八
というのは他でもない、小走って来たその女と、門外にいるらしい男との間に、こんな話が交わされたのである。 「首尾はどうだ?」と男の声がした。 「今夜十二時……」と女の声が答えた。 「ハッキリした返辞をするそうだよ」 「ナニ十二時?」と怒ったように、「それでは少し遅いではないか」 「遅くはないよ」と女の声も、何んとなく怒っているようである。「十二時キッチリにまとまったら、何んのちっとも遅いものか」ぞんざいな伝法な口調である。 「が、一分でも遅れては駄目だ」不安そうな男の声である。 「九仭の功を一簣に欠くよ」 「百も承知さ」と嘲笑うように、「お前さんにいわれるまでもない」 「で、どうだい?」とあやぶむように、「まとまりそうかな、その話は?」 「そうだねえ」と女の声、ここでいくらか不安らしくなった。「はっきり、どっちともいわれないよ」 「腕がないの」と憎々しく、男の声は笑ったらしい。「それでもお前といわれるか」 「お互いッこさ」と負けてはいない。「そういうお前さんにしてからが、大して腕はないではないか」女の声も憎々しくなった。「こんな土壇場へ迫り詰まるまでいったい、何をしていたんだい」 「止せ!」といったものの男の声は、どうやら鼻白んだ様子である。「争いは止めよう、つまらない」 ここでしばらく沈黙した。 茂みに隠れ、地にへばりつき、聞き耳を立てていた旗二郎、「解らないなあ」と呟いた。「何をいったいいっているのだろう?」 しかしどっちみち男も女も、善人であろうとは思われなかった。ここの屋敷の人達に対し、よくないことを企んでいる――そういう人間どもであることは疑がいないように思われた。 「事件は複雑になって来た。いよいよもって怪しい屋敷だ。……門外の男は何者だろう? 眼の前にいる女は何者だろう?」 で、旗二郎微動もせず、なおも様子を窺った。 「とにかく」と男の声がした。門の外にいる男の声だ。「是が非でも成功させるがいい」 「お前さんもさ」といい返した。門内の女がいい返したのである。「万全の策をとるがいいよ」 「いうまでもないよ」と笑止らしく、「武士を入れるよ、切り込みのな。……備えはどうだ、屋敷内の備えは?」 「宵の間に一人若い武士が、屋敷へはいって泊まり込んでいるよ」 「え?」といったが驚いたらしい。「どんな人品だ? 立派かな?」 「ああ人品は立派だが、御家人らしいよ。安御家人らしい」 「ふうん」といったまま黙ってしまった。 門内の女も黙っている。で、森閑と静かである。ピシッ、ピシッと音がする。泉水で鯉が跳ねたのらしい。 「俺の噂をしているわい」ニヤリと笑った旗二郎、「立派な人品とは有難いが、安御家人とは正直すぎる」――で、なお様子をうかがった。 と、男の声がした。「どっちみち油断は出来ないの。うかうかしていてその御家人に、玉を取られては一大事だ。……よしよしすぐに手配りをしよう」 「それがいいよ」と女がいった。「それでは私は帰るとしよう」 そこで女は木立をくぐり、母屋の方へ帰ったが、間もなくポッツリと土塀の上へ、一つの人影が現われた。覆面をした武士である。とまたポッツリともう一つ、同じく覆面姿の武士が土塀の上へ現われた。 隠れ窺っていた旗二郎、「ははあ切り込みの武士達だな。よしよし端から叩っ切ってやろう」 ――で、ソロソロと身を起こし、片膝を立てると居合い腰、大刀の柄へ手を掛けたが、プッツリと切ったは鯉口である。上半身を前のめりに、肘をワングリと鈎に曲げ、左の足を地面へ敷き、腰を浮かめたは飛び出す構え……頤を上向け額を反らし、上眼を使って睨んだは、土塀の上の人影が、飛び下りるのを狙ったのである。 「来やがれ、悪人、一人も残さぬ! 生れて初めての人殺しだ。片っ端から退治てみせる」 心の中で呟いた時、一つの人影土塀から、スーッと庭へ飛び下りた。 とたんに、抜き打ち、旗二郎、いざったままにスルリと出、右腕を延ばすと一揮した。月光の射さない木影の中、そこへ全身は隠していた。が、一揮した太刀先だけは、月光の中へ出たと見える。ピカリと燐のように閃めいたが、閃めいた時にはその太刀先、木影の中へ引っ込められていた。 グッ! といったような変な呻き、飛び下りた武士の口から出て、息詰まるような様子であったが、まず両手を宙へ上げ泳ぐような格好をしたかと思うと、ドッと前倒れにぶっ倒れた。腰から上の半身が、月光の中に晒らされている。背がムクムクと波を打つ。それにつれて肩がS形にうねる。左の胴から黒いものが、ズルズルズルズル引き出されている。昼間見たら真っ赤に見えただろう、傷口から流れ出る血なのだから。と、まったく動かなくなった。 「どうした島路」という声がした。土塀の上のもう一人である。と、ヒラリと飛び下りた。「不覚だの、転んだのか?」 腰をかがめて覗き込んだ。 そこを目掛けて旗二郎、またもスルスルといざり出たが、今度は瞬間にスッと伸ばし、背高々と爪立ったが、こんな場合だ、卑怯ではない。声も掛けずに背後から、後脳を目掛けてただ一刀! ザックリ割って飛びしさった。 すぐに木影へ隠れたのである。
九
ガッ! といったような気味の悪い悲鳴、一声立てたが切られた武士だ。枯れ木仆しにそのままに、前方へドッと仆れたので、前に仆れていた死骸の上へ、蔽うようにして転がった。 月光それを照らしている。 急所を一刀に割られたのである。躰に痙攣を起こしもせず、静まり返って死んだらしい。 「二人仕止めた、これだけかな」 木影に立った旗二郎、決して決して油断はしない、血刀を下段に付けながら、眼で塀の上を見上げながら、さすがに少しばかり切迫する、胸の呼吸を静めながら、こう口の中で呟いた。 すると呟きの終えないうちに、土塀の上へ黒々と、五つの人影が現われた。同じである、覆面姿、武士であることはいうまでもない。じっと地面を見下ろしたが、どうやら不思議に思ったらしい、五人ヒソヒソ囁き出した。 と、キラキラと光り物がした。 五人ながら刀を抜いたのである。 それが月光を刎ねたのである。 「オイ」と一人の声がした。 「うむ」と答える声がした。 「やられたらしい」ともう一人の声。 「島路と、そうして大里だ」 「そうらしいの」ともう一人。 「敵に防備があるらしい」さらにもう一人の声がした。 と、一人が振り返った。「味方両人してやられてござる。……いかがしましょうな、花垣殿?」 すると門外から返辞がした。 「防備あるのがむしろ当然。……よろしい拙者も参るとしよう。……六人同時に切り込むといたそう」 すぐにもう一つの人影が、土塀の上へ現われた。 同一の覆面である。 「では」 というと飛び下りた。 六人一緒に集まったが、二つの死骸を調べ出した。 木影で見ていた旗二郎、「これはいけない」と考えた。「六人と一人では勝負にならぬ。引っ返して屋敷の人達に、このありさまを知らせてやろう」 そこで物音を立てぬよう、彼らに姿を見せぬよう、背後下がりに退いた。数間来た所でクルリと振り向き、抜き身を袖で蔽ったが、腰をかがめると木蔭づたい、母屋の方へ小走った。 築山裾まで来た時である。 「ご苦労でござった、結城氏」 こういう声が聞こえて来た。 と、すぐ別の声がした。 「我らこちらを守りましょう。願わくば貴殿、石橋を渡られ、向こうに立っている離れ座敷、それをお守りくださるよう」 とまた別の声がした。 「そちらに主人おりますのでな」 どこにいるのか解らない。どこかに隠れているのだろう。そうして悉皆を見たのだろう。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] 下一页 尾页
|