* 堀保子宛・明治四十三年六月十六日 不許とあきらめていた四月上旬出の手紙を五月の半ばに見せられた。たぶん三月の半ばに一月出の伸のを見たから、それから満二カ月目懲役囚は二カ月に一回ずつしか発信受信を許されていないの今日まで延ばされたのだと思う。お上の掟というものはまことに峻厳なものだ。しかし四月下旬出のあの手紙は即刻見ることができた。これはまたたぶん臨時にというお恵みに与かったのだと思う。お上の掟にはまたこの寛容がある。ともかくこの一通の手紙で万事の詳しいことが分ったのではなはだありがたかった。 花壇を作ったということだが、思えば僕等が家を成してからすでに六年に近く、この間自ら花壇を作ることのできたのがわずかに二回、しかも一回だに自分の家の花壇の花を賞したことがない。 この監獄では僕等の運動場の向うに、肺病患者などのいる隔離監というのがあって、その周囲の花壇がいつも僕等の目を喜ばしてくれる。本年も四月の初めに、何の花だか遠目でよくは分らなかったが、赤い色の大きなのが咲きそめて、今はもう、石竹、なでしこの類が千紫万紅を競うている。そして、この花間を蒼面痩躯の人達が首うなだれておもむろに逍遙している。僕は折々自分のからだのはなはだ頑健なのを嘆ずることがある。色も香もない冷酷な石壁の間に欠伸しているよりは、むしろ病んで蝶舞い虫飛ぶの花間に息喘ぐ方が、などと思うことがある。帰る頃にはコスモスが盛んだろうということだが、ここにもコスモスは年の終りの花王として花壇に時めく。お互いにこのコスモスの咲く頃を鶴首して待とう。 去年の春は春風吹き荒んで、揚花雪落覆白蘋、青鳥飛去銜赤巾というような景色だったが、ことしの春の世の中はどうだったろう。いずれ面白い話がいろいろあることと想像している。 兄が近所に来てくれたので家のことはまずまず安心した。こんどの兄の子は男か女か。兄の細君にもいろいろ世話になるだろう。よろしく。進三弟の腕白には大ぶ困らせられたようだね。人間の子を育てるのはお雛様や人形を弄ぶのとは少し訳が違う。もし足下等の女の手に自由自在になるような男の子なら、僕はその子の将来を見かぎる。教育の要は角をためることでなくして、ただその出る方向を指導することにある。進はかつてその容貌もっとも僕に似ると言われていたが、あるいはその腕白もそうなのだろう。それにあの子は少し吃りやしないか。よくもいいところばかり似るものだ。その後学校の方はどうなったか。勇は何かしでかして家に来られないようになっているとのことだったが、まさか今なおそんな事情が続いているのではあるまいね。彼は今、少年期から青年期に移る、肉体上および精神上に一大激変のあるもっとも危険な年頃にある。そして出づれば工場の荒い空気の中、帰れば下宿屋の冷たい室の中、というはなはだ情けない、そしてはなはだ危険なところにある。休日などにはなるべく家へ来て、一日なり半日なりの暖かい歓を尽させてやってくれ。 伸の徴兵検査はどうなったか。弟妹等一同に留守中の心得というようなものを書きたいと思ったが、許されないので致し方がない。五カ月の後相ともに語るまでおとなしく待つよう伝えてくれ。 こんどの秋水等の事件について二つお願いがある。一つはかつて巣鴨の留守中に借りた三十円の金をこの際返してもらいたい。こんな時にでも返すのが、返す方でもはなはだ心持よし、また返される方でもはなはだありがたかろう。も一つは少し厄介なことだが、もしお母さんを呼ぶ必要があるなら、そしてそのいるところがないなら、家で世話をしてやってくれないか。僕は足下の秋水に対する悪感情はよく知っている。しかし、この際これほどの雅量はあってほしい。また、かくのごときは、彼に対するもっともよき復讐だと思う。もし御承知なら、一度秋水と会って相談してくれ。 お為さんは、古本を買っては売りしているということだが、本郷の例の本屋と協定して、初めに十円か十五円出して置いて、毎月五十銭くらいの割で本を借り出すような便利はできまいか。月に四、五冊ずつで二カ月目には返せる。 今見たい本は、『帝国文学』の発行所から出るもので物集博士の日本文明史略、長岡博士のラジュウムと電気物質観、鳥居氏の人種学、平塚学士の物理学輓近の発展、シジュウィックの倫理学説批判、高桑博士のインド五千年史、物理学汎論(著者の名は忘れた、二冊もの)以上、『帝国文学』の広告を見よ。 文学ものでは、博文館の通俗百科全書中の文学論、折々言う抱月の近代文芸の研究、それから早稲田の文芸百科全書、外に何か最近哲学史というようなもの。 経済学では、金井博士の社会経済学、福田の経済学研究、同氏の国民経済学、イリスの経済学提要、早稲田のマーシャル経済学、およびコンラッドの国民経済学。上記の研究は坂本が持っている筈だ。彼はなお、天界の現象だの、その他科学もののいい本を持っているが借りてくれ。先生相変らずイカンヨかな。 早稲田の講義録の中の生物学、樗牛全集の一、二、三はないのか。あの持主によろしく。梁川の文集、早稲田の時代史。 欧文のものを禁ぜられたのではなはだ困っているが、露は猟人日記、独はゲーテ文集、この二つを幾度も繰返して読むつもりだ。猟人日記の持主に、あれを出る頃まで借りられるか尋ねてくれ。 狂風がフランス語をやってるのは感心感心。若宮、守田など病気如何に。社会にいるものはなぜそう体が弱いのだろうね。 この雨が止んだら急に激暑が来るだろう。足下のお弱いお体も御大事に。 書画骨董の景気は如何に。子供も大きくなったろうね。山田へ行く時があったら、細君に米川のお悔みをよろしく頼む。 この手紙の着くのと足下の面会に来るのとどちらが早いか。四月の足下の手紙と僕の手紙との間に、期せずして同じような事柄の二、三あったのは面白く感じた。 僕の知っている松枝は細面のむしろ痩せ形の子であったが、今はそんなに太っているのかね。チョット想像しかねる。
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