六
通された部屋は寝所であった。 豪勢な夜具がしいてあった。 一通りの物が揃っていた。というのは結構な酒肴が、タラリと並べられてあるのであった。蒔絵の杯盤、蒔絵の銚子、九谷の盃、九谷の小皿、九谷の小鉢、九谷の大皿、それへ盛られた馳走なども、凝りに凝ったものである。金屏風が一双立て廻してある。それに描かれた孔雀の絵は、どうやら応挙の筆らしい。朱塗りの行燈が置いてある。その燈火に映じて金屏風が、眼を射るばかりに輝いている。片寄せて茶道具が置いてあり、茶釜がシンシン音立てている。 茶も飲めれば酒も飲める。寝たければ勝手に寝るがよい、寝ながら飲もうと随意である――といったように万事万端、自由に出来ているのであった。 が、一つだけ不足のものがあった。 酌をしてくれるものがないことである。 上蒲団を刎ねた旗二郎、見ている者もないところから、敷蒲団の上へあぐらを組み、手酌でグイグイ飲み出したが、考え込まざるを得なかった。 「どう考えたって変な屋敷だ、どう思ったって変な連中だ、からきし俺には見当がつかない。……それにさ、さっきの主人の言葉に、妙に気になる節があった」 というのは他でもない、「二十歳と二十三歳、ちょうど頃加減でございますからな」こういった主人の言葉である。 「これでは、まるでこの家の娘――そうそう葉末とかいったようだが、それと、この俺とを一緒にして、婚礼させようとしているように聞こえる。そういえば、さっき俺の身分を、それとなく尋ねたようでもあった。いよいよ合点がいかないなあ」 グイグイ手酌で飲んで行く。 だが酔いは少しも廻ろうともしない。心気がさえるばかりである。 「家の構え、諸道具や諸調度、これから推してもこの家は、大変もない財産家らしい。いや主人もそういった筈だ、人もうらやむほどの財産家だと。……その上娘はあの通り綺麗だ。婿にでもなれたら幸福者さ」 グイグイ手酌で飲んで行く。 葉末という娘の風采が、ボッと眼の前へ浮かんで来た。月の光で見たのだから、門前ではハッキリ判らなかったが、燈火の明るい家の中へはいり、旗二郎を父親へひきあわせ、スルリと奥へひっ込んだまでに、見て取った彼女の顔形は、全く美しいものであった。キッパリとした富士額、生え際の濃さは珍らしいほどで、鬘を冠っているのかもしれない、そんなように思われたほどである。眉毛はむしろ上がり気持ちで、描いたそれのように鮮やかであった。鼻は高く肉薄く、神経質的の点があり、それがかえって彼女の顔を、気高いものに見せていた。唇は薄く、やや大きく、その左右がキュッと緊まり、意志の強さを示していた。だが何より特色的なのは、情熱そのもののような眼であった。どっちかといえば細くはあったが、そうして何んとなく三白眼式で、上眼を使う癖はあったが、その清らかさは類稀で、近づきがたくさえ思われた。女としては高い身長で、発育盛りの娘としては、少し痩せすぎていることが、一方欠点とは思われたが、一方反対にそのために、姿が非常に美しく見えた。全体の様子が濃艶というより、清楚という方に近かったが、また内心に燃え上がっている、情熱の火を押し殺し、無理に冷静に構えているような、そんな様子も感ぜられた。 「あの娘と夫婦になる。どう考えたって有難いことだ」 旗二郎はこんなことを思いながら、グイグイ手酌で飲んで行った。 依然として酔いが廻らない。いよいよ眼が冴え心が冴え、とても眠気など射そうともしない。夜がだんだん更けて行く。更けるに従って屋敷内が、いよいよ静けさを呈して来る。 それにもかかわらず不思議なことには、訳のわからぬ不安の気が、旗二郎の心に感じられた。「よし」と突然どうしたのか、旗二郎は呟くと立ち上がった。取り上げたのは大小である。「どっちみち怪しい屋敷らしい。思い切って様子を探ってみよう。一室に籠もって酒を飲んで、事件の起こって来るやつを、待っているのは消極的だ。こっちからあべこべに出かけて行き、屋敷の秘密を探ってやろう」 で、部屋から出て行ったが、はたして結城旗二郎、どんな怪異にぶつかったろう?
七
いつか旗二郎裏庭へ出た。 素晴らしく宏大な庭である。山の中へでもはいったようだ。 木立がか黒く繁っている。築山が高く盛り上がっている。広い泉水がたたえられてある。いたる所に花木がある。泉水には石橋がかかっている。 ずっと遙かの前方で、月光を刎ねているものがある。風にそよいでいる大竹藪だ。その奥に燈火がともっている。神の祠でもあるらしい。燈明の火がともっているらしい。 地面は苔でおおわれている。で、気味悪く足がすべる。 一所に小滝が落ちている。それに反射して月光が、水銀のようにチラチラする。 と、ほととぎすのなき声がした。 「まるで大名の下屋敷のようだ。その下屋敷の庭のようだ」 呟きながら旗二郎、築山のうしろまで行った時である。 築山の裾に岩組があり、それの蔭から黒々と、一個の人影が現われた。 「おや」 と思った時、掛け声もなく、スーッと何物か突き出した。キラキラと光る! 槍の穂だ! 黒影、槍を突き出したのである。 「あぶない!」 と思わず叫んだが、「何者!」と再度声を掛けた。とその時には旗二郎、槍のケラ首をひっ掴んでいた。 と、黒影、声をかけた。 「先刻はご苦労、まさしく平打ち、ピッシリ肩先へ頂戴してござる。……で、お礼じゃ、槍進上! ……そこで拙者はこれでご免! ただしもう一人現われましょう」 スポリとどこかへ消えてしまった。 団々と揺れるものがある。雪のように真っ白い。白牡丹の叢があるのであった。黒い人影の消えた時、恐らく花を揺すったのであろう。プーンと芳香が馨って来た。 「驚いたなあ、何んということだ。物騒千万、注意が肝腎。……槍進上とは胆が潰れる。……待てよ待てよ、何んとかいったっけ『先刻はご苦労、まさしく平打ち、ピッシリ肩先へ頂戴してござる』――ははあそうするとさっき方、この家の娘を門前で、かどわかそうとした奴だな? ……ふうむ、それではあいつらが、潜入をしているものと見える。いよいよ物騒、うっちゃっては置けない。葉末とかいう娘のため、ここの庭から駆り出してやろう」 ソロソロと進むと滝の前へ出た。 そこをよぎると林である。蘇鉄が十数本立っている。 と、その蔭から声がした。「これは結城氏結城氏、さっきは平打ち、いただいてござる。で、お礼! まずこうだ!」 ポンと人影飛び出して来た。キラリと夜空へ円が描かれ、続いて鏘然と音がした。パッと散ったは火花である。切り込んで来た敵の太刀を、抜き合わせた結城旗二郎、受けて火花を散らしたのである。 二人前後へ飛び退いた。 「お見事」と敵の声がした。「が、もう一人ご用心! ご免」 というと消えてしまった。 蘇鉄の頂きが光っている。月があたっているかららしい。 「ふざけた奴らだ」と旗二郎、気を悪くしたが仕方なかった。庭は宏大、地の理は不明、木立や築山が聳えている。どこへ逃げたか解らない。追っかけようにも追っかけようがない。 「よし」と旗二郎決心した。「もう一人出るということだ。今度こそ遁がさぬ、料理してくれよう」 だがその企ても駄目であった。 というのは旗二郎抜き身を下げ、用心しながら先へ進み、竹藪の前まで来た時である、竹藪の中から声がした。 「お手並拝見してござる。なかなかもって拙者など、お相手すること出来ませぬ。先刻の平打ちも見事のもの、十分武道ご鍛練と見受けた。ついてはお願い、お聞き届けくだされ。……ずっと進むと裏門になります。そこから参るでございましょう、十数人の武士どもが。……今回こそはご用捨なく、手練でお打取りくださいますよう。……それこそ葉末殿のおためでござる。また、ご主人のおためでござる。ご免」と一声! それっきりであった。いや、ガサガサと音がした。竹藪を分けてどこともなく、どうやら立ち去ってしまったらしい。 「何んということだ」と旗二郎、本当に驚いて突っ立った。 「きゃつら敵ではなかったのか。葉末殿のため、ご主人のため、こういったからには敵ではなく、味方であるとしか思われない……。ではなぜ切り込んで来たのであろう? ではなぜ葉末というあの娘を、かどわかそうとしたのだろう? 何が何んだか解らない。解っていることはただ一つだ、怪しい館だということだけだ。どうでもこの屋敷、どうでも怪しい」 旗二郎怒りを催して来た。翻弄されたと思ったからである。 「主人のためでなかろうと、娘のためでなかろうと、俺は俺のために叩っ切る。来やがれ! 誰でも! 叩っ切る!」 で、スルスルと足音を忍ばせ、先へ進むと木立があり、それを抜けた時行く手にあたり、取り廻した厳重の土塀が見え、ガッシリとした裏門が、その一所に立っていた。 「うむ、あいつが裏門だな」 小走ろうとした時、トン、トン、トン、と、その裏門を外の方から、忍びやかに叩く音がした。 と、一つの人影が、母屋の方から現われた。意外にも女の姿である。裏門の方へ小走って行く。で、旗二郎地へひれ伏し、じっと様子をうかがったが、またも意外の光景を見た。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] 下一页 尾页
|