら、
「どうもここの家は空気の流通が好くない。此頃(こないだ)から俺はそう思っていた。それに、ここの叔父さんのようにああ煙草(たばこ)をポカポカ燻(ふか)したんじゃ……俺なぞは、毎晩休む時に、旅舎の二階を一度明けて、すっかり悪い空気を追出してから寝る。すこしでも煙草の煙が籠(こも)っていようものなら、もう俺は寝られんよ」
 こうお延に話した。彼は娘から小刀を借りて、部屋々々の障子の上の部分をすこしずつ切り透(すか)した。
「延――それじゃ俺はこれで帰るがねえ」
「あれ、阿父さんは最早御帰りに成るかなし」
「今日は叔父さんも一寸帰って来るそうだし――そうすれば俺は居なくても済む。丁度好い都合だった。これからもう一軒寄って行くところが有る。復た泊りに来ます」


 家の方を案じて、三吉は夕方に病院から戻った。留守中、訪ねて来てくれた人達のことを姪から聞取った。
只今(ただいま)」
 と三吉は縁側のところへ出て呼んだ。
「オヤ、小泉さん、お帰りで御座いましたか」
 庭を隔てて対(むか)い合っている裏の家からは、女教師の答える声が聞えた。
 女教師は自分の家の格子戸をガタガタ言わせて出た。井戸の側(わき)から、竹の垣を廻って、庭伝いに三吉の居る方へやって来た。中学へ通う位の子息(むすこ)のある年配で、ハッキリハッキリと丁寧に物なぞも言う人である。
「房子さんは奈何(いかが)でいらっしゃいますか。先日一寸(ちょっと)御見舞に伺いました時も、大層御悪いような御様子でしたが――真実(ほんと)に、私は御気の毒で、房子さんの苦しむところを見ていられませんでしたよ」
 こう女教師は庭に立って、何処か国訛(くになまり)のある調子で言った。その時三吉は、簡単にお房の病気の経過を話して、到底助かる見込は無いらしいと歎息した。お延も縁側に出て、二人の話に耳を傾けた。
「もし万一のことでも有りそうでしたら、病院から電報を打つ……医者がそう言ってくれるものですから、私もよく頼んで置いて、一寸用達(ようたし)にやって参りました」と三吉は附添(つけた)した。
「まあ、貴方のところでは、どうしてこんなに御子さん達が……必(きっ)と御越に成る方角でも悪かったんでしょうッて、大屋さんの祖母(ばあ)さんがそう申しますんですよ。そんなことも御座いますまいけれど……でも、僅か一年ばかりの間に、皆さんが皆さん――どう考えましても私なぞには解りません」と言って、女教師は思いやるように、「あのまあ房子さんが、病院中へ響けるような声を御出しなすって、『母さん――母さん――』と呼んでいらッしゃいましたが、母さんの身に成ったらどんなで御座いましょう……そう申して、御噂(おうわさ)をしておりますんですよ」
「一週間、ああして呼び続けに呼んでいました―最早あの声も弱って来ました」と三吉は答えた。
 女教師が帰って行く頃は、植木屋の草屋根と暗い松の葉との間を通して、遠く黄に輝く空が映った。三吉は庭に出た。子供のことを案じながら、あちこちと歩いてみた。
 夕飯の後、三吉は姪に向って、
「延、叔父さんはこの一週間ばかり碌に眠らないんだからネ……今夜は叔父さんを休ませておくれ。お前も、頭脳(あたま)の具合が悪いようなら、早く御休み」
 こう言って置いて、その晩は早く寝床に就(つ)いた。
 何時(いつ)電報が掛って来るか知れないという心配は、容易に三吉を眠らせなかった。身体に附いて離れないような病院特別な匂いが、プーンと彼の鼻の先へ香(にお)って来た。その匂いは、何時の間にか、彼の心をお房の方へ連れて行った。電燈がある。寝台(ねだい)がある。子供の枕頭(まくらもと)へは黒い布(きれ)を掛けて、光の刺激を避けるようにしてある。その側には、妻が居る。附添の女が居る。種夫や下婢(おんな)も居る。白い制服を着た看護婦は病室を出たり入ったりしている。未だお房は、子供ながらに出せるだけの精力を出して、小さな頭脳(あたま)の内部(なか)が破壊(こわ)れ尽すまでは休(や)めないかのように叫んでいる――思い疲れているうちに、三吉は深いところへ陥入るように眠った。
 翌日(あくるひ)は、午前に三吉が留守居をして、午後からお延が留守居をした。
「叔母さん達のように、ああして子供の側に附いていられると可(い)いけれど――叔父さんは、お前、お金の心配もしなけりゃ成らん」
 こんなことを言って出て行った三吉は、やがて用達から戻って来て、復(ま)た部屋に倒れた。何時の間にか、彼は死んだ人のように成った。
「母さん――」
 こういう呼声に気が付いて、三吉が我に返った頃は、遅かった。彼は夕飯後、しばらく姪と病院の方の噂をして、その晩も早く寝床に入ったが、自分で何時間ほど眠ったかということは知らなかった。次の部屋には、姪がよく寝入っている。身体を動かさずにいると、可恐(おそろ)しい子供の呼声が耳の底の方で聞える。「母さん、母さん、母さん――母さんちゃん――ちゃん――ちゃん――ちゃん」宛然(まるで)、気が狂(ちが)ったような声だ……それは三吉の耳について了(しま)って、何処に居ても頭脳(あたま)へ響けるように聞えた。
 夢のように、門を叩(たた)く音がした。
「小泉さん、電報!」
 むっくと三吉は跳起(はねお)きた。表の戸を開けて、受取って見ると、病院から打って寄(よこ)したもので、「ミヤクハゲシ、スグコイ」とある。お延を起す為に、三吉は姪の寝ている方へ行った。この娘は一度「ハイ」と返事をして、復た寝て了った。
「オイ、オイ、病院から電報が来たよ」
「あれ、真実(ほんと)かなし」とお延は田舎訛(いなかなまり)で言って、床の上に起直った。「私は夢でも見たかと思った」
「叔父さんは直に仕度をして出掛る。気の毒だが、お前、車屋まで行って来ておくれ」
 と叔父に言われて、お延は眼を擦(こす)り擦り出て行った。
 三吉が家の外に出て、車を待つ頃は、まだ電車は有るらしかった。稲荷祭(いなりまつり)の晩で、新宿の方の空は明るい。遠く犬の吠(ほ)える声も聞える。そのうちに車が来た。三吉は新宿まで乗って、それから電車で行くことにした。
「延、お前は独(ひと)りで大丈夫かネ」
 と三吉は留守を頼んで置いて出掛けた。お延は戸を閉めて入った。冷い寝床へ潜(もぐ)り込んでからも、種々なことを小さな胸に想像してみた時は、この娘もぶるぶる震えた。叔父が新宿あたりへ行き着いたかと思われる頃には、ポツポツ板屋根の上へ雨の来る音がした。
 復た家の内は寂寞(せきばく)に返った。

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