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私が、その希臘人の友達を Roger & Gallet と呼び出したのは、彼がこの巴里化粧品会社の製造にかかる煉香油を愛用して、始終百貨店の婦人肌着部のようなにおいを発散させながら、サン・モリッツのホテルの廊下を歩いていたことに起因する。 だから私は、私のいわゆるロジェル・エ・ギャレ氏の本名は知らないのだが、それはすこしもこの話の現実的価値を低めはしないと信ずる。なぜなら、私は、彼の名前こそ知らないが、彼がオスロかどこか北方の首府に仕事と地位を持っている希臘の若い海軍武官であることも、いつも小さな秤を携帯していて、それで注意深くフィリップ・モウリスの上等の刻煙草を計って、自分で混ぜて、晩餐後の張出廊で零下七度の外気へゆっくりと蒼い煙を吹き出す習慣のあることも、例の大陸朝飯――珈琲・巻麺麭・人造蜂蜜・インクの香の濃い新聞・女中の微笑とこれだけから構成されてる――を極度に排斥して、BEEFEXと焼林檎と純白の食卓布に固執していることも、趣味として部屋では真紅のガウンを着ていることも、いまはバルビウスの“Thus and Thus”を読んでいることも、そして、実を言うと、それよりも巴里版ルイ・キャヴォの絵入好色本のほうが好きらしいことも、すべての犬を怖がって狆に対しても虚勢を張ることも、英吉利の総選挙を予想して各政党の詳細な得票表を作ってることも、その一々に関して食後から就寝までの時間を消すに足る綿密な説明を用意してることも、それから、これは前に言ったが、半東洋風の黒い頭髪をロジェル・エ・ギャレ会社の製品で水浴用護謨帽子のように装飾して――で、私は彼にひそかにこの綽名を与えたわけだが、――聖モリッツ中の異性の嗅覚を陶酔させようとTRYしていたことも、要するに、ロジェル・エ・ギャレという存在は、或いは彼自身の饒舌により、または、私の作家的観察眼で、ほとんど全部、私は、摘み上げて、蒐集して、分類して、ちゃんと整理が出来上っているのである。 では、何だってここに希臘の一青年武官をこんなに問題にしているのか――と言うと、理由は簡単だ。この物語は、かれロジェル&ギャレを主人公とし、私を傍観者とする、瑞西の山中サン・モリッツの冬の盛り場における、一近代的悲歌劇の筋書だからである。 私は、主役の希臘人に関して既に多くを語った。 が、話の性質を決定する必要上、忘れないうちに、ここに前もってひとつ、断って置かなければならないことがあるのだ。 それは、このロジェル・エ・ギャレは、ウィンタア・スポウツを自分で享楽すべく聖モリッツへ来ているのでもなければ、そうかと言って、ただ騒ぎを見物するために滞在しているのでもないという不思議な一事だ。じゃあ何しに?――となると、これがどうもよほど変ってるんだが、彼自身そっと私に告白したんだから間違いはあるまい。ロジェル・エ・ギャレは、実に漠然と結婚の相手を探しあぐんで、とうとうこの瑞西の山奥の冬季社交植民地まで辿り登って来たというのである。 とにかく、古いものと新しいものが妙に交錯して、そこに方向を引き歪められた文学的天才の片鱗が潜んでると言ったような、彼は確かに、誇張された感傷癖の希臘人らしい希臘人だった。 と、紹介はこれでたくさんだ。 ところで、場面は、瑞西サン・モリッツである。 ST.MORITZ――眼をつぶって心描して下さい。雪の山と、雪の野と、雪の谷と、雪の空と、雪の町と、雪の女とを。そしてこの、切り離された小世界に発生する事件と醜聞と華美と笑声と壮麗と雑音とを。 海抜、六千九十呎。エンガディン、テュシスから Coire の経由、またはランドカルト・ダヴォスから汽車。伊太利のテラノから這入ってポントレシナを過ぎる線が、すこし迂回になるけれど一番接続がいい。私達はこれを採った。 サン・モリッツは、豪奢第一の冬の瑞西のなかでも最上級のブルジョア向きと見なされている土地である。そのため、大概の人が怖毛をふるって、近処の村落に宿をとる。そして、そこからサン・モリッツへ通うんだが、このサン・モリッツの附帯地域中異色のあるのが、モリッツから一停車場下った、五千六百五十六呎の高さに、谷を挟んで巣をくっているCELERINA村だ。幾分経済的でもあり、第一気安だろうと思って、私たちも最初はこのツェレリナへ行ったのだったが、同じ考えで人が殺到して来るのと、ツェレリナ自身が近くにサン・モリッツを控えている利益を意識して、抜け目なくその好立場を効用化してる関係上、事実は、かえって中心のサン・モリッツのほうが遥かにぼらないことを発見したので、二、三日してあわててそっちへ移ったのだった。そして、これも、同様の経験から四、五日前にツェレリナを逃げ出して来た許りだという、かのロジェル・エ・ギャレに会ったのである。 しかし、ツェレリナは、あの有名な聖モリッツのCRESTA・RUNの競技の終点に当っているし、スケイトもスキイも相当の設備が調っていて、わざわざモリッツへ出なくても、そこだけで独自の、金色の酒のような暖かい陽の照る、愉快な小地点だった。 サン・モリッツは、大きく二つの部分に別れている。DORFとBADだ。つい先年までは、斜面の上のドルフでなければサン・モリッツでないように思われていて、下のバッドのホテルなんか多くの場合閉め切りだったものだそうだが、それが、この頃ではすっかり変って、各種のスポウツは勿論、名物の競馬などは、どうかするとバッドのほうが便利な程になっている。私達の選んだのは、ちょうどその真ん中へんの Hotel Beau Riverge だった。 冬の聖モリッツは、両大陸の流行の大行列だ。 倫敦と巴里と紐育の精粋が、ウィンタア・スポウツに名を藉りて一時ここに集中される。大小の名を持つ人々・名をもたない人々・新聞の写真によって公衆に顔を知られている紳士と淑女・知られていない紳士と淑女・女優・競馬騎士・人気作家・不人気BUT遺産相続で困らない作家・離婚常習犯人・商業貴族・生産のキャプテン達・彼らの家族中のJAZZ・BOYS・反逆年齢に達した娘たちの大集団・独逸から出稼ぎに来てる首の赤い給仕人の群・舌と動作の滑かな大詐欺師の一隊――現世紀に逆巻く唯物欧羅巴の男女の人生探検者が、おのおの智能と衣裳と役割を持ち寄って、この一冬のMORITZに雪の舞踏を踊り抜く――それは、夜を日に次ぐ白い謝肉祭なのだ。 したがって、物価が出鱈目な点でも、季節のサン・モリッツほどのところはあるまい。何しろ、高ければ高いほど金の棄て甲斐があるという連中ばかり来るところなんだから、その法外さが随一なのは無理もないとして、近い例が、倫敦で一打入り一箱十片半のXマス爆烈菓子が、ここでは一個につき二法――瑞西の法だから、約一志六片――もすると、眼を丸くして話した善良な老婦人があったが、これも考えてみると、妻の誕生日贈物に飛行機に飛行士をつけてやったり、リンクでちょっと相識になった人が帰ると聞いて、こっそり買い入た最新型の自動車を出発の朝ホテルの玄関へ廻して置いて「驚かし」たりする「巨大な人々」にとっては、こうであるほうがほんとなのだろう。僕らの知ってる一人の中年過ぎた亜米利加の女は、善美を尽した一大汽船を移動邸宅にして、それに船長以下数百の乗組員と、身の廻りの召使い達と、男女の客と、食糧と日常品と管絃楽を満載してしじゅう世界中を浮かび歩いて遊んでると言った。彼女の船にはプウル・舞踏場・玉突き室・大夜会場・テニスコウト・幾つかの自動車庫・それに農園や牧場まであるという評判だった。冷凍室なるものを信用しない彼女は、こうして船中に自給自足の設備をととのえているのだとのことだった。その船は、いまゼノアに停泊していて、彼女は、船長と無線電信技師と何人かの愛人と執事と女中の上陸団を統率して、モリッツ・ドルフの Suvretta Haus に可笑しいほど大袈裟な弗の陣営を構えていた。 まあ、こういうのは僕らに直接関係がすくないにしても、言わば、こんなのが冬の聖モリッツを作る中枢系統なんだから、純粋にスポウツそのもののためにやって来る人は比較的少数だと断定していい。氷上ホッケイとクレスタ競争がモリッツの呼び物なんだが、それだってこれを見に集まるものも全体の三分の一で、他はことごとく、ただ何てことなしに、「今年の冬はサン・モリッツで大きな日を持ちました」と威張るために出かけてくるらしい。 勿論、そこには、一年中の給料を貯金したので着物を買って来てうまく名流令嬢になり澄ましているマニキュア・ガアルや、故国の自宅へ帰ると暗い寒いアパアトメントの階段を頂上まで這いあがらなければならない、自選オックスフォウド訛りの青年紳士やが、それぞれ「大きな把捉」を望んで、このSETに混じって活躍していることは言うまでもあるまい。聖モリッツは贋と真物の振酒器なのだ。みんながお互に make-belief し合って、相手の夢を尊重する約束を実行している催眠状想――それは、山と湖と毛糸のOUTFITによって完全に孤立させられている別天地なのだ。おまけに、雪はすべてを平等化する――何という、adventurer と adventuress に都合のいい背景であろう! そして、そこを占めるものは、男も女も同じ服装で傾斜を転がる笑い声であり、濡れて上気した女の頬であり、皮革類と女の汗の乾く臭いであり、誰でもとの交友と・ダンスと・カクテルパアティと・スキイの遠出と・夜ふけのホテルとであり――だから、男振り自慢の巴里の床屋は、外見を急造して大ホテルへ乗り込み、「美術家」と自己登録していることであろうし、港の運送屋は貿易商と、ピアノ運搬人は音楽批評家と、安芝居の道具方は舞台装置家と、帽子の売子嬢は「頭部の専門家」と、自費出版の未亡人は詩人と、街路掃除夫は社会改良家と、踊り子は「舞踊家」と、郵便脚夫は「官吏」と、機関手は運輸業と、給仕は会社員と、売笑婦は「独立生計」と、銘々その花文字のようなホテルの台帳の署名と一しょに、こういう触れこみで押し廻っているかも知れないのだ、The White Carnival !--St. Moritz !
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