大学生、雨谷君
せっかく蜂矢探偵の登場を、みなさんにお知らせしたが、ここで蜂矢探偵のことをはなれて、べつの事件についてお話しなくてはならない。それというのが、まことに前代未聞の珍妙なる事件がふってわいたのである。 東京も、中心をはなれた都の西北早稲田の森、その森からまだずっと郊外へいったところに、新井薬師というお寺がある。そこはむかしから目の病に、霊験あらたかだといういいつたえがあって、そういう人たちのおまいりがたえない。 しかし筆者は、いまここにお薬師さまの霊験をかたろうとするものではなく、そのお薬師さまの裏のほうにある如来荘という、あまりきれいでないアパートの一室に、自炊生活をしている雨谷金成君をご紹介したいのである。 雨谷君は大学生であった。 だがその時代は、学生生活はたいへん苦しいときであったうえに、雨谷君の実家は大水のために家屋を家財ごと流され、ほとんど、無一物にひとしいあわれな状態になっていた。しかしかれの両親とひとりの兄は、この不幸の中から立ちあがって、復興のくわをふるいはじめた。二男の雨谷金成君も、今は学業をおもい切り、故郷にかえって、ともにくわをふろうと思って家にもどったところ、 「金成や、おまえは勉強をつづけたがいいぞ。そのかわりいままでみたいに学資や生活費をじゅうぶん送れないから、苦学でもしてつづけたらどうじゃ」 と皆からいわれ、それではというので、その気になってまた東京へひきかえした金成君だった。 金成君は、それから友人たちにもきいて歩いたけっか、にぎやかな新宿へ出、鋪道のはしに小さな台を立て、そのうえに、台からはみだしそうな、長さ二尺の計算尺を一本よこたえ、それからピンポンのバットぐらいもある大きな虫めがねを一個おき、その横に赤い皮表紙の「エジプト古墳小辞典」という洋書を一冊ならべ、四角い看板灯には、書きも書いたり、
――古代エジプト式手相及び人相鑑定 三角軒ドクトル・ヤ・ポクレ雨谷狐馬。なやめる者は来たれ。 クレオパトラの運命もこの霊算術によりわり出された。エジプト時代には一回に十五日もかかった観相を、本師は最新の微積分計算法をおこない、わずかに三分間にて鑑定す。 見料一回につき金三十円なり。ただしそれ以外の祝儀を出さるるも辞退せず。 敬白。
と大変なことが書いてある。 三角軒ドクトル・ヤ・ポクレの雨谷狐馬とは、いったいなんのことやらわけがわからないが、そこはその新宿という盛り場のことゆえ、わけのわからない人間もかなりたくさん歩いている。 「エジプト式の占師なんて、はじめてお目にかかるね。話のたねにちょいとみてもらおう」 などと寄ってくる。 そのおかげで雨谷君は、開店第一日には純所得として金二百八十円をもうけ、二日目には金三百九十円をといううなぎ上りの収入をえた。これが午前中は学校の講義を聞き、午後一時から店を出して夕がた六時ごろまでのかせぎであった。なかなかぼろいもうけだと、かれは気に入った。 雨谷君の商売の話をくわしく書けばおもしろいのだが、それは本篇の事件にはあまり関係がないので、あまりのべないこととし、関係のあることだけを書きつづるが、三日目にはかれは思い切って、おなじ露店商から電気コンロとお釜とお釜のふたとを買って如来荘へもどった。 かれの考えでは、いままではほかの食堂で露命をつないでいたのであるが、露店商売をはじめてみると、なかなか時間が惜しくて、店なんかあけていられないし、それにあの商売はとても腹がへるので、食堂で食うよりも自分でめしをたいて食った方が、経済であるという結論をえたので、いよいよ文字どおり自炊生活をはじめることにしたのである。 その夜八時ごろから、一時間ばかりかかって、とてもやわらかいめしができた。それを茶わんで、じかにしゃくって、こんぶのつくだにをおかずに、 「ああ、うまい、うまい」 と六ぱいもたべて満腹した。 満腹すると、雨谷君の両方のまぶたがきゅうに重くなり、すみにたたんで積んであった夜具をひきたおすと、よくしきもせず、その中へもぐりこんでしまったのだ。 珍妙なる怪異は、そのあとにはじまったのである。 お釜がとつぜん、ことこと左右にからだをゆすぶったのである。そして、ゆすぶっては休み、休んではゆすぶった。お釜のふたがだんだんずれて、やがて大きな音をたてて下に落ち、茶わんとさらをこわしてしまった。 雨谷君は、その音におどろいたか、ぱっとはね起きたが、お釜の方をちょっと見ただけでまたドーンと横に倒れて、ぐうぐうと眠ってしまった。
大金もうけの種
お釜は、ことこと、ことこと、と左右にからだをゆすぶっている。 お釜の中にネズミがはいっているわけではなかった。またお釜のかげで、ネコがからだを動かしているわけでもなかった。お釜は、ひとりでからだをゆすぶっているのだった。 それは運動力学の法則に反しているように思われた。他からの力がくわえられないで、金属製の釜が動くはずはなかった。 それとも電気の力か、磁気の力が、そのお釜にはたらいているのであろうか。いやいや、そんな仕掛けは、この部屋の中に見あたらない。 動くはずはないのに、お釜は実際ことことからだをゆすぶっている。 動いているのがほんとうであるかぎり、お釜には力がはたらいているのだと思わなくてはならない。その力はいったいどこにはたらいており、そしてその力の源はどこにあるのだろうか。 お釜の持主である大学生雨谷君は、なんにも知らず、なんにも考えないで、しきりにいびきの音を大きくしているだけだった。 そのうちにお釜は、はじめにおしりをすえていた場所よりも、すこし前の方へ出てきた。そしてあいかわらず、からだを左右にぐらぐらとゆすっている。 それは一時間ばかりかかったが、お釜は壁ぎわから出発して、たたみ一枚を縦に旅行し、そして夜具のはしからはみ出している雨谷の足首のそばにまで接近した。そのとき雨谷君は寝がえりをうった。かれの太い足が動きだして、いやというほどお釜にぶつかった。 「あいたッ」 おどろいてかれは目をさまし、ふとんをはねのけて、その場にすわりなおした。そしてしきりに目をぱちぱちして、あたりを見る。 「ありゃりゃ、お釜をひっくりかえしたぞ」 お釜はひっくりかえり、おしりが上に、さかさまになっていた。 「あああ、ごはんがたたみの上へぶちまかれちまった」 彼はお釜をおこし、その中へ、たたみの上に散らばっているごはんをもどした。そしてそのお釜を持って、壁のところへ行きそこへおこうとして、またびっくり。 「おやおや、茶わんとさらがこわれている。誰がこわしたんだろう。また買いなおすと、三十円ぐらいかかる。たまらないや」 そういいながら、雨谷はお釜をはじめの場所へおき、重いふたをかぶせた。そして寝具をちゃんとしきなおした。まくらもおいた。 「さあ、ねるとするか」 彼は上着のボタンに手をかけた。 そのときであった。がたんと音がした。釜のふたが下へすべり落ちたのである。 「おや……」 彼は目をまるくした。ふしぎなことを発見したからである。ふたを落としたお釜が、ことことン、ことことンと左右にからだをふりながら、前へはいだしてくるではないか。 雨谷君はびっくりしたが、彼はもともと勇気があったから、立ちあがってお釜をつかみあげた。そして中を見たり、ひっくりかえしておしりを見たり、こーンとたたいたりして、お釜をしらべた。 異常はなかったし、中に動物がはいっていない。彼はお釜を下においた。 下におかれた釜は、しばらくすると、またかたことと、からだをゆすぶり出した。 「ふーン、ふしぎだなあ」 雨谷はおどろいて天眼鏡を出すと、動く釜をしげしげながめた。かれはしきりに頭をふった。釜は元気づいてカニのようにたたみの上をはいまわる。 雨谷君は、とつぜん天眼鏡をひっこめてぽんと膝をうった。 「うふン。これはすばらしい金もうけが見つかったぞ。エジプト手相よりは、ずっともうかるにちがいない。二十世紀の奇蹟今様文福茶釜――ではない文福釜。……文福釜では弱い。そうだ文福茶釜二世あらわる。さあいらっしゃい。見料は見てからでいいよ、見ないは末代までのはじだ。得心のいくまでゆっくり見て、見料はたった三十円だ。写真撮影、写生、録音、なにしてもようござんすよ。いらっしゃい、いらっしゃい、というのはどうだ」 大学生雨谷君は、すっかり香具師になったつもりである。 さあ、彼の大金もうけの計画は、うまく成功するだろうか。それにしてもふしぎなのはその釜であった。いったいどんな秘密を、この釜が持っているのであろうか。
金属Qの謎
「どうかね。なにか手がかりをつかんだかね」 長戸検事は、役所へたずねてきた蜂矢十六探偵の顔を見ると、目をすばしこく走らせてそういった。 「あなたのお気に召さない、例の方面をほじくっているんですがね」 と、蜂矢探偵は検事の机の横においてあるいすに腰をおろして、にやりと笑った。 「ははあ、また“金属Q”の怪談か。きみも若いくせにおばけばなしにこるなんて、おかしいよ。良くいっても、きみがおとぎばなしをひとつ作ったというにすぎない」 検事は、いまいましそうに、エンピツのおしりで前にひろげてある書類をぽんぽんとたたく。 金属Qとは? それは本篇のはじめにご紹介したが、針目博士の日記と研究ノートのなかから蜂矢探偵がひろいあげた謎にみちた物件であった。 金属Q! それはほんとうに実在するのか。それとも針目博士が頭の中にえがいていた夢にすぎないのかそのどっちか、よくはわからなかった。第一、博士の書き残してあるものを読みあさっても、金属Qなるものがどんなものやら、そしてどんな性質をもっているものやら、そこらがはっきり書いてない。そのうえに、博士の書いてある説明は現代において、普通に知られている理学の範囲をかなりとび出していて、解することがむずかしい。正しいのか、まちがっているのか、それさえ判定がつきかねる。 だが、蜂矢十六は、そういうわけのわからないものの中に、自分も共にわからないでころがっているのは、おろかであると思った。じぶんは探偵だ。金属Qの理学に通じ、その論文を完成するのは、世の学者たちにまかせておけばいい。じぶんは身をもって金属Qという、怪しき物件にぶつかり、それを手の中におさえてしまえば、それでいいのであった。そしてそれはいそがねばならない。 そこで蜂矢は、すこぶる大胆に、つぎの仮定を考えた。 一、金属Qという怪物件が実在する。 二、金属Qは、人造されたものである(針目博士だけが、それを創造することができるらしい)。 三、金属Qは、生命と、思考力とを持っている。 蜂矢は、この三つの条件をそなえた金属Qが実在すると、かりに信じ、これをレンズと見なし、そのレンズを通してこれまでの怪事件を、見なおしたのであった。そのけっか、長戸検事のところへ出むいて、もう一度おとぎばなしをする必要を感じたのだ。 「検事さんもごらんになった、あの第二研究室の中の棚に並んでいた、へんな試作物のことですがね。たしか『骸骨の一』から『骸骨の八』までの箱がならんでいたそうですが、あの中にあったへんな試作物こそ、金属Qの兄弟だったんじゃないですかね」 「ふーン」 検事は、天じょうのすみを見あげて、ため息ともうなり声ともつかない声を発した。 ――そうだ。たしかにじぶんは「骸骨の一」とか「骸骨の二」とか札のついていたものを見物した。それは、すこぶるかんたんな立体幾何学的な模型のような形をしていた。 大小三つの輪が、からまりあっているような、そしてかごのできそこないみたいにも見えるものがあった。あれがたしか「骸骨の一」であった。 それから、三本の直線の棒が平行にならんでいて、そのあいだに助骨のように別のみじかい棒が横にわたっていて、もとの三本の直線の棒をしっかりとささえていた。それが「骸骨の二」であったと思う。じぶんは、ふしぎに思ったので、よく見て、いまもわすれないでいるのだ。 そのつぎに「骸骨の三」は前の二つのものよりずっと複雑なものだった。いやにまがりくねった透明の糸みたいなものが走っていて、なんだかクラゲのような形をしていた。 さてそのつぎの「骸骨の四」という仕切りの中を、針目博士が開いて、おどろきの目をみはったのだ。その箱の中には、かんじんの物件がはいっていなかった。 “どうしたのだろう。わけがわからない” と博士が叫んだ。その直後、さっきからじりじりと焦れていた川内警部が、火のついたような声で叫んだため、なにかそれが刺げきとなったらしく、博士は“危険だ、みなさん外へ出てください”と追い出し、そしてそのあとであの爆発が起こったのだ。してみれば、「骸骨の四」が紛失していたことがひとつの手がかりかもしれない。いま、蜂矢探偵が、あのへんな透明な針金細工のようなものを、金属Qの兄弟ではないかとうたがっているのも、根拠のないことでもないと思われる。そこで検事はいった。 「……もし、そうだったら、どうしたというのかね」 「殺人事件の起こるまえに、金属Qだけは、第二研究室から逃げ出していたんです。博士は、それに気がつかないでいた。その金属Qは、お手伝いさんの谷間三根子の部屋にもぐりこんでいた。そして彼女を殺したのです。三根子の両手両腕、肩や胸などに傷がたくさんついていますが、あれはみな、金属Qとわたりあったときにできた傷だと思うんです。どうですか」 蜂矢は、にやにやと笑った。そのとき検事の方は、さっきとはちがってかたい表情になっていた。だが、黙していた。
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