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獄中消息(ごくちゅうしょうそく)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-26 6:59:23 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


巣鴨から

   *
 堀保子宛・明治四十年六月十一日
 一昨日と昨日と今日と、これで三たび筆をとる。その理由は、あまり起居のことを詳しく書いては、かえって宅で心配するからという、典獄様のありがたい思召しで、書いては書き直し、書いては書き直し、したからである。
 二度目でもあるせいか、もう大ぶん獄中の生活に馴れて来た。日の暮れるのも、毎日のように短かくなるようだ。本月の末にでもなったら、まったく身体がアダプトしてしまうことと思う。心配するな。
 朝起きてから夜寝るまで、仕事はただ読書に耽るにある。午前中はアナーキズムとイタリア語との研究をやる。アナーキズムは、クロポトキンの『相互扶助』と、ルクリュの『進化と革命とアナーキズムの理想』というのを読み終った。今はクラーウの『アナーキズムの目的とその実行方法』というのを読んでいる。イタリア語は、文法を三十五ページばかり読んだ。全部で四百ページ余あるのだから、まだ前途遼遠だ。午後は、ドウィッチェの『神愁鬼哭』と、早稲田の『日本古代史』とを読んでいる。
 八日に「新兵事件」の判決文が来て、いささか驚かされた。他の諸君にははなはだお気の毒であるが、これも致し方がない。このことについては、何とも言うて来ないが、どうしたのだ。まだ知らないのか。助松君も重罪公判に移されたそうだけれど、まだ予審のことだからこのさきどうなるかわからぬ。よく操君を慰めるがいい。
 お手紙は九日発のがきょう着いた。たしかこれが九通目だ。同志諸君からも、毎日平均二通は来る。秋水の『比較研究論』は不許になったようだ。
『青年』の原稿は熊谷に渡したか。早く出すように言え。雑誌の相談はどうなったか。
 留守中の財政はどうか。山田から十五、六日頃に端書が来るだろう。お絹嬢にでも取りにやらせろ。仙台に行っている筈のことを忘れるな。
『社会新聞』と『大阪平民新聞』とは、もし送って来なければ前金を送れ。そして保存して置け。
 山川の獄通から、しきりに桐の花がどうの、ジャガ芋の花がどうのと言って来るが、桐は入獄した時にすでに葉ばかりになっていた。ジャガ芋の花は白く真盛りに咲いている。臭いいやな花だ。
 枯川老および兄キの病気よきよし、喜んでいる。幽月はどうか、真坊の歯はどうか。弥吉はどうか。
「新兵」で刑期が思ったよりも延びたから、いろいろ相談もある。面会に来い。同志諸君および近所の諸君によろしく。
   *
 堀保子宛・明治四十年七月七日
 その後病気はどうか。前々の面会の時のように、話を半ばにして倒れるのを見たり、また前の面会の時のように、蒼白い弱り込んだ顔色をしているのを見たりすると、いろいろ気にかかって堪らぬ。片瀬行きのことはどうなったか。だんだん暑くもなることだから、もし都合がいいようなら、なるべく早く行くがいい。そして、もう少し気を呑気にかつシッカリ持って、ゆっくり体を養ってくれ。
 僕は相変らず頑健、読書に耽っている。しかし例の「新兵」で思ったより刑期も延びて、別に急がぬ旅になったことだから、その後は大いに牛歩をきめて、精読また精読している。イタリア語も、後に差入れた文法の方が、よほどいいように思われたから、前のは止して、また始めからやり直している。毎日一章ずつコツコツやって行って、来月の末に一と通り卒業する予定だ。
 その後読んだもの。チェルコソフ『社会主義史の数ページ』、クロポトキン『無政府主義の倫理』、同『無政府主義概論』、同『無政府主義と共産主義』、同『裁判と称する復讐制度』、マラテスタ『無政府』、ロラー『総同盟罷工』、ニューエンヒュイス『非軍備主義』(以上小冊子)。ゾラ『アソンモアル』、クロポトキン『パンの略取』、アラトウ『無政府主義の哲学』、『荘子』、『老子』、『家庭雑誌』、『日本エスペラント』。
 ジャガ芋の花を悪く言って、大いに山川兄から叱られたが、あれももう大がい散ってしまったようだ。今は、ネジリとかネジリ花とかいう小さな可愛らしい草花が、中庭一面の芝生の中に入りまじって、そこにもここにもいたるところにその紅白の頭をうちもたげている。面会や入浴の時には、いつもこの中庭の真ん中を通りぬけて行く。眼をあげて向うを見ると、この芝生のつきるところには、一、二間の間をおいて、幾本となく綺麗な桧が立ちならんでいて、そしてその直後に、例の赤煉瓦のいかめしい建物が聳えている。この桧の木蔭の芝生の厚いところで、思う存分手足を伸ばして一、二時間ひるねして見たい。
 手紙は、一日に平均三通ずつ来る。東京監獄では、監房の中に保存して置くことができたので、毎日のように、退屈になるとひろげ出して見ていたけれど、ここでは読み終るのを待っていて、すぐにまた持って行かれてしまう。あまりいい気持でもない。
 同志諸君によろしく。さよなら。
   *
 堺利彦宛・明治四十年八月十一日
 暑くなったね。それでも僕等のいる十一監というところは、獄中で一番涼しいところなのだそうだ。煉瓦の壁、鉄板の扉、三尺の窓の他の監房とは違って、ちょうど室の東西のところがすべて三寸角の柱の格子になっていて、その上両面とも直接に外界に接しているのだから、風さえあればともかくも涼しいわけだ。それに十二畳敷ばかりの広い室を独占して、夜になれば八畳つりぐらいの蚊帳の中で、起きて見つ寝て見つなぞと古く洒落れているのだもの、平民の子としてはむしろ贅沢な住居さ。着物も特に新しいのを二枚もらって、その一枚を寝衣にしている。時々洗濯もしてもらう。
 老子の最後から二章目の終りに、甘其食、美其衣、安其居、楽其俗、鄰国相望、鶏犬声相聞、民至老死不相往来という、その理想の消極的無政府の社会が描かれてある。最初の一字の、甘しとしただけがいささか覚束ないように思うけれど、僕等の今の生活と言えば、正にこんなものだろうか。妙なもので、この頃は監獄にいるのだという意識が、ある特別の場合の外はほとんど無くなったように思う。
 かつてロシアの同志の、獄中で猫を抱いている写真を、何かの雑誌で見て、日本もこんなだといいがなあなぞと言って、みんなで大いにうらやましがったことがあった。ところがこの巣鴨の監獄にも、白だの黒だの斑だの三毛だのと、いろいろな猫がそこここにうろついている。写真は撮れまいけれど一所に遊ぶことくらいはできるだろうと思って、試みに小さい声で呼んで見るが、恐ろしく眼を円くして、ちょっとねめつけるくらいが関の山で、立ち止って見ようともしない。聞くにまったく野生のものばかりだそうだ。僕の徳、はたしてこれを懐かしむるに足るかどうか。ナツメ※(始め二重括弧、1-2-54)飼猫※(終わり二重括弧、1-2-55)が大怪我をしたそうだが、その後の経過はいいかしら。
 保子から、やれ胃腸が悪いの、やれ気管支が悪いの、やれどこが悪いのと、手紙のたびにいろいろなことを言って来るが、要するにいよいよ肺に来たのじゃないかと思う。医者はよく肺の初期をつかまえて、胃腸だの気管支だのと言うものだ。面会の時なぞも、勢いのないひどく苦しそうな呼吸をしているのを感ずる。できもすまいけれど、まあできるだけ養生するよう、よく兄よりお伝えを乞う。なお留守宅の万事、よろしく頼む。
 社会党大会事件、またまた検事殿より上告あったよし。「貧富」や「新兵」の先例から推すと、近々の中に深尾君もまたやって来なければならぬのかな。同君によろしく。なお、孤剣、秀湖、西川、山川、守田の諸君によろしく真さんにもよろしく。さよなら。
   *
 幸徳秋水宛・明治四十年九月十六日
 暑かった夏もすぎた。朝夕は涼しすぎるほどになった。そして僕は「少し肥えたようだね」などと看守君にからかわれている。
 この頃読書をするのに、はなはだ面白いことがある。本を読む。バクーニン、クロポトキン、ルクリュ、マラテスタ、その他どのアナーキストでも、まず巻頭には天文を述べている。次に動植物を説いている。そして最後に人生社会のことを論じている。やがて読書にあきる。顔をあげて、空をながめる。まず目にはいるものは日月星辰、雲のゆきき、桐の青葉、雀、鳶、烏、さらに下って向うの監舎の屋根。ちょうど今読んだばかりのところをそのまま実地に復習するようなものです。そして僕は、僕の自然に対する知識のはなはだ薄いのに、毎度毎度恥じ入る。これから大いにこの自然を研究して見ようと思う。
 読めば読むほど考えれば考えるほど、どうしても、この自然は論理だ、論理は自然の中に完全に実現せられている。そしてこの論理は、自然の発展たる人生社会の中にも、同じくまた完全に実現せられねばならぬ、などと、今さらながらひどく自然に感服している。ただし僕のここに言う自然は、普通に人の言うミスチックな、パンティスチックな、サブスタンシェルな意味のそれとはまったく違う。兄に対してこの弁解をするのは失礼だから止す。
 僕はまた、この自然に対する研究心とともに、人類学にまた、人生の歴史に強く僕の心を引きつけて来た。こんな風に、一方にはそれからそれと泉のごとく、学究心が湧いて来ると同時に、他方には、また、火のごとくにレヴォルトの精神が燃えて来る。僕は、このスタデーとレヴォルトの二つの野心を、それぞれ監獄と社会とで果し得たいものだと希望している。
 兄の健康は如何に。『パンの略取』の進行は如何に。僕は出獄したらすぐに多年宿望のクロの『自伝』をやりたいと思っている。その熟読中だ。
 枯川のイタリア語のハガキの意味はわからんと言ってくれ。保子に判決謄本とアナルシーと授業料とを忘れないように、ことに授業料を早くと伝えてくれ。留守宅のことよろしく頼む。マダムによろしく。同志諸君、ことに深尾、横田の二兄によろしく。さよなら。

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