十二神貝十郎手柄話(オチフルイかいじゅうろうてがらばなし)
七 新八郎の行きつかない前に、これだけの事件が起こっていた。 まず女の一団が、にわかに刀を抜き揃え、行列の人数へ切り込むや、お勝手箪笥を担いでいた侍と、献上箱を担いでいた侍とが、お勝手箪笥や献上箱を捨てて、これも刀を抜き揃えて、女の一団と切り結んだ。 しかし女の一団の、鋭い太刀風に切り立てられ、二、三間後へ退いた。と、見てとった女の一団は、侍達を追おうとはしないで、お勝手箪笥と献上箱とを、六人で担いで側に延びていた、横町の中へ走り込んだ。が、しかし侍達も、うっちゃって置こうとはしなかった。同じ横町へ走り込んだ。そうして取り返した二種の品物を、本通りへ持って来た。 と、女の一団達は、横町から走り出て来て、侍達へ切ってかかった。こうして乱闘が行われた。 新八郎は走って行った。しかし新八郎が行きついた時には、行列の人数と女の一団とは、別々の道を辿っていた。新八郎の行きつく少し前に、側の露路から二人の侍が現われ、その中の一人が鋭い声で、例の女の一団に向かい、叱りつけるように声をかけると、女の一団は驚いたように、行列の人数に切ってかかるのを止め、例の横町の方角へ逃げ、行列の人数はそれを幸いに、行列を急がせて先へ進んだからである。 ところが十二神(オチフルイ)貝十郎であるが、その頃その場へ駈けつけていたが、そう声をかけた侍の姿を見ると、一緒に走っていた二人の同心へ、「よし! 止めろ! 手を出すな!」 と叫び、これも例の横町の中へ、同心と一緒に走り込んだ。 がしかし新八郎が貝十郎の後から、貝十郎の後をつけて行ったなら、「やあこれはどうしたのだ 献上箱と『ままごと』とを、向こうへも担いで行く者がある! ご両所、あれを……」 とこう云ってから、二人の同心へ小さい声で何やら囁いたことを見聞きしたことであろう。しかし後からつけて行かなかった、小糸新八郎にはそのようなことを、見聞きすることは出来なかった。その後はどうなったか? 行列の人数がずっと先を、今は安心したものと見えて、ゆっくりした足どりで歩いて行き、その後から二人の侍が行き――その一人は声をかけた侍であり、もう一人はその侍の家来らしかったが――その後から小糸新八郎が、疑惑の解けない心持ちで、歩いて行くという結果になった。 次から次と起こって来る変わった事件に、新八郎の心は、解けない疑惑に充たされていたが、それよりも眼前を歩いて行く、二人の侍の中の一人――声をかけた侍に引きつけられていた。深編笠、無紋の羽織、袴なしの着流しで、きゃしゃな大小を穏かに差し、塗り下駄を穿いた二十八、九歳の侍で、貴人のような威厳があった。それは評判の「館林様」であった。 ところで新八郎はその人の評判を、以前から聞いてはいたけれど、姿を見たことは一度もなかった。で、今、館林様が歩いていても、そうだということは知らなかった。(一言二言鋭い口調で、叱るように何か云ったかと思うと、争闘をしていた二組の者や、有名な十二神(オチフルイ)氏というような人まで、その言葉に驚いて逃げてしまった。よほど偉大なる人物でなければならない) いったいどういう人物なのであろう? この疑問が新八郎をして、その人の後をつけさせることにした。「殿」とその時家来らしい侍が、館林様へそういうように云った。「お止めにならなかった方がよろしゅうございましたのに」「いや」と館林様はすぐに云った。「もうあれはあれでよかったのだ」「ははあさようでございましたか」「伊豆は第二の人物で、やっつける必要はないのだからな」「それはさようでございましょうとも」「元兇の方をかたづけなければ嘘だ」「それはさようでございましょうとも」 八「私のお父上のご生存中は、田沼という男も今日のように、ああも僣上(せんじょう)な真似はしなかった」「それはさようでございましょうとも。殿のお父上右近将監様は、御老中におわすこと三十八年、その間にご加増をお受け遊ばしたこと、わずか六千石でございました。いかにご忠正でご謙謹で、お身をお守り遊ばすことが、お固すぎるほどお固うございましたことか」「将軍家(うえさま)が田沼をご寵愛のあまり、度々ご加増遊ばされたが、ある時のご加増に田沼は憚(はばか)り、私のお父上に意見を訊いたそうだ。するとお父上は云われたそうだ。『そなたの秩(ちつ)はまだ五万石以下だ。五万石まではよろしかろう。と云うのは徳廟『吉宗』公様が、秩五万に充たざる者は、積労によって増すべきであると、こう仰せ遊ばされたからだ。……今、将軍家(うえさま)よりの命があって、そなたがご辞退致したとあれば、一つには将軍家へ不恭となり、二つには将軍家の過贈の非を、世間へ知らせることになる。だからご加増は受けるがよろしい』と。……その時田沼は感激して、涙を流したということだ。……それだのに私のお父上が、この世を辞してからというものは、千恣(し)百怠(たい)沙汰の限りの態だ。売官売勲利権漁り、利慾を喰わしては党を作り、威嚇を行っては異党を攻め、自己を非議する識者や学徒の、言説を封じ刊行物を禁じ、美女を蓄わえて己(おのれ)楽しみ、美女を進めて将軍家を眩まし、奢侈(しゃし)と軟弱と贈収賄と、好色の風潮ばかりを瀰漫(びまん)させておる。……老中、若年寄、大目附、内閣は組織されていても、田沼一人に掣肘(せいちゅう)されて、政治の実は行われていない。……こういう時世には私のような男が、一人ぐらい出る必要がある。お父上が老練と家柄と、穏健と徳望とを基にして、老中筆頭という高官にあって、田沼の横暴を抑えたのを、私は年若と無位無官と、過激と権謀術数と、ある意味における暴力とを基とし、表面には立たず裏面にいて田沼の横暴を膺懲(ようちょう)するのだ。……私のような人間も必要だ」「必要の段ではございません。大いに必要でございます。でありますから世間では、殿様のことをいつとはなしに『館林様』とこのように申して、恐ろしい、神のような、救世主のような、そういう人物に空想し、尊び敬い懐しんでおります。……がしかし殿にはどう遊ばしましますので? これからどこへいらせられますので?」「もう用事は済んだのだ。……証拠を捉えようと企んだ仕事が、今、成功したのだからな。で家へ帰ってもいいのだ。がしかし私は笑ってやりたい。で、もう少し行くことにしよう」「あの行列の後をつけて?」「そう、行列の後をつけて。そうしてその上であの行列が、あそこの門を何も知らずに、得意気にくぐってはいるのを見て、大声で笑ってやりたいのだ」「殿らしいご趣味でございます」「趣味といえばどうにも六人男の連中、あくど過ぎて少しく困る」「根が不頼漢でございますから」「云い換えると好人物だからさ」「無頼漢が好人物で?」「こんな時世に命を惜しまず、感激をもって事を行う! 気の毒なほどの好人物だよ。……仕事を成功させてからも、伊豆守を討って取ろうとして、横町から本通りへ引っ返して来て、再度の切り込みをしたことなどは、好人物の手本だよ」「仕事と仰せられ、成功と仰せられる、どのような仕事なのでございますか?」「家へ帰ってから話してあげよう」(ふうん、あのお方が『館林様』なのか? 館林様のご本体は、では甲斐の国館林の領主、松平右近将監武元卿――従四位下ノ侍従六万千石の主、遠い将軍家のご連枝の一人、三十八年間も執政をなされた、その右近将監武元卿の公達、妾腹のご次男でおわすところから、本家へはいらず無位無官をもって任じ、遊侠の徒と交わられ、本家では鼻つまみだと云われている。松平冬次郎様であられたのか) 後からつけながら二人の話を、洩れ聞いた小糸新八郎は、そう知って驚かざるを得なかった。(そういう人物でおわすなら、たった一言二言で、あれだけの争闘をお止めなされた筈だ) 松平冬次郎の事蹟については、今日相当に知られている。すなわち天明八年の頃、上州武州の百姓が、三千人あまり集まって、五十三ヵ村を鳩合(きゅうごう)して、絹糸改役所という、運上取り立ての悪施政所の、撤廃一揆を起こした事があったが、裏面にあって指揮をした者が、この松平冬次郎であった。明和元年十一月の末に、上州、武州、秩父、熊谷等の、これも百姓数千人が、日光東照宮法会のため、一村について六両二分ずつの、臨時税を課するという誅求(ちゅうきゅう)を怒って、数ヵ月にわたって暴動を起こしたが、この時の蔭の主謀者も、松平冬次郎その人であった。天明七年五月に起こり、関西から関東に波及して、天下の人心を騒がせた、米騒動ぶちこわし事件! その事件の主謀者も、彼であったということである。 ところで田沼時代には、天変地妖引きつづいて起こった。その一つは本郷の丸山から出て、長さ六里、広さ二里、江戸の大半を焼き払った火事、その二は浅間山の大爆発、その三は東海道、九州、奥羽に、連発した旱(ひでり)や大暴風雨や洪水、数万の人民はそれがために死に饑(う)え苦しみ流離したが、そういう場合に施米をしたり、人心を鼓舞したり富豪を説いたりして、特別の救助をさせた者があったが、彼であったということである。 で、一種風変わりの社会政策実行者としては、この、松平冬次郎は、日本裏面史の大立て者なのであった。 そういう松平冬次郎の「館林様」が供の侍を連れて、今歩いて行くのである。以前にも増して小糸新八郎が、興味と尊敬とに誘われて、後をどこまでもつけて行ったのは、当然のことと云わなければなるまい。早春の深夜の朧月が、江戸の家々と往来と、木立と庭園と掘割と、掘割の船とを照らしている。 九 ここの往来も月光を受けて、紗のような微光に化粧されている。そうして靄(もや)が立っている。 ずっと向こうを例の行列が、その月光と靄とを分けて、ずんずん先へ進んで行く。その後から館林様と家来とが、話し合いながら進んで行く。それを新八郎はつけて行った。 館林様の上品端正な、両の肩が月の光を浴びて、仄(ほの)かに銀のように白っぽくおぼめき、肩の上に山形に載っている、編笠があたかも異様に大きい、一片の花の弁のように見えた。こうして町々を通り抜けた。 と、行く手に余りにも宏壮な、大名の下屋敷が立っていた。 そこの裏門まで行った時である。例の行列が開いた扉から、呑まれるように吸い込まれた。で、後は静かとなって、人の姿は見られなかった。しかしその時その門の前で、大きく笑う笑声がした。 見れば館林様とその家来とが、門の前に立っていた。が、やがて引っ返して来た。そうして木蔭に身を隠していた、新八郎の横手を抜けて、元来た方へ帰って行った。(稲荷堀の田沼侯の屋敷の前で、館林様には大笑なされた。あのお方の目的はとげられたという訳さ。……何故笑ったか知らないが、笑っただけでも痛快だ) 新八郎はこう思いながら、木蔭から姿を現わした。(ところで俺はこれからどうしたものだ?) 家へ帰るより仕方がなかった。(いろいろと変わった人間に逢い、いろいろ変わった事件に逢った。無駄な一夜だったとは云われない) 彼は満足した心持ちで、元来た方へ引っ返そうとした。しかしその時木立の蔭から、こう云う声が聞こえて来たので、引っ返すことは出来なかった。「中へはいってごらんなされ。さよう、田沼侯のお屋敷の中へ! せめてお屋敷の庭へなりと。……貴殿がおはいりになられるようなら、拙者ご案内をいたすでござろう」 十二神(オチフルイ)貝十郎の声であった。「十二神(オチフルイ)氏、そこにおられたのか」新八郎はテレたように云った。「田沼侯のお屋敷へはいれと云われる、何んの必要がありましてかな?」「『ままごと』の中に何があるか、献上箱の中に何があるか、貴殿お知りになりたくはないので?」尚も木蔭から貝十郎は云った。「貴殿の恋人お品殿が、松本伊豆守に引き上げられた。その松本伊豆守が、献上箱と『ままごと』とを仕立てて、たった今田沼侯の屋敷へはいった。二品は賄賂(まいない)の品物でござる。ところで、世上にはこう云う噂がござる。人形と称して生きた美女を献上箱の中へ入れ、好色の顕門へ納(い)れるという噂が。……」「それでは今の献上箱の中に。……」「お品殿がはいっておられようも知れぬ」「行こう!」「行かれるか?」「屋敷の中へはいろう!」「ご案内しましょう。おいでなされ」 老中田沼侯の下屋敷の庭へ、外から忍んで入るというようなことは、考えにも及ばない不可能事のように、今日では想像されるけれど、あながちそうでもないのであって、鼠小僧というような賊は、田沼以上の大大名、細川侯の下屋敷の、奥方のおられる寝所へさえ、忍び込んだことさえあるのであった。 貝十郎は風変わりの、しかも素晴らしい技倆を持った、聡明で敏捷な与力であった。田沼家の案内など、知っているのであろう。新八郎の先に立って、木立を抜けて先へ進んだが、やがて田沼家の横手へ出た。ひときわ木立が繁っていて、その繁みに沿いながら、田沼家の土塀が立っていた。「この辺最も手薄でござる」 こう囁(ささや)くと貝十郎は、立ち木の一本へ手をかけて、足で土塀を蹴るようにした。と、彼の姿はもうその時には、土塀の上に立っていた。そうしてその次の瞬間には、土塀から邸内へ飛び下りていた。新八郎も同じようにして、田沼家の邸内へ飛び下りた。 十 大名の下屋敷の庭の構造(つくり)などは、大概似たようなものであって、泉水、築山、廻廊、亭(ちん)、植え込み、石灯籠、幾棟かの建物――などというようなありきたりのものを、小堀流とか遠州流とか、そういった流儀に篏めて、縦横に造ったものに過ぎないのである。 二人の眼の先にあるものは、やはりそういうものであった。「ともかくも向こうへ行って見ましょう」 貝十郎は前に立って、植え込みをくぐって先へ進んだ。築山の裾を右へ廻り、泉水にかけてある石橋を渡り、綿のように白く咲いて見える満開の梅の林の横を、右手の方へ潜行した。と、正面に廻廊をもって繋(つな)いだ、主屋(おもや)と独立した建物があった。「この建物が大変な物なので」貝十郎は指さしながら、なかば憎さげになかば嘲笑うように、「云って見れば閨房(けいぼう)なので。同時に拷問室でもあれば、ギヤマン室までありますので。田沼侯お気に入りの平賀源内氏が、奇才を働かせて作った室の由で。四方の壁から天井から、ギヤマンの鏡で出来ているそうで。……いったい田沼という仁(じん)は、変態的の人間でしてな、秘密と公然とを一緒にしたものを、万事に好まれるということでござる。秘密であるべき賄賂というようなものを、ソレ公然とお取りになる。公然であるべき政治というようなものを、わけても人事行政などを、私的情誼(じょうぎ)的におやりになる。……色情の方もそれと同じに、秘密にすべきを公然とするということでござる。……ええと、ところで今夜の犠牲者の中には、貴殿の恋人のお品殿が。……」 にわかに貝十郎は黙ってしまった。殺気と云おうか、剣気と云おうか、そう云ったものを感じたからである。彼は新八郎の顔を見た。先刻から無言で終始していた新八郎は今も無言で、貝十郎の左側に立っていたが、木洩れの月光に胸と顔とを、薄い紙のように白めかしていた。顔の表情の狂気じみていることは! 二倍に見開かれた大きな眼は、その建物を見据えている。小鼻から口の側(わき)へかけて、引かれている皺(しわ)は紐のように太い! 歯を食いしばっている証拠である。(これはいけない、喋舌りすぎたようだ。どうも挑発しすぎたようだ。何をやり出すかわからないぞ!) 貝十郎はしまったと思った。「新八郎氏、向こうへ行きましょう」 なだめるように声をかけた。新八郎は動かなかった。鍔際(つばぎわ)を握った左の手が、ガタガタ顫(ふる)えているらしい。刀の鐺(こじり)が上下して見える。「新八郎氏、向こうへ向こうへ」 再度貝十郎が声をかけた時、飛び石づたいに歩きながら、話して来るらしい二人の侍の、話し声がこっちへ近寄って来た。主屋と離れて別棟があり、諸侍達の詰め所らしかったが、そこから小姓らしい二人の侍の、手に何やら持ちながら、二人の方へ歩いて来た。「殺生な奴はこの道具でござる。この貞操帯という奴で」こう云いながら一人の侍は、手に持っていた長方形の木箱を、ひょいと頭上へ捧げるようにした。「女が発狂する筈でござる」「この驢馬仮面に至っては、いっそう殺生な器具でござる」もう一人の侍がそういうように云って、四角の木箱を胸の辺で揺すった。「これでは女が発狂する筈で」「我々の役目も厭な役目で」前の侍がさらに云った。「着けたり冠せたりしなければならない」「お品という女、美しいそうで」「が、明日は狂女となって、醜くなってしまいましょうよ」 云い云い二人の小姓らしい侍は、廻廊の方へ歩いて行った。が、蘇鉄(そてつ)の大株があり、それが月光を遮(さえぎ)っている、そういう地点までやって来た時、突然ワッという声を上げ、一人の侍が地に仆れた。「これどうなされた? 粗忽(そこつ)千万な」 後の侍が驚きながら、仆れて動かない同僚の側へ、腰をかがめて立ち止まった。 と、その侍もウーンと唸って、持っていた四角の木箱を落とすと、両手を宙へ伸ばしたが、そのまま仆れて動かなくなった。と、蘇鉄の株の蔭から、抜き身をひっさげた新八郎が、スルスルと現われて二人の横へ立った。「小糸氏、お切りなされたので?」 蘇鉄の蔭から貝十郎が訊いた。「峯打ちに急所をひっ叩いたまででござる」云い云い新八郎は抜き身を鞘に納め、二つの木箱を地上から拾った。「これから何んとなされるお気かな?」 貝十郎が不安そうに訊いた。「可哀そうなお品を助け出すつもりで」「ギヤマン室へ忍び込んでかな?」「場合によっては切り込んで!」
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