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踊る地平線(おどるちへいせん)11白い謝肉祭

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-27 7:03:47 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


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 寒い国のくせに、どういうものか煖※[#「火+房」、288-5]の設備が感心しないから、瑞西スイツルのホテルは、来た当座は、誰もあんまりいい気持ちはしないらしい。もっとも、いぎりす人なんかがよく行くビイテンベルヒのレジナ・ニパラスあたりは、彼等の随喜するまきを焚く炉が切ってあるけれど、そのほかの場所では、大がいせこけたステイム・パイプが部屋の片隅に威張ってるだけだ。それも、約束どおり働かなかったり、或いは逆に、蒸気が上り過ぎて室内が温室のようになったりして、とかく、この瑞西スイツルのホテルのステイムには非道ひどい目に会うことが多い。スプルウゲンでは、ホテルの一室ごとに中央に大きなストウヴが据え付けてあって、煙突が屋根をぶち抜いている。あまり美的でないと同時に、これは塵埃ほこりを立てるので弱らせられる。それから、これだけは、どうしても大きなホテルへ行かなければり切れない一つの理由は、お風呂である。スポウツで汗をかいて来ても、直ぐにお湯に這入れないとあっちゃあ、殊に日本人は往生する。
 全く瑞西スイツルのステイムは、よくこれで失敗する旅客があるので有名だ。倫敦ロンドン巴里パリーのつもりで寝てしまえば要らないだろうというんで、すっかり閉めてしまうと、パイプの運行が停まって湯が冷めるもんだから、夜が更けるにつれて凍り出すようなことになる。いわんや、ほかの国の気で、寝る前に窓でも開けておこうものなら、寒さのためパイプが破裂すること請合いだ。先年ルケルバルドでこのステイム・パイプがホテルの屋根を吹き飛ばしたことがある。あとからナイアガラのように水が噴き出て、不幸な止宿者一同は、難破船の乗組員みたいに泳ぎながら、村役場の出した救助ボウトを待たなければならなかった――なんかと、まさか、それ程でもあるまいが、ホテルのポウタアが話しているのを聞いた。が、これも、考えてみると、外国人には間違い易く出来ているのである。なぜかというと、ステイムの廻転面にある Auf という字は、英語の Off に発音が似てるけれど、こいつが食わせ物なんで、実は、その逆の On なのだ。そして、もう一つの Zu というやつが、Off を意味する。こういうことは、あちこち旅行していると珍らしくない。伊太利イタリー語の Caldoが、発音や字形の類似を無視して、ちょうど Cold の正反対の Hot に当るようなものだ。この場合も、冷水のつもりで熱湯をねじって、それこそ手を焼く――などという大失敗を演ずる旅行者が、ちょいちょいある。
 よくこうしを食べさせられるにも、いい加減うんざりさせられる。じっさい瑞西スイツルでは、どの牛も、牛になるよほど以前に殺されてしまうのであろうと思われるほど、さかんに、無反省に、コウシの肉を出す。が、特に女の人に有難いだろうと思われるのは、チョコレイトである。それでも、戦争前は、もっと安かったものだそうだが、この頃だって、世界のどこよりも見事なのが、ずっと廉価に売られている。飲料はチョコレイトなんかには、じつに素晴らしいものがある。TEAの店も、サンモリッツあたりでは随分繁昌しているが、女給はお茶を持って来るだけで、ペエストリやなんかは自分で立って行って取って来なければならない。これを知らない外国人などがよく魔誤まごついているのを見かけたものだ。
 言葉は、主として仏蘭西フランス語と独逸ドイツ語だ。伊太利イタリー語も、南部の国境地方ではかなり通用するらしい。饒舌しゃべっている瑞西スイツル語なるものを聞くと、ずいぶんよく独逸語に似ているけれど、字を見ると違う。ロマンシュといった瑞西スイツル特有の言葉は、この頃ではほとんど使われていないらしい。
 しかし、まあ、どこへ行ってもそうであるように、都会の相当なホテルにいる以上、英語ですべて用が足りることは勿論だ。事実、聞くところによると、瑞西スイツルのホテルの給仕人や、チェンバア・メエドは、かならず英語の勉強に交代の倫敦ロンドンへ出て来るのだそうだ。だから、英語だけで立派に日常の用が弁ずるのに、不思議はなかった。
 これは何も瑞西スイツルに限ったことはないが、方々歩いていて言語に困った時は、そこはよくしたもので、思わない智恵が浮んで来る。たいがいのことが、人間同志の微妙な表情で、どうやら相互に理解がつくから妙だ。
 この間に処して、旅行者のための文章本フレイズ・ブックというものがある。が、これは余計だ。僕らも一通り揃えて持ち歩いたが、ほとんど使ったことがないと言っていい。肝腎なことだけは全部丁寧に抜かしてあるのだ。例えば、「あなたは羨むべき美しい声の所有主です」ことの、「きっと大歌劇に出ていたことがおありでしょう」ことの、という応接間的会話の羅列をもって充満されていて、よほど根気よくあちこち捜すと、「自分には七つの鞄がある」――なんてのを発見することもあるが、こういう成文じょうぶんは、実に、非実用のきわみ、愚の到りで、あの忙しい停車場の雑沓で、へんてこな外国語の本を開いて、駅夫相手にこんなことを言ったってとても始まらない。それよりは耳でも掴んで引っ張って来て、七つの鞄を見せながら、白眼にらみつけるほうが早い――ということになる。そして、食堂で牛乳が欲しくても、靴下を洗濯に出そうと思っても、そういう俗悪なことは、この上品な文章本のどの頁にもないのである。
 ナタリイ・ケニンガムは前まえから言うとおり二つの愛称を所有していた。ナニイとNANだ。で、母親のケニンガム夫人は、このふたつの名前をいろいろに使って、それで娘を馴致じゅんちしようと心がけていた。言うまでもなく、ケニンガムは倫敦ロンドンから来ている家族である。
 さて、この物語のはじめに、僕は、主人公のロジェル・エ・ギャレは漠然と結婚の相手を探しあぐんで、この瑞西スイツル山中のサンモリッツまで辿り登って来たのだと説明したように覚えているが、この漠然というところを、僕はいま、急に改めなければならない必要に面しているのだ。それは彼が、自分はナタリイ・ケニンガムに恋を感じていると、僕に打ち明けたからである。
 ナタリイ・ケニンガムは、ベンジンのように火のつき易き性質だった。彼女は、片っぽうの眼で泣いて、ほかの眼で笑うことが出来た。お茶を飲みながら、食堂の真ん中で靴下を直した。晩餐には、アフタアヌウンの上へ真黄いろなジャンパアを引っかけて出席した。そして、それを笑う人と一しょに笑った。食後は、小刀ナイフをくわえて西班牙スペインだんすを踊った。昼は真赤なPULL・OVERでスキイに出かけた。というよりも、それは雪の上を転がるためだった。ころぶ時には、必ず誰か男の上をえらんだ。それがロジェル・エ・ギャレだったことが二、三度つづいて、そして、可哀そうな彼をしてこの奔放な錯覚に陥らしめたのだった。彼女のスキイは、誰も手入れをするものがないので肉切台のようにあとだらけで乾割ほしわれがしていた。だから、彼女の加わった遠足スキイ隊は、必ず途中で何度も停滞して、彼女の所在を物色しなければならなかった。そういう場合には、彼女の赤い服装が雪のなかで大いに発見を早めた。すると彼女は、いつもスキイが脱げて立っていた。それを穿かせようとして、多くの男が即座にCRESTA・RUNを開始した。みんな一ばん先に彼女の助力へ走ろうと争ったが、これは、例外なくロジェル・エ・ギャレが勝つに決まっていた。それは決して、彼がスキイの名手だったからではなかった。つねに彼女のそばにいて、彼女のスキイに事件が起るや否、誰よりも早く奉仕出来る手近かな地位を占めているためだった。彼は、たとえ神様の命令でも、この特権を他人に譲ろうとはしなかった。早朝からNANの動静をうかがっていて、彼女が自室でスキイの支度をしている時は、すっかり用意が出来てホテルの玄関に待っている彼だった。その彼へ、彼女はときどき薄っぺらな笑いの切片を与えているだけにしか、私たちの眼には見えなかったが、それでも、ロジェル・エ・ギャレは満足以上の様子だった。雪解けがあったりして、スポウツに出られない日がつづくと、彼はもっと忙しかった。ナニイのブリッジの相手はこの希臘ギリシャ人に一定していた。お茶の舞踏には、火の玉みたいな彼女の断髪が、彼の短衣チョッキの胸にへばり附いて、仲よくチャアルストンした。彼はその、上から二つ目の扣鈕ボタンの横に残った白粉おしろいのあとを、長いこと消さずにいた。それを人に注意されて笑う時の彼が、一番幸福そうだった。夜は、人並よりすこし長い彼の手が、フロックの下に直ぐ靴下吊具サスペンダアをしている彼女の腰を抱えてふらふらと「黒い底ブラック・バタム」を踏んだ。しかし、神よ王様を助け給えガッド・セイヴ・ゼ・キングが鳴り出す前に、ナタリイは逸早く逃げ出していた。それを追っかけて、ロジェル・エ・ギャレはホテルじゅうを疾走した。会う人ごとに、彼女を見かけなかったかと訊くのが、彼は大好きだった。が、その時はもう彼女は部屋に上って、バス・ルウムで水を引いていた。その音は、どこにいても彼の耳に聞えて、はっきり鑑別出来るらしかった。これで彼も、ようようその一日を一日として、WATAのように疲れた身体からだを階上の自室へ運び上げた。
 こうして、ナタリイ・ケニンガムに対するロジェル・エ・ギャレの関心は、この一九二九年のシイズンの、オテル・ボオ・リヴァジュでの一つの affair にまで進展しかけていた。

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