暴風雨来る
ラツールが苦心をして拾いあげた食料品を、玉太郎は世界一のごちそうだと思いながら、思わずたべすごした。 「どうだ、塩味がききすぎていたろう」 「いや、そんなことは分りませんでしたよ」 みんな海水につかっていたのだ。缶詰も、穴があいて浮んでいたのだ。しかし腹のへりすぎた玉太郎には、そんなことはすこしも苦にならなかった。 「もっとたべていいよ。そのうちには、どこかの船に行きあって、助けられるだろうから」 「もう十分たべました」 ポチは、まだ缶の中に頭をつっこんだきりである。尻尾がいそがしそうにゆれている、がつがつたべているのだ。 「十分に腹をこしらえておいた方がいいよ。これから一荒れ来るからねえ」ラツールが空を見上げた。玉太郎もそれについてあおむいた。 さっきの黒雲は、いつの間にか、翼を大きくひろげていた。南西の方向は、雲と海面との境界線が見えない。すっかり黒くぬりつぶされている。すうーっと日がかげった。黒雲はもう頭の上まで来ているのだ。 突風が、帆をゆすぶった。帆柱がぎいぎいと悲鳴をあげた。 筏は急にゆれはじめた。波頭がのこぎりの歯のようにたってきた。 ぽつ、ぽつ、ぽつ。大粒の雨が、玉太郎の頬をうった。と思うまもなく、車軸を流すような豪雨となった。 太い雨だ。滝つぼの下にいるようだ。あたりはまっくらに閉じこめられて、十メートル位から先の方はまったく見えなくなった。 雨と浪とが、上と下からかみあっているのだ。そこへ横合から風があばれこんでくる。ものすごいことになった。 帆柱は、一たまりもなくへしおれた。帆は吹きとばされた。 筏はばらばらになりそうだ。ラツールは玉太郎をはげましながら、筏の材料をむすびつけてある綱をしめなおし、なおその上に、あるものはみんな利用して筏の各部をしばりつけた。 ポチは体が小さいので、いくたびか海の中へ吹きとばされそうになった。玉太郎はポチを、おれのこっった帆柱の根元に、綱でもってしばりつけた。大波が筏をのむたびに、ポチは波の下にかくれ、やがて潮がひくと、ポチは顔をだしてきゃんきゃんと泣いた。 風雨は、だんだんひどくなった。 山なす怒濤は、筏をいくどとなくひっくりかえそうとした。あるときは奈落の底につきおとされた。次のしゅん間には、高く波頭の上につきあげられた。 刃物のような風がぴゅうぴゅうと吹きつける。めりめりと音がしたと思ったら、筏の一部がかんたんにわれて、あっと思うまもなく荒浪にもっていかれてしまった。 もう誰も生きた心地がない。風と雨とにたたかれ怒濤にもてあそばれ、おまけに冬のような寒気がおとずれ、手足がきかなくなり、凍え死をしそうになった。 天地はまっくらで、方角もわからなければ、太陽も地球もどこへ行ってしまったのかけんとうがつかない。ラツールと玉太郎とは、もう万事あきらめ、たがいにしっかり抱きあい、ポチも二人のあいだへ入れて、最期はいつ来るかと、それを待った。 それから、かなりの時間がたった。 もういけない、こんどの波で筏はばらばらになるだろう、この次は海のそこへつきおとされるであろうなどと気をつかっているうちに、両人ともすっかり疲労して、そのままぶったおれ、意識を失ってしまった。 気がついたときは、風もしずまり、波もひくくなり、そして空は明るさを回復し、雲の間から薄日がもれていた。 「おお、助かったらしい」一番先に気がついたのは玉太郎であった。すぐラツールをゆりおこした。 「ラツールさん。嵐はすみましたよ」 「ううーン」ラツールは目を開いた。そして玉太郎の顔をふしぎそうに眺めていたが、 「やあ、君か。きたない面の天使があればあるものだと感心していたら何のことだ、玉太郎君か。天国じゃなくて、ここはやっぱり筏の上なんだね」と、にこにこしながら半身をおこした。 ポチもおきあがって、ぶるぶる身体についている水をふるったので、それが玉太郎の顔にまともにあたった。 「ポチ公。おぎょうぎが悪いぞ。ぺッ、ぺッ」 玉太郎は顔をしかめた。ラツールは大きな声で笑った。玉太郎も笑った。生命を拾った喜びは大きい。
恐ろしい丘影
雲がどんどん流れさって、太陽が顔を出した。 太陽の高さから考えると、嵐は五時間ぐらい続いたことになる。 「いったい、どこなんでしょう」玉太郎がきいた。 「さっぱり方角が分らない。太陽が、もうすこしどっちかへかたむいてくれると、見当がつくんだが、なにしろ太陽は今、頭のま上にかがやいているからね」 赤道直下だから正午には太陽は頭のま上にあるのだ。筏の上に立つと影法師が見えない。よく探して見れば、影法師は足の下にあるのだ。 「どっちを見ても空と海ばかり……おや、島じゃないでしょうか[#「ないでしょうか」は底本では「ないでょうか」]、あれは……」 玉太郎は、筏のまわりをぐるっと見まわしているうちに雲の下に、うす鼠色の長いものが横たわっているのを見つけた。 「あれかい。あれは雲じゃないかなあ、僕もさっきから見ているんだが……」 「島ですよ。山の形が見える」 雲はどんどん動いていったので、やがて島であることがはっきりした。二人の喜びは大きかった。筏の上で、おどりあがって喜んだ。筏の上には食料品が、もうほとんどなかった。水もない。だからあの島へ上陸することが出来れば、なにか腹のふくれるものと、そしてうまい水とにありつくことが出来るだろう。 「また帆をはろうや」ラツールがそれをいいだしたので、玉太郎もさんせいして、すぐさま残りの材料をあつめて二度目の帆を張り出した。 島との距離は、あんがい近い。海上三キロぐらいだ。はじめはそうとう大きい島だと思ったのが、空がすっかり晴れてみると、小さな島であることが分った。 風が残っていたので、帆が出来ると、筏はかるく走りだした。それに、やはり潮流が、その方へ流れていると見え、筏をどんどん島の方へ近づけていった。 だが、いよいよ島の近くに達するまでには四五時間かかった。太陽はすでに西の海に沈み、空は美しく夕焼している。その頃になって、島の上に生えている椰子の木が、はっきりと見えるようになった。 「明るいうちに、島へつきたいものだね」 「こぎましょうか」 「こぐったって、橈もなんにもない」 風と海流の力によるしかない。 「家らしいものは見えないね。煙もあがっていない」 島の方をながめながら、ラツールは失望のていである。 「無人島でしょうか」 「どうもそうらしいね」 「人食い人種がいるよりは、無人島の方がいいでしょう」 「それはそうだが、くいものがないとやり切れんからね」 二人は、日が暮れるのも忘れて、夢中になって島をながめつくした。 「ほう、無人島でもないようだ」ラツールが、声をはりあげた。 「人がいますか」 「いや、そんなものは見えない。しかし島の左のはしのところを見てごらん。舟つき場らしい石垣が見えるじゃないか」 島は中央に、山とまではいかないが高い丘がとび出していて、それが方々にとんがっている。そのまわりは一面に深い密林だ。椰子もあるし、マングローブ(榕樹)も見える。その間に、ところどころ白い砂浜がのぞいている。ラツールが発見した石垣は、ずっと左の方にあり、なんだかそこが、密林の入口になっているようでもある。正確なことは上陸してみれば、すぐ分るであろう。 「もうあの島には、人が住まなくなったのでしょうか」 「それにしては、あの石垣がもったいない話だ」 夕焼の空は、赤から真紅に、真紅から緋に、そして紫へと色をかえていった。それまでは見えなかったちぎれ雲が生あるもののようにあやしい色にはえ、大空から下に向って威嚇をこころみる。 島の丘の背が、赤褐色に染って、うすきみわるい光をおびはじめた。 「おやあ、これはちょっとへんだぞ」ラツールがさけんだ 「どうしたんですか」 「この島は、恐竜島じゃないかなあ。たしかにそうだ。あのおかを見ろ。恐竜の背中のようじゃないか。気味のわるいあの色を見ろ。もしあれが恐竜島だったら、われわれは急いで島から放れなくてはならない」 ラツールは、ふしぎなことをいいだした。彼の恐れる恐竜島とは何であろうか。
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