家具という家具は動き始めた。寝る道具から物を食う道具まで互に重なり合って、門の前にある荷車の上に積まれた。 「種ちゃん、彼方(あっち)のお家の方へ行くんですよ」 とお雪は下婢(おんな)の背中に居る子供に頭巾(ずきん)を冠(かぶ)せて置いて、庭伝いに女教師の家や植木屋へ別れを告げに行った。こうして、思出の多い家を出て、お雪は夫より一足先に娘達の墳墓の地を離れた。 町中にある家へ、彼女が子供や下婢と一緒に着いた時は、お延が皆なを待受けていた。そこは、往時(もと)女髪結で直樹の家へ出入して、直樹の母親の髪を結ったという老婆(ばあさん)が見つけてくれた家であった。その老婆の娘で、直樹の父親の着物なぞを畳んだことのある人が、今では最早(もう)十五六に成る娘から「母親(おっか)さん」と言われる程の時代である。極(ご)く近く住むところから、その人達が土瓶(どびん)や湯沸(ゆわかし)を提(さ)げて見舞に来てくれた。お雪は手拭(てぬぐい)を冠ったり脱(と)ったりした。 静かな郊外に住慣れたお雪の耳には、種々な物売の声が賑(にぎや)かに聞えて来た。勇ましい鰯売(いわしうり)の呼声、豆腐屋の喇叭(らっぱ)、歯入屋の鼓、その他郊外で聞かれなかったようなものが、家の前を通る。表を往(い)ったり来たりする他の主婦(かみさん)で、彼女のように束髪にした女は、殆(ほと)んど無いと言っても可(い)い。この都会の流行に後(おく)れまいとする人々の髪の形が、先(ま)ず彼女を驚かした。 実の家からは、例の箪笥(たんす)や膳箱(ぜんばこ)などを送り届けて来た。いずれも東京へ出て来てからの実の生活の名残だ。大事に保存された古い器物ばかりだ。お雪はそれを受取って、自分の家の飾りとするのも気の毒に思った。 夫は荷物と一緒に着いた。 「こういうところで、田舎風の生活をして見るのも面白いじゃないか」 と三吉はお雪に言った。お雪はよく働いた。夕方までには、大抵に家の内が片付いた。荷車に積んで来たゴチャゴチャした家具は何処(どこ)へ納まるともなく納まった。改まった畳の上で、お雪は皆なと一緒に、楽しそうに夕飯の膳に就(つ)いた。 暮れてから、かわるがわる汗を流しに行った女達は、あまり風呂場が明る過ぎてキマリが悪い位だった、と言って帰って来た。下婢は眼を円くして飛んで来て、「この辺では、荒物屋の内儀(おかみ)さんまで三味線を引いています」とお雪に話した。長唄や常磐津(ときわず)が普通の家庭にまで入っていることは、田舎育ちの下婢にめずらしく思われたのである。 「延ちゃん、一寸そこまで見に行って来ましょう」 とお雪は姪を誘った。 郊外の夜に比べると、数えきれないほどの町々の灯がお雪の眼にあった。紅――青――黄――と一口に言って了(しま)うことの出来ない、強い弱い種々(さまざま)な火の色が、そこにも、ここにも、都会の夜を照らしていた。お雪と姪とは、互に明るく映る顔を見合せた。二人は手を引き合って歩いた。戻りがけに、町中を流れる暗い静かな水を見た。お雪は直樹の家に近く引移って来たことを思った。
三吉は最早(もう)響の中に居た。朝の騒々しさが納まった頃は、電車の唸(うな)りだの、河蒸汽の笛だのが、特別に二階の部屋へ響いて来た。 「叔父さん、障子張りですか」 と言いながら、正太が楼梯(はしごだん)を上って来た。正太は榊(さかき)と相前後して、兜町の方へ通うことに成った。 「相場師が今頃訪ねて来ても好いのかね」と三吉は笑って、張った障子を壁に立掛けた。 「いえ、私はまだ店へ入ったばかりで、お客さまの形です。今ネ、一寸場を覗(のぞ)いて、それから廻って来ました」 正太は叔父の側で一服やって、袂(たもと)から細い打紐(うちひも)を取出した。叔父の家にある額の釣紐にもと思って、途中から買求めて来たのである。彼はこういうことに好く気がついた。 壁には田舎屋敷の庭の画が掛けてあった。正太はその釣紐を取替えて、結び方も面白く掛直してみた。その画は、郊外に住む風景画家の筆で、三吉に取っては忘れ難い山の生活の記念であった。 三吉は額を眺めて、旧いことまでも思出したように、 「Sさんもどうしているかナア」 と風景画家の噂(うわさ)をした。正太はずっと以前、染物織物なぞに志して、その為に絵画を修(おさ)めようとしたことが有る位で、風景画家の仕事にも興味を持っていた。 「Sさんには、この節は稀(たま)にしか逢わない」と三吉は嘆息しながら、「何となく友達の遠く成ったのは、悲しいようなものだネ」 「オヤ、叔父さんはああして近く住んでいらしッたじゃ有りませんか」 「それがサ……この画をSさんが僕に描いてくれた時分は、お互に山の上に居て、他に話相手も少いしネ、毎日のようによく往来(いきき)しましたッけ。僕が田圃側(たんぼわき)なぞに転(ころ)がっていると、向の谷の方から三脚を持った人がニコニコして帰って来る――途次(みちみち)二人で画や風景の話なぞをして、それから僕がSさんの家へ寄ると、写生を出して見せてくれる、どうかすると夜遅くまでも話し込む――その家の庭先がこの画さ。あの時分は実に楽しかった……二度とああいう話は出来なく成って了った……」 「友達は多くそう成りますネ」 「何故(なぜ)そんな風に成って来たか――それが僕によく解らなかったんです。Sさんとは何事(なんに)も君、お互に感情を害したようなことが無いんだからネ。不思議でしょう。実は、此頃(こないだ)、ある友達の許(ところ)へ寄ったところが、『小泉君――Sさんが君のことをモルモットだと言っていましたぜ』こう言いますから、『モルモットとは何だい』と僕が聞いたら、大学の試験室へ行くと医者が注射をして、種々な試験をするでしょう。友達がモルモットで、僕が医者だそうだ――」 正太は噴飯(ふきだ)した。 「まあ、聞給え。考えて見ると、成程(なるほど)Sさんの言うことが真実(ほんとう)だ。知らず知らず僕はその医者に成っていたんだネ。傍に立って、知ろう知ろうとして、観(み)ていられて見給え――好い心地(こころもち)はしないや。何となくSさんが遠く成ったのは、始めて僕に解って来た……」 復た正太は笑った。 「しかし、正太さん、僕は唯――偶然に――そんな医者に成った訳でも無いんです。よく物を観よう、それで僕はもう一度この世の中を見直そうと掛ったんです。研究、研究でネ。これがそもそも他(ひと)を苦しめたり、自分でも苦しんだりする原因なんです……しかし、君、人間は一度可恐(おそろ)しい目に逢着(でっくわ)してみ給え、いろいろなことを考えるように成るよ……子供が死んでから、僕は研究なんてことにもそう重きを置かなく成った……」 明るい二階で、日あたりを描いた額の画の上に、日があたった。春蚕(はるご)の済んだ後で、刈取られた桑畠(くわばたけ)に新芽の出たさま、林檎(りんご)の影が庭にあるさまなど、玻璃(ガラス)越(ご)しに光った。お雪は階下(した)から上って来た。 「父さん、障子が張れましたネ」 「その額を御覧、正太さんがああいう風に掛けて下すった」 「真実(ほんと)に、正太さんはこういうことが御上手なんですねえ」 とお雪は額の前に立って、それから縁側のところへ出てみた。 「叔母さん、御覧なさい」 と正太も立って行って、何となく江戸の残った、古風な町々に続く家の屋根、狭い往来を通る人々の風俗などを、叔母に指してみせた。
塩瀬というが正太の通う仲買店であった。その店に縁故の深い人の世話で、叔父の三吉にも身元保証の判を捺(つ)かせ、当分は見習かたがた外廻りの方をやっていた。正太に比べると、榊の方は店も大きく、世話する人も好く、とにかく客分として扱われた。二人ともまだ馴染(なじみ)が少なかった。正太は店の大将にすらよく知られていなかった。毎日のように彼は下宿から通った。 秋の蜻蛉(とんぼ)が盛んに町の空を飛んだ。塩瀬の店では一日の玉高(ぎょくだか)の計算を終った。後場(ごば)は疾(と)うに散(ひ)けた。幹部を始め、その他の店員はいずれも帰りを急ぎつつあった。電話口へ馳付(かけつ)けるもの、飲仲間を誘うもの、いろいろあった。正太は塩瀬の暖簾(のれん)を潜(くぐ)り抜けて、榊の待っている店の方へ行った。 二人は三吉の家をさして出掛けた。大きな建築物(たてもの)のせせこましく並んだ町を折れ曲って電車を待つところへ歩いて行った。株の高低に激しく神経を刺激された人達が、二人の前を右に往き、左に往きした。電車で川の岸まで乗って、それから復た二人はぶらぶら歩いた。 途中で、榊は立留って、 「成金が通るネ――護謨輪(ゴムわ)かなんかで」 と言って見て、情婦の懐(ふところ)へと急ぎつつあるような、意気揚々とした車上の人を見送った。榊も正太も無言の侮辱を感じた。榊は齷齪(あくせく)と働いて得た報酬を一夕の歓楽に擲(なげう)とうと思った。 橋を渡ると、青い香も失(う)せたような柳の葉が、石垣のところから垂下っている。細長い条(えだ)を通して、逆に溢(あふ)れ込む活々(いきいき)とした潮が見える。その辺まで行くと、三吉の家は近かった。 「榊君――小泉の叔父の近所にネ、そもそも洋食屋を始めたという家が有る。建物なぞは、古い小さなものサ。面白いと思うことは、僕の阿爺(おやじ)が昔流行(はや)った猟虎(らっこ)の帽子を冠(かぶ)って、酒を飲みに来た頃から、その家は有るんだトサ。そこへ叔父を誘って行こうじゃないか……一夕昔を忍ぼうじゃないか」 「そんなケチ臭いことを言うナ。そりゃ、今日の吾儕(われわれ)の境涯では、一月の月給が一晩も騒げば消えて了うサ。それが、君、何だ。一攫千金(いっかくせんきん)を夢みる株屋じゃないか――今夜は僕が奢(おご)る」 二人は歩きながら笑った。 父の夢は子の胸に復活(いきかえ)った。「金釵(きんさ)」とか、「香影(こうえい)」とか、そういう漢詩に残った趣のある言葉が正太の胸を往来した。名高い歌妓(うたひめ)が黒繻子(くろじゅす)の襟(えり)を掛けて、素足で客を款待(もてな)したという父の若い時代を可懐(なつか)しく思った。しばらく彼は、樺太(からふと)で難儀したことや、青森の旅舎(やどや)で煩(わずら)ったことを忘れた。旧い屋根船の趣味なぞを想像して歩いた。
「お揃(そろ)いですか」 と三吉は机を離れて、客を二階の部屋へ迎えた。 兜町の方へ通うように成ってから、榊は始めて三吉と顔を合せた。榊も、正太もまだ何となく旧家の主人公らしかった。言葉遣(づか)いなぞも、妙に丁寧に成ったり、書生流儀に成ったりした。 「叔母さん、おめずらしゅう御座いますネ」 と正太は茶を持って上って来た叔母の髪に目をつけた。お雪は束髪を止(よ)して、下町風の丸髷にしていた。 お雪が下りて行った後で、榊は三吉と正太の顔を見比べて、 「ねえ、橋本君、先(ま)ず吾儕(われわれ)の商売は、女で言うと丁度芸者のようなものだネ。御客大明神(だいみょうじん)と崇(あが)め奉って、ペコペコ御辞儀をして、それでまあ玉(ぎょく)を付けて貰うんだ。そこへ行くと、先生は芸術家とか何とか言って、乙(おつ)に構えてもいられる……大した相違のものだネ」 三吉は「復た始まった」という眼付をした。 「先生でなくても、君でも可いや――ねえ、小泉君、僕がこんな商売を始めたと言ったら、君なぞはどう思うか知らないが――」 「叔父さんなんぞは何とも思ってやしません」と正太が言った。 「榊が居ると思わないで、ここに幇間(たいこもち)が一人居ると思ってくれ給え――ねえ、橋本君、まあお互にそんなもんじゃないか」と言って、榊は急に正太の方に向いて、「どうだい、君、今日の相場は。僕は最早傍観していられなく成った。他(ひと)の儲けるところを、君、黙って観ていられるもんか」 「ドシンと来たねえ」 「どうだい、君、二人で大に行(や)ろうじゃないか」 笛、太鼓の囃子(はやし)の音が起った。芝居の広告の幟(のぼり)が幾つとなく揃って、二階の欄(てすり)の外を通り過ぎた。話も通じないほどの騒ぎで、狭い往来からは口上言いの声が高く響き渡った。階下(した)では、種夫を背負(おぶ)った人が、見せに出るらしかった。親戚の娘達の賑かな笑声も聞えた。 やがて、榊は三吉の方を見て、 「小泉君の前ですが、君は僕の家内にも逢って、覚えておられるでしょう。家内は今、郷里(くに)に居ます。時々家のことを書いた長い手紙を寄越(よこ)します。それを読むと僕は涙が流れて、夜も碌(ろく)に眠られないことがあります……眠らずに考えます……しかし四日も経(た)つと、復た僕は忘れて了う……極く正直な話が、そうなんです。なにしろ僕なぞは、三十万の借財を親から譲られて、それを自分の代に六十万に増(ふや)しました……」 正太も首を振って、感慨に堪(た)えないという風であった。思いついたように、懐中時計を取出して見て、 「叔父さん、今晩は榊さんが夕飯を差上げるそうです。何卒(どうか)御交際(おつきあい)下さいまし」 と言って御辞儀をしたので、榊も話を一(ひ)ト切(きり)にした。 その時親類の娘達がドヤドヤ楼梯(はしごだん)を上って来た。 「兄さん、左様なら」とお愛が手をついて挨拶(あいさつ)した。 「お愛ちゃん、学校の方の届は?」と三吉が聞いた。 「今、姉さんに書いて頂きました」 「叔父さん、私も失礼します」とお俊はすこし改まった調子で言って、正太や榊にも御辞儀をした。 「左様なら」とお鶴も姉の後に居て言った。 この娘達を送りながら、三吉は客と一緒に階下(した)へ降りた。彼は正太に向って、今度引移った実の家の方へ、お延を預ける都合に成ったことなぞを話した。 階下(した)の部屋は一時(ひととき)混雑(ごたごた)した。親類の娘達の中でも、お愛の優美な服装が殊(こと)に目立った。お俊は自分の筆で画いた秋草模様の帯を〆(しめ)ていた。彼女は長いこと使い慣れた箪笥が、叔父の家の方に来ているのを見て、ナサケナイという眼付をした。順に娘達はお雪に挨拶して出た。つづいて、三吉も出た。門の前には正太や榊が待っていた。未だ日の暮れないうちから、軒燈(ガス)を点(つ)ける人が往来を馳(か)け歩いた。町はチラチラ光って来た。
水は障子の外を緩(ゆる)く流れていた。榊、正太の二人は電燈の飾りつけてある部屋へ三吉を案内した。叔父の家へ寄る前に、正太が橋の畔(たもと)で見た青い潮は、耳に近くヒタヒタと喃語(つぶや)くように聞えて来た。 榊は障子を明け払って、 「橋本君、こういうところへ来て楽めるというのも、やはり……」 「金!金!」 と正太は榊が皆な言わないうちに、言った。榊は正太の肩をつかまえて、二度も三度も揺(ゆす)った。「然(しか)り、然り」という意味を通わせたのである。 三吉が立って水を眺めているうちに、女中が膳(ぜん)を運んで来た。一番いける口の榊は、種々な意味で祝盃(しゅくはい)を挙げ始めた。 「姉さんにも一つ進(あ)げましょう」と榊は女中へ盃を差した。「どうです、僕等はこれで何商売と見えます?」 女中は盃を置いて、客の様子を見比べた。 「私は何と見えます?」と正太が返事を待兼ねるように言った。 「さあ、御見受申したところ……袋物でも御商(あきな)いに成りましょうか」 「オヤオヤ、未だ素人(しろうと)としか見られないか」と正太は頭を掻(か)いた。 榊も噴飯(ふきだ)した。「姉さん、この二人は株屋に成りたてなんです。まだ成りたてのホヤホヤなんです」 「あれ、兜町の方でいらッしゃいましたか。あちらの方は、よく姐(ねえ)さん方が大騒ぎを成さいます」 こう女中は愛想よく答えたが、よくある客の戯れという風に取ったらしかった。女中は半信半疑の眼付をして意味もなく、軽く笑った。 知らない顔の客のことで、口を掛ければ直ぐに飛んで来るような、中年増(ちゅうどしま)の妓(おんな)が傍へ来て、先ず酒の興を助けた。庭を隔てて明るく映る障子の方では、放肆(ほしいまま)な笑声が起る。盛んな三味線の音は水に響いて楽しそうに聞える。全盛を極める人があるらしい。何時(いつ)の間にか、榊や正太は腰の低い「幇間(たいこもち)」で無かった。意気昂然(こうぜん)とした客であった。 「向うの座敷じゃ、大(おおい)にモテるネ」 と榊は正太に言った。ここにも二人は言うに言われぬ侮辱を感じた。それに、扱いかねている女中の様子と、馴染の無い客に対する妓の冷淡とが、何となく二人の矜持(ほこり)を傷(きずつ)けた。殊に、榊は不愉快な眼付をして、楽しい酒の香を嗅(か)いだ。 「貴方(あなた)一つ頂かして下さいな」 とその中年増が、自信の無い眼付をして、盃を所望した。世に後(おく)れても、それを知らずにいるような人で、座敷を締める力も無かった。 そのうちに、今一人若い妓(おんな)が興を助けに来た。歌が始まった。 「姐さん、一つ二上(にあが)りを行こう」 と言って、正太は父によく似た清(すず)しい、錆(さび)の加わった声で歌い出した。 「好い声だねえ。橋本君の唄(うた)は始めてだ」と榊が言った。 「叔父さんの前で、私が歌ったのも今夜始めてですね」と正太は三吉の方を見て微笑(ほほえ)んだ。 「小泉君の酔ったところを見たことが無い――一つ酔わせなけりゃ不可(いけない)」と榊が盃を差した。 「すこし御酔いなさいよ。貴方」と中年増の妓が銚子(ちょうし)を持添えて勧めた。 三吉は酒が発したと見えて、顔を紅くしていた。それでいながら、妙に醒(さ)めていた。彼は酔おうとして、いくら盃を重ねてみても、どうしても酔えなかった。 唯(ただ)、夕飯の馳走(ちそう)にでも成るように、心易(こころやす)い人達を相手にして、談(はな)したり笑ったりした。 「是方(こちら)は召上らないのね」 と若い妓が中年増に言った。 夜が更(ふ)けるにつれて、座敷は崩(くず)れるばかりであった。「何か伺いましょう」とか、「心意気をお聞かせなさいな」とか、中年増は客に対(むか)って、ノベツに催促した。若い方の妓は、懐中(ふところ)から小さな鏡を取出して、客の見ている前で顔中拭(ふ)き廻した。 榊は大分酔った。若い方が御辞儀をして帰りかける頃は、榊は見るもの聞くもの面白くないという風で、面(ま)のあたりその妓を罵(ののし)った。そして、貰って帰って行った後で、腐った肉にとまる蠅のように言って笑った。折角(せっかく)楽みに来ても、楽めないでいるような客の前には、中年の女が手持無沙汰(てもちぶさた)に銚子を振って見て、恐れたり震えたりした。 酒も冷く成った。 ボーンという音が夜の水に響いて聞えた。仮色(こわいろ)を船で流して来た。榊は正太の膝を枕にして、互に手を執(と)りながら、訴えるような男や女の作り声を聞いた。三吉も横に成った。 三人がこの部屋を離れた頃は、遅かった。屋外(そと)へ出て、正太は独語(ひとりごと)のように、遣瀬(やるせ)ない心を自分で言い慰めた。 「今に、ウンと一つ遊んで見せるぞ」 「小泉君、君は帰るのかい……野暮臭い人間だナア」 と榊は正太の手を引いて、三吉に別れて行った。
三吉は森彦から手紙を受取った。森彦の書くことは、いつも簡短である。兄弟で実の家へ集まろう、実が今後の方針に就(つ)いて断然たる決心を促そう、と要領だけを世慣れた調子で認(したた)めて、猶(なお)、物のキマリをつけなければ、安心が出来ないかのように書いて寄(よこ)した。 弟達は兄を思うばかりで無かった。度々(たびたび)の兄の失敗に懲りて、自分等をも護らなければ成らなかった。で、雨降揚句の日に、三吉も兄の家を指して出掛けた。 沼のように湿気の多い町。沈滞した生活。溝(どぶ)は深く、道路(みち)は悪く、往来(ゆきき)の人は泥をこねて歩いた。それを通り越したところに、引込んだ閑静な町がある。門構えの家が続いている。その一つに実の家族が住んでいた。 「三吉叔父さんが被入(いら)しった」 とお俊が待受顔に出て迎えた。お延も顔を出した。 「森彦さんは?」 「先刻(さっき)から来て待っていらしッてよ」 とお俊は玄関のところで挨拶した。彼女は大略(おおよそ)その日の相談を想像して、心配らしい様子をしていた。 「鶴(つう)ちゃん、御友達の許(ところ)へ遊びに行ってらッしゃい」お俊は独(ひと)りで気を揉(も)んだ。 「そうだ、鶴ちゃんは遊びに行くが可い」 とお倉も姉娘の後に附いて言った。「こういう時には、延ちゃんも気を利(き)かして、避けてくれれば可(い)いに」とお俊はそれを眼で言わせたが、お延にはどうして可いか解らなかった。この娘は、三吉叔父の方から移って間もないことで、唯マゴマゴしていた。 実は部屋を片付けたり、茶の用意をしたりして、三吉の来るのを待っていた。三人の兄弟は、会議を開く前に、集って茶を嚥(の)んだ。その時実は起(た)って行って、戸棚(とだな)の中から古い箱を取出した。塵埃(ほこり)を払って、それを弟の前に置いた。 「これは三吉の方へ遣(や)って置こう」 と保管を托(たく)するように言った。父の遺筆である。忠寛を記念するものは次第に散って了った。この古い箱一つ残った。 「どれ、話すことは早く話して了おう」と森彦が言出した。 お俊は最早(もう)気が気でなかった。母は、と見ると、障子のところに身を寄せて、聞耳を立てている。従姉妹(いとこ)は長火鉢(ながひばち)の側に俯向(うつむ)いている。彼女は父や叔父達の集った部屋の隅(すみ)へ行って、自分の机に身を持たせ掛けた。後日のために、よく話を聞いて置こうと思った。 「そんなトロクサいことじゃ、ダチカン」と森彦が言った。「満洲行と定(き)めたら、直ぐに出掛ける位の勇気が無けりゃ」 「俺も身体は強壮(じょうぶ)だしナ」と実はそれを受けて、「家の仕末さえつけば、明日にも出掛けたいと思ってる」 「後はどうにでも成るサ。私(わし)も居(お)れば、三吉も居る」 「むう――引受けてくれるか――難有(ありがた)い。それをお前達が承知してくれさえすれば、俺は安心して発(た)てる」 こういう大人同志の無造作な話は、お俊を驚かした。彼女は父の方を見た。父は細かく書いた勘定書を出して叔父達に示した。多年の間森彦の胸にあったことは、一時に口を衝(つ)いて出て来た。この叔父は「兄さん」という言葉を用いていなかった。「お前が」とか、「お前は」とか言った。そして、声を低くして、父の顔色が変るほど今日までの行為(おこない)を責めた。 お俊はどう成って行くことかと思った。堪忍(かんにん)強い父は黙って森彦叔父の鞭韃(むち)を受けた。この叔父の癖で、言葉に力が入り過ぎるほど入った。それを聞いていると、お俊は反(かえ)って不幸な父を憐(あわれ)んだ。 「俊、先刻(さっき)の物をここへ出せや」 と父に言われて、お俊はホッと息を吐(つ)いた。彼女は母を助けて、用意したものを奥の部屋の方へ運んだ。 「さあ、何物(なんに)もないが、昼飯をやっとくれ」と実は家長らしい調子に返った。 三人の兄弟は一緒に食卓に就いた。口に出さないまでも、実にはそれが別離(わかれ)の食事である。箸(はし)を執ってから、森彦も悪い顔は見せなかった。 「むむ、これはナカナカ甘(うま)い」と森彦は吸物の出来を賞(ほ)めて、気忙(せわ)しなく吸った。 「さ、何卒(どうか)おかえなすって下さい」と、旧い小泉の家風を思わせるように、お倉は款待(もてな)した。 皆な笑いながら食った。 間もなく森彦、三吉の二人は兄の家を出た。半町ばかり泥濘(ぬかるみ)の中を歩いて行ったところで、森彦は弟を顧みて、 「あの位、俺が言ったら、兄貴もすこしはコタえたろう」 と言ってみたが、その時は二人とも笑えなかった。実の家族と、病身な宗蔵とは、復た二人の肩に掛っていた。
「鶴ちゃん」 とお俊は、叔父達の行った後で、探して歩いた。 「父さんが明日御出発(おたち)なさるというのに……何処へ遊びに行ってるんだろうねえ……」 と彼女は身を震わせながら言ってみた。一軒心当りの家へ寄って、そこで妹が友達と遊んで帰ったことを聞いた。急いで自分の家の方へ引返して行った。 こんなに急に父の満洲行が来ようとは、お俊も思いがけなかった。家のものにそう委(くわ)しいことも聞かせず、快活らしく笑って、最早旅仕度(たびじたく)にいそがしい父――狼狽(ろうばい)している母――未だ無邪気な妹――お俊は涙なしにこの家の内の光景(ありさま)を見ることが出来なかった。 長い悲惨な留守居の後で、漸く父と一緒に成れたのは、実に昨日のことのように娘の心に思われていた。復た別れの日が来た。父を逐(お)うものは叔父達だ。頼りの無い家のものの手から、父を奪うのも、叔父達だ。この考えは、お俊の小さな胸に制(おさ)え難い口惜(くや)しさを起させた。可厭(いとわ)しい親戚の前に頭を下げて、母子(おやこ)の生命を托さなければ成らないか、と思う心は、一家の零落を哀しむ心に混って、涙を流させた。 叔父達に反抗する心が起った。彼女は余程自分でシッカリしなければ成らないと思った。弱い、年をとった母のことを考えると、泣いてばかりいる場合では無いとも思った。その晩は母と二人で遅くまで起きて、不幸な父の為に旅の衣服などを調(ととの)えた。 「母親(おっか)さん、すこし寝ましょう――どうせ眠られもしますまいけれど」 と言って、お俊は父の側に寝た。 紅い、寂しい百日紅(さるすべり)の花は、未だお俊の眼にあった。彼女は暗い部屋の内に居ても、一夏を叔父の傍で送ったあの郊外の家を見ることが出来た。こんなに早く父に別れるとしたら何故父の傍に居なかったろう、何故叔父を遠くから眺めて置かなかったろう。 「可厭(いや)だ――可厭だ――」 こう寝床の中で繰返して、それから復た種々な他の考えに移って行った。父も碌に眠らなかった。何度も寝返を打った。 未だ夜の明けない中に、実は寝床(とこ)を離れた。つづいてお倉やお俊が起きた。 「母親さん、鶏が鳴いてるわねえ」 と娘は母に言いながら、寝衣(ねまき)を着更(きが)えたり、帯を〆(しめ)たりした。 赤い釣洋燈(つりランプ)の光はションボリと家の内を照していた。台所の方では火が燃えた。やがてお倉は焚落(たきおと)しを十能に取って、長火鉢の方へ運んだ。そのうちにお延やお鶴も起きて来た。 小泉の家では、先代から仏を祭らなかった。「御霊様(みたまさま)」と称(とな)えて、神棚だけ飾ってあった。そこへ実は拝みに行った。父忠寛は未だその榊(さかき)の蔭に居て、子の遠い旅立を送るかのようにも見える、実は柏手(かしわで)を打って、先祖の霊に別離(わかれ)を告げた。 お倉やお俊は主人の膳(ぜん)を長火鉢の側に用意した。暗い涙は母子(おやこ)の頬(ほお)を伝いつつあった。実は一同を集めて、一緒に別離の茶を飲んだ。 復た鶏が鳴いた。夜も白々(しらじら)明け放れるらしかった。 「皆な、屋外(そと)へ出ちゃ不可(いけない)よ……家に居なくちゃ不可よ……」 実は、屋外まで見送ろうとする家のものを制して置いて、独りで門を出た。強い身体と勇気とは猶(なお)頼めるとしても、彼は年五十を超(こ)えていた。懐中(ふところ)には、神戸の方に居るという達雄の宿まで辿(たど)りつくだけの旅費しか無かった。満洲の野は遠い。生きて還(かえ)ることは、あるいは期し難かった。こうして雄々しい志を抱(いだ)いて、彼は妻子の住む町を離れて行った。
五
お雪は張物板を抱いて屋並に続いた門の外へ出た。三吉は家に居なかった。町中に射す十月下旬の日をうけて、門前に立掛けて置いた張物板はよく乾いた。襷掛(たすきがけ)で、お雪がそれを取込もうとしていると、めずらしい女の客が訪ねて来た。 「まあ、豊世さん――」 お雪は襷を釈(はず)した。張物もそこそこにして、正太の細君を迎えた。 「叔母さん、真実(ほんと)にお久し振ですねえ」 豊世は入口の庭で言って、絹の着物の音をさせながら上った。 久し振の上京で、豊世は叔母の顔を見ると、何から言出して可いか解らなかった。坐蒲団(ざぶとん)を敷いて坐る前に、お房やお菊の弔(くや)みだの、郷里(くに)に居る姑(しゅうとめ)からの言伝(ことづて)だの、夫が来てよく世話に成る礼だのを述べた。 「叔母さん、私もこれから相場師の内儀(おかみ)さんですよ」 と軽く笑って、豊世は自分で自分の境涯の変遷に驚くという風であった。 「種ちゃん、御辞儀は?」とお雪は眼を円(まる)くして来た子供に言った。 「種ちゃんも大きく御成(おなん)なさいましたねえ」 「豊世叔母さんだよ、お前」 「種ちゃん、一寸(ちょっと)来て御覧なさい。叔母さんを覚えていますか。好い物を進(あ)げますよ」 種夫は人見知りをして、母の背後(うしろ)に隠れた。 「種ちゃん幾歳(いくつ)に成るの?」と豊世が聞いた。 「最早(もう)、貴方三つに成りますよ」 「早いもんですねえ。自分達の年をとるのは解りませんが、子供を見るとそう思いますわ」 その時、壁によせて寝かしてあった乳呑児(ちのみご)が泣出した。お雪は抱いて来て、豊世に見せた。 「これが今度お出来なすった赤さん?」と豊世が言った。「先(せん)には女の御児さんばかりでしたが、今度は又、男の御児さんばかし……でも、叔母さんはこんなにお出来なさるから宜(よ)う御座んすわ」 「幾ちゃん」とお雪は顧みて呼んだ。 お幾はお雪が末の妹で、お延と同じ学校に入っていた。丁度、寄宿舎から遊びに来た日で、客の為に茶を入れて出した。 「先(せん)によくお目に掛った方は?」 「愛ちゃんですか。あの人は卒業して国へ帰りました。今に、お嫁さんに成る位です」 「そうですかねえ。お俊ちゃんなぞが最早立派なお嫁さんですものねえ」 しばらく静かな山の中に居て単調な生活に飽いて来た豊世には、見るもの聞くものが新しかった。正太も既に一戸を構えた。川を隔てて、三吉とはさ程遠くないところに住んでいた。豊世は多くの希望(のぞみ)を抱いて、姑の傍を離れて来たのである。 その日、豊世はあまり長くも話さなかった。塩瀬の大将の細君という人にも逢(あ)って来たことや、森彦叔父の旅舎(やどや)へも顔を出したことなぞを言った。これから一寸買物して帰って、早く自分の思うように新しい家を整えたいとも言った。 「叔母さん、どんなに私は是方(こっち)へ参るのが楽みだか知れませんでしたよ。お近う御座いますから、復(ま)たこれから度々(たびたび)寄せて頂きます」 こう豊世は優しく言って、心忙(こころぜ)わしそうに帰って行った。お雪は張物板を取込みに出た。
暗くなってから、三吉は帰って来た。彼は新規な長い仕事に取掛った頃であった。遊び疲れて早く寝た子供の顔を覗(のぞ)きに行って、それから洋服を脱ぎ始めた。お雪は夫の上衣(うわぎ)なぞを受取りながら、 「先刻(さっき)、豊世さんが被入(いら)ッしゃいましたよ。橋本の姉さんから小鳥を頂きました」 「へえ、そいつは珍しい物を貰ったネ。豊世さん、豊世さんッて、よくお前は噂(うわさ)をしていたっけが。どうだね、あの人の話は」 「私なぞは……ああいう人の傍へは寄れない」 「よく交際(つきあ)って見なけりゃ解らないサ。なにしろ親類が川の周囲(まわり)へ集って来たのは面白いよ」 三吉は白シャツまで脱いだ。そこへ正太がブラリと入って来た。芝居の噂や長唄(ながうた)の会の話なぞをした後で、 「叔父さん、私は未だ御飯前なんです」 こんなことを言出した。その辺へ案内して、初冬らしい夜を語りたいというのであった。 「オイ、お雪、今の洋服を出してくれ。正太さんが飯を食いに行くと言うから、俺(おれ)も一緒に話しに行って来る」 「男の方というものは、気楽なものですねえ」 お雪は笑った。三吉は一旦(いったん)脱いだ白シャツに復た手を通して、服も着けた。正太は紺色の長い絹を襟巻(えりまき)がわりにして、雪踏(せった)の音なぞをさせながら、叔父と一緒に門を出た。 「何となく君は兜町(かぶとちょう)の方の人らしく成ったネ。時に、正太さん、君は何処(どこ)へ連れて行く積りかい」 「叔父さん、今夜は私に任せて下さい。種々(いろいろ)御世話にも成りましたから、今夜は私に奢(おご)らせて下さい」 こう二人は話しながら歩いた。 町々の灯は歓楽の世界へと正太の心を誘うように見えた。昂(あが)ったとか、降(さが)ったとか言って、売ったり買ったりする取引場の喧囂(けんごう)――浮沈(うきしずみ)する人々の変遷――狂人(きちがい)のような眼――激しく罵(ののし)る声――そういう混雑の中で、正太は毎日のように刺激を受けた。彼は家にジッとしていられなかった。夜の火をめがけて羽虫が飛ぶように、自然と彼の足は他(ひと)の遊びに行く方へ向いていた。電車で、ある停留場まで乗って、正太は更に車を二台命じた。車は大きな橋を渡って、また小さな橋を渡った。
風は無いが、冷える晩であった。三吉は正太に案内されて、広い静かな座敷へ来ていた。水に臨んだ方は硝子戸(ガラスど)と雨戸が二重に閉めてあって、それが内の障子の嵌硝子(はめガラス)から寒そうに透けて見えた。 女中が火を運んで来た。洋服で震えて来た三吉は、大きな食卓の側に火鉢(ひばち)を擁(かか)えて、先(ま)ず凍えた身体を温めた。 正太は料理を通して置いて、 「それからねえ、姉さん、小金さんに一つ掛けて下さい」 「小金さんは今、彼方(あちら)の御座敷です」 「『先程は電話で失礼』――そう仰(おっしゃ)って下されば解ります」 それを聞いて、女中は出て行った。 「叔父さん、こうして名刺を一枚出しさえすれば、何処(どこ)へ行っても通ります――塩瀬の店は今兜町でも売(うれ)ッ子なんですからネ」と正太は、紙入から自分の名刺を取出して、食卓の上に置いて見せた。 正太の話は兜町の生活に移って行った。漸(ようや)く塩瀬の大将に知られて重なる店員の一人と成ったこと、その為には随分働きもしたもので、他(ひと)の嫌(いや)がる帳簿は二晩も寝ずに整理したことを叔父に話した。彼は又、相場師生活の一例として、仕立てたばかりの春衣(はるぎ)が仕附糸(しつけいと)のまま、年の暮に七つ屋の蔵へ行くことなどを話した。 「そう言えば、今は実に可恐(おそろ)しい時代ですネ」と正太は思出したように、「此頃(こないだ)、私がお俊ちゃんの家へ寄って、『鶴ちゃん、お前さんは大きく成ったらどんなところへお嫁に行くネ』と聞きましたら――あんな子供がですよ――軍人さんはお金が無いし、お医者さんはお金が有っても忙しいし、美(い)い着物が着られてお金があるから大きな呉服屋さんへお嫁に行きたいですト――それを聞いた時は、私はゾーとしましたネ」 こんな話をしているうちに、料理が食卓の上に並んだ。小金が来た。小金は三吉に挨拶(あいさつ)して、馴々(なれなれ)しく正太の傍へ寄った。親孝行なとでも言いそうな、温順(おとな)しい盛りの年頃の妓(おんな)だ。 「橋本さん、老松(おいまつ)姐(ねえ)さんもここへ呼びましょう――今、御座敷へ来てますから」 と言って、小金は重い贅沢(ぜいたく)な着物の音をさせながら出て行った。 土地に居着(いつき)のものは、昔の深川芸者の面影(おもかげ)がある。それを正太は叔父に見て貰いたかった。こういうところへ来て、彼は江戸の香を嗅(か)ぎ、残った音曲を耳にし、通人の遺風を楽しもうとしていた。 小金、老松、それから今一人の年増が一緒に興を添えに来た。老松は未だ何処かに色香の名残(なごり)をとどめたような老妓で、白い、細い、指輪を嵌(は)めた手で、酒を勧(すす)めた。 「老松さん、今夜はこういう客を連れて来ました」と正太が言った。「御馳走(ごちそう)に何か面白い歌を聞かせて進(あ)げて下さい」 老松は三吉の方を見て、神経質な額と眼とで一寸(ちょっと)挨拶した。 「どうです、この二人は――何方(どっち)がこれで年長(としうえ)と見えます」と復た正太が言った。 「老松姐さん、私は是方(こちら)の方がお若いと思うわ」と小金が三吉を指して見せた。 「私もそう思う」と老松は三吉と正太とを見比べた。 「ホラ――ネ。皆なそう言う」と正太は笑って、「これは私の叔父さんですよ」 「是方(こちら)が橋本さんの叔父さん?」老松は手を打って笑った。 「叔父さんは好かった」と小金と老松の間に居る年増(としま)も噴飯(ふきだ)した。 「真実(ほんと)の叔父さんだよ」と正太は遮(さえぎ)ってみたが、しかし余儀なく笑った。 「叔父さん! 叔父さん!」 老松や小金はわざとらしく言った。皆な三吉の方へ向いて、一つずつ御辞儀した。そして、クスクス笑った。三吉も笑わずにいられなかった。 「私の方が、これで叔父さんよりは老(ふ)けてるとみえる」と正太が言った。 小金は肥った手を振って、「そんな嘘(うそ)を吐(つ)かなくっても宜(よ)う御座んすよ。真実(ほんと)に、橋本さんは担(かつ)ぐのがウマいよ」 「叔父さん、へえ、御酌」と老松は銚子を持ち添えて、戯れるように言った。 「私にも一つ頂かせて下さいな」と年増は寒そうにガタガタ震えた。 電燈は花のように皆なの顔に映った。長い夜の時は静かに移り過ぎた。硝子戸の外にある石垣の下の方では、音のしない川が流れて行くらしかった。老松は好い声で、浮々とさせるような小唄を歌った。正太の所望で、三人の妓は三味線の調子を合せて、古雅なメリヤス物を弾(ひ)いた。正太は、酒はあまり遣(や)らない方であるが面長な渋味のある顔をすこし染めて、しみじみとした酔心地に成った。 「貴方。何かお遣(や)り遊ばせな」と老松が三吉の傍に居て言った。 「私ですか」と三吉は笑って、「私は唯こうして拝見しているのが楽みなんです」 老松は冷やかに笑った。 「叔父さん、貴方の前ですが……ここに居る金ちゃんはネ、ずっと以前にある友達が私に紹介してくれた人なんです……私は未だ浪人していましたろう、あの時分この下の川を蒸汽で通る度に、是方(こっち)の方を睨んでは、早く兜町の人に成れたら、そう思い思いしましたよ……」 「ヨウヨウ」という声が酒を飲む妓達の間に起った。 「橋本さん」と老松は手を揉(も)んで、酒が身体(からだ)にシミルという容子(ようす)をした。「貴方――早く儲(もう)けて下さいよ」 次第に周囲(あたり)はヒッソリとして来た。正太は帰ることを忘れた人のようであった。叔父が煙草を燻(ふか)している前で、正太は長く小金の耳を借りた。 「私には踊れないんですもの」と小金は、終(しまい)に、他(ひと)に聞えるように言った。 酔に乗じた老松の端唄(はうた)が口唇(くちびる)を衝(つ)いて出た。紅白粉(べにおしろい)に浮身を窶(やつ)すものの早い凋落(ちょうらく)を傷(いた)むという風で、 「若い時は最早行って了(しま)った」と嘆息するように口ずさんだ。食卓の上には、妓の為に取寄せた皿もあった。年増は残った蒲鉾(かまぼこ)だのキントンだのを引寄せて、黙ってムシャムシャ食った。 やがて十二時近かった。三吉は酔った甥(おい)が風邪(かぜ)を引かないようにと女中によく頼んで置いて、独(ひと)りで家まで車を命じた。女中や三人の妓は玄関まで見送りに出た。三吉が車に乗った時は、未だ女達の笑声が絶えなかった。 「叔父さん! 叔父さん!」
すこし話したいことが有る。こういう森彦の葉書を受取って、三吉は兄の旅舎(やどや)を訪ねた。二階の部屋から見える青桐(あおぎり)の葉はすっかり落ちていた。 「来たか」 森彦の挨拶はそれほど簡単なものであった。 短く白髪を刈込んだ一人の客が、森彦と相対(さしむかい)に碁盤(ごばん)を置いて、煙管(きせる)を咬(くわ)えていた。この人は森彦の親友で、実(みのる)や直樹(なおき)の父親なぞと事業を共にしたことも有る。 「三吉。今一勝負済ますから、待てや。黒を渡すか、白を受取るかという天下分目のところだ」 「失礼します」 こう兄と客とは三吉に言って、復た碁盤を眺(なが)めた。両方で打つ碁石は、二人の長い交際と、近づきつつある老年とを思わせるように、ポツリポツリと間を置いては沈んだ音がした。 一石終った。客は帰って行った。森彦は弟の方へ肥った体躯(からだ)を向けた。 「葉書の用は他(ほか)でも無いがネ、どうも近頃正太のやつが遊び出したそうだテ。碌(ろく)に儲けもしないうちから、最早あの野郎(やろう)遊びなぞを始めてケツカル」 こう森彦が言出したので、思わず三吉の方は微笑(ほほえ)んだ。 「実は、二三日前に豊世がやって来てネ、『困ったものだ』と言うから俺がよく聞いてみた。なんでも小金という芸者が有って、その女に正太が熱く成ってるそうだ。豊世の言うことも無理が無いテ。彼女(あれ)が塩瀬の大将に逢った時に、『橋本さんも少し気を付けて貰わないと――』という心配らしい話が有ったトサ。折角あそこまで漕(こ)ぎ着けたものだ。今信用を落しちゃツマラン。『叔父さんからでも注意して貰いたい』こう彼女(あれ)が言うサ」 「その女なら、私も此頃(こないだ)正太さんと一緒に一度逢(あ)いました……あれを豊世さんが心配してるんですか。そんな危げのある女でも無さそうですがナア。私の見たところでは、お目出度いような人でしたよ」 「復た阿爺(おやじ)の轍(てつ)を履(ふ)みはしないか、それを豊世は恐れてる」 「しかし、兜町の連中なぞは酒席が交際場裏だと言う位です。塩瀬の大将だっても妾(めかけ)が幾人(いくたり)もあると言う話です。部下のものが飲みに行く位のことは何とも思ってやしないんでしょう。大将がそんなことを言いそうも無い……豊世さんの方で心配し過ぎるんじゃ有りませんか」 「俺は、まあ、何方(どっち)だか知らないが――」 「そんなことは放擲(うっちゃらか)して置いたら可いでしょう。そうホジクらないで……私に言わせると、何故(なぜ)そんなに遊ぶと責めるよりか、何故もっと儲けないと責めた方が可い」 森彦は長火鉢の上で手を揉んだ。 「どうも彼(あれ)は質(たち)がワルいテ。すこしばかり儲けた銭で、女に貢(みつ)ぐ位が彼の身上(しんじょう)サ。こう見るのに、時々彼が口を開いて、極く安ッぽい笑い方をする……あんな笑い方をする人間は直ぐ他(ひと)に腹の底を見透されて了う……そこへ行くと、橋本の姉さんなり、豊世なりだ。余程彼よりは上手(うわて)だ。吾儕(われわれ)の親類の中で、彼の細君が一番エライと俺は思ってる。細君に心配されるような人間は高が知れてるサ」 「ですけれど――私は、貴方が言うほど正太さんを安くも見ていないし、貴方が買ってる程には、橋本の姉さんや豊世さんを見てもいません。丁度姉さんや豊世さんは貴方が思うような人達です。しかし、あの人達は自分で自分を買過ぎてやしませんかネ」 「そうサ。自分で高く買被(かいかぶ)ってるようなところは有るナ」 兄は弟の顔をよく見た。 「女の方の病気さえなければ、橋本父子(おやこ)に言うことは無い――それがあの人達の根本(おおね)の思想(かんがえ)です。だから、ああして女の関係ばかり苦にしてる。まだ他に心配して可いことが有りゃしませんか。達雄さんが女に弱くて、それで家を捨てるように成った――そう一途(いちず)にあの人達は思い込んで了うから困る」 兄は、弟が来て、一体誰に意見を始めたのか、という眼付をした。 「しかし」と三吉はすこし萎(しお)れて、「正太さんも、仕事をするという質(たち)の人では無いかも知れませんナ」 「彼が相場で儲けたら、俺は御目に懸りたいよ」 「ホラ、去年の夏、近松の研究が有りましたあネ。丁度盆の芝居でしたサ。あの時は、正太さんも行き、俊も延も行きました。博多小女郎浪枕(はかたこじょろうなみまくら)。私はあの芝居を見物して帰って来て、復た浄瑠璃本(じょうるりぼん)を開けて見ました。宗七という男が出て来ます。優美慇懃(いんぎん)なあの時代の浪華(なにわ)趣味を解するような人なんです。それでいて、猛烈な感情家でサ。長崎までも行って商売をしようという冒険な気風を帯びた男でサ。物に溺(おぼ)れるなんてことも、極端まで行くんでしょう……何処かこう正太さんは宗七に似たような人です。正太さんを見る度に、私はよくそう思い思いします――」 「彼の阿爺(おやじ)が宗七だ――彼は宗七第二世だ」 兄弟は笑出した。 「それはそうと、俺の方でも呼び寄せて、彼によく言って置く。細君を心配させるようなことじゃ不可(いかん)からネ。お前からも何とか言って遣(や)ってくれ」と森彦が言った。 「去年の夏以来、私は意見をする権利が無いとつくづく思って来ました」と三吉は意味の通じないようなことを言って、笑って、「とにかく、謹み給え位のことは言って置きましょう」 遠く満洲の方へ行った実の噂、お俊の縁談などをして、弟は帰った。
正太は兜町の方に居た。塩瀬の店では、皆な一日の仕事に倦(う)んだ頃であった。テエブルの周囲(まわり)に腰掛けるやら、金庫の前に集るやらして、芝居見物の話、引幕の相談なぞに疲労(つかれ)を忘れていた。煙草のけぶりは白い渦を巻いて、奥の方まで入って行った。 土蔵の前には明るい部屋が有った。正太は前に机を控えて、幹部の人達と茶を喫(の)んでいた。小僧が郵便を持って来た。正太宛(あて)だ。三吉から出した手紙だ。家の方へ送らずに、店に宛てて寄(よこ)すとは。不思議に思いながら、開けて見ると、内には手紙も無くて、水天宮の護符(まもりふだ)が一枚入れてあった。 正太はその意味を読んだ。思わず拳(こぶし)を堅めてペン軸の飛上るほど机をクラわせた。 「橋本君、そりゃ何だネ」と幹部の一人が聞いた。 「こういう訳サ」正太は下口唇を噛(か)みながら笑った。「昨日一人の叔父が電話で出て来いというから、僕が店から帰りがけに寄ったサ。すると、例の一件ネ、あの話が出て、可恐(おそろ)しい御目玉を頂戴した。この叔父の方からも、いずれ何か小言が出る。それを僕は予期していた。果してこんなものを送って寄した」 「何の洒落(しゃれ)だい」 「こりゃ、君、僕に……溺死(できし)するなという謎(なぞ)だネ」 「意見の仕方にもいろいろ有るナア」 幹部の人達は皆な笑った。 その日、正太は種々な感慨に耽(ふけ)った。不取敢(とりあえず)叔父へ宛てて、自分もまた男である、素志を貫かずには置かない、という意味を葉書に認めた。仕事をそこそこにして、横手の格子口から塩瀬の店を出た。細い路地の角のところに、牛乳を温めて売る屋台があった。正太はそれを一合ばかり飲んで、電車で三吉の家の方へ向った。 叔父の顔が見たくて、寄ると、丁度長火鉢の周囲(まわり)に皆な集っていた。正太は叔父の家で、自分の妻とも落合った。 「正太さん、妙なものが行きましたろう」 と三吉は豊世やお雪の居るところで言って、笑って、他の話に移ろうとした。豊世は叔父と相対(さしむかい)の席を夫に譲った。自分の敷いていた座蒲団を裏返しにして、夫に勧めた。 「叔父さん、確かに拝見しました」と正太が言った。「私から御返事を出しましたが、それは未だ届きますまい」 豊世は夫の方を見たり、叔父や叔母の方を見たりして、「私は先刻(さっき)から来て坐り込んでいます……ねえ叔母さん……何か私が言うと、宅は直ぐ『三吉叔父さんの許(ところ)へ行って聞いて御覧』なんて……」 こんな話を、豊世も諄(くど)くはしなかった。彼女は夫から巻煙草を貰って、一緒に睦(むつ)まじそうに吸った。 「バア」 三吉は傍へ来た種夫の方へ向いて、可笑(おかし)な顔をして見せた。 「叔母さん、私も子供でも有ったら……よくそう思いますわ」と豊世が言った。 「豊世さんの許でも、御一人位御出来に成っても……」とお雪は茶を入れて款待(もてな)しながら。 「御座いますまいよ」豊世は萎(しお)れた。 「医者に診(み)て貰ったら奈何(いかが)です」と言って、三吉は種夫を膝の上に乗せた。 「宅では、私が悪いから、それで子供が無いなんて申しますけれど……何方(どっち)が悪いか知れやしません」 「俺は子供が無い方が好い」と正太は何か思出したように。 「あんな負惜みを言って」 と豊世が笑ったので、お雪も一緒に成って笑った。 豊世は一歩(ひとあし)先(さき)へ帰った。正太は叔父に随(つ)いて二階の楼梯(はしごだん)を上った。正太は三吉から受取った手紙の礼を言った後で、 「豊世なぞは解らないから困ります。そりゃ芸者にもいろいろあります。ミズの階級も有ります。しかし、叔父さん、土地で指でも折られる位のものは、そう素人(しろうと)が思うようなものじゃ有りません。あの社会はあの社会で、一種の心意気というものが有ります。それが無ければ、誰が……教育あり品性ある妻を置いて……」 「いえ、僕はネ、君が下宿時代のことを忘れさえしなけりゃ――」 「難有(ありがと)う御座います。あの御守は紙入の中に入れて、こうしてちゃんと持ってます。今日は大に考えました」 こう言って、正太は激昂(げっこう)した眼付をした。彼は、真面目(まじめ)でいるのか、不真面目でいるのか、自分ながら解らないように思った。「とにかく肉的なと言ったら、私は素人の女の方がどの位肉的だか知れないと思います……」こんなことまで叔父に話して、微笑んで見せた。 「正太さん、何故君はそんなに皆なから心配されるのかね」 「どうも……叔父さんにそう聞かれても困ります」 「世の中には、君、随分仕たいことを仕ていながら、そう心配されない人もありますぜ。君のようにヤイヤイ言われなくても可(よ)さそうなものだ……何となく君は危いような感じを起させる人なんだネ」 「それです。塩瀬の店のものもそう言います――何処か不安なところが有ると見える――こりゃ大に省(かえり)みなけりゃ不可(いかん)ぞ」 その時、お雪が階下(した)から上って来て声を掛けた。 「父さん、※が見えました」 親戚の客があると聞いて、正太は叔父と一緒に二階を下りた。 「正太さん、この方がお福さんの旦那さんです」 商用の為に一寸上京した勉を、三吉は甥に紹介した。勉は名倉の母からの届け物と言って、鯣(するめ)、数の子、鰹節(かつおぶし)などの包をお雪の方へ出した。
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