黒箱の謎
「うーん、ざんねん。うまく逃げられてしまったわい」 長戸検事は、大通りのヤナギのかげで汗をふきながら、そういった。とり逃がした怪人物をあきらめたようなことをいいながらも、まだかれの目は往来へいそがしく動いていた。 「きょうは逃がしても、そのうちにきっとつかまりますよ」 蜂矢探偵が、検事をなぐさめた。 「そうだ。とにかく、彼奴はこのへんですがたを消したんだから、どこかこの近くに巣くっているのにちがいない。ああ、そうだ。怪人物がおとしていった黒箱を、ちょっとしらべてみよう。こっちへだしたまえ」 その黒箱は、さっきから蜂矢が検事からあずかって、こわきに抱いていたのだ。それは木の箱だった。しかしかなり重いところをみると、中に金属製の何物かがはいっているにちがいない。 「どこかあくんだろうが、どうしたらいいだろうかね」 検事は、こういうことになると、いつも手をやく方であった。そこで蜂矢のたすけをもとめる。 「さあ、どこがあくんですかな」 蜂矢もその場にしゃがんで、黒箱をいろいろといじってみる。なかなかあかなかったけれど、蜂矢がその黒箱の板の節穴に小指を入れてみたときに、きゅうに箱がばたんとはねかえり、四方の枚がはずれた。そして中から出てきたものは、銀色のうつくしい金属光沢をもった箱であった。 「二重箱になっているんですね。なかなか用心ぶかい作りかただ」 蜂矢は、おどろいていった。 「なるほど。そしてこれは何かの器械らしいが、いったいなんの器械かね。なんに使う器械かね」 「さあ。待ってくださいよ」 蜂矢は、ポケットからドライバーを出して器械の裏蓋をあけた。中を見ると、ラジオ受信機に似た、こまかい部品器具が集まっており、赤や青や黄のエンパイヤ・クロスのさやをかぶった電線が、くもの巣のように配線してあった。 「電波を出す器械のようですね。いわゆる送信機の一種らしいのですが、かんじんの真空管がぬいてあるし、電波長を決定する、同調回路のところもねじ切ってあるから、はっきりわかりませんねえ」 蜂矢は、いよいよおどろきの色を見せてそういった。 「なんだって、かんじんの真空管やら、何やらがぬいてあるというのかい。誰がそんなことをしたのだろう。やっぱり、あのあやしい男のしわざか」 検事は自問自答した。 「そうでしょうね。あの怪人物は、なかなか注意ぶかくやっていますね。ただのネズミじゃありませんね」 「そうだ。こうなると、こんな黒箱なんかに目をくれないで、彼奴をおいつめた方がよかったんだ。そして、みんな彼奴の註文に、こっちがはまったことになる。まったくわれながらだらしがないわい」 検事は、苦笑してくやしがった。 「とにかくこの黒箱は持ってかえって、なおよくしらべてみましょう。時間をたっぷりかけてしらべると、もっとはっきりしたこの器械の性質なり使いみちなりがわかるかもしれません」 「そうしてくれたまえ」 そこでふたりは、ヤナギの木かげから腰をあげた。 「検事さんは、これからどうしますか」 「もう一度、二十世紀茶釜の小屋のようすを見てから、役所へもどることにしよう」 「では、おともしましょう」 ふたりは、道をひきかえして、浅草公園のうらから中へはいった。 さっきまで大にぎわいだった小屋のあたりには、もう人影もまばらだった。 小屋のまえに立ってみると、あの景気のよい呼びこみの声もなく、にぎやかすぎるほどの楽隊の楽士たちも、どこへ行ったかすがたがなく、表の札売場はぴったりと閉じられ、「都合により本日休業」のはり紙が四、五枚はりつけられ、そよかぜにひらひらしていた。 ふたりは、小屋の中へはいってみた。 なかには、もちろん見物人はただのひとりも残ってはいず、この小屋の雑用をしているらしい老人が四、五名、のんきそうに舞台の上でタバコをすい、茶をのんでいるだけだった。 「おいきみ、興行主の雨谷君は、どこにいるのかね」 検事が、そういって、たずねた。 その筋の人だということは、老人たちにもすぐぴーんときたらしく、かれらはぺこぺこと頭をさげて、 「へい、だんな。雨谷さんは、さっき寝台自動車にのせられて、なんとか病院へ行きましたがね」 「どこか、からだの工合がわるいのかね」 「へい。なんですか、心臓が悪いとか、アクマがどうしたとかいってましたがね、あっしはよくみませんので。へへへへ」
茶釜小屋の終幕
その夜、小杉二郎少年が蜂矢のところをたずねてきたので、ひるま茶釜破壊の椿事があってからあとの、小屋のなかのようすがだいたいわかった。 「あの雨谷という茶釜使いの人は、たしかに気がへんになったようですよ。はじめは舞台の上にうつぶして、わあわあ泣いていたんですが、しばらくすると、むっくり起きあがりましてね、歌をうたい出したんです。それから踊るようなかっこうをしながら、綱わたりをはじめたんです。文福茶釜にかわって、じぶんが綱わたりを見せようというのです。見物人は、わっとかっさいしました」 「ふーん。それはかわっているね」 「ところが、とつぜん雨谷はおこりだしましてね、見物人をにらみつけて、さかんに悪口をとばすのです。見物人たちの方では、これをおもしろがって、わあわあとさわぎたてる。すると雨谷はますます怒って、ゴリラのように歯をむきだし、どんどんと舞台をふみならし、たいへんな興奮です。あげくのはてに、足もとに落ちていた文福茶釜の破片を拾いあげて、これを見物人席へ投げはじめたからたいへんです」 「ほうほう。それはたいへんだ。見物人はけがをしやしなかったかい」 「けがをしました。だから見物人の方が、こんどはほんとうに怒ってしまいましてね、こんどあべこべに見物人の席から、茶釜の破片を舞台へ向かって投げかえす。すると雨谷の方でも、それに負けていずに投げかえす。しまいには、茶釜の破片だけでなくて、棒ぎれや電球や本や弁当箱までが、見物人席と舞台の間にとびかうさわぎです」 「えらいことになったもんだね」 「小屋の方の人も、ものかげから声をからして、見物人の方へしずまってくださいとたのむのですが、さっぱりききめなしです。そうかといって、そういう人たちは舞台の前へでるわけにもいかないのです。見物人の見えるところへでると、たちまち見物人から何かを投げつけられて、けがをしなければなりませんからね」 「雨谷君は、まだけがをしていなかったのかい」 「けがをしていたらしいが、当人は気が変になっているらしく、けがをしていることに気がつかないで、なおも舞台の上であばれていたんです。ところが、見物人の席から板ぎれがとんできましてね、これが雨谷の頭にごつんとあたったんです。そこで雨谷はばったり倒れてしまいました。そしたら、さわぎはきゅうにしずまってしまったんです。そして見物人たちはどんどん小屋から出ていってしまいました」 「ははあ、なるほど。雨谷君が死んだと思ったんだな。それで人殺しのかかりあいになるのをおそれて、みんな小屋から逃げだしたんだな」 「そうなんでしょう。とにかくこれで、さわぎはしずまりました。雨谷は、外へかつぎ出され、寝台自動車に乗せられて、本所の百善病院へつれて行かれました。ぼくはそれを見おくって、そこを引きあげたんです。これがすべてのお話です。」 「そうかい。よくわかった」 蜂矢探偵は、少年の労をねぎらったのち、ふと思い出したかのように、 「あれはどうしたろうか。問題の文福茶釜の破片はどうしたろう」 「ああ、それはですね。ひとつだけぼくが拾ってきましたよ。いま持ってきます。」 二郎は玄関へ行ったが、まもなく風呂敷包を持って引き返してきた。 「場内でひろったんですが、たしかにこれは二十世紀文福茶釜の破片の一つです。よく見てください」 「これが、そうなのかい」 蜂矢は、その破片を手にとって、いくども裏表をひっくりかえして見いった。この破片は、釜のごく一部分であるが、釜のつばもついていた。 「このほかに、茶釜の破片は落ちてなかったんだろうか」 「さあ。落ちていたかもしれませんが、ぼくの目にとまったのは、これだけでした」 「そうかい。とにかくこれはいいものを拾って来てくれた。これは、ぼくのところに保管しておくが、ひょっとすると今夜あたり、これがコウモリのように空中をとびまわるかもしれないね」 「えっ、なんですって」 「いや、なんでもないよ」 蜂矢は、あとをいわなかった。それはじぶんの想像のために、小杉少年を不必要にこわがらせてもいけないと思ったからである。だが蜂矢の想像としては、もしもこの茶釜が、針目博士の作り出した金属Qであったとしたら、たとえそれが今は破片になっているにせよ、いつかは生きかえって、破片ながら動き出すかもしれないと思ったのであった。 はたして、蜂矢探偵のこの予想は的中するかどうか。
ふしぎな電話
きゅうにある家出人事件がおきて、そのことについて蜂矢探偵は一生けんめいに走りまわっていたので、れいの茶釜破壊の日から約二十日間を、怪金属事件の捜査から、手をぬいていたのだった。 ようやくその家出人も、ついに探しあてられて、ぶじ家にもどり、蜂矢の仕事も、ここに一段落となった。そこでかれは、ふたたび怪金属事件の方へあたまをふりむけることになった。 この二十日間、さいわいべつに怪しい事件も起こらず、まず泰平であった。 しかしいろいろなことが、あしぶみをしていた。針目博士の行方の捜査のこと。黒箱の中にはいっていた器械をしらべること。こわれた茶釜の行方をつきとめ、その破片をみんな集めることなどが、きゅうを要することだった。 茶釜の破片あつめは、いまとなってはどうにも手おくれで、いたしかたがなかった。あの事件の直後、小屋の中をめんみつに探したなら、破片あつめはあるていど、成功したかもしれないのだがいまとなって後悔しても、もうおそかった。 けっきょく、ちゃんとはっきりのこっているのは、小杉二郎少年が拾ってきて、いま蜂矢の書斎の金庫の中にある一破片だけであった。この破片は、もしや奇怪なる生き返りでもして、家の中をコウモリのように飛びまわりはしないかと、気をもませたものであったが、事実そういうことは起こらなかった。まったくしずかに箱の中にはいっているふつうの金属片にすぎなかった。蜂矢は、はじめはこれが飛びまわるかと、おそれをなしたものの、飛びまわらないとわかったいまは、少々がっかりしているふうであった。 雨谷君も、まず正気にかえって、いまではふつうの人のようになり、退院も間ぢかという話であった。この雨谷君に茶釜の破片を持っているなら、参考のために見せていただきたいと申し入れた。しかし雨谷君のところには、ひとつもないことがわかった。 そうなると、蜂矢の家にある一破片は、いよいよ貴重なものとなった。 ほかの破片は、いったいどこへ行ったのであろうか。 それはたぶん、掃除夫が集めて、塵芥焼却場にはこび、そこで焼いてしまったのであろう。むかしなら、そういうときには、金属材料は大切にあつかわれ、横にのけておいて、製鉄所へ回収されたかもしれない。今はもうおそまつにあつかっているので、焼いたあとは、灰の中へうずまり、ますます深く地中へうずもれていったことであろう。 もしもあの茶釜の中に、蜂矢探偵が想像したように、生命のある怪金属がはいっていたものなれば、その生命は、どうなったであろう。 茶釜が破壊したときにいっしょに、怪金属の生命も終ってしまったのであろうか。 いやいや、そうかんたんには断定できないであろう。もともと怪金属は、非常に小さいものであるから、もし茶釜の中にそれがはいっていたとしても、茶釜が破壊したときに、その生命が不運にも二つに折られるようなことは、まずまずないであろう。 そうだとすると、怪金属は、どこかに今も生きている可能性がある。可能性があるというだけのことで、かならず生きているとはいえない。この二十日間、世の中に、怪金属を思い出させるような怪事件が報道されないところをみると、怪金属はあるいはすでに、死滅してしまったかもしれないのだ。 蜂矢探偵は、きょうは実験室にはいって、れいの黒箱を解体し、いろいろとしらべている。 かんじんの真空管や同調回路がないので、このしらべもなかなか困難であったが、しかし蜂矢探偵は、持ちまえのやりぬく精神をもって、こつこつと仕事をすすめていった。 すると、とつぜん電話がかかってきた。 蜂矢は、ドライバーをほうりだして、受話器を取りあげた。異様につぶれた声が聞こえてきた。 「……もしもし。探偵の蜂矢さんは、あんたかね」 「そうです。蜂矢十六です。あなたはどなたですか」 「蜂矢君。きみは身のまわりを注意したまえ。ひょっとするときょうあたり、おそろしい奴がたずねて――」 電話は、そこでぷつりと切れた。そのあといくら電話局に連絡しても、さっきの相手はふたたび出なかった。 通話はあきらめた。 だがこれはおかしなことになった。あやしい客がくるという警告だ。あの通話者は、いったい何者だろうか。同情者なのであろうか。それとも脅迫者がみずから電話をかけてきたのであろうか。 ちょうどそのとき、玄関の呼鈴が鳴った。訪問客だ。はたして、さっき電話で注意をうけた怪人物の来訪であろうか。それともふつうの事件依頼人であろうか。 蜂矢は、玄関へ出ていって、秘密の透視窓ごしに、外にたっている訪問客のすがたを見た。まっ黒な長いマントに、おなじ黒の頭巾をすっぽりかぶった異様な人物が、まるで影のようにそこに立っていた。 蜂矢探偵は、ぎくりとした。
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