慶安以来の大捕り物
「背に幾多の宝玉ありや?」 「一百八」 「途上虎あり、いかにして来たれる?」 「我すでに地神に請えり、全国通過を許されたり」 「汝橋を過ぎたるや否や?」 「我過ぎたり矣」 「いずれの橋ぞ?」 「二板の橋」 「これすなわち二板橋、何ゆえに二板の橋というや?」 「明末に清これを毀ち、なおいまだ修せられず」 「何んの木の橋ぞ?」 「否々これ樹板にあらず、左は黄銅、右は鉄板」 「誰かこれを造れるものぞ?」 「朱開、及び朱光の徒」 「二板橋の起原如何?」 「少林寺焚焼され、五祖叛迷者に傷害されんとするや、達尊爺々験を現わし、黄雲を変じて黄銅となし黒雲を変じて鉄となす」 こんな塩梅の言葉であった。はたして会員か会員でないかを、問答によって確かめたのであった。またも人影が産まれ出た。同じような陣形であった。門前で問答が行われた。続々人影が現われた。みんな門前へ集まって来た。そのつど問答が行われた。 銅銭会員三百人が、すっかり門前へ集まったのであった。 と、五、六人の人影が、スルスルと塀の上へ上って行った。音もなく門内へ飛び下りた。門を開けようとするのであろう。だが門は開かなかった。そうして物音もしなかった。人は帰って来なかった。何んの音沙汰もしなかった。 いつまでも寂然と静かであった。 十人の人影が塀を上った。それから向こうへ飛び下りた。何んの物音も聞こえなかった。そうして門は開かなかった。十人の者は帰って来なかった。何んの音沙汰もしなかった。いつまでも寂然と静かであった。 銅銭会員は動揺し出した。口を寄せ合って囁いた。 「敵に用意があるらしい」不安そうに一人がいった。 「殺されたのか? 生擒られたのか?」 「どうして声を立てないのだろう?」 彼らの団結は崩れかかった。右往左往に歩き出した。 「門を破れ。押し込んで行け」 「いや今夜は引っ返したがいい」 彼らの囁やきは葉擦れのようであった。 「あっ!」と一人が絶叫した。「あの人数は? 包囲された!」 まさしくそれに相違なかった。往来の前後に黒々と、数百の人数が屯ろしていた。隅田川には人を乗せた、無数の小舟が浮かんでいた。露路という露路、小路という小路、ビッシリ人で一杯であった。捕り方の人数に相違なかった。騎馬の者、徒歩の者、……八州の捕り方が向かったのであった。 銅銭会員は一団となった。やがて十人ずつ分解された。そうして前後の捕り方に向かった。 こうして格闘が行われた。 全く無言の格闘であった。だがどういう理由からであろう? 官の方からいう時は、御用提燈を振り翳したり、御用の声を響かせたりして、市民の眼を覚ますことを、極端に恐れ遠慮したからであった。捕り物の真相が伝わったなら、――すなわち将軍家紛失の、その真相が伝わったなら、どんな騒動が起こるかも知れない。それを非常に案じたからであった。 だがどうして銅銭会員は悲鳴呶号しなかったのであろう? それは彼らの「十禁」のうちに、こういうことがあるからであった。 「究極において悲鳴すべからず。これに叛くものは九指を折らる」 九指とは九族の謂であった。 春の闇夜を数時間に渡って、無言の格闘が行われた。 その結果は意外であった。銅銭会員は全部死んだ。すなわちある者は舌を噛み、またある者は水に投じ、さらにある者は斬り死にをした。
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