すごい空中曲芸
「早く綱をわたらせろ」 「足はどうした。茶釜から足がはえないぞ」 「タヌキの首もはえないや」 「さきに説明を打ち切りましたが……」 と雨谷が、ここぞと声をはりあげての口上だ。 「二十世紀の茶釜は、昔の文福茶釜のようなタヌキのばけた動物とはちがい、純正なる『鉱物』でござりまする。その証拠には、お見物のみなさんがたよ、この二十世紀茶釜は足もはえませずタヌキの首もでませず、お見かけどおりの、いつわりのない釜でござりまする。それが、あたかも生あるもののごとく、綱わたりをいたしまするから、ふしぎもふしぎ、まかふしぎ。さあ大夫さん、わたりましょうぞ。はーッ」 雨谷の口上に、二十世紀茶釜は、そろそろと綱の上をわたりはじめた。 あれよ、あれよと、見物の衆の拍手大かっさいである。小杉少年も蜂矢探偵も、手をぱちぱちとたたく。ただ長戸検事だけは、こわい目を舞台へ向けて、手をたたくどころか、にこりともしない。 あやしい茶釜は、するすると綱の上を走ってまんなかまで進んだ。そこでぴったりととまった。 「茶釜はひとまず休憩、絶景かな、絶景かな、げに春のながめは一目千金……」 と、釜はまたそろそろと綱をわたりだした。囃方がおもしろくはやしたてる。 「どうです、長戸さん」 蜂矢は、検事の耳にささやいた。 「なんだかあやしいね。あれは何か仕掛けがあって綱わたりをしているんだろうね」 「さあ、そこが問題なんですが、まあ、もうすこし見ていらっしゃい」 釜は、綱を向うのはしまでわたりきると、こんどは引き返しだ。むぞうさに綱の上をつつーッと走る。 「さあ、これよりはお目をとめてご一覧、二十世紀茶釜は脱線の巻とござい」 雨谷の口上。するとふしぎな釜は綱をふみはずした。あっ、落ちるかと思ったが、落ちもしない。綱をふみはずしたまま、あやしい釜は宙に浮いている。 「つぎなる芸当は、二十世紀茶釜は宙がえり飛行の巻……」 するとあやしい釜は綱のまわりを、くるッくるッとラセン状にまわりだした。なぜ釜が、そんな宙がえり飛行をするのかわからない。 「このところ糸くり車。これよりいよいよ早くなりまして急行列車の車輪とござい」 釜はくるくると、目にもとまらぬ速さでまわりだした。観客は拍手大かっさいである。 「これこれ釜さん。ちょいと見物の衆に拍手のお礼をなされよ」 雨谷がいうと、ものすごい速さでラセン回転をしていたあやしい釜は、ぴたりと舞台の中央に――おお、それは宙づりの形でもって、ぴたりととまり、おじぎをするように見えた。 またもや見物席よりは拍手のあらしだ。 「ごあいさつすみましたれば、つぎは大呼びものの大空中乱舞とござい。はーッ」 口上とともに、釜は舞台の上をはなれて、見物席の上へとんでいった。そこでひらりひらりと、まるでこうもりのように飛びまわるのであった。見物人は、ほうほうとおどろきの声を発してあやしい釜のあとを目で追いかける。 「どうです、検事さん」 蜂矢探偵は、長戸のそでをひいた。 「うむ、じつに奇怪きわまる。どうしてあんな空中乱舞ができるのだろうか。あれが仕掛けによるにしても、それは非常にすぐれた仕掛けであるにそういない」 「ぼくはあれについて、三人の技術者と、二人の科学者の意見をもとめましたが、この五人の専門家の感想はおなじでありました。つまりああいう運動は、今日の科学技術の力では、とてもやらせることができないというんです。この言葉は、ご参考になるでしょう」 「ふーむ。すると、あれは仕掛けあって動いているのではないという解釈なんだね」 「そうなんです、その五人の専門家の意見というのはね」 「じゃあ、なんの力で動くのか、解釈がつかないではないか。あの釜を動かしている力のみなもとは、いったいなんだ」 「それこそ金属Qですよ」 「金属Q?」 「針目博士が作った金属Qです。生きている金属Qです。生きているから動きもするし、宙がえりもする」 「はっはっはっ。きみは解釈にこまると、みんな金属Qの魔力にしてしまう。いくら原子力時代でも、そんなふしぎな金属Qが存在してたまるものか。またはじまったね。きみのおとぎばなしが」 「長戸さん。あなたはここへきて、さっきからあれほど、金属Qなるものの活動をごらんになっておきながら、まだその本尊を信じようとはせられないのですか」 「あれは一種の妖術だよ」 「では、誰が妖術を使っていると思われるのですか」 「それはあの燕尾服の男とその一統か、あるいは針目博士だ」 「針目博士ですって。あなたは博士がまだこの世に生きていると思っているんですね」 「いや、確信はない。しかし、もしも針目博士が生きていたら、この種の妖術を使うかもしれないと思うだけだ」 そういっているとき、とつぜん場内がそうぞうしくわきあがった。それは一大椿事が発生したからだ。その椿事を、蜂矢も長戸も、たがいに論争しながらも、ちゃんと見ていたのである。だからふたりも、他の観客とおなじように「あああッ」と叫んで、席から立ちあがった。 その一大椿事とは何?
一大椿事とは?
一大椿事というは、二十世紀茶釜が上から落ちて、小さな破片にわれてしまったことである。 そのすこのしまえ、かのあやしい釜は、見物人の頭の上の飛行を一巡りおえて、からだをひねって、ひらりと舞台の上へもどってきた。そしてもういちど綱わたりをはじめたのだ。 見物人たちは、めでたく場内大飛行に成功してもどってきた二十世紀茶釜に拍手をあびせかけた。綱わたりははじまっているが、もう誰も以前のように、その綱わたりが成功するか失敗するかについて、手に汗をにぎっていなかった。成功するのは、もうあたりまえといってよかった。 ところが、その予想が狂ったのである。二十世紀茶釜は、綱のまん中まできたとき、とつぜんすうーッと下に落ちていった。 がちゃーン。 金属的なひびきがして、二十世紀茶釜は、舞台のゆかにあたってこわれてしまった。 「やあ、茶釜がこわれた」 「ようよう、芸がこまかいぞ。二十世紀茶釜は、このとおり種もしかけもありませんとさ」 「ああ、そうか。わっはっはっはっ」 見物席のわきたつ中に、きもをつぶして、その場にぶっ倒れそうになったのは、興行主の大学生雨谷だった。かれは、こわれた釜のそばへかけより、ひざを折って破片をひろいあつめ、むだとは知りつつも、その破片をつぎあわしてみた。 だめだった。二十世紀茶釜はもとのとおりにならなかった。かれは落胆のあまり、場所がらをもわきまえないで、舞台にぶっ倒れて、おいおいと泣きだした。 「おい、あそこにあやしい奴がいる。逃げるつもりらしい。逃がすな」 そういったのは、長戸検事であった。 かれはさすがに、職掌がら落ちついていて、あのような大椿事のときにもあわてないで、ひとりのあやしい人物をみとめたのだ。その人物は、舞台のすぐ前にいて、いす席にはつかず、たって見物していた。そしてあの事件の起こるすこし前になって、かれは、吊皮でくびから吊って小脇にかかえていたカバンぐらいの大きさの黒い箱を胸の前へまわした。その箱と舞台とをはんぶんにのぞきながら、かれはその箱を手でいじっていた。そのうちに、かれがさっと顔をきんちょうさせた。そのせつなに、舞台では二十世紀茶釜が、綱を踏みはずして下に落ちたのであった。 するとその人物は、いっしゅん硬直していた。快心のほおえみをもらしたようにも思えたが、なにしろその人物は、茶色の、型のくずれたお釜帽子をまぶかにかぶり、大きな黒めがねをかけ顔の下半分は、黒いひげでおおわれていたので、その表情をはっきりたしかめることができなかった。 (あやしい奴!) 検事の目が、はりついたようにじぶんの上にあると知ってか知らないでか、その怪人物は席をはなれて、わきたつ見物人たちをかきわけて場外へ出ようというようすだ。そこで長戸検事は、蜂矢探偵に、 「あそこに、あやしい奴がいる。逃がすな」 と声をかけたのであった。 検事が席を立って走りだしたので、蜂矢はかれのあとにしたがわないわけにいかなかった。だがこのとき蜂矢十六は舞台の方へ、かなりひきつけられていたのである。その心をあとへ残し、助手の小杉少年にそれッと目くばせをして、わずかのことばを少年の耳にのこすと、蜂矢は検事のあとを追いかけた。 小屋の出口のところで、検事は不良青年数名につかまって、なぐりっこをやっていた。そこへ蜂矢はとびこんで、不良青年たちをあっさりとかたづけた。そしで検事を助けて、場外へでた。 「あ、あそこにいる」 怪人物は公園から町の方へ逃げだすところだった。かれはちらりとうしろを見た。 蜂矢は検事とともに全速力で追った。 怪人物は、うしろを見ながら、ひろい道路を馬道の方へかけていく。かれは老人のように見えながら、いやに足が早かった。しかし検事は学生のとき短距離の選手だったから、足には自信があったし、蜂矢は若さで追いつくつもりだった。 怪人物は、馬道の十字路をはすかいにわたった。そのとき自動車が怪人物をじゃました、だから追うふたりがつづいて、その十字路をよこぎったときには、わずかに距離を十メートルほどにちぢめていた。もうすこしだ。 がちゃーン。 怪人物は小脇にかかえていた黒い箱を歩道の上におとした。 「あッ、それを拾わせるな」 検事が叫んで、黒い箱の方へとびついた。蜂矢もその黒い箱にちょっと注意をうつした。それが怪人物にとっては、絶好の機会だった。二人が顔をあげて、怪人物の方をみたとき、怪人物のすがたはもうなかった。 怪人物は、かきけすようにすがたを消してしまったのである。異様な黒い箱だけが、ふたりの手にのこった。
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