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みさごの鮨(みさごのすし)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/8/23 10:41:46 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



       二

「まあ、御飯をかえなさいよ。」
「ああ……御飯もいまかえようが……」
 さて客は、いまので話の口が解(ほど)けたと思うらしい面色(おももち)して、中休みに猪口(ちょく)の酒を一口した。……
「……姐(ねえ)さん、ここの前を右へ出て、大(おおき)な絵はがき屋だの、小料理屋だの、賑(にぎやか)な処を通り抜けると、旧街道のようで、町家(まちや)の揃った処がある。あれはどこへ行(ゆ)く道だね。」
「それはね、旦那さん、那谷(なや)から片山津(かたやまづ)の方へ行く道だよ。」
「そうか――そこの中ほどに、さきが古道具屋と、手前が桐油(とうゆ)菅笠屋(すげがさや)の間に、ちょっとした紙屋があるね。雑貨も商っている……あれは何と言う家(うち)だい。」
「白粉(おしろい)や香水も売っていて、鑵詰(かんづめ)だの、石鹸箱はぴかぴかするけど、じめじめとした、陰気な、あれかあね。」
「全くだ、陰気な内だ。」
 と言って客は考えた。
「それは、旦那さん――あ、あ、あ、何屋とか言ったがね、忘れたよ。口まで出るけども。」
 と給仕盆を鞠(まり)のように、とんとんと膝を揺(ゆす)って、
「治兵衛(じへえ)坊主(ぼうず)の家ですだよ。」
「串戯(じょうだん)ではない。紙屋で治兵衛は洒落ではないのか。」
「何、人が皆そう言うでね。本当の名だか何だか知らないけど、治兵衛坊主で直(じ)きと分るよ。旦那さん、知っていなさるのかね、あの家を。」

 客は、これより前(さき)、ちょっと買ものに出たのであった。――実は旅の事欠けに、半紙に不自由をしたので、帳場へ通じて取寄せようか、買いに遣(や)ろうかとも思ったが、式(かた)のごとき大まかさの、のんびりさの旅館であるから、北国一の電話で、呼寄せていいつけて、買いに遣って取寄せる隙(ひま)に、自分で買って来る方が手取早(てっとりばや)い。……膳の来るにも間があろう。そう思ったので帽子も被(かぶ)らないで、黙(だんま)りで、ふいと出た。
 直き町の角の煙草屋(たばこや)も見たし、絵葉がき屋も覗(のぞ)いたが、どうもその類のものが見当らない。小半町行(ゆ)き、一町行き……山の温泉(いでゆ)の町がかりの珍しさに、古道具屋の前に立ったり、松茸の香を聞いたり、やがて一軒見附けたのが、その陰気な雑貨店であった。浅い店で、横口の奥が山のかぶさったように暗い。並べた巻紙の上包(うわづつみ)の色も褪(あ)せたが、ともしく重ねた半紙は戸棚の中に白かった。「御免なさいよ、今日は、」と二三度声を掛けたが返事をしない。しかしこんな事は、金沢の目貫(めぬき)の町の商店でも、経験のある人だから、気短(きみじか)にそのままにしないで、「誰か居ませんか、」と、もう一度呼ぶと、「はい、」とその時、媚(なまめ)かしい優しい声がして、「はい、」と、すぐに重ね返事が、どうやら勢(いきおい)がなく、弱々しく聞えたと思うと、挙動(こなし)は早く褄(つま)を軽く急いだが、裾(すそ)をはらりと、長襦袢(ながじゅばん)の艶(えん)なのが、すらすらと横歩きして、半襟も、色白な横顔も、少し俯向(うつむ)けるように、納戸から出て来たのが、ぱっと明るみへ立つと、肩から袖が悄(しお)れて見えて、温室のそれとは違って、冷い穴蔵から引出しでもしたようだった、その顔を背けたまま、「はい、何を差上げます。」と言う声が沈んで、泣いていたらしい片一方の目を、俯向けに、紅入(べにいり)友染(ゆうぜん)の裏が浅葱(あさぎ)の袖口で、ひったり圧(おさ)えた。
 中脊で、もの柔かな女の、房(ふっさ)り結った島田が縺(もつ)れて、おっとりした下ぶくれの頬にかかったのも、もの可哀(あわれ)で気の毒であった。が、用を言うと、「はい、」と背後(うしろ)むきに、戸棚へ立った時は、目を圧えた手を離して、すらりとなったが、半紙を抽出(ひきだ)して、立返る頭髪(かみ)も量(おも)そうに褄さきの運びとともに、またうなだれて、堪兼ねた涙が、白く咲いた山茶花(さざんか)に霜の白粉(おしろい)の溶けるばかり、はらはらと落つるのを、うっかり紙にうけて、……はっと思ったらしい。……その拍子に、顔をかくすと、なお濡れた。
 うっかり渡そうとして、「まあ、」と気づいたらしく、「あれ、取換えますから、」――「いや、宜(よろ)しい。……」
 懐中(ふところ)へ取って、ずっと出た。が、店を立離れてから、思うと、あの、しおらしい女の涙ならば、この袂(たもと)に受けよう。口紅の色は残らぬが、瞳の影とともに玉を包んだ半紙はここにある。――ちょっとは返事をしなかったのもそのせいだろう。不思議な処へ行合せた、と思ううちに、いや、しかし、白い山茶花のその花片(はなびら)に、日の片あたりが淡くさすように、目が腫(はれ)ぼったく、殊に圧えた方の瞼(まぶた)の赤かったのは、煩らっているのかも知れない。あるいは急に埃(ほこり)などが飛込んだ場合で、その痛みに泣いていたのかも分らない。――そうでなくて、いかに悲痛な折からでも、若い女が商いに出てまで、客の前で紙を絞るほど涙を流すのはちと情に過ぎる。大方は目の煩いだろう。
 トラホームなぞだと困る、と、その涙をとにかく内側へ深く折込んだ、が。――やがて近江屋へ帰って、敷石を奥へ入ると、酒の空樽(あきだる)、漬もの桶(おけ)などがはみ出した、物置の戸口に、石屋が居て、コトコトと石を切る音が、先刻期待した小鳥の骨を敲(たた)くのと同一であった。
「――涙もこれだ。」
 と教授は思わず苦笑して、
「しかし、その方が僥倖(しあわせ)だ。……」
 今度は座敷に入って、まだ坐るか坐らないに、金屏風の上から、ひょいと顔が出て、「腹(おなか)が空いたろがね。」と言うと、つかつかと、入って来たのが、ここに居るこの女中で。小脇に威勢よく引抱(ひっかか)えた黒塗(くろぬり)の飯櫃(めしびつ)を、客の膝の前へストンと置くと、一歩(ひとあし)すさったままで、突立(つった)って、熟(じっ)と顔を瞰下(みおろ)すから、この時も吃驚(びっくり)した目を遣ると、両手を引込めた布子の袖を、上下に、ひょこひょことゆさぶりながら、「給仕をするかね、」と言ったのである。
 教授はあきらめて落着いて、
「おいおいどうしてくれるんだ――給仕にも何にもまだ膳が来ないではないか。」
「あッそうだ。」
 と慌てて片足を挙げたと思うと、下して片足をまた上げたり、下げたり。
「腹が空いたろで、早くお飯(まんま)を食わせようと思うたでね。急(せ)いたわいな、旦那さん。」
 と、そのまま跳廻(はねまわ)ったかと思うと。
「北国一だ。」
 と投げるように駈(か)け出した。
 酒は手酌が習慣(くせ)だと言って、やっと御免を蒙(こうむ)ったが、はじめて落着いて、酒量の少い人物の、一銚子を、静(しずか)に、やがて傾けた頃、屏風の陰から、うかがいうかがい、今度は妙に、おっかなびっくりといった形で入って来て、あらためてまた給仕についたのであった。
 話は前後したが、涙の半紙はここにあった。客は何となく折を見て聞いたのである。
 
「いましがたちょっと買ものをして来たんだが、」
 と言継いで、
「彼家(あそこ)に、嫁さんか、娘さんか、きれいな女が居るだろう。」
「北国一だ。あはははは。」
 と、大声でいきなり笑った。
「まあまあ、北国一としておいて、何だい、娘かい、嫁さんかい。」
 また大声で、
「押惚(おっぽ)れたか。旦那さん。」
「驚かしなさんな。」
「吃驚(びっくり)しただろ、あの、別嬪(べっぴん)に。……それだよ、それが小春(こはる)さんだ。この土地の芸妓(げいしゃ)でね、それだで、雑貨店の若旦那を、治兵衛坊主と言うだてば。」
「成程、紙屋――あの雑貨店の亭主だな。」
「若い人だ、活(い)きるわ、死ぬるわという評判ものだよ。」
「それで治兵衛……は分ったが、坊主とはどうした訳かね。」
「何、旦那さん、癇癪持(かんしゃくもち)の、嫉妬(やきもち)やきで、ほうずもねえ逆気性(のぼせしょう)でね、おまけに、しつこい、いんしん不通だ。」
「何?……」
「隠元豆、田螺(たにし)さあね。」
「分らない。」
「あれ、ははは、いんきん、たむしだてば。」
「乱暴だなあ。」
「この山代の湯ぐらいでは埒(らち)あかねえさ。脚気(かっけ)山中(やまなか)、かさ粟津(あわづ)の湯へ、七日湯治をしねえ事には半月十日寝られねえで、身体(からだ)中掻毟(かきむし)って、目が引釣(ひッつ)り上る若旦那でね。おまけに、それが小春さんに、金子(かね)も、店も田地までも打込(ぶちこ)んでね。一時(いっとき)は、三月ばかりも、家へ入れて、かみさんにしておいた事もあったがね。」
 ――初女房(ういにょうぼう)、花嫁ぶりの商いはこれで分った――
「ちゃんと金子を突いたでねえから、抱えぬしの方で承知しねえだよ。摺(す)った揉(も)んだの挙句が、小春さんはまた褄(つま)を取っているだがね、一度女房にした女が、客商売で出るもんだで、夜(よ)がふけてでも見なさいよ、いらいらして、逆気上(のぼせあが)って、痛痒(いたがゆ)い処を引掻(ひっか)いたくらいでは埒あかねえで、田にしも隠元豆も地だんだを蹈(ふ)んで喰噛(くいかじ)るだよ。血は上ずっても、性(しょう)は陰気で、ちり蓮華(れんげ)の長い顔が蒼(あお)しょびれて、しゃくれてさ、それで負けじ魂で、張立てる治兵衛だから、人にものさ言う時は、頭も唇も横町へつん曲るだ。のぼせて、頭ばっかり赫々(かッかッ)と、するもんだで、小春さんのいい人で、色男がるくせに、頭髪(かみのけ)さ、すべりと一分刈にしている処で、治兵衛坊主、坊主治兵衛だ、なあ、旦那。」
 かくと聞けば、トラホーム、目の煩いと思ったは恥かしい。袂(たもと)に包んだ半紙の雫(しずく)は、まさに山茶花(さざんか)の露である。
「旦那さん、何を考えていなさるだね。」

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