舁ぎ込まれた一丁の駕籠
と、その時一丁の駕籠が、森の中へ担ぎ込まれた。 「こんな深夜にこんな所へ、担ぎ込まれるとは不思議千万、何か様子があるらしい」弓之助は社の背後へ隠れた。 「おお先棒もうよかろう」「おっと合点、さあ下ろせ」 駕舁きはトンと駕籠を下ろした。それから額の汗を拭いた。それからヒソヒソと囁き合った。 「おい姐さん、用があるんだ、ちょっくら駕籠から出ておくんなせえ」後棒の方がこういった。 「あい」と可愛らしい声がした。「もう着いたのでございますか」中から垂れが上げられた。「おやここは森の中、駕舁きさん、厭ですねえ。気味が悪いじゃあありませんか。どうぞ冗談なさらずに着ける所へ着けておくんなさい」言葉の調子が町娘らしい。 「まあ姐さん、急なさんな。着ける所は眼の先だ。がその前にご相談、厭でも諾いて貰わなけりゃあならねえ」こういったのは先棒であった。「おお後棒、もうよかろう。お前からじっくりいい聞かせてやんねえ」両膝を立ててうずくまり、腰の辺りを探ったのは、煙管でも取り出そうとするのだろう。 先棒は及び腰をして覗き込んだ。 「のう姐さん、もうおおかた、見当は着いているだろう。いかにも俺らは駕舁きだ。が、問屋場に腰掛けていて、いちいちお客様のお出でを待って、飛び出すような玉じゃあねえ。もうちっとばかり荒っぽい方だ。俺らは石地蔵の六といい、仲間は土鼠の源太といって、大した悪事もやらねえが、コソコソ泥棒、掻っ払い、誘拐しぐらいはやろうってものさ、さてそこでお前さんだが、品川から駕籠に乗んなすった時おりから深夜、女身一人、出歩こうとは大胆だが情夫にあいたいの一心から、家を抜け出して来たんだな、こう目星を付けたってものさ。で、先棒がいう事には、何も男の所まで、担いで行くにゃああたるめえ、大の男が二人まで、ここに揃っているのだからな。なるほど縹緻は悪かろう、肌だって荒いに違えねえ。いうまでもなく情夫の方が、やんわりと当るに違えねえ。だがそいつあ勘弁して貰い、厭でもあろうが俺ら二人を、亭主に持ってはくれまいか、ちょっくら相談ぶって見ようてな。もっとも厭だといったところでおいそれと、聞く俺らじゃあねえ。よくねえ奴らに魅入られたと、こう思って器用に往生しねえ」 「おおおお六やどうしたものだ。そう強面に嚇すものじゃねえ。相手は娘だジワジワとやんな」先棒の源太はかがんだまま、駕籠の中を覗き込んだ。 「ナアーニ姐さん心配しなさんな。外見はちょっと恐らしいが、これも案外親切ものでね。お前さんさえ諾といったらそれこそ二人で可愛がって、堪能させるのは受け合いだ。が二人とも飽きっぽいんで、さんざっぱら可愛がったそのあげくには、千住か、品川か、新宿で、稼いで貰わなけりゃあならねえかも知れねえ。だがマアそいつは後のことだ。差し詰めここで決めてえのは、素直に俺らの女房になるか、それとも強情に首を振るか、二つに一つだ。返辞をしねえ」 駕籠の中からは返辞がなかった。どうやら顫えてでもいるらしい。と、ようやく声がした。 「まあそれじゃああなた方は、悪いお方でござんしたか」
振り袖姿に島田髷
「さあね、大して善人じゃあねえ。だがこいつもご時世のためだ。こんな事でもしなかったら、酒も飲めず、魚も食えず、美婦も自由にゃあ出来ねえってものよ。恨むなら田沼様を恨むがいい」 「厭だと妾が首を振ったら?」「二人で手籠めにするばかりさ」「もしも妾が声を立てたら?」「猿轡をはめちまう。だがもし下手にジタバタすると、喉笛に手先がかかるかもしれねえ。そうなったらお陀仏だ」「それじゃあ妾は殺されるの?」「可哀そうだがその辺だ」「死んじゃあ随分つまらないわね」「あたりめえだあ、何をいやがる」 女の声はここで途絶えた。 「それじゃあ妾はどんなことをしても、遁がれることは出来ないんだね。仕方がないから自由になろうよ」 「へえ、そうかい、こいつあ偉い。ひどく判りのいい姐さんだ」 「だがねえ」と女の声がした。「見ればあなた方はお二人さん、妾の体はただ一つ、二人の亭主を持つなんて、いくら何んでも恥ずかしいよ。どうぞ二人で籤でも引いて、勝った方へ、体をまかせようじゃないか」 「なるほどなあ、こいつあ理だ。六ヤイ手前どう思う」 「そうよなあ」と気のない声で「俺らがきっと勝つのなら、籤を引いてもよいけれどな」 「そいつあこっちでいうことだ。おいどうする引くか厭か?」「どうも仕方がねえ引くとしよう。せっかく姐さんのいうことだ。逆らっちゃあ悪かろう」「よしそれじゃあ松葉籤だ。長い松葉を引いた方が姐さんの花婿とこう決めよう」 源太は頭上へ手を延ばし、松の枝から葉を抜いた。 「さあ出来た。引いたり引いたり」「で、どちらが長いんだい?」「冗談いうな、あたぼうめ、そいつを教えてなるものか。ふふん、そうよなあ、こっちかも知れねえ」「へん、その手に乗るものか。こいつだ、こいつに違えねえ」 六蔵は松葉をヒョイと抜いた。 「あっ、いけねえ、短けえや!」 「だからよ、いわねえ事じゃねえ、こっちを引けといったんだ」 源太は駕籠へ飛びかかった。「おお姐さん、婿は決まった」駕籠へ腕を差し込んだ。「恥ずかしがるにゃあ及ばねえ、ニッコリ笑って出て来ねえ」 グイと引いた手に連れて、若い娘がヨロヨロと出た。頭上を蔽うた森の木の梢をもれて、月が射した。板高く結った島田髷、それに懸けられた金奴、頸細く肩低く、腰の辺りは煙っていた。紅色勝った振り袖が、ばったりと地へ垂れそうであった。 「可愛いねえ、お前さんかえ、源さんや。花婿や」キリキリと腕を首へ巻いた。「さあ行こうよ、お宿へね」源太をグイと引き付けた。 「痛え痛え恐ろしい力だ。まあ待ってくれ、呼吸が詰まる」源太は手足をバタバタさせた。 「意気地がないねえ、どうしたんだよ。やわい[#「どうしたんだよ。やわい」は底本では「どうしたんだよ。やわい]じゃあないかえ、お前さんの体は。ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、手頼りないねえ」源太の首へ巻いた手を、グーッと胸へ引き寄せた。 「む――」と源太は唸ったが、ビリビリと手足を痙攣させた。と、グンニャリと首を垂れた。 手を放し、足を上げ、ポンと娘は源太を蹴った。一団の火焔の燃え立ったのは、脛に纏った緋の蹴出しだ。 「化物だあァ!」と叫ぶ声がした。石地蔵の六が叫んだのであった。 息杖を握ると飛び込んで来た。と、娘は入り身になり、六蔵の右腕をひっ掴んだ。と、カラリと息杖が落ちた。「ワ――ッ」と六蔵は悲鳴を上げた。とたんにドンと地響きがした。六蔵の体が地の上へ潰された蟇のようにヘタバった。寂然と後は静かであった。常夜燈の灯がまばたいた。ギー、ギーと櫓を漕ぐ音が、河の方から聞こえて来た。
怪しの家怪しの人々
クルリと娘は拝殿へ向いた。ポンポンと二つ柏手を打った。それからしとやかに褄を取った。と、境内を出て行った。 社の蔭に身を隠し、様子を見ていた弓之助は、胆を潰さざるを、得なかった。 「素晴らしい女もあるものだ。どういう素性の女だろう? ……待てよ、島田に大振り袖! ……ううむ、何んだか思いあたるなあ。一番後を尾行て見よう」 数間を隔てて後を追った。浅草河岸を花川戸の方へ、引っ返さざるを得なかった。女はズンズン歩いて行った。月の光を避けるように、家の軒下を伝って歩いた。遠くで犬が吠えていた。人の子一人通らなかった。隅田川から仄白い物が、一団ムラムラと飛び上がった。が、すぐ水面へ消えてしまった。それは鴎の群れらしかった。女は急に立ち止まった。そこに一軒の屋敷があった。グルリと黒塀が取りまいていた。一本の八重桜の老木が、門の内側から塀越しに、往来の方へ差し出ていた。満開の花は綿のように白く団々と塊まっていた。女は前後を見廻した。つと弓之助は家蔭に隠れた。女は門の潜り戸へ、ピッタリ身体をくっ付けた。それから指先で戸を叩いた。と、中から声がした。 「おい誰だ。名を宣れ」 「俺だよ、俺だよ、勘助だよ」 「うむそうか、女勘助か」 ギ――と潜り戸があけられた。女の姿は吸い込まれた。八重桜の花がポタポタと散った。 弓之助は思わず首を傾げた。「何んとかいったっけな、女勘助? ……では有名な賊ではないか」 その時往来の反対の方から、一つの人影が近付いて来た。月光が肩にこぼれていた。浪士風の大男であった。大髻に黒紋付き、袴無しの着流しであった。しずしずこっちへ近寄って来た。例の家の前まで来た。と、潜り戸へ体を寄せた。それから指でトントンと叩いた。 「何人でござるな、お宣りくだされ」すぐに中から声がした。 「紫紐丹左衛門」 すると潜り戸がギーと開いた。浪士の姿は中へ消えた。同時に潜り戸が閉ざされた。 とまた一つの人影が、ポッツリ月光に浮き出した。博徒風の小男であった。心持ち前へ首を傾げ、足先を見ながら歩いて来た。急に人影は立ち止まった。例の屋敷の門前であった。ツと人影は潜り戸へ寄った。同じことが繰り返された。指先で潜り戸をトントンと打った。 「誰だ誰だ、名をいいねえ」 「新助だよ、早く開けろ」 「稲葉の兄貴か、はいりねえ」 潜り戸が開き人影が消え、ふたたび潜り戸がとざされた。 その後はしばらく静かであった。 またもその時足音がした。足駄と草鞋との音であった。忽ち二つの人影が、弓之助の前へ現われた。その一人は旅僧であった。手甲、脚絆、阿弥陀笠、ずんぐりと肥えた大坊主であった。もう一人の方は六部であった。負蔓を背中にしょっていた。白の行衣を纏っていた。一本歯の足駄を穿いていた。弓之助の前を通り過ぎ、例の屋敷の門前まで行った。ちょっと二人は囁き合った。ツと旅僧が潜り戸へ寄った。指でトントンと戸を打った。すぐに中から声がした。 「かかる深夜に何人でござるな?」 「鼠小僧外伝だよ」 つづいて六部が忍ぶようにいった。 「俺は火柱夜叉丸だ」 例によって潜り戸が、ギ――と開いた。二人の姿は吸い込まれた。ゴトンと鈍い音がした。どうやら閂を下ろしたらしい。サラサラサラサラと風が渡った。ポタポタと八重桜の花が落ちた。そのほかには音もなかった。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >> 尾页
|