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前記天満焼(ぜんきてんまやけ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-2 7:45:26 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语





 また源三郎は怒鳴り出した。
「鏡仕掛けとは何事だ! 鏡に持札を写されてみろ、相手に持札がみんな知れ、どんなうまい手を使ったところで、裏ばかり掻かれて勝負にならねえ! おおおお、おおおお手前達、グルだなグルだな、みんなグルだな! みんなグルになって俺一人にかかり、大金を捲き上げようとしたんだろう!」
 又、匕首を揮うのであるが、腰をかけたり佇んだり鼻歌をうたったり囁いたり、笑ったりしている悪漢わるどもは、
「何を坊ちゃんが云いおるやら、うっちゃって置け、うっちゃって置け」
 こう云ったように冷淡に、取り合おうとさえしないのであった。
 こういう空気は当然に、人をして一層怒らせるもので、源三郎は手近の一人を切った。
「ワッ」という悲鳴を立てて切られたとびはぶっ仆れた。
 つづいて起こった混乱で、
「小僧、生意気!」
「飛んでもねえ奴だ!」
うっそり者の狂人きちがいめ!」
「めんどッくせえや、眠らせろ!」
 声の渦巻きが渦巻いて、つづいて人間の渦が巻いた。大勢一度にムラムラと、源三郎へかかったのである。ガラガラと物を投げる音! 二三人の者が源三郎を目掛け、榻や器物を投げたのである。
 と、三四人悲鳴を上げ、人間の渦から飛び出した。逆上していよいよ狂暴になり、勇気を加えた源三郎が、夢中で揮った匕首で、傷つけられた連中である。
「あぶねえあぶねえ気を付けろ!」
「弱い野郎が物に憑かれ、にわかに強くなりゃアがった。だから一層物騒だ!」
 あつかい兼ねたというやつである。ダラダラと一同は後へ退いた。
 背後うしろの壁へ背中をあて、全身をガクガク顫わせながら、匕首を頭上に振り冠り、その匕首から血をしたたらせ、突っ立ったのは源三郎で、もとどりがバラバラに千切れてい、頬から生血が流れてい、腰に下げていた煙草入など、どこへ行ったものか見当らない。従って高価な古渡り珊瑚の、根締の玉も見当らない。ドサクサまぎれに何者か、ふんだくってしまったに相違ない。
 この時一人のゴロン棒風の男が、手捕りにしようと思ったのだろう。
「ヤイ!」と喚くと飛びかかった。
「うぬ!」と呻くと源三郎は、ピューッと匕首を横へ揮った。
「あぶのうございます」と飛び退いた。
「今度は俺だ」と浪人風の男が、刀を鞘ぐるみ引っこ抜き、こじりをグッと突き出した。
「見やがれ!」と叫ぶと源三郎は、一躍パッと飛び込んだ。
 と、カチリという音がした。匕首で鞘を払ったのである。
「あッ不可いけない、一両の損だ! 鞘を直しにやらなけりゃアならない」
 浪人は後へ退いた。
 獲物を揮って討ち取るのなら、何の手間暇もいらないのであって、すぐに柔弱の源三郎ぐらい、討って取ることは出来るのであるが、しかし源三郎は名家の息子、殺しては世間が承知しまい。大騒ぎをするに相違ない。世間が大騒ぎをすることによって、この屋敷のカクラリが、暴露されないものでもない。それが彼等には恐かった。それで手捕りにしてふん縛り、うんいじこらしめて、今後二度と来させまいとするのが、彼等悪漢わる共の思惑なのであった。
 ところが一方源三郎は、怒りと屈辱とで正気を失い、今や狂暴になっていた。そこで、無闇とあばれ廻り、無二無三に匕首を揮い、遠慮会釈なく人を切る。捕らえることも抑えることも出来ない。


10

 しかし扉が開いてこの屋敷の主人あるじの、鮫島大学さめじまだいがくが現われて、無雑作に源三郎の前に進み、源三郎の手をムズと掴み、グッとばかりに引っ立てた瞬間、この場の治まりは付いてしまった。
うぬは誰だ!」と源三郎は怒鳴った。
「拙者かな、拙者かな、さあ何者でござろうやら」
「痛え痛え、手を放せ!」
「ホッ、ホッ、ホッ、お痛いかな」
 三十七八の男の癖に、ホッ、ホッ、ホッと、女のような、滑らかな厭らしい笑い方をしたが、
「これ」とにわかにいかつくなった。
「二度と来るなよ、こんな場所へ! 人に云うなよ、この場の光景を」
 更に一層凄くなり、
上海シャンハイ仕立ての遊戯室、世間へ明かしたら賽の目だ、無いぞないぞ、うぬの命は! 痛えどころか殺すぞよ!」
 グッと睨んだが考えた。
「待てよと……オ、茨木! 茨木!」
「は」と云いながら進み出たのは、いましがた鞘ぐるみ刀を出し、源三郎をからかった、浪人風の男であった。
「たしかこいつは。……この若造は……加賀屋源右衛門のせがれだったの?」
「は、さようでございます」
「よし」と云うと有意味に笑った。
「飛び込んで来た、よい囮が! 今まで迂濶うっかりしていたよ。……何よりの玉だ、こいつを利用し……」
 呟くと一緒に突き飛ばした。
 突かれて蹣跚よろめいた源三郎は、ドンと壁へぶつかったが、充分の恐怖おそれ、充分の怒り、しかし依然として心は夢中で……
「汝は、汝は!」と匕首あいくちを揮った。
「ホッ、ホッ」という例の笑いと共に、入身となった鮫島大学は、グッと拳を突き出した。
「ムーッ」とこれは源三郎で、泳ぐような手付きをしたかと思うと、グニャグニャになってぶっ仆れた。
「悪い格好で寝ているよ。大金持の若旦那も、からきしこうなっちゃア見られないなあ」
 懐手ふところでをした鮫島大学は、見下ろしてこう呟いたが、
「おい茨木、考えがある。このざまの悪いお客さんを、じめつく地下の物置で、大して大事にしなくともいいが、とにかく介抱してやってくれ。……ええとそれから」と鮫島大学は、手下の悪漢わるどもを見廻したが、
あぶれた立ン棒じゃアあるまいし、並んで茫然ぼんやり立っているなよ。……ちょっと待て待て、オイ茨木! 今夜、宇和島という侍が、例の品物を懐中して、海路大阪から江戸へ着くはず、その宇和島への両様の手宛、もうすっかり出来ているだろうな」
「へい、すっかり出来ています。……最初は正面から斬ってかかり……」
「云うな云うな、出来ておればよい。……松本々々依頼たのみがある」
「へい」と云って顔を出したのは、御留守居風をした男である。
「今考えついた細工だが、お前町方役人となって、加賀屋へ行って主人あるじと逢い……これこれちょっと耳を貸しな」
 囁くのを聞き取った御留守居風の男は、
「こりゃァ名案でございますなあ。……それにしても東三とうさぶめ、うまくやればよろしゅうござるが」
「久しい間入り込んでいるあいつ、ヘマなことはしないだろうよ」
 ここで又大学は茨木という男へ、苦笑いしながら話しかけた。
「大阪では宇和島というあの侍に、ひどい目に逢ったのう」
「ミッシリ峰打ちに叩かれて、ぶざまに気絶をいたしました」
「本来はあいつを味方に引き入れ、平野屋から加賀屋へ送る品物――凄く高価な品だというから、いずれは腕利きの人物に持たせ、送り届けるに相違ない。その送人を途中に擁し、宇和島に殺させ奪い取ろうと、そう目論もくろんでの仕事だったのに、あいつの腕が利き過ぎていたので、平野屋の主人に逆に雇われ……」
「あいつが高価の品物を保護して、江戸入りすることになったとは、面白くない運命で」
「面白くない運命といえば、源三郎の運命も……金太々々ちょっと来い」
「へい」と近寄って来た乾兒こぶんの一人へ、又大学は囁いた。
「へえ、それでは加賀屋の倅を、加賀屋の金蔵へ送り込むんで」
「うん。……さあさあみんな行け」
 一同の悪漢わるどもが立ち去って、一人になると大学は榻の一つへ腰かけた。
「この考えは素晴らしいぞ」
 独り言を云いながら考え出した。
 すると、その時扉をあけて、スッと入って来た女があった。
「大変な芝居をなさいましたねえ」
 女役者の扇女せんじょである。
「ほほうお前か、見ていたか。舞台の芝居より凄かろう」
「血糊と異って流されたは、本当の血でございましたからね」
「どうだ扇女、物は相談、凄味に惚れちゃアくれまいかな」
「そうですねえ、考えましょうよ、一つじっくりと考えましょうよ」
「そのじっくりだが、気に入らないな。それにさ恋というものは、考えてやらかすものではない。と、こんなように思うがの。大概考えている中に、恋というものは逃げてしまう」
「逃げてしまうような恋でしたら、やらない方がいでしょう」
「これが秘決だ! 無分別! どうだこいつでやらかそう!」
「ところがわたし天邪鬼あまのじゃくで、無分別が恋の秘決なら、思慮熟慮で行きましょう」
「理詰めで行こうとこういうのか?」
「そうですねえ、そうでしょうよ」
「オイ」と大学猛くなった。
「その理詰めだが嵩ずるとな……」
「どうなろうと仰有おっしゃるので?」
「こうなるのだ! こうなるのだ!」
 ノッと立ち上った鮫島大学は、巨大な鳥が小雀を、翼の下へ抱え込むように、扇女を両腕へかい込もうとした。
 だがその途端に一方の壁の、真中まんなかの辺りへ穴が開き、一人の女が現われた。
 隣部屋へ通う隠し戸を開け、手に阿片の吹管を持ち、支那の乙女の扮装すがたをした、若い女が現われたのである。
「阿片をお吸いなさいまし。結構な飲物でございます」
 そう云いながらその女は、ヒョロヒョロ、ヒョロヒョロと前へ出た。
「奇麗な夢が見られます。見ることの出来ない美しい、世界を見ることも出来ましょう。聞くことの出来ない美しい、音楽を聞くことも出来ましょう。石榴ざくろ石から花が咲いて、その花の芯は茴香ういきょう色で、そうして花弁は瑪瑙めのう色で、でもその茎は蛋白石の、寂しい色をして居ります。そういう花も見られましょう。……そこは異国でございました。そこは上海シャンハイでございました。その裏町でございました。一人の女が誘拐かどわかされ、密房の中へ閉じ籠められ、眠らされたのでございます。黒檀の寝台には狼の毛皮。でその毛皮の荒い毛が、体の肉を刺しました。菱形の窓から熟んだ月が、ショボショボ覗いて居りました。猫目石のような月の眼が、女の胸を探りました。とどうでしょうお月様の眼が、潰れてしまったではございませんか。胸の辺りに刳られた穴が、龕のように出来ていたからです。それを見たからでございます。それで吃驚びっくりしてお月様の眼が、潰れてしまったのでございます。……誰が刳ったのでございましょう? 青々と光るものがある! 鉛で作った大形の、偃月刀えんげつとうでございます。柄にちりばめたは月長石と、雲母石とでございました。それで刳ったのでございます。可哀そうな可哀そうな女の胸を! でもその間その女は、歌をうたって居りました。大変いい声でございました。だが本当に美しいことは、その歌声が熱のために、凍ってしまったことでございます。で虹色の一本の、棒になったのでございます。……阿片をお喫みなさいまし、凍った歌声の虹の棒を、手に取ることが出来ましょう。だが御用心なさりませ、今度は手の熱に冷やされて、棒が融けるでございましょう。それはまだまだよろしいので。ではその時歌声が、こう響いたらどうなさいます。『誰も彼も生きている死骸だよ』……よこせ! よこせ! よこせ! 呉れない! 呉れない! 呉れない! 呉れない! 寄ってたかってたくさんの人が、虐むからでございます。そこで、生きながら誰も彼も、死骸になるのでございます。……死骸はいやらしゅうございます。見ない方がよろしゅうございます。死骸を見まいと思ったら、阿片をお喫いなさいまし。……お前は誰だい!」
 とその女は、よろめく足を踏み締めると、扇女の前へ突立った。
 支那風に髪を分けており、髪に包まれて顔があり、その顔は仮面と云った方が、似合うように思われた。と云うのは支那製の白粉おしろいで、部厚く一面に、塗りくろめ、書き眉をし、口紅をつけ、頬紅を注しているからである。特色的なのは眼であろう。眼窩が深く落ち窪み、暗い深い穴のように見える。
 くさび形に削ったのだろうか? こう思われる程ゲッソリと、頬が頤へかけて落ちている。
 上着の模様は唐草で、襟と袖とに銀の糸で、細く刺繍ぬいとりを施してある。紫色の袴の裾を洩れ、天鵞絨ビロードに銀糸で鳥獣を繍った、小さなくつも見えている。
「奇麗な御婦人、別嬪さん!」
 云いながら睨むように扇女を見た。それから大学へ眼をやった。
「そうかそうか、恋仲か! 恋をしようとしているのか! だがねえ」とまたもや扇女を見た。
「用心が大事でございますよ。迂闊に恋などなさいますな。凄いお方でございます。この大学という方は! もし迂闊にこの人と恋仲などになりましたら、わたしのようにされましょう。廃人にね! 廃人にね! ……」
 ヒョロヒョロ、ヒョロヒョロと歩き出した。針金細工の人形かしら? あまりにも痩せているではないか! そうしてヒョロヒョロと歩く毎に、どうしてあんなにも顫えるのだろう?
 燈籠とうろうの火に照らされて、阿片の吹管が反射する。それを握っている手の指が、あたかも鈎のように曲がっている。
 と、だるそうに振り返り、ノロノロと片手を上げ、それで大学を指さしたが、
「ね、わたしの恋男さ! そうさ妾の大学さんさ! 取っちゃア不可いけないよ、この人をね!」
 それから自分を指さした。
「教えてあげよう、妾の名をね! 『阿片食い』のお妻だよ!」
 またヒョロヒョロと歩き出し、部屋をグルグル廻り出した。

 同じこの夜のことである。
「一体どうしたのでございましょう、こんな夜が更けたのに、兄さんがお帰りにならないとは」
 こういう娘の声がした。清浄であどけないその中に、憂いを含んだ声である。
 すぐ老人の声がした。
「源三郎にも困ったものだ。悪い友だちが出来たらしい。碌でもない所へ行くらしい」
 ここは浅草の蔵前通りの、富豪加賀屋の奥座敷である。
 源三郎の父の源右衛門と、源三郎の妹のお品とが、源三郎の身の上を案じ、寝もせず噂をしているのであった。
 するとその時足音がして、襖の陰で止まったが、
「大旦那様、大旦那様」
 こう呼ぶ不安そうな声がした。
「長吉どんかい、何か用かい」
「心配のことが出来ました」
「入っておいでな、どんな事だい?」
 襖を開けて顔を出したのは、長吉という手代であった。
「町役人の方がおいでになり、お目にかかりたいと申しております」

 ところが同じこの夜のこと、旅装凜々しい一人の武士が、端艇はしけで海上を親船から、霊岸島まではしらせて来た。
「御苦労」と水夫かこへ挨拶をして岸へ上るとその侍は、あたかも人目を忍ぶように、佐賀町河岸までやって来た。
 すると家陰から数人の人影が、タラタラと一勢に現われたが、旅侍を取り巻くや、四方からドッと切り込んだ。
「うむ、出たか! 待っていたようなものだ」
 うそぶくように云ったかと思うと、抜打ちに一人を切り斃し、
「すなわち人殺ひとごろし受負業うけおいぎょう! アッハッハッハッ、一人切ったぞ」
 その時、
「引け」という声がした。……途端に刺客の人影は、八方に別れて散ってしまった。
「おかしいなあ」と佇んだまま、旅侍は呟いたが、
「はてな?」ともう一度呟いた。
 というのは行手、眼の先へ、加賀屋と記された提燈が、幾個いくつか現われたからである。
「宇和島様でございましょうな。加賀屋からのお迎えでございます」
 手代風の一人が進み寄ったが、こう旅侍へ声をかけ、さも丁寧に腰をかがめた。

 ところがこれも同じ晩に、もう一つ奇怪な出来事が起こった。
 一人の立派な老人が、それは加賀屋源右衛門であるが、手燭をかかげて土蔵の中を、神経質に見廻していた。土蔵の中に積まれてあるのは、金鋲を打った千両箱で、それも十や二十ではない。渦高いまでに積まれてある。その一つの前へ来た時である。
「あッ」と老人は声を上げた。
 と、その声が呼んだかのように、土蔵の口へ現われたのは、顔に醜い薄痘痕あばたのある、蔵番らしい男であったが、手に匕首あいくちを握っている。じっと狙ったは老人の首で、ジリジリジリジリと擦り寄って行った。

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