3
ナタリイ・ケニンガムは、二つの愛称を所有していた。ナニイとNANだ。だかち、母親のケニンガム夫人は、この二個の名をいろいろに使って、娘を馴らそうと努力していた。言うまでもなく、ケニンガムは倫敦から来ている母子である。 粉末雪――この、軽い、塵埃状の雪は、スキイには持って来いだ。一ばん愉快な滑走が得られる。初心者が方向転換の稽古をするにも、この種の雪に限る。スキイの平行運動に強い粘着力が加わって、それが走者の体重にちょうどいい足場を与えるから――欧洲大戦後の都会での二十歳代の恋に似ている。それは、大学の芝生で、街頭で、キャフェで、その他あらゆる近代的設備の場所で、降るともなく積もるともなく飛び交す、塵埃のように素早い視線の雪だ。一番自由な、無責任な滑走が得られる。初心者が方向転換の稽古をするにも、この種の遊戯のうちに限る。恋の散歩の平行運動に快い粘着力が感じられて、そして、それがそのまま、彼または彼女の反撥を助けるから。 柔かい雪――つもるばかりで固まらない雪。ちょっと見ると莫迦に有望なだけ、スキイには大敵だ。第一、スキイが深く沈み過ぎるし、おまけに雪崩の危険がある。経験あるスキイヤアはこういう雪では決して遠くへ出ない。どんなに油と蝋の利いたスキイでも、尖端に雪の山を押して折れるか、さもなければ全身埋没して動きが取れなくなる――呼び出し電話ばかり掛って来て、never どこへも行き着かない恋。年々尠くなりつつある Good Girls という型が、電話線の向端で標準国語を使っている。ちょっと見ると莫迦に有望なだけ、大いに注意を要する――とロジェル・エ・ギャレは説くのだ――第一、うっかりしてるうちに深く沈み過ぎるし、おまけに自ら感情のなだれを食う危険がある。つまり例の、泣きながら笑うようなことをいつまでも繰り返す、恋のヒステリイ発作だ。だから経験ある恋愛人は、こういう電話では決して遠くへ行かない。どんなに噪狂なダンス・レストランの「隅の卓子」ででも、または街路樹のさきが窓の下に揺れてるCOZYなアパルトマンの一室ででも、彼はただ「空っぽの恋愛」に埋没するだけで、どうにも動きがとれなくなるにきまってる。 硬い雪――浅く滑かに氷った表面。しかし、あの、灰色にぎらぎらしてる硝子のかけらのようなやつはいけない。多勢スキイヤアスの集る陽かげの丘なぞに、よくこの「硬い雪」の展開が発見される。一つはその上の頻繁な交通に踏まれて出来るのだ。主に疾走に歓迎される。CHRISTIやステム・タアンにもいい。クリステはクリスチアナ――諾威の首府の前名から来てる――の略で、スキイを外側に円く使って、急に向きを変える曲芸の一つである。ステム・タアンは、片方のスキイを上げて他と一定の角度に置き、それへ全身の重みを投げて急廻転する。これはステミングとは違う。ステミングは、スキイの先を一点に近づけ、背後を拡げてV字形を作る。傾斜の激しい氷面を降りる時になど、スピイドを加減するための方法である――この硬い雪は、近代的に場慣れた恋だ。だから、あの、硝子玉のように妙にぎらぎらする嫉妬の眼はいけない。「大戦後の新道徳」を実践して来た同志のあいだにのみ進展する恋である。これは、一つは、多くのシチュエイションを手がけて、色んな相手との交通を踏んだためだ。したがってこの恋は勇壮に疾走する。そして、よりいいことには、相互の理解のうえで、色んな恋愛技術のSTUNTが行われるだろう。クリステだの・ステムだの・V字形だの。 毀れない外皮――雪・雨それから寒風とこう続くと、サン・モリッツをはじめ瑞西じゅうのスポウツマンは上ったりだ。地雪のおもてが氷のように硬張って、しかも、いつそれが「醜い姉妹」と呼ばれる次ぎの種類に急変しないとも限らない。で、最も嫌がられる一つである――結婚しなければならなくなって結婚した結婚だ。大戦の直ぐあとの混沌とした時代に発生した、こういう結婚の多くを、私たちは今日の欧羅巴文学の作品と実際生活のうえに見る。「あらゆる事情」が「たった一個の指輪」に罩もっていて、そしてそれが、毀れそうでなかなかこわれない。それだけ厄介なのだ。 こわれる外皮――スキイヤアスの悪夢である。すこしも続けて滑ることが出来ない上に、この種の雪は、廻転を絶対に不可能にする。間誤々々すると sitzplatz だ。山の中腹以下に多い。これを識別するには、雪を手で振るといい。指の間から水が滴るようでは駄目だし、音を立てて軋んで、固いボウルになれば占めたものだ。雪融けは空気のにおいで解る。また、風の方向の通りに小波状に光ってる場所も、避けなければならない――恋愛の悪魔だ。長つづきしないくせに、タアニングも容易でない。そのうちに流行の離婚ということになる。ほんとにあの戦争の苦楚を嘗めた中年以上に多い。 FOEHN――瑞西に特有な、俄かの雪解けをもたらす暖かい地方風だ。これが吹き出すと、蝋を引いたばかりのスキイにさえ、雪が球状に附着するから直ぐ予知出来る。そうすると、「毀れる外皮」のあとに、つづいてTHAWが来る惨めな二、三日を覚悟して、人はみんな shank's pony で町と森の逍遥に出かける。おかげで、聖モリッツや、モントルウや、インタラアケンや、ルツェルンなどの小博物館のような記念品屋で、水を入れると歌い出す小鳥のコップ・開け方のわからない謎の洋襟箱・検微鏡でなければ針の読めない小さな時計・オルゴウル入りで「甘い家庭」を奏する煙草壷、なんかが店を空にするまで売れて往くのだ。あめりか人の・英吉利人の・仏蘭西人の・希臘人の・日本人の、好奇なウィンタスポウツ旅客団の襲来によって――これは、近代の恋愛に特有な、週期的な雪解けの微風である。こいつが吹き出すと、結婚したばかりの相手のポケットから見慣れない手紙が出て来たりする。そうすると、退屈と焦慮の今後を覚悟して、人は冒険心に乗って町と森の逍遥をはじめる。そして、おかげで、大都会と開港場の恋の市場が空になるほど盛るのだ。亜米利加人の・いぎりす人の・仏蘭西人の・ぎりしあ人の・日本人の、好奇な恋の観光団の襲来によって。 ――証明を終ったロジェル・エ・ギャレは、薔薇材のパイプに丹念に小鼻のわきの脂を塗りはじめた。木を古く見せて、光沢を出そうというのである。 私達のあいだには、スキイ――英吉利人はSKIを北欧の原語どおりに「シイ」と発音するが、この音の仏蘭西語には一つの野蛮な意味の言葉があるから、大陸ではやはりスキイと言ったほうが穏当だ――のように、いつまでも会話が辷った。 私が話した。 ひとりの若い日本の学者が、倫敦に来ていた。彼は、研究の題目以外に、下宿の娘にも異常な魅力を感じた。娘も母も、自分たちが、その外国人の上にそんな大きな影響を投げていることは知らずに、そうすることを異国者に対する義務と思って、出来るだけ好くしていた。娘は日本人と一しょにどこへでも出かけた。それは、彼女にとっては、恋からは遠い尊敬と友情のこころもちだった。が、日本人はそれを恋と取ったのだ。そして、それによって一層自分の感情を燃やして行った。そういう気で見ると、何の意味もない娘の一挙一言も、彼には、すべて別の内容をもって響くのだった。事実ふたりは、必要以上にいつも一緒にいるようになった。それは、誰の眼にも恋人同志としか映らなかった。近処は彼らの評判で賑やかだった。その噂が母親なる主婦の耳にも入った。早晩彼が、正式に結婚を申込もうと思っている或る晩、二人伴れで散歩から帰って来ると、娘の母が言った。 『さっきお隣の奥さんが見えて、こんな莫迦なことを訊くじゃありませんか。わたしは怒ってやりました。お宅のお嬢さんとあの日本の紳士とは恋仲のようだが、もしあの方がお嬢さんに結婚を申込んだら、あなたは母としてどうするつもりかって――わたしは答えました。日本人は世界一に血の伝統的純潔を誇る国民です。彼らは、何よりも雑婚をいやしむのです。その日本紳士から結婚を申込まれるなんて、うちの娘がどうしてそんな光栄を持ち得ましょう? 考えるだけで、それは日本人にとってこの上ない侮辱です――と、わたしはあなたの名誉のために弁解しておきました。思慮のない人々が詰らないことを言い出すのにはほんとに困ります。が、そういう人が少なくないのですから、これからはあんまり二人で外出しないほうがいいでしょう。それに、忘れていましたけれど、此娘は近々田舎の親戚へ行くことになっていますし――。』 こういって、彼女は、自分の機智を悦ぶように笑った。勿論その「おとなりの奥さんが来てうんぬん」の全部は、事態の急を察した、下宿の主婦らしい彼女の作りごとだったのだ。これで日本人の出鼻を挫こうとしたのである。彼女の計は見事的に当って、日本人は蒼白な顔に苦笑を浮べたきり黙り込んだ。けれども、主婦が驚いたことには、この策は、結果から見て反対の効果を挙げただけだった。と言うのは、単に母親と違った観方を持っていることを示すために、急に恋を感じた気になった娘は、いきなりその場で、日本人の首に腕を廻して接吻してしまったからだ。二人は母親と研究を捨てて、幸福と一しょに英吉利海峡を渡った。食うや食わずで困り切っている彼ら夫妻に、僕らは巴里で会って識っている。 異人種間の結婚に関するロジェル・エ・ギャレの意見を叩くために、私は特にこの挿話を持ち出したのだ。ところが、このなかで彼の興味を惹いたのは、最後の「何事につけても母親と異った意見を持っていて自分のしたいとおりにする大戦後の娘」という一項に過ぎなかったから、私としては、すっかりこの目算が外れたわけだけれど。 彼は語った。 彼の友人に、倫敦で開業している医者がある。やはり生れは希臘だが、今は英吉利に帰化していて、まだ若いにも係わらず、相当腕があるらしく、その病家の多くは、いわゆる社交界と呼ばれる階級に属している。 いぎりすでは、WEEK・ENDを騒ぐ。 土曜の正午から月曜の朝へかけて、誰もかれも田舎へ出かける。倫敦の周囲などには、海岸に、テムズの流域に、この小旅行の土地が無数に散在していて、或いは別荘へ、ホテルへ、またはキャンプに、人は義務のようにして泊りに行く。郊外に近い家の往来に面した部屋なんかにいると、土曜日曜は、ゴルフ道具・小鞄等を満載してしっきりなしに流れる週末自動車の爆音で夜も眠れないくらいだ。 この週末旅行のなかで最も上等なのが、country home へ招いたり招かれたりして、宴会・舞踏・カアド・テニスのパアティを連日連夜ぶっつづける種類である。何しろ爛熟し切った物質文明を無制限に享楽する時代と場処のことだ。しかもそれが大掛りな私遊なんだから、そのいかにでかだんなものであるかは、あの有名な petting party なんかという途轍もない性的乱痴気が公然と行われている事実からでも、容易に想像されよう。そもそも、このペテング遊びなるものは――となると第一、傍道に外れるし、それに、どうもすこし説明に困るから、まあ、ここじゃあ止しとこう。それよりも、今いったロジェル・エ・ギャレの友達の医者なる人の経験だが、こういう次第だから、彼が、ある week-end に出入りの有力な病家に招待されてその田舎の会の客となったとき、そこに、一体どんなに大々的な歓楽の無政府状態が彼を待ち構えていたかは、つぎのような一つの実話が発生しただけでも、それはより容易に想像されようと思う――。 ちょっと語を切って、ロジェル・エ・ギャレは背後の音波に身を浸した。
Was it a dream ? Say, was it a dream ―― ?
で、僕も章を更える。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] 下一页 尾页
|