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獄中消息(ごくちゅうしょうそく)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-26 6:59:23 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


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 堀保子宛・明治四十二年六月十七日
 ちょうど一年になる。早いと言えばずいぶん早くもあるが、また遅いと言えばずいぶん遅くもある。妙なものだ。
 窓ガラスに映る痩せこけた土色の異形の姿を見ては、自分ながら多少驚かれもするが、さりとてどこと言ってからだに異状があるのでもない。一食一合七勺の飯を一粒も残さず平らげて、もう一杯欲しいなあと思っているくらいだ。要するに少しは衰弱もしたろうけれど、まず依然たる頑健児と言ってよかろう。
 ただ月日の経つに従ってますます吃りの激しくなるのには閉口している。この頃ではほとんど半唖で、言いたいことも言えないから何事も大がいは黙って通す。これは入獄のたびに感ずるのだが、こんどはその間の長いだけそれだけその度もひどいようだ。不愉快不自由この上もない。
 かくして一方では話す言葉は奪われたが、一方ではまた読む言葉を得た。ドイツ語もいつか譬えて言ったような、蛙が尾をはやしたまま飛んで歩く程度になった。シベリア※(始め二重括弧、1-2-54)ジョルジ・ケナンの『シベリアにおける政治犯人』の独訳※(終わり二重括弧、1-2-55)ぐらいのものなら字引なしでともかくも読める。イタリア語は本がなかったので碌に勉強もしなかったのだけれど、元来がフランス語とごく近い親類筋なので、一向骨も折れない。さて、こんどはいよいよロシア語を始めるのだが、これは大ぶ語脈も違うので少しは困難だろうとも思うが、来年の今頃までにキットものにして見せる。
 いつかの手紙に近所に英語を教えるところができたから行こうと思うとあった。また先月の手紙にもまた○○へ行こうと思うとあった。思うのもいい、しかし本当に始めればなお結構だ。幸い若宮が近くに住むようになったから、頼んで先生になって貰うといい。語学の先生としてもまた他の学問の先生としても、○○よりはどれほどいいか知れない。ただとかく女は語学を茶の湯活花視するので困る。もしやるなら真面目に一生懸命にやるがいい。そして僕の出獄の頃には一とかどのものにして置いてくれ。
 先月の手紙で大体の様子はわかった。さすがに世の中は春だったのだね。しかも春風吹き荒むという気味だったのね。※(始め二重括弧、1-2-54)幽月と秋水との情事を指す※(終わり二重括弧、1-2-55)おうらやましいわけだ。しかし困ったことになったものだ。と言っても、今さら何とも仕方があるまい。善悪の議論はいろいろあることだろうが、なるべく批難することだけは止めてくれ。汝等のうち罪なきものこれを打て。僕などはとうてい何人に向っても石を投ずるの権利はない。
 そんな事情から足下は一人の後見を失い、またほとんど唯一の同性の友人を失ってしまった。今後は守田※(始め二重括弧、1-2-54)有秋君※(終わり二重括弧、1-2-55)とか若宮とかの、よく世話をしてくれる人達に何事も相談して、周到な注意の下に行動するがいい。その上での出来事なら、たとえ僕の「将来の運動に関係」しても、また僕の「面目に係わ」っても、僕は甘んじてその責任を分ける。ただ女の浅はかな考えから軽はずみなことをしてくれるな。
 幽月は告発されているよし。こんどはとても遁れることはできまいと思うが、平生の私情はともかくとして、できるだけの同情は尽してくれ。
 雑誌の売れ行きについては多少悲観もしていたが、先日の話によれば思ったほど悪くもなさそうなので大いに安心した。あんな小さい雑誌で、ともかくも一家が食って行けるとはありがたいことだ。しかしこれはみな編集者を始め大勢の寄書家諸君のお蔭だ。そのつもりで、足下は一方に広告や売捌きに勉強して、それらの人々の労に報ゆるとともに、一方にはできるだけその雑誌の上で他の人々の便宜をはかる心掛けを持ってくれ。たとえば、仲間のものの商売の紹介をするとかあるいは広告をするとかして。
 社名は兄キの意見通り保文社とかかえる方がよかろう。しかし出版は当分見合すがいい。そしてもしそんな金があったら、広告の方に費ったらよかろう。
 次の書籍差入れを乞う。
 ウォド著ソシオロジー(社会生理学)、ヘッケル著(人類史、原名は忘れた)以上英文。※(始め二重括弧、1-2-54)監獄では、とかく社会学とか進化論とかいう名を嫌うので、この二冊の本は不許可になった。が、こうして同じ本を名を変えて入れて貰ったら、無事に通過した。千葉の役人は英語も碌に読めないので、本の表題を和訳して差入れたが、同じ本を幾度も幾度も名を変えては差入れして、結局は大がい無事に通過した。※(終わり二重括弧、1-2-55)ルッソオ著エミル(教育学、仏文)。Diversajoj(エス文集)。横田から大西、高山二博士の著書を、持っているだけ借りてくれ。横田の病気はどうか。よろしく。
 安成に『早稲田文学』の一月号にあったモダーニズム・エンド・ローマンス(近代文学)の原書を、もし借りることができたら借りて貰うように頼んでくれ。前の手紙に言った文芸百科全書もこの一月号の広告に出ていたのだ。近代文学研究は二月号の雑誌の中に予告があった。どちらも未だ出版にならぬのか。
『帝国文学』の最近号を二、三冊合本して送ってくれ。たぶん差支えなかろうと思う。
 数日前に書物の郵送を願ってある、その中の社会学教科書と人間進化論とは不許、『世界婦人』も勿論不許、石川によろしく礼を言ってくれ。『世界婦人』とも商売仇のような見っともないことはしないで、互いに広告の交換でもし合うがいい。かつて面会の時に頼んだ日本文学史は守田の本を指したのだが、外の本が来ているようだ。これは至急送るように。
 吉川夫人のことは都合よく行ってよかった。子供のあるのは少しうるさくもあろうが、またその世話をしたりするのも面白いものだ。お互いに助け合って仲よく暮して行くがいい。
 諸君によろしく。暑くなる、足下も体を大事に。さよなら。
   *
 堀保子宛・明治四十二年八月七日
 ことしは急に激しい暑さになったので、社会では病人死人はなはだ多いよし。ことに弱いからだの足下および病を抱く諸友人の身の上心痛に堪えない。
 まだ市ヶ谷にいた時、一日、堺と相語る機会を得て、数人の友人の名を挙げて、再び相見る時のなからんことを恐れた。はたして坂口は死んだ。そして今また、横田※(始め二重括弧、1-2-54)兵馬、当時第一高等学校在学中※(終わり二重括弧、1-2-55)が死になんなんとしている。ただ意外なのは汪の死だ。あの肥え太った丈夫そうな男がね。横田には折々見舞いの手紙をやってくれ。彼は僕のもっとも懐しい友人の一人だ。否、唯一のなつかしい友人だ。
 八月と言えば例の月だ。足下と僕とが初めて霊肉の交りを遂げた思い出多い月だ。足下のいわゆる「冷静なる」僕といえどもまた感慨深からざるを得ない。数うれば早や三年、しかもその最初の夏は巣鴨、二度目の夏は市ヶ谷、そして三度目の夏はここ千葉というように、いつも離れ離れになっていて、まだ一度もこの月のその日を相抱いて祝ったことがない。胸にあふれる感慨を語り合ったことすらない。
 そしてこの悲惨な生活は、ただちに足下の容貌に現れて、年のほかに色あせ顔しわみ行くのを見る。しかし、これがはたして僕等にとってなげくべき不幸事であろうか、僕に愛誦の詩がある。ポーランドの詩人クラシンスキイの作、題して「婦人に寄す」と言う。

水晶の眼もて人の心を誘い、
徒らのつれなさによりて人の心を悩ます。
君はまだ生の理想に遠い、
君はまだ婦人美を具えない。

紅の唇、無知のつつしみ
今やその価いと低い。
君よ、処女たるを求めず、
ただこの処女より生い立て。

世のあらゆる悲哀を甞めて、
息の喘ぎ、病苦、あふるる涙、
その聖なる神性によりて後光を放ち、
蒼白のおもて永遠に輝く。

かくして君が大理石のひたいの上に、
悲哀の生涯の、
力の冠が織り出された時、
その時! ああ君は美だ、理想だ!


 雑誌の禁止は困ったことになったものだね。しかしこれもお上の御方針とあれば致し方がない。かくして生活の方法を奪われたことであれば、まず何よりも生活をできるだけ縮めることが必要だろう。家もたたんでしまうがいい。そして室借生活をやるがいい。何か新しい計画もあるようだが、これはよく守田や兄などにも相談して見るがいい。社会の事情の少しも分らん僕には、なんともお指図はできないが、要するに仕事の品のよしあしさえ選ばなければ、何かすることはあろうと思う。日に十一、二時間ずつ額にあぶらして下駄の鼻緒の芯を造って、そして月に七、八銭ずつの賞与金というのを貰っている人間の女房だ。何をしたって分不相応ということがあるものか。
 せっかく持って来たバイブルをあまりにすげなく突返してはなはだ済まなかった。実はイタリア語ので二度も読んであきあきしたのだ。もっとも、もし旧約の方があるのなら喜んで見る。しかし、これもあの文法を読んでしまってからのことだから急ぐには及ばぬ。それと同時に自然、辞書の必要も生ずるのだが、露和の小さなのがあると思う。お困りの際だろうが、何とかして買ってくれ。『帝国文学』は許可になった。本年末にいろいろ読み終えた本の郵送をする。
 やがて二人出る。村木はそうでもないようだが、百瀬は大ぶ痩せた。一度ぐらい大いに御馳走してやってくれ。来月末には厳穴※(始め二重括弧、1-2-54)赤羽※(終わり二重括弧、1-2-55)が出る。その次は来年の正月の兇徒連。人のことではあるがうれしい。
 暑くるしいので筆をとるのが大儀至極だ。これで止す。さよなら。
   *
 堀保子宛・明治四十二年十月九日
 先月はずいぶん手紙の来るのを待った。二十日過ぎにもなる。まだ来ない。不許にでもなったのだろう、とも思って見たが、しかし来ないのは僕のところばかりでもないようだ。堺のところなぞもまだ来た様子がない。少し変だ。きっとこれは社会に何か異変があったのに違いない。あるいは愚堂※(始め二重括弧、1-2-54)内山愚堂、大逆事件の一人、その事件の起る少し前に不敬事件で収監された※(終わり二重括弧、1-2-55)の事件からでも、飛んでもない嫌疑を蒙って、一同拘引というようなことになっているのじゃあるまいか。さあ、こう考えると、それからそれへといろいろな心配が湧いて来る。監獄にいるものの頭は、あたかも原始の未開人が天地自然の諸現象に対するがごとく、または暗中を物色しつつ行くもののそれに似ている。何か少しでも異常があれば、すぐに非常な恐怖をもってそれに対する。あとで考えると可笑しいようでもあるが、本当にどれほど心配したか知れない。
 一日の面会で無事な足下の顔を見て初めて胸を撫で下ろした。こんどはなるべく注意して不許になるようなことは書かないようにしてくれ。何もそう無暗に長いものを書くにも及ばない。僕はただ足下がどんなにして毎日の日を暮しているか、それがよく分りさえすりゃ満足なのだ。
 しかし足下も前の巣鴨の時と違って、こんどはいつも肥え太った、そしてあざやかな笑顔ばかり見せるので、僕は大いに安心している。あの頃から見ると足下も大ぶえらくなった。ただ人の助けを待つ、ということのかわりに、細いながらも自分の腕を働かせて行く。ずいぶん困ってもいるのだろうが、そうピイピイ泣言も言わない。一軒の家に一人ぽっちで住んでいる。これらはとても昔の足下にはできなかったことだ。僕は本当に感心している。もうざっと一年ばかりの辛棒だ。まあ、しっかりやってくれ。
 この手紙の着く頃はちょうど『議論』の出る予定の頃だと思うが、広告のとれ具合はどうか。雑誌の種類も前のとは大ぶ違うし、それにあまり広告に向くものでもなし、よほど困難なことと察せられる。ただ、今までのお得意にせびりつくのだね。十二月の面会の時には是非雑誌を一部持って来て、せめては足下の働きぶりだけでも見せてくれ。
 英語はやはり続けてやっているか。先生をかえたのは惜しいことをした。足下なぞは自分で勉強する方法を知らんのだから、よほど先生がしっかりしていないと駄目だ。ともかくも僕のロシア語と競争にしっかりやろうじゃないか。僕もあの文典だけは終った。来週から先日差入れの本にとりかかる。
 幽月はいよいよ寒村と断って、公然秋水と一緒になったよし。僕はあの寒村のことだから煩悶をしなければいいがと心配していたが、案外平静なようなのでまずまず安心している。いつかも慰め顔にいろいろと問い尋ねる看守に、かえってフリイ・ラブ・セオリイなぞを説いて、こうなるのが当り前でしょうよと言ってカラカラと笑っていた。しかし例の爪は見てもゾッとするほどひどく噛みへらされてしまった。※(始め二重括弧、1-2-54)寒村は爪を噛む癖があった※(終わり二重括弧、1-2-55)さていよいよ公然となれば、いわゆる旧思想※(始め二重括弧、1-2-54)秋水等はこう呼んでいたそうだ※(終わり二重括弧、1-2-55)とかの人達はだまっている訳にも行くまい。いずれいろいろ喧しいことと思う。しかし足下なぞはいつかも言った通りあまり立ち入らんようにするがいい。
 横田は本当に可哀相なことをした。僕はあの男がついにその奇才を現すことなくして世を去ってしまったのがいかにも残念で堪らぬ。それに僕をもっともよく知っていたのは実に彼だった。僕は彼の訃を聞いて、あたかも僕の訃に接したような気がする。前の僕の手紙の文句は伝えてくれたことだろうね。
 次の書籍差入れを乞う。
 エス語散文集、ディヴェルサアショイ(エス語文集、前の手紙を見よ)、フンド・デル・ミゼロ、以上三冊合本。
 日本文、金井延著、社会経済学。福田徳蔵著、経済学研究。文芸全書(早稲田から近刊の筈)英文、言語学、生理学(いずれも理化科学叢書の)、科学と革命(平民科学叢書の)、ワイニフンド・スティブン著、フランス小説家。
 仏文、ラブリオラ著、唯物史観。ルボン著、群集心理学。
 独文、ゾンバルト著、労働問題。菜食主義(ドクトル加藤所有。これは長々の実行で実は少々心細くなったから、せめてはその理論だけでも聞いて満足していたい。ドクトルにそう言って借りてくれ。)
 露文、トルストイ作民話(英訳と合本して)

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