水夫ヤンの写生画
「恐竜島ですって。恐竜島というのは、そんなに恐ろしい島なの。ねえ、ラツールさん」 玉太郎は筏の上にのびあがり、顔をしかめて島影を見たり、ラツールの方をふりかえったり。せっかく島に上陸できると思った喜びが、ひょっとしたら消えてしまいそうであるので、だんだん心細さがます。 「はははは。まだ、あの島が恐竜島だときまったわけじゃないんだから、今からそんなにこわがるには及ばない」 ラツールは笑った。だが、彼が笑ったのは、玉太郎をあまり恐怖させまいがためだった。だから彼の顔からは、すぐさま笑いのかげがひっこんで、顔付がかたくなった。彼は島の上へするどい視線をはしらせつづけている。 「分らない、分らない。恐竜島のように思われるところもあるが、またそうでもないようにも思われる。まん中に背中をつき出している高い丘の形は、たしかに、この前見た水夫ヤンの写生図に出ていた図そっくりだ。しかし丘のふもとをとりまく密林や海岸の形がちがっている。あんなに密林がつづいていなかったからなあ。海岸から丘までが、ひろびろと開いていた。あんな石垣も、水夫ヤンの図には出ていなかったがなあ」 ラツールは、ひとりごとをいうのに、だんだん熱心となって、そばに玉太郎がいることに気がつかないようであった。 「あれは恐竜島か、それともちがうのか。いったいどっちなんだ。ふん、おれの頭は熱帯ぼけの上に漂流ぼけがしていると見える。どっちかにきめなきゃ、これからやることがきまりゃしない。どっちかなあ、どっちかなあ……ええい、こんなに心の迷うときには、金貨うらないで行けだ。はてな、その金貨だが、持ってきたかどうか……」 ラツールは、ズボンのポケットへ手をつっこんだ。しばらくいそがしく中をさぐっていたが、やがて彼の顔に明るい色が浮んだ。 「やっぱり、大事に、身につけていたよ」 彼の指にぴかりと光るものが、つままれていた。百フランの古い金貨だった。それを彼は指先でちーんとはじきあげた。金貨は、彼の頭よりもすこし高いところまであがって、きらきらと光ったが、やがて彼のてのひらへ落ちて来た。そのとき筏がぐらりとかたむいた。大きなうねりがぶつかったためだ。 「ほウ」 ラツールは、金貨をうけとめ、手をにぎった。彼はそっと手を開いた。すると金貨は、てのひらの上にはのっていなかった。中指とくすり指との間にはさまっていた。これでは金貨の表が出たことにもならないし、また裏が出たことにもならない。せっかくの金貨のうらないは、イエスともノウともこたえなかったことになるのだ。 「ちぇッ。運命の神様にも、おれたちの前途がどうなるかおわかりにならないと見える」 彼は苦が笑いをして、金貨をポケットへしまいこんだ。 玉太郎は、さっきからのありさまをだまって見つめていたが、このとき口を開いた。 「ラツールさん。上陸しないの、それともするの」 「だんぜん上陸だ。運命は上陸してから、どっちかにきまるんだとさ。かまやしない。それまではのんきにやろうや。どうせこのまま海上に漂流していりゃ、飢え死するのがおちだろうから、恐竜島でもなんでもかまやしない、三日でも四日でも、腹一ぱいくって、太平楽を並べようや」 かまやしないを二度もくりかえして、ラツールはすっかり笑顔になった。そして帆綱をぐいとひっぱった。帆は海風をいっぱいにはらんだ。風はまともに島へむけて吹いている。がらっととりこし苦労とうれいとを捨てたラツールのフランス人らしい性格に、玉太郎は強い感動をうけた。そこで玉太郎は、ラツールのわきへ行ってあぐらをかくと、口笛を吹きだした。彼の好きな「乾盃の歌」だ。するとラツールも笑って、口笛にあわせて空缶のお尻を木片でにぎやかにたたきだした。 ポチも、二人のところへとんでくると、うれしそうに尾をふって、じゃれだした。 焼けつくような陽が、近づく謎の島の椰子の林に、ゆうゆうとかげろうをたてている。
上陸に成功
筏は、海岸に近づいた。 海底はうんと浅くなって、うす青いきれいな水を通して珊瑚礁が、大きなじゅうたんをしきつめたように見える。その間に、小魚が元気よく泳いでいる。 「きれいな魚がいますよ。ラツールさん。あっ、まっ赤なのがいる。紫色のも、赤と青の縞になっているのも……」 「君は、この魚を標本にもってかえりたいだろう」 「そうですとも。ぜひもって帰りたいですね、全部の種類を集めてね、大きな箱に入れて……」 「さあ、それはいずれ後でゆっくり考える時間があるよ。今は、さしあたり、救助船へ信号する用意と、次は食べるものと飲むものを手に入れなければいかん。その魚の標本箱に、われわれの白骨までそえてやるんじゃ、君もおもしろくなかろうからね」 「わかりました。魚なんかに見とれていないで、早く上陸しましょう」 「おっと、まった。まずこの筏を海岸の砂の上へひっぱりあげることだ。このおんぼろ筏でも、われわれが今持っている最大の交通機関であり、住みなれたいえだからね」 「竿かなんかあるといいんだが。ありませんねえ。筏の底が、リーフにくっついてしまって、これ以上、海岸の方へ動きませんよ」 「よろしい。ぼくが綱を持ってあがって、ひっぱりあげよう」 「やりましょう」 空腹も、のどのかわきも忘れて、二人は海の中へ下りた。浅いと思っていたが、かなり深い。ラツールの乳の下まである。玉太郎はもうすこしで、顎に水がつく。 「痛い」 玉太郎が顔をしかめた。彼は足の裏を、貝がらで切った。靴を大切にしようと思って、はだしになって下りたのが失敗のもとだった。 「うっかりしていた。もちろん、こういう場合は、足に何かはいていなくては危険だよ。さあもう一度筏の上へあがって、足の傷を手あてしてから上陸することにしよう」 つまらないところで、上陸は手間どった。しかしラツールの行きとどいた注意によって、玉太郎は、あとでもっとつらい苦しみをするのを救われたのだ。それは、足の裏を切ったまま砂浜にあがると、その切目の中に小さい砂がはいりこんで、やがて激痛をおこすことになる。さらにその後になると、傷口からばい菌がはいって化膿し、全く歩けなくなってしまう、熱帯地方では、傷の手当は特に念入りにしておかないと、あとでたいへんなことになるのだ。ラツールも、もう一度筏の上にはいのぼり、それから彼はあたりをさがしまわったあげく、ナイフで、カンバスに黒いタールがついているところを裂き、そのタールのついているところを玉太郎の傷口にあてた。そしてその上を、かわいたきれでしっかりとしばった。上陸するときは、この傷が海水につかるのをきらい、玉太郎を頭の上にかつぎあげて海をわたり、やがて海岸のかわいた上に、そっと玉太郎をおいた。 ラツールの全身には玉なす汗が、玉太郎の目からは玉のような涙がぽろぽろとこぼれおちた。 「君は、感傷家でありすぎる。もっと神経をふとくしていることだね。ことに、こんな熱帯の孤島では、ビール樽にでもなったつもりで、のんびりやることだ」 そういって玉太郎の両肩にかるく手をおいた。 「さあ、そこでさっきの仕事を大急ぎでやってしまうんだ。そこから枯草のるいをうんと集めてきて、山のように積みあげるんだ。もし今にも沖合に船影が見えたら、さっそくその枯草の山に火をつけて、救難信号にするんだ」 「はい。やりましょう」 二人はさっそくこの仕事にかかった。榕樹は海の中にまで根をはり、枝をしげらせていた。椰子は白い砂浜の境界線のところまでのりだしていた。椰子の木の下には、枯葉がいくらでもあった。 その枯葉をかつぎ出して、砂浜の上に積んでいった。よほど古い枯葉でないと、自由にならなかった。なにしろ椰子の葉は五メートル位のものは小さい方であったから、その新しい枯葉は小さく裂くことができないから、とても一人では運搬ができなかった。古い枯葉なら、手でもって、ぽきんぽきんと折れた。 「ああ、のどが乾いた。水がのみたいなあ」 玉太郎がいった。 「今に、うんと飲ませる。その前にこの仕事を完成しておかねばならない。だって、命の救い船は、いつ沖合にあらわれるかしれないからね。しばらく我慢するんだ」 ラツールは、一刻も早く枯草積みをやりあげたい考えで玉太郎を激励し、きびしいことをいった。 玉太郎は、ひりひりと焼けつきそうなのどを気にしながら、ふらふらとした足取で仕事をつづけた。 「うわッはっはっはっ。うわッはっはっはっ」 とつぜんラツールが、かかえていた椰子の枯草を前にほうりだして、大きな声をたてて笑いだした。玉太郎はおどろいてふりかえった。戦慄が、せすじを流れた、頼みに思った一人の仲間が、とつぜん[#「とつぜん」は底本では「とくぜつ」]気がへんになったとしたら、玉太郎の運命はいったいどうなるのであろうと、気が気でない。
椰子の実の水
「うわッはっはっはっ。うわッはっはっはっ」 ラツールの笑いは、まだやまない。 「どうしたんです。ラツールさん。しっかりして下さい」 「大丈夫だ、玉ちゃん。うわッはっはっはっはっ」 ほんとうに気がへんになっているのでもなさそうなので玉太郎はすこし安心したが、しかしその気味のわるさはすっかり消えたわけではない。 「ラツールさん。気をおちつけて下さい、どうしたんです」 「むだなんだ。こんなことをしても、むだなのさ」 やっと笑いやんだラツールが、笑いこけてほほをぬらした涙を、手の甲でぬぐいながら、そういった。 「何がむだなんです」 「これさ。こうして枯草をつみあげても、だめなんだ。すぐ役に立たないんだ。だって、そうだろう。枯草の山ができても、それに火をつけることができない。ぼくは一本のマッチもライターも持っていないじゃないか。うわッはっはっはっ」 「ああ、そうか。これはおかしいですね」 玉太郎も、はじめて気持よく笑った。いつもマッチやライターが手近にある生活になれていたので、この絶海の孤島に漂着しても、そんなものすぐそばにあるようなさっかくをおこしたのだ。 「第一の仕事がだめなら、第二の仕事にかかろうや。この方はかんたんに成功するよ。ねえ玉ちゃん。腹いっぱい水を飲みたいだろう」 「ええ。そうです。その水です」 「水はそのへんに落ちているはずだ。どれどれ、いいのをえらんであげよう」 玉太郎は、ラツールがまた気がへんになったのではないかと思った。なぜといって、見わたしたところ、そこには川も流れていないし、海には水がうんとあるが、これは塩からくて飲めやしない。井戸も見あたらない。 ラツールは林の中にわけいって、ごそごそさがしものをしている。足でぽかんとけとばしているのは、丸味をおびた椰子の実であった。 「これならいいだろう。まだすこし青いから、最近おちたものにちがいない」 ラツールはその実をかかえてきて、玉太郎から借りたナイフで皮をさいた。皮はそんなにかたくない。中心のところに、チョコレート色のまん丸い球がおさまっていた。彼は、そこで実をかかえて、実のへたに近い方に穴を二つあけた。そこはすぐ穴があくようになっているのである。 それがすむと、ラツールは椰子の実をかたむけた。すると、穴からどくんどくんと光をおびたきれいな水かこぼれ落ちた。彼は、それをちょっとなめて首を前後にふった。 「これなら我慢ができるだろう。この椰子の水は、すこしくさいが、毒じゃないから、安心して腹いっぱい飲みたまえ。あまくて、とてもおいしいよ」 そういってラツールは、椰子の実を玉太郎に手わたした。 玉太郎はそれをうけとって、椰子の水がしとしとと流れだしてくる穴に唇をつけて、すった。 (うまい!) 玉太郎は心の中で、せいいっぱいの声でさけんだ。ごくりごくりと、夢中ですすった。うまい、じつにうまい。あまくて、つめたくて、腸にしみわたる。世の中にこんなうまいものがあったことをはじめてしった喜びに、玉太郎はその場で死んでもいいと思ったほどだ。 「どうだ、いけるだろう」 ラツールは、もう一つの椰子の実をさきながら、玉太郎にきいた。玉太郎は、かすかにうなずいただけで、椰子の実からくちびるをはなしはしなかった。 だが、ようやくのどのかわきがとまる頃になって、玉太郎は椰子の水が特有ななまぐさいにおいを持っていることに気がついた。それは、かなりきついにおいであった。でも玉太郎はくちびるをはなさなかった。ついに最後の一滴まで飲みほした。 「ああ、うまかった。じつに、うまかった」 玉太郎は胸をたたいて、はればれとした笑顔になった。ラツールの方を見ると、ラツール先生は、両眼をつぶって夢中になって椰子の実の穴から水をすすっていた。水がぽたぽた地上にたれている。 それを見ると、玉太郎はポチのことを思い出した。ポチものどがかわいたであろう。水がのみたかろう。ポチにももらってやりましょう。あたりを見たが、ポチの姿は見えなかった。 「ポチ。ポチ」 玉太郎は愛犬の名を呼び、口笛をくりかえし吹いた。だが、どうしたわけか、ポチは姿をあらわさなかった。玉太郎は、モンパパ号の上でも、椿事の前にポチの姿が見えなくなったことを思い出して、不安な気持におそわれた。
密林の奥
「また。ポチがいなくなったって。なあに、だいじょうぶ。硝石なんか積んでいたモンパパ号とちがって、これは島なんだから、爆発する心配なんか、ありゃしないよ」 ラツールは、なまぐさいおくびをはきながら、そういって、空になった椰子の実を足もとにどすんとすてた。 なるほど、そうであろう。しかしこの広くない島にしろポチは何にひかれて単身もぐりこんでしまったのであろうか。 「さあ、そこで第三の仕事にうつろう」 「こんどは何をするんですか」 「火がなくて、沖合へのろしもあげられないとなれば、いやでもとうぶんこの島にこもっている外ない。そうなれば食事のことを考えなければならない。何か空腹をみたすような果物かなんかをさがしに行こう」 「ああ、それはさんせいです」 「多分この密林の中へはいって行けば、バナナかパパイアの木が見つかるだろう」 「ラツールさんは、なかなか熱帯のことに、くわしいですね。熱帯生活をなさったことがあるんですか」 玉太郎は、ラツールがどんな返事をするかと待った。 「熱帯生活は、こんどが始めてさ。しかしね、二三年前に熱帯のことに興味をおぼえて、かなり本を読みあさったことがある。そのときの知識を今ぼつぼつと思い出しているところだ」 「そうですか。どうして熱帯生活に興味をおぼえたんですか」 「それは君、例の水夫ヤンの――」 と、ラツールがいいかけたとき、どこかで犬のはげしくほえたてる声が聞えた。ポチだ。ポチにちがいない。 二人は同時に木蔭から立ち上った。そしてたがいに顔を見合わした。 「どこでしょう。あ、やっぱりこの林の奥らしい」 「どうしたんだろう。玉ちゃん、行ってみよう。しかし何か武器がほしい」 ラツールは、筏の折れたマストに気がついて、そのぼうを玉太郎と二人で、一本ずつ持った。そして林の中へかけこんだ。 が、二人は間もなく、走るのをやめなければならなかった。というのは密林の中は、もうれつにむんむんとむし暑かった。汗は滝のようにわき出るし、心臓はその上に砂袋をおいたように重くなり、呼吸をするのも苦しくなった。そのうえに、玉太郎の頭のてっぺんまでをかくしそうな雑草がしげっていて、もちろん道などはない。 ポチはこの草の下をくぐって、方角が分らなかったのではなかろうかと思ったが、それだけではないらしく、あいかわらずわんわんとはげしくほえ立てている。 玉太郎は両手を口の前でかこって、メガホンにし、ポチを呼ぼうとした。 「おっと、ポチを呼ぶのは待ちたまえ」 「ええ、やめましょう。でもなぜですか」 「犬が吠えているところを見ると、あやしい奴を見つけたのかもしれない。今君が大声でポチを呼ぶと、あやしい奴がかくれてしまうかもしれない。そしてぼくたちが近よったとき、ふい打ちにおそいかかるかもしれない。それはぼくたちにとって不利だからねえ」 ラツールのいうことはもっともだった。 「だから、ポチにはすまないが、しばらくほっておいて、犬の吠えているところへ、そっと近づこうや」 「いいですね。こっちですよ」 二人は、息ぐるしいのをがまんして、雑草の下を腰をひくくしてほえている方へ近づいていった。その間に、蟻、蠅、蚊のすごいやつが、たえず二人の皮膚を襲撃した。 やがて密林がきれた。目の前が急にひらいて、沼の前に出た。むこう岸に褐色の崖が見えている。そこから上へ、例の丘陵がのびあがっているのだ。 ポチの声はしているが、それに近づいたようには聞こえない。 「どこでほえているのかなあ」玉太郎は首をかしげた。 「まるで地面の下でほえているように聞える」 「地面の下なら、あんなにはっきり聞えないはずだ。どこかくぼんだ穴の中におちこんでほえているのじゃなかろうか」 「ほえているのは、こっちの方角だが、どこなんでしょう」 玉太郎は沼のむこう岸をさした。 そのときだった。とつぜん大地がぐらぐらっとゆれはじめた。 「あっ、地震だ。大地震だ」 二人はびっくりしてたがいにだきついた。鳴動はだんだんはげしくなっていく。沼の水面にふしぎな波紋がおこった。が、そんなことには二人とも気がつかないで、しっかりだきあっている。
赤黒い島
その地震は、三十秒ぐらいつづいて終った。ほっとするまもなく、また地震が襲来した。 「あッ、また地震だ」 「いやだねえ、地震というやつは……」 ラツールは地震が大きらいであった。玉太郎としっかりだきあって、目をとじ、神様にお祈りをささげた。 そのような地震が前後四五回もつづいた。そしてそのあとは起らなかった。いずれも短い地震で、三十分間つづいたのはその長い方だった。 地震とともに、沼の水面に波紋が起ったことは前にのべたとおりだが、二度目の地震のときは、その波紋の中心にあたるところの水面が、ぬーッともちあがった。 いや、水面がもちあがるはずはない。水の中にもぐっていたものが浮きあがったのであろうが、その色は赤黒く、大きさは疊三枚ぐらいもあり、それがこんもりとふくれあがって河馬の背中のようであったが、河馬ではなかった。 というわけは、その茶褐色の楕円形の島みたいなものの横腹に、とつぜん窓のようなものがあいたからである。その窓みたいなものが、密林のしげみをもれる太陽の光線をうけて、ぴかりと光った。 それは一しゅんかん、探照灯の反射鏡のように見えた。それからまた巨大なる眼のようにも見えたが、まさか…… が、とつぜんその赤黒い島は、水面下にもぐってしまった。その早さったらなかった。電光石火のごとしというたとえがあるが、まさにそれであった。 それのあとに新しい波紋がひろがり、それからじんじんゆさゆさと、次の地震が起ったのであった。 いったい沼のまん中で浮き沈みした赤黒い島みたいなものは、何であったろうか。 玉太郎もラツールも、目をつぶってだきあっていたから、この重大なる沼の怪事をついに見落としてしまった。このことは二人にとって大損失だった。 地震がもう起らなくなったので、二人はようやく手をといて、立ち上った。 「いやなところだね。赤道の附近には火山脈が通っているんだが、この島もその一つなのかなあ」 ラツールは首をひねった。 「しかしラツールさん。地震にしては、へんなところがありますねえ」 玉太郎がいった。 「へんなところがあるって。なぜ?」 「だって地震は、たいてい一回でおしまいになるでしょう。何回もつづく場合は、はじめの地震がよほど大きい地震でそのあとにつづいて起る余震は、どれもみなくらべものにならないほどずっと小さい地震なんでしょう。ところがさっきの地震は、そうでなかったですね。どの地震も同じくらいの強さの地震だったでしょう。だからへんだと思ったんです」 玉太郎は、地震が名物の日本に、いく年かを暮したことがあって、地震の常識をしっていた。 「ふーン。どうかねえ」 ラツールは首を左右にふった。彼には、わからなかった。 そのとき二人の注意を急にうばったものがあった。ポチのわんわんとほえる声だった。 それは遠くの方であった。二人は顔を見あわせた。 「ポチは、あやしいものを見つけて、ほえているんですよ」 「そうらしい。この沼の向うがわだ。そして地面の下でほえているように思う」 「ラツールさん。ぼくはこれから沼のむこうへ行って、ポチを早く助けだしてやりたいです」 「行くかね。きみが行くなら、わたしも行く。しかし玉ちゃん。すこしのことにも深く注意して、すこしずつ前進するんだね。もしもこの島が恐竜島だったら、われわれはすぐさまこの島をあとにしてのがれなければならないんだ。命の危険、いやそれいじょうのおそろしいことが恐竜島にはあるんだ」 勇敢で沈着なラツール記者も、恐竜島と地震の話になると、人がかわったように身ぶるいするのだった。 恐竜島とは、いったいどのような島であろうか。 それについて玉太郎は、前からききたいと思っていた。今もそれをしりたくなったが、ラツールのいうように、今は全身の神経をあたりへくばって前進しないと、どんな目にあうかも知れない。それゆえ聞くのは後のことにして、玉太郎はラツールのあとについて、沼のふちをまわりはじめた。 前方に茶褐色のきたならしい地はだを見せている断崖がどうも気になってならなかった。二人の目は、ゆだんなくその崖のまわりを捜査している。
スコール来る
沼のふちをようやくまわって、問題の崖の下にでた。 茶褐色の土の下から、雑草がのぞいているところもある。大きなゴムの木や、太い椰子の木が重なりあって、土の下に半ばうずまっているところもある。 「玉ちゃん。ふしぎだとは思わないか」 と、ラツールはそれらのものを指して、自分の考えをのべた。 「この島は、わりあいに近頃出来たもののようだ。土が上から島をすべり落ちて来て、密林の一部をうずめたように見える」 玉太郎は、うなずいた。ラツールの説明のとおりだと思った。 「なぜそんなことが起ったのか。人間がひとりも見えない無人島で、まさか土木工事が行われようとも思われない。とにかく、もうすこしそこらを見てまわろうじゃないか」 「それがいいですね。きっとどこかに、ポチのもぐりこんだ穴があるにちがいありませんよ」 玉太郎は、すこしも早く愛犬をすくい出してやりたかった。 それから二人は、雑草をかきわけ、つる草をはらいのけ崖の下をまわってみた。むんむんと熱気がたちこめ、全身はねっとりと汗にまみれ、息をするのが苦しい。あえぎながらふらふらする頭をおさえて前進する。こうして二人の気のついたことは、この崖みたいなものは火山でできたものではなく(硫黄くさくないから)地震でできたものでもなく、たしかに人間がやった土木工事であることをたしかめた。 しかしその土木工事は、最新式のブルトーザなどという土木機械を使ったものでなくて、原始的な方法、つまり人間を大ぜいあつめて、もっこに土をいれたり石をのせたりしでかつぎあげるといった、方法をとったにちがいないのだ。 それにしてもふしぎなのは、今この島に、だれもいないし、土木工事に使った道具も見あたらないことだ。 「なぜこんな崖をつくったんだろうか。いみが分らない」 「それなら、崖の上までのぼって見てはどうでしょうか。上に行くと、きっとなにかありますよ」 「なるほど。崖というものは、下より上の方が大切なのかもしれない。じゃあ、のぼってみよう」 その後ポチの声がしないので、ポチのはいりこんだ穴をさがすことはあとまわしとして、玉太郎はラツール記者とともに、崖の斜面をはいのぼっていった。 しばらくのぼったとき、ぽつッと冷いものが玉太郎の顔をたたいた。 「おやあ」と上を見ると、いつの間にか空が鼠色の雲でひくくとざされている。そして大粒の雨が、急にはげしくふりだしたのだ。 「あ、スコールがやって来た。あいにくのときに、やって来やがった」 ラツールは舌打ちした。 「あ、すべる」玉太郎がさけんだ。崖の斜面は、滝のようになって雨水が流れおちた。玉太郎は手と足とをすべらせてしまった。その結果、玉太郎のからだは雨水とともにずるずると下へすべり落ちていった。 すごいスコールのひびきに、玉太郎よりすこし上をのぼっていたラツールは、玉太郎のすべり落ちたことを知らなかった。彼はスコールの滝に全身を洗われながらも、斜面のくぼみに足をはめこみ、両手で崖の土のかたいところをひんぱんにつかみなおし、一生けんめいにしがみついていた。 だがスコールのために急に寒冷になり、全身はがたがたふるえて来、手も足も知覚がなくなっていた。 一方玉太郎の方は、崖下にころがり落ち、スコールが作ったにわかの川の中へぼちゃんと尻餅をついた。流れはいがいに強く、彼のからだはおし流されそうになったので、あわてて身を起こした。あたりは、すごい雨あしと水しぶきに、とじこめられ、五六メートルから先は全く見えなかった。 玉太郎は、にわかに出来た流れをあきれながら見ていたが、ふと気がついて、その流れにそって下流の方へ歩きだした。 五十メートルぐらい歩いたとき、そのにわかに出来た川が、土中にすいこまれているのを見つけた。そこはたくさんの木がたおれて重なりあっているところだったが、にわかの川の水は、その木の下をくぐって土中へ落ちているのだった。 「ははあ、この下に穴があいているんだな。ポチはこの中へはいりこんだのかもしれない」 そう思った玉太郎は、たおれた木と木の間へ顔をさしこんで、落ちていく水にまけないような大きな声で、愛犬の名をいくたびとなく呼んでみた。だが、ポチは主人のために返事をしなかった。
迫るさびしさ
玉太郎はがっかりした。 しかしこういう穴の入口らしいところを見つけたことは一つの成功だと思った。あとでゆっくり中をしらべてみたい。 そう思って、彼はそこを立ちさろうとしたが、ふと思い直して、もどって来た。そしてそこらに落ちている木の枝を一本取り、ナイフでけずってYという形にし、それをそこの場所につきさした。それからYという字のかたつむりの二つの目のような枝のさきをわって、自分のシャツの端をひきさいて、はさんだ。こうしておけば、スコールがあがったあとも、この場所へもどって来るのにいい目印になる。 それから玉太郎は、にわかの川について、上流の方へもどっていった。彼は、さっき落ちた崖下へもどるつもりであった。しかしどうしたわけか、そこへもどることが出来ず、川にそって上ったり下ったりしてまよった。そのうちに時間がたった。 スコールが通りぬけたらしく、急に雨が小降りになったと思うと、もう雲が切れて、もうもうと立ちのぼる水蒸気に、明るく陽の光がさしこんで来た。気温は、またぐんぐんとのぼり出した。視界がひらけた。 「おや。あんなところに崖が見える」 どこをふみまよったものか、スコールがあがってみれば玉太郎はとんでもないけんとうのところに立っていた。さっきすべりおちた崖の斜面のしたから、百五十メートルばかりもはなれたところに立っていたのだ。彼は斜面の下へむかって急いで歩いた。 歩きながら、斜面をいくども見下げた。そのとき彼は、不審の念にうたれた。「ラツールさんの姿が見えないが、どこへ行ったんだろうか。斜面をすっかりのぼって、崖の上へ出たのかしらん」 斜面にはラツール記者の姿がなかったのである。ラツールといえば、彼はスコールの中に降りこめられ、斜面のまん中あたりで、進退きわまっていたのだったが、今はどこにいるのだろうか。 「そうだ。この斜面を自分ものぼってみよう」 玉太郎は、そう思って、再び斜面をのぼりかけた。 だがそれはだめだった。斜面は雨水をうんとすいこんで足をかけ、手をおいたところは、いずれも土がごそっと取れてしまって、のぼることが出来ないのであった。いくども場所をかえてやってみたが、どれもだめであった。 「ああ、のぼれないのか」玉太郎は、くやしがって、斜面をにらみつけた。しかしにらみつけたぐらいで、どうなるわけのものでもなかった。 彼はその場所に、二時間あまりも待っていた。彼はたえず崖の上を注意し、もしやラツールが顔を出しはしないかと心待ちにしていた。ラツールの名を何十回となく呼んだ。だがラツールは姿も見せなければ、返事もしなかった。心ぼそさがひしひしと玉太郎の胸をしめつけた。たえがたいほどの蒸し暑さの密林の中に、人間を恐ろしいとも思わぬ蠅や蚊や蟻の群とたたかいながら、二時間のあまり、同じところにじっとしていることは、それだけでもたえがたいことだった。 玉太郎はあきらめて、そこを立ちさった。彼は密林の中をくぐって、元の海岸へ出た。もしやそこにラツールが、先にかえって来ているのではないかと心だのみにしていたがそれもやっぱりだめだった。 海岸にまっていたのは、やぶれた筏だけであった。 彼は、砂の上に腰をおろして、ぼんやりと考えこんだ。 ラツールもいなくなった。ポチさえ、どこに行ったかわからなくなった。絶海の孤島に、自分ひとりがとりのこされている。このままでいれば、ひぼしになるか、病気になるかして、白骨と化してしまうであろう。玉太郎は心ぼそさにたえきれなくなって、砂の上にたおれた。そして大きな声をあげて泣いた。泣きつかれて、ねむった。 どのくらいねむったかしれないが、ふと目がさめた。脚のところへ、がさがさと何かがはいりこんで来たので、びっくりして目がさめた。 貝だった。一枚貝だった。 いや、手にとってみると、それは一枚貝を自分の家として住んでいるやどかりだった。 「なあんだ。やどかりか」 やどかりは、玉太郎の手のひらの上で、しばらくじっとしていたが、やがて急に足をだして、あわててはった。そして手のひらからぽとんと下に落ち、草の中にかくれた。 玉太郎は、草の中からそのやどかりをさがしだして、波うちぎわへほうってやった。 「そうだ、ぼくはひとりぼっちではない。この島にはやどかりもいる蠅もいる。蚊もいる。蟻もいる。それに魚もたくさんいる。ひとりぼっちじゃないぞ」 玉太郎は立ちあがると、胸をたたいた。
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