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家(いえ)2 (下巻)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-8 10:50:37 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



 大掃除の日は、塵埃(ごみ)を山のように積んだ荷馬車が三吉の家の前を通り過ぎた。畳を叩(たた)く音がそこここにした。長い袖の着物を着て往来を歩くような人達まで、手拭(てぬぐい)を冠って、煤(すす)と埃(ほこり)の中に寒い一日を送った。巡査は家々の入口に検査済の札を貼付(はりつ)けて行った。
 早く暮れた。お雪は汚(よご)れた上掩(うわッぱり)を脱いで、子供や下婢(おんな)と一緒に湯へ行った。改まったような心地のする畳の上で、三吉はめずらしく郷里(くに)から出て来た橋本の番頭を迎えた。
「今御新造(ごしんぞ)さん(豊世)が買物に行くと言って、そこまで送って来てくれました。久し振で東京へ出たら、サッパリ様子が解りません」
 こう番頭が言って、橋本の家風を思わせるような、行儀の好い、前垂を掛けた膝(ひざ)を長火鉢の方へ進めた。
 番頭は幸作と言った。大番頭の嘉助が存命の頃は、手代としてその下に働いていたが、今はこの人が薬方(くすりかた)を預って、一切のことを切盛(きりもり)している。旧(ふる)い橋本の家はこの若い番頭の力で主に支(ささ)えられて来たようなもので有った。幸作は正太よりも年少(としわか)であった。
 黒光りのした大黒柱なぞを見慣れた眼で、幸作は煤掃(すすはき)した後の狭細(せせこま)しい町家の内部(なか)を眺め廻した。大旦那の噂が始まった。郷里(くに)の方に留守居するお種――三吉の姉――の話もそれに連れて出た。
「どうも大御新造(お種)の様子を見るに、大旦那でも帰って来てくれたら、そればかり思っておいでなさる。もうすこし安心させるような工夫は無いものでしょうか」
 世辞も飾りも無い調子で、幸作は主人のことを案じ顔に言った。姉の消息は三吉も聞きたいと思っていた。
「姉さんは、君、未だそんな風ですかネ」
「近頃は復(ま)た寝たり起きたりして――」
「困るねえ」
「私も実に弱って了(しま)いました。今更、大旦那を呼ぶ訳にもいかず――」
「達雄さんが帰ると言って見たところで、誰も承知するものは無いでしょう。僕も実に気の毒な人だと思っています……ねえ、君、実際気の毒な……と言って、今ここで君等が生優(なまやさ)しい心を出してみ給え、達雄さんの為にも成りませんやね」
「私も、まあそう思っています」
「よくよく達雄さんも窮(こま)って――病気にでも成るとかサ――そういう場合は格別ですが、下手(へた)なことは見合せた方が可いネ」
「大御新造がああいう方ですから、私も間に入って、どうしたものかと思いまして――」
「こう薬の手伝いでもして、子のことを考えて行くような、沈着(おちつ)いた心には成れないものですかねえ。その方が可いがナア」
「そういう気分に成ってくれると難有(ありがた)いんですけれど」
「姉さんにそう言ってくれ給え――もし達雄さんが窮(こま)って来たら、『窮るなら散々御窮りなさい……よく御考えなさい……是処(ここ)は貴方の家じゃ有りません』ッて。もし真実(ほんとう)に達雄さんの眼が覚(さ)めて、『乃公(おれ)はワルかった』と言って詫(わ)びて来る日が有りましたら、その時は主人公の席を設けて、そこで始めて旦那を迎えたら可いでしょうッて――」
 幸作は深い溜息(ためいき)を吐(つ)いた。
「実に妙なものです。ここは私も一つ蹈張(ふんば)らんけりゃ不可(いかん)、と思って、大御新造の前では強いことを言っていますが……時々私は夢を見ます。大旦那が大黒柱に倚凭(よりかか)って、私のことを『幸作!』と呼んでいるような――あんなヒドイ目に逢いながら、私はよくそういう夢を見ます。すると、眼が覚めた後で、私はどんな無理なことでも聞かなければ成らないような気がします……」
 こう話しているところへ、お雪が湯から帰って来た。三吉は妻の方を見て、
「オイ、幸作さんから橋本の薬を頂いたぜ」
「毎度子供の持薬に頂かせております」
 とお雪は湯上りのすこし逆上(のぼ)せたような眼付をして、礼を言った。
 幸作の話は若旦那のことに移った。小金の噂(うわさ)が出た。彼は正太の身の上をも深く案じ顔に見えた。
「実は御新造さんから手紙が来て、相談したいことが有ると言うもんですから、それで私も名古屋の方から廻って来ました」
「へえ、その為に君は出て来たんですか。そんなに大騒ぎしなくても可いことでしょう。豊世さんもあんまり気を揉(も)み過ぎる」
「何ですか心配なような手紙でしたから、大御新造には内証で」
「そう突(つッつ)き散(ち)らかすと、反(かえ)っていけませんよ」
 その晩、幸作は若旦那の家の方へ寝に行った。


 復たポカポカする季節に成った。三吉が家から二つばかり横町を隔てた河岸(かし)のところには、黄緑(きみどり)な柳の花が垂下った。石垣(いしがき)の下は、荷舟なぞの碇泊(ていはく)する河口で、濁った黒ずんだ水が電車の通る橋の下の方から春らしい欠伸(あくび)をしながら流れて来た。
 この季節から、お菊やお房の死んだ時分へかけて、毎年のように三吉は頭脳(あたま)が病めた。子を失うまでは彼もこんな傷(いた)みを知らなかったのである。半ば病人のような眼付をして、彼は柳並木の下を往(い)ったり来たりした。白壁にあたる温暖(あたたか)い日は彼の眼に映った。その焦々(いらいら)と萌(も)え立つような光の中には、折角彼の始めた長い仕事が思わしく果取(はかど)らないというモドカシさが有った。稼(かせ)ぎに追われる世帯持の悲しさが有った。石垣に近く漕(こ)いで通る船は丁度彼の心のように動揺した。
 三吉は土蔵の間にある細い小路(こうじ)の一つを元来た方へ引返して行った。彼はこういう小路だけを通り抜けて家まで戻ることが出来た。
 お俊の母親が彼を待受けていた。
「姉さんが先刻(さっき)から被入(いらし)って、貴方を待ってますよ」
 とお雪は長火鉢の傍で言った。煙草を吸付けて、それを嫂(あによめ)にすすめていた。
 金の話はとかく親類を気まずくさせた。それに仕事の屈託で、髪も刈らず髭(ひげ)も剃(そ)らず、寝起のように憂鬱(ゆううつ)な三吉の顔を見ると、お倉は言おうと思うことを言い兼ねた。不幸な嫂の話は廻りくどかった。
畢竟(つまり)、先方(さき)の家では宗さんの世話が出来ないと言うんですか」
 こう言って三吉は遮(さえぎ)った。
「いえ、そういう訳じゃ無いんですよ」とお倉は寂しそうに微笑(ほほえ)みながら、「先方だってもあの通り遊んでいるもんですから、世話をしたいは山々なんです。なにしろ手の要(かか)る病人ですからねえ。それに物価はお高く成るばかりですし……」
 復た復たお倉の話は横道の方へ外(そ)れそうなので、三吉の方では結末を急ごうとした。
「あれだけ有ったら、いきそうなものですがナア」
「そこですよ。もう二円ばかりも月々増して頂かなければ、御世話が出来かねるというんです」
「姉さん、どうです」と三吉は串談(じょうだん)のように、「貴方の方で宗さんを引取っては。私の方から毎月の分を進(あ)げるとしたら、その方が反(かえ)って経済じゃ有りませんか」
真平(まっぴら)」とお倉は痩細(やせほそ)った身体を震わせた。「宗さんと一緒に住むのは、死んでも御免だ」
 傍に聞いているお雪も微笑んだ。
 病身な宗蔵は、実の家族から、「最早お目出度く成りそうなもの」と言われるほど厄介に思われながら、未だ生きていた。実の出発後は、三吉がこの病人の世話料を引受けて、月々お俊の家へ渡していた。どんなに三吉の方で頭脳(あたま)の具合の悪い時でも、要(い)るだけのものは要った。無慈悲な困窮は迫るように実の家族の足を運ばせた。
「折角、姉さんに来て頂いたんですけれど、今日は困りましたナア」
 と三吉は額に手を宛てた。とにかく、増額を承諾した。金は次の日お俊に取りに来るようにと願った。
 お俊が縁談も出た。
「御蔭様で、結納(ゆいのう)も交換(とりかわ)しました。これで、まあ私もすこし安心しました」
 とお倉はお雪の方を見て言った。
 この縁談が纏(まと)まるにつけても、お俊の親に成るものは森彦と三吉より他に無かった。森彦の発議で、二人はお俊の為に互に金を出し合って、一通りの結婚の準備(したく)をさせることにした。
「姉さん、まあ御話しなすって下さい。私は多忙(いそが)しい時ですから一寸失礼します」
 こう言い置いて、三吉は二階の部屋へ上って行った。
 仕事は碌(ろく)に手につかなかった。三吉が歩きに行って来た方から射し込む日は部屋の障子に映(あた)った。河岸の白壁のところに見て来た光は、自分の部屋の黄ばんだ壁にもあった。それを眺めていると、仕事、仕事と言って、彼がアクセクしていることは、唯身内の者の為に苦労しているに過ぎないかとも思わせた。


「一寸俺は用達(ようたし)に行って来る。着物を出してくんナ」
 三吉は二階から下りて来て、身仕度(みじたく)を始めた。お倉は未だ話し込んでいた。お雪は白足袋(しろたび)の洗濯したのを幾足か取出して見て、
「一二度外へ行って来ると、もうそれは穿(は)かないんですから、幾足あったって堪(たま)りませんよ」
 こんなことを言って笑いながら、中でも好さそうなのを択(よ)って夫に渡した。三吉は無造作に綴合(とじあわ)せた糸を切って、縮んだ足袋を無理に自分の足に填(は)めた。
「姉さん」と三吉はコハゼを掛けながら、「満洲の方から御便は有りますか」
「ええ、無事で働いておりますそうです――皆さんにも宜(よろ)しく申上げるようにッて先頃も手紙が参りました」
「ウマくやってくれると可(よ)う御座んすがナア」
「さあ、私もそう思っています」
「まだ家の方へ仕送りをするというところまでいきませんかネ」
「どうして……でも、まあ彼方(あちら)に親切な方が有りまして、よく見て下さるそうです」
 頼りないお倉は「親切な」という言葉に力を入れ入れした。嫂を残して置いて、三吉は家を出た。
 森彦は旅舎(やどや)の方に居た。丁度弟が訪ねて行った時は、電話口から二階の部屋へ戻ったところで、一寸手紙を書くからと言いながら、机に対(むか)っていそがしそうに筆を走らせた。やがてその手紙を読返して見て、封をして、三吉の方へ向くと同時に手を鳴らした。
「これは急ぎの手紙ですから、直に出して下さい」
 と森彦は女中に言附けて置いて、それから弟の顔を眺めた。
「今日はすこし御願が有ってやって来ました」
 こういう三吉の意味を、森彦は直に読むような人であった。「まあ、待てよ」と起上(たちあが)って、戸棚(とだな)の中から新しい菓子の入った鑵(かん)を取出した。
「貴方の方で宗さんの分を立替えて置いて頂きたいもんですがナア」と三吉は切出した。
「ホ、お前の方でもそうか」と森彦は苦笑(にがわらい)して、「俺は又、お前の方で出来るだろうと思って、未だお俊の家へは送れないでいるところだ――困る時には一緒だナア」
 二人の話は宗蔵や実の家の噂に移って行った。
真実(ほんと)に、宗蔵の奴は困り者だよ。人間だからああして生きていられるんだ。これがもし獣(けだもの)で御覧、あんな奴は疾(とっく)に食われて了(しま)ってるんだ」
「生きたくないと思ったって、生きるだけは生きなけりゃ成りません……宗さんのも苦しい生活ですネ」
「いえ、第一、彼奴(あいつ)の心得方が間違ってるサ。廃人なら廃人らしく神妙にして、皆なの言うことに従わんけりゃ成らん。どうかすると、彼奴は逆捩(さかねじ)を食わせる奴だ……だから世話の仕手も無いようなことに成って了う」
「一体、吾儕(われわれ)がこうして――殆(ほと)んど一生掛って――身内のものを助けているのはそれが果して好い事か悪い事か、私には解らなく成って来ました。貴方なぞはどう思いますネ」
 森彦は黙って弟の言うことを聞いていた。
「吾儕が兄弟の為に計ったことは、皆な初めに思ったこととは違って来ました。俊を学校へ入れたのは、彼女(あれ)に独立の出来る道を立ててやって、母親(おっか)さんを養わせる積りだったんでしょう。ところが、彼女は学校の教師なぞには向かない娘に育って了いました。姉さんだってもそうでしょう、弱い弱いで、可傷(いたわ)られるうちに、今では最早真実(ほんと)に弱い人です。吾儕は長い間掛って、兄弟に倚凭(よりかか)ることを教えたようなものじゃ有りませんか……名倉の阿爺(おやじ)なぞに言わせると、吾儕が兄弟を助けるのは間違ってる。借金しても人を助けるなんて、そんな法は無いというんです」
「むむ、それも一理ある」と森彦は快活な声で笑出した。「確かに、阿爺(おとっ)さんのは強い心から来ている。それが阿爺さんをして名倉の家を興させた所以(ゆえん)でもある。確かに、それは一つの見方に相違ない。が、俺は俺で又別の見方をしている。こうして十年も旅舎に寝転(ねころ)んで、何事(なに)を為(し)てるんだか解らない人だと世間から思われても、別に俺は世間の人に迷惑を掛けた覚は無し、兄貴のところなぞから鐚(びた)一文でも貰って出たものでは無いが、それでもああして俊の家を助けている――俺は俺の為ることを為てる積りだ」
「これがネ、一月や二月なら何でもないんですが、長い年月の間となると、随分苦しい時が有りますネ」
「いや、どうして、ナカナカ苦しい時があるよ」
 兄の笑声に力を得て、三吉は他に工面する積りで起上った。何のかんのと言って見たところで、弱い人達が生きている以上は、どうしてもそれを助けない訳にいかなかった。「食わせてくれれば食うし、食わせてくれなければそれまで」と言ったような、宗蔵の横に成った病躯(からだ)には実に強い力が有った。
「そうかい。折角来たのに御気の毒でした」
 と森彦は弟を見送りに出て言った。


 お俊は三吉叔父の家をさして急いで来た。未来の夫としてお俊が択(えら)んだ人は、丁度彼女と同じような旧家に生れた壮年(わかもの)であった。ふとしたことから、彼女はその爽快(そうかい)で沈着な人となりを知るように成ったのである。この縁談が、結納を交換(とりかわ)すまでに運ぶには、彼女は一通りならぬ苦心を重ねた。随分長い間かかった。一旦(いったん)談(はなし)が絶えた。復た結ばれた。その間には、叔父達は早くキマリを付けさせようとばかりして、彼女の心を思わないようなことが多かった。「どうでも叔父さん達の宜しいように」こう余儀なく言い放った場合にも、心にはこの縁談の結ばれることを願ったのであった。
 三吉叔父の矛盾した行為(おこない)には、彼女を呆(あき)れさせることが有る。叔父は一度、ある演壇へあの体躯(からだ)を運んだ。その時はお延も一緒で、婦人席に居て傍聴した。叔父が「女も眼を開いて男を見なければ不可(いけない)」と言ったことは、未だ忘られずにある。その叔父が姪(めい)の眼を開くことはどうでも可いような仕向が多かった。叔父は自分に都合の好いような無理な注文ばかりした。
 小泉の家の零落――それがお俊には唯悲しかった。それを思うと、涙が流れた。
 叔母のお雪は門のところに居た。種夫を背中に乗せて楽隊の通るのを見せていた。
「種ちゃん、おんぶで好う御座んすね」
 こう言って、お俊は叔母と一緒に家の内へ入った。
 三吉は二階で仕事を急いでいた。お俊が楼梯(はしごだん)を上って、挨拶に行くと、急に叔父は厳格に成った。
「叔父さん、昨日は母親(おっか)さんが上りまして――」
 とお俊は手を突いて言った。
「オオ、お前が来るだろうと思って、待っていた。まあ、是方(こっち)へお入り」
 お俊の前に堅く成って坐っている三吉は、楽しい一夏を郊外で一緒に送った頃の叔父とは別の人のようで有った。よく可笑(おかし)な顔付をして、鼻の先へ皺(しわ)を寄せたり、口唇(くちびる)を歪(ゆが)めたりして、まるで古い能の面にでも有りそうなトボケた人相をして見せて、お俊やお延を笑わせたような、そんな忸々(なれなれ)しさは見られなかった。
 三吉は自分でもそれに気がついていた。お俊と相対(さしむかい)に成ると、我知らず道徳家めいた口調に成ることを、深く羞(は)じていた。そして、言うことが何となく虚偽(うそ)らしく自分の耳にも響くことを、心苦しく思っていた。不思議にも、彼はそれをどうすることも出来なかった……お俊の結婚に就(つ)いても、もっとユックリした気分で、こうしたら可かろうとか、ああしたら可かろうとか、種々話してやりたいと心に思っていた。妙に口へ出て来なかった……唯……「叔母さんの留守に、叔父さんは私の手を握りました――」と人に言われそうな気がして、お俊の顔を見ると何事(なんに)も言えなかった。どんな為になることを言っても、為(し)ても、皆なその一点に打消されて了うような気もした。三吉は心配して作って置いた約束の金を取出した。苦しむ獣のような目付をして、それを姪の前に置いた。
「何故、叔父さんはこうだろう……」
 とお俊は自分で自分に言ってみて、宗蔵の世話料を受取った。
 長くも居られないような気がして、お俊は一寸礼を述べて、やがて階下(した)へ下りた。
 お雪の居る部屋には、仕事が一ぱいにひろげてあった。叔母は長火鉢のところで茶を入れて、キヌカツギなぞを取出しながら、姪と一緒に上野や向島の噂をした。
「父さん、御茶が入りました」
 とお雪は楼梯(はしごだん)の下から声を掛けたので、三吉も下りて来た。三人一緒に成ってからは、三吉も機嫌(きげん)を直した。叔母や姪は睦(むつ)まじそうに笑った。
 何処までもお俊は気をタシカに持って、言うことだけは叔父に言って置こうという風で、
「叔父さん――昨日母親さんに御話が有ったそうですが、宗蔵叔父さんと一緒に成ることは御断り申します」
 と帰りがけに、口惜(くや)しそうに言った。
 三吉は苦笑した。腹(おなか)の中で、「なにも俺は、無理に一緒に成れと言ったんじゃ無いんだ――串談(じょうだん)半分に、一寸そんなことを言って見たんだ――お前達はそう釈(と)って了うから困る」こうも思ったが、あまりお俊にキッパリ出られたので、それを言う気に成らなかった。
 姪が帰って行った後で、三吉は深い溜息(ためいき)を吐(つ)いた。
「何故、俊はああだろう」
 とお雪に言って見た。叔父の心は姪に解らず、姪の心は叔父に解らなかった。


 不意な出来事が実の留守宅に起った。お鶴を病院へ入れなければ成らない。この報知(しらせ)を持って、お延は三吉の家へ飛んで来た。不図した災難が因(もと)で、お鶴は発熱するように成ったのであった。
 間もなくお鶴は病院の方へ運ばれた。一週間ばかり煩(わずら)った後で、脳膜炎で亡くなった。
 河岸(かし)の柳の花も落ち始める頃、三吉は不幸な娘の為に通夜をする積りで、お俊の家をさして出掛けた。お雪も、子供を下婢(おんな)に托(たく)して置いて、夫よりは一歩(ひとあし)先(さき)に出た。
 親戚は実の留守宅へ集って来た。森彦、正太夫婦を始め、お俊が父方の遠い親戚とか、母方の縁者とか、そういう人達まで弔(くや)みを言い入れに来た。混雑(ごたごた)したところへ、丁度三吉も春先の泥をこねてやって来た。「鶴(つう)ちゃんも、可哀そうなことをしましたね」こういう言葉が其処(そこ)にも是処(ここ)にも交換(とりかわ)された。台所の方には女達が働いていた。
「ここの家は神葬祭だネ。禰宜(ねぎ)様を頼まんけりゃ成るまい」と森彦はお倉の方を見て言った。
「宗さんの旧(ふる)い歌仲間で、神主をしてる人があります」とお倉が答えた。「母親(おっか)さんの生きてる時分には、よくその人を頼んで来て貰いました」
「よし。では、正太は気の毒だが、その禰宜様のところへ行って来てくれや」
「正太さん、僕も一緒に行きましょう」
 と三吉は甥(おい)の側へ寄った。
 遠い神主の寓居(すまい)の方から、三吉、正太の二人が帰って来た頃は、近い親戚のものだけ残った。お倉は取るものも手に着かないという風で、唯もう狼狽(ろうばい)していた。お俊は一人で気を揉(も)んだ。会計も娘が預った。
「お雪」と三吉が声を掛けた。「お前は今日は御免蒙(こうむ)ったら可かろう」
「叔母さん、何卒(どうぞ)御帰りなすって下さい」とお俊が言った。
 奥に机を控えていた森彦は振向いた。「そうだ。子持は帰るが可い。俺もこの葉書を書いたら、今日は帰る……通知はなるべく多く出した方が可いぞ……俊、もっと葉書を出すところはないか。郷里(くに)の方からもウント香典を寄(よこ)して貰わんけりゃ成らん」
 死んだ娘の棺を側に置いて、皆な笑った。
 暮れてから、通夜をする為に残った人達が一つところへ集った。豊世は正太の傍へ行って、並んで睦まじそうに坐った。
「世間の評判では、僕は細君の尻(しり)に敷かれてるそうだ」
 こう正太は当てつけがましいことを言って、三吉やお倉の方を見ながら笑った。豊世は俯向(うつむ)いて、萎(しお)れた。
 お倉は娘の棺の方へ燈明の油を見に行った。復(ま)た皆なの方へ戻って来て、
「正太さんの所でも御越しに成ったそうですネ」
「ええ」と正太は受けて、「叔母さんも御淋(おさび)しく成りましたろうから、ちと御話に被入(いらし)って下さい。今度は三吉叔父さんと同じ川の並びへ移りました」
「三吉叔父さんは一度被入(いらし)って下さいました」と豊世がお倉に言った。
「今度の家は好いよ」と三吉は正太を見て、「第一、川の眺望(ながめ)が好い」
「延ちゃんも姉さんと一緒に遊びにお出」と正太は娘達の方を振向いた。
 土器(かわらけ)の燈明は、小泉を継がせる筈(はず)のお鶴の為に、最後の一点の火のように燃(とぼ)った。お倉は、この名残(なごり)の住居で、郷里(くに)の方にある家の旧い話を始めた。弟、娘、甥、姪などの視線は、過去った記憶を生命(いのち)としているような不幸な婦(おんな)の方へ集った。
 お倉はよく覚えていた。家を堅くしたと言われる祖父が先代から身上(しんしょう)を受取る時には、銭箱に百文と、米蔵に二俵の貯(たくわ)えしか無かった。味噌蔵も空であった。これでどうして遣(や)って行かれると祖父祖母が顔を見合せた時に、折よく大名が通りかかって、一夜に大勢の客をして、それから復た取り付いた。こんな話から始めて、街道一と唄(うた)われた美しい人が家に生れたこと、その女の面影をお倉もいくらか記憶していることなぞを語り聞かせた。
「へえ、叔母さんは真実(ほんと)に覚えが好い」と正太も昔懐(なつか)しい眼付をした。
 お倉の話は父忠寛の晩年に移って行った。狂死する前の忠寛は、眼に見えない敵の為に悩まされた。よく敵が責めて来ると言い言いした。それを焼払おうとして、ある日寺院(てら)の障子に火を放った。親孝行と言われた実も、そこで拠(よんどころ)なく観念した。村の衆とも相談の上、父の前に御辞儀をして、「子が親を縛るということは無い筈ですが、御病気ですから許して下さい」と言って、後ろ手にくくし上げた。それから忠寛は木小屋に仮に造った座敷牢(ろう)へ運ばれた。そこは裏の米倉の隣りで、大きな竹藪(たけやぶ)を後にして、前手(まえで)には池があった。日頃一村の父のように思われた忠寛のことで、先生の看護と言って、村の人々はかわるがわる徹夜で勤めに来た。附添に居た母の座敷は、別に畳を敷いて設けた。そこから飲食(のみくい)する物を運んだ。どうかすると、父は格子のところから母を呼んだ。「ちょっと是処へ来さっせ」と油断させて置いて、母の手のちぎれる程引いた。薄暗い座敷牢の中で、忠寛の仕事は空想の戦を紙の上に描くことで有った。さもなければ、何か書いてみることであった。忠寛は最後まで国風(こくふう)の歌に心を寄せていた。ある時、正成の故事に傚(なら)って、糞合戦(くそがっせん)を計画した。それを格子のところで実行した。母も、親戚も、村の人も散々な足利勢(あしかがぜい)であった……
 皆な笑い出した。
「私は阿爺(おとっ)さんの亡くなる時分のことをよく知りません。御蔭で今夜は種々なことを知りました」と三吉は嫂に言った。「あれで、阿爺さんは、平素(ふだん)はどんな人でしたかネ」
「平素ですか。癇(かん)さえ起らなければ、それは優しい人でしたよ。宗さんが、貴方、子供の時分と来たら、ワヤク(いたずら)なもんで、よく阿爺さんにお灸(きゅう)をすえられました……阿爺さんはもう手がブルブル震えちまって、『これ、誰か来て、早く留めさっせれ』なんて……それほど気の優しい、目下のものにも親切な人でしたよ」
「種々なことを聞いて見たいナア。ああいう気性の阿爺さんですから、女のことなぞはサッパリしていましたろうネ」
「ええ、ええ、サッパリ……でも、癇の起った時なぞは、どうかするとお末が母親さんや私達の方へ逃げて来ましたよ……お末という下婢(おんな)が家に居ましたあね」
「へえ、阿爺さんのような人でもそんなことが有りましたか」
 三吉は正太と顔を見合せた。誰かクスクス笑った。
 その晩は、三吉、正太夫婦なぞが起きていて、疲れた親子を横に成らせた。お倉は、遠い旅にある夫、他(よそ)へ嫁(かたづ)く約束の娘、と順に考えて、寝ても寝られないという風であった。心細そうに、お俊の方へ身体を持たせ掛けた。
「鶴ちゃんが死んで了えば、私はもう誰にも掛るものが無い――真実(ほんと)に、一人ぼッち」
「母親さん、そんなことを言うもんじゃ無くってよ」


「ヤア、ヤア――どうも御苦労様でした」
 お鶴の葬式が済んだ後で、三吉は正太を自分の家へ誘って来た。一緒に二階の部屋へ上った。
 お雪は夫の好きな茶を入れて持って来た。障子を開けひろげて、三吉は正太と相対(さしむかい)に坐った。
「叔母さん、すこし吾家(うち)も片付きました。ちと何卒(どうぞ)被入(いらし)って下さい。経師屋(きょうじや)を頼みまして、二階から階下(した)まですっかり張らせました」
「正太さんの今度の御家は大層見晴しが好いそうですネ」
「ええ、まあ川はよく見えます。そのかわり蛞蝓(なめくじ)の多いところで、これには驚きました。匍(は)った痕(あと)が銀色して光っています。なんでもあの辺から御宅あたりへ掛けて、蛞蝓が名物ですトサ……叔父さんも何卒(どうぞ)復たお近いうちに……御宅から吾家(うち)までは、七八町位のものですから、運動かたがた歩いて被入(いらっ)しゃるには丁度好う御座んす」
 夕日は部屋の内に満ちて来た。河岸の方から町中へ射し込む光線は、屋根と屋根の間を折れ曲って、ある製造場の高い硝子(ガラス)を燃えるように見せた。お雪は縁側へ出て町の空を眺(なが)めたが、やがて子供の泣声を聞いて、階下(した)へ下りて行った。
「正太さん、女達の間に一つ問題が持上っています。兄貴の家も妙なことに成りましたろう。娘があっても、後を継がせるものが無い。俊が嫁に行って了えば、もうそれッきりということに成って来た。鶴に養子をする――そのつもりで兄貴も出て行ったんです。鶴が居なく成った。俊はどうしたものか。私なら親の方に残るという説と、私はお嫁に行っても差支(さしつかえ)ないと思うという説と、女達の間に問題に成っているんです」
「私も婚約を破るということは、不賛成です。結納でも交換(とりかわ)してなければ格別、交換してある以上は、無論これは夫婦にすべきものと思います」
「僕も、まあそう思うがネ」
「叔父さん、お俊ちゃんの方が先へお嫁に行ったと思って御覧なさい。後で鶴ちゃんが死んだとしましょう。どうすることも出来ないじゃ有りませんか」
「当人同志の意志を重んじなけりゃ成らんネ。俊もウマクやってくれると可いがナ。これで、君、俊が嫁に行き、鶴が死に……でしょう。これから兄貴がどう盛返(もりかえ)すか知らんが――長い歴史のある小泉の家は、先(ま)ず事実に於(お)いて、滅びたというものだネ」
 しばらく二人は、夕日を眺めて、黙って相対していた。
「正太さん、君なり、僕なり、俊なりは……言わば、まあ旧い家から出た芽のようなものさネ。皆な芽だ。お互に思い思いの新しい家を作って行くんだネ」
「どうかすると、橋本の家は私で終(おしまい)に成るかも知れないぞ」
 正太は考深い眼付をした。
「旧い人は駄目だなんて、言ったって……新しい時代の人だって、頼甲斐(たのみがい)があるとは言われないネ」
「ナカナカ」
 その時、種夫が一生懸命に楼梯(はしごだん)につかまってノコノコ階下(した)から上って来た。ヒョッコリ頭を出したので、三吉は子供の方へ起(た)って行った。
「オイ、お雪、危いねえ」と三吉は階下へ聞えるように怒鳴った。
「種ちゃんはもう、ずんずん独(ひと)りで上るんですもの」とお雪は階下から答えた。
「なんだか危くって仕様がない。早く来て、連れておいで」
「種ちゃんいらッしゃい」
「ア、到頭上って来ちゃった」
 と正太も種夫の方を見て笑った。
 そのうちに暮れかかって来た。町々の屋根は次第に黄昏時(たそがれどき)の空気の中へ沈んで行った。製造場の硝子戸には、未だ僅(わず)かに深い反射の色が残った。下婢(おんな)は階下(した)から洋燈(ランプ)を持って上って来た。三吉はマッチを摺(す)った。二階には燈火(あかり)が点(つ)いた。正太はそれを眺めて、自分の家の方でも最早燈火が点いたかと思った。

        六

 橋本のお種が娘お仙を連れて上京するという報知(しらせ)が、正太の家の方へ来た。半歳(はんとし)も考えて旅に出る人のように、いよいよお種が故郷を発(た)つと言って寄(よこ)したのは、七月下旬に入ってからのことであった。
漸(ようや)く、私の待っていたような日が来た。番頭の幸作も養子分に引直して、今では家のもの同様である。それに嫁まで取って宛行(あてが)ってある。私も、留守を預けて置いて、発(た)つことが出来る。お前達はどういう日を送っているか。お仙と二人で、そちらの噂(うわさ)をしない日は無い。お前達の住む東京を、お仙にも見せたい……叔父さんや叔母さん達にも逢(あ)わせたい……」という意味が、お種の手紙には長々と認(したた)めてあった。
 この母からの便りを叔父達に知らせる積りで、先(ま)ず正太は塩瀬の店を指して出掛けようとした。
 同じ河の傍でも、三吉や直樹の住むあたりから見ると、正太の家は厩橋(うまやばし)寄の方であった。その位置は駒形(こまがた)の町に添うて、小高い石垣の上にある。前には埋立地らしい往来がある。正太は家を出て、石段を下りた。朝日が、川の方から、家の前の石垣のところへ映(あた)っていた。それを眺(なが)めると、母や妹の旅立姿が彼の眼に浮んだ……日頃、女は家を守るものと定(き)めて、めったに屋敷の外へ出たことも無いお種――そういう習慣の人が、自分から思立って上京する気に成ったとは。正太は、あの深い屋根の下に※(もが)き悶(あが)いていた母の生涯を思わずにいられなかった。
 塩瀬の店の車に乗って用達(ようたし)に馳廻(かけまわ)った後、正太は森彦叔父の旅舎(やどや)へ立寄り、それから引返して三吉叔父の家の前に車を停めた。丁度三吉は下座敷に居た。叔父の顔を見ると、正太は相場の思惑(おもわく)にすこし手違いを生じたことから、遣繰(やりくり)算段して母を迎える打開話(うちあけばなし)を始めた。
「へえ、お仙ちゃんを連れて? 姉さんも出て来るにはすこし早いナ」
 と三吉は首を傾(かし)げていた。
「叔父さんもそうお思いでしょう」と正太は不安らしく、「どうも母親(おっか)さんは……阿爺(おやじ)に逢うのを目的にして出て来る様子です。いろいろ綜合して、私も考えて見ました。いずれこれは、何処(どこ)かの温泉場へ阿爺を呼寄せて、そこで会見しようという希望が、母親さんに有るらしいんです……どうもそうらしい……唯母親さんが出て来るものとは、どうしても私に思われません」
 猶(なお)、的確(たしか)に言うために、正太は幸作から近く来た手紙の模様を叔父に話した。両親が、世間へは内証で、互に消息を通わせていることをも話した。
「母親さんからどういう手紙が行くものですか、それは解りませんが――」と正太はその話を継いで、「阿爺の手紙は、豊世が受取って、それから母親さんの方へ取次いでいます。時々、私も目を通します……」
「どんな風に、君の父親(おとっ)さんからは書いて寄すものかネ」と三吉が聞いた。
「あの年齢(とし)に成って、ああいう手紙を交換(とりかわ)してるものかと思うと、驚く……」と言って、正太は歎息して、「私達が書く手紙なぞとは、全然(まるっきり)違ったものなんです」
「どうでしょう、仮に、達雄さんが郷里(くに)へ帰ったとしたら――」
「そりゃ、叔父さん、阿爺が帰れば必ず用いられます――土地に人物は少いんですからネ。そこです。用いられれば、必ず復(ま)た同じことを繰返します。そりゃあ、もう目に見えています」
 叔父に逢って談話(はなし)をして見ると、正太は頭脳(あたま)がハッキリして来た。父の家出――つづいて起った崩壊の光景――その種々(さまざま)の記憶が彼の胸に浮んで来た。三吉の方でも、甥(おい)の顔を眺めているうちに、何となく空恐しい心地(こころもち)に成った。
「こりゃ姉さんにも、すこし考えて貰わんけりゃ成らんネ」と三吉が言出した。
 正太は力の籠(こも)った語気で、「ですから、私は母親さんを引留めようと思います……」
「大きにそうだ。今ここで、下手に会見なぞさせる場合では無いネ」
「もし母親さんが是方(こちら)へ参りましたら、叔父さんからもよく話して遣(や)って下さい」
 お種が帰らない夫を待つことは、最早(もう)幾年に成る、とその時三吉も数えて見た。娘お仙を夫に逢わせて見たら、あるいは――一旦(いったん)失われた父らしい心胸(こころ)を復た元へ引戻すことも出来ようか――離散した親子、夫婦が集って、もう一度以前のような家を成したい――こう彼女が、一縷(いちる)の希望を夫に繋(つな)ぎながら、心竊(ひそ)かに再会を期して上京するというは、三吉にも想像し得るように思われた。
 門前には、車が待っていた。正太は車夫を呼んで、心忙(こころぜわ)しそうに自分の家の方へ帰って行った。


 お種がお仙と一緒に東京へ着いた翌々日、正太はその報告がてら、一寸(ちょっと)復た三吉叔父の家へ寄った。
「一昨日、母も無事に着きました」と正太は入口の庭に立ったまま、すこし改まって言った。
「お雪」と三吉は妻の方を見て、「姉さん達も御着に成ったとサ」
 お雪は最早三番目の男の児を抱いている頃であった。橋本の姉の上京と聞いて、微笑(ほほえ)みながら上(あが)り端(はな)のところへ来た。
「月でも更(かわ)りましたら、御緩(ごゆっく)り入来(いら)しって下さい」と正太は叔父叔母の顔を見比べて、「叔母さんも、何卒(どうぞ)叔父さんと御一緒に――母もネ、着きました晩なぞは非常に興奮していまして、こんな調子じゃ困ったもんだなんて、豊世と二人で話しましたが、昨日あたりから大分それでも沈静(おちつ)いて来ました――」
 簡単に母の様子を知らせて置いて、正太は出て行った。
 月でも更ったらと、正太が言ったが、久し振りで三吉は姉に逢おうと思って、その日の夕方から甥の家を訪ねることにした。種夫に着物を着更えさせて、電車で駒形(こまがた)へ行った時は、橋本とした軒燈(ガス)が石垣の上に光り始めていた。三吉は子供を抱き擁(かか)えて、勾配(こうばい)の急な石段を上った。
「種ちゃん、父さんと御一緒に――よく被入(いら)しって下さいましたねえ」と豊世が出て迎えた。
「坊ちゃま、さあアンガなさいまし」女中の老婆も顔を出した。
「こんな小さな下駄(かっこ)を穿(は)いて――」と復た、子の無い豊世がめずらしそうに言った。
 間もなく、三吉はお種やお仙と挨拶(あいさつ)を交換(とりかわ)した。遠慮の無い種夫は、綺麗に片付けてある家の内を歩き廻った。お種は自分の方へ子供を抱寄せるようにして、
「種ちゃん――これが木曾(きそ)の伯母さんですよ。お前さんの姉さん達は、よくこの伯母さんが抱ッこをしたり、負(おん)ぶをしたりしたッけが……」と言って、お仙の方を見て、「お仙や、あのワンワンをここへ持って来て御覧」
 お仙は、箪笥(たんす)の上にある犬の玩具(おもちゃ)を取出して、種夫に与えた。
「叔父さん、二階の方へいらしって下さい」と正太が先に立って言った。
「そうせまいか。二階で話さまいか」と言って、お種は子供を背中に乗せて、「お仙もいらっしゃい」
「母親さん、危う御座んすよ」と豊世は灯の点(つ)いた洋燈(ランプ)を持ちながら、皆なの後から階梯(はしごだん)を上った。
 二階は、水楼の感じがすると、三吉が来る度(たび)に言うところで、隅田川(すみだがわ)が好く見えた。対岸の町々の灯は美しく水に映じていた。正太に似て背の高いお仙は、縁側の欄(てすり)に近くいて、母や叔父の話を聞こうとした。この娘の癖で、どうかすると叔父の顔に近く自分の処女(おとめ)らしい顔を寄せて、言い難い喜悦(よろこび)の情を表わそうとした。お仙は二十五六に成るとは見えなかった。ずっと若く見えた。
「どうだネ、お仙、三吉叔父さんにお目に掛ってどんな気がするネ」
 と母に言われて、お仙は白い繊細(ほそ)い手を口に宛行(あてが)いながら、無邪気に笑った。
彼女(あれ)は、どの位嬉しいか解(わから)ないところだ」とお種は三吉に言って聞かせた。「お前さん達のことばかり言い暮して来た。彼女が郷里(くに)へ連れられて行ったのは、六歳(むっつ)の時だぞや。碌(ろく)に記憶(おぼえ)があらすか。今度初めて東京を見るようなものだわい」
 種夫はすこしも静止(じっと)していなかった。部屋の内は正太の趣味で面白く飾ってあったが、子供はそんなことに頓着(とんじゃく)なしで、大切な道具でも何でも玩具にして遊ぼうとした。
「種ちゃん、いらッしゃい、豊世叔母ちゃんが負(おん)ぶして進(あ)げましょう――表の方へ行って見て来ましょうネ」
 と豊世は種夫を連れて、階下(した)へ行った。やがて、往来の方からお仙を呼ぶ声がした。
「お仙ちゃんも、そこいらまで一緒に見に行きませんか」
 豊世が誘うままに、お仙も町の夕景色を見に出掛けた。
 正太は母や叔父を款待(もてな)そうとして、階梯(はしごだん)を上ったり下りたりした。二階の縁側に近く煙草盆(たばこぼん)を持出して、三吉はお種と相対(さしむかい)に坐った。お種が広い額には、何となく憂鬱(ゆううつ)な色が有った。でも案じた程でも無いらしいので、三吉もやや安心して、亡くなった三人の子供の話なぞを始めた。山で別れてから以来(このかた)、お種は言いたいことばかり、何から話して可いか解らない程であった。
「房ちゃん達のことを思うと、種夫もよくあれまでに漕付(こぎつ)けましたよ。どの位手数の要(かか)ったものだか知れません」
「そうさ――どうも見たところが弱そうだ」
 姉弟(きょうだい)が話の糸口は未だ真実(ほんとう)に解(ほど)けなかった。急に、正太は階下(した)から上って来て、洋燈の置いてあるところに立った。
「母親さん、お仙ちゃんが居なくなったそうです」
 こう坐りもせずに言った。思わず三人顔を見合せた。

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