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「真逆あなたは、この一つの修辞的方程式に盲目であっていいとは仰言いますまいね。というのは、聖モリッツの雪は、近代の恋愛の諸相と同じだという事実なんですが――如何ですか、私に、それを証明する光栄を許して下さいますか。」 ロジェル・エ・ギャレは、こんなようなものの言い方が大好きなのだ。 その時、私達は、正面のタレスに揺椅子を持ち出して、ちょうど凍りついた夕陽の周囲を煙草のけむりで色どっていた。 私たちの前には、枕のような雪の丘が、ゆるい角度をもって谷へ下りていた。高山系の植木が、隊列を作って黒い幹を露わしていた。その、雪を載せた枝の交叉は、まるで無数のハンケチを干しているようだった。雪を切り拓いた中央の小径を、食事に後れたスポウツマンとスポウツウウマンとが、あとからあとからと消魂しく笑いながら駈け上って来ていた。スキイを皮紐で縛って肩へ担いだ彼らの、はあはあいう健康そうな息づかいが、私達のいるところまで聞えていた。ほ・ほう! と、しきりにうしろの者を呼ぶ声が薄暮に山彦した。雪は残光に映えて藤紫に光っていた。山峡には、水蒸気のような霧が沸きかけていた。そこへ、粗い縞を作って、町の灯が流れはじめた。これは、木彫りの熊・深山ははこの鉢植・一面に瑞西風景を描いた鈴・智恵の小箱・コルク細工の壜栓・色塗りの白粉入れ・等原始的な玩具の土産類をひさぐ店々である。ときどき懐中電灯を照らして馬橇を走らせる人も小さく見えていた。遠くで汽笛がした。それが反響して星をふるわせた。あたりは赤く暗く沈み出して、当分のスポウツ日和を約束していた。スキイヤアスは、重い靴底で、ホテルの前の雪を思い思いに踏み固めてみて、明日の「状況」を調べていた。地雪の粗さやねばり工合が彼らには何よりも気になるのだ。なかには、片手で雪を握り締めては、首を捻っている人もあった。いま積もってる上へ濡れ雪が落ちることは、皆がみな何よりも怖れている変化だった。じっさい、水気を含んだ雪の次ぎに一晩の酷寒でも来ようものなら、スケイトの熱心家は喜ぶだろうが、スキイヤアは一せいに泣き顔である。表面が石畳のように固形化して、自殺の意思なしではスキイられないからだ。人々は、いつまでも雪に触ってみたり、それから何度も空を仰いだりして、ようやく安心してホテルへ這入って行った。タレスに残ってスキイの手入れをしているのもあった。そこにもここにも雪を払う音がしていた。石段を蹴って靴を軽くしているものもあった。あるいは背中の雪を落しっこしていた。ボウイ達が柄の長いブラシを持って走り廻っていた。誰もかれも真白な呼吸をしていた。それはちょうど人々の腹中に何かが燃えていて、その煙りが間歇的に口から出て来るように見えた。鈴の音が、いま汽車を降りた新しい客の到着を報せた。前から来ている知人達が迎えに走り出て、男も女も、女同士も男同士も、交る代る頬へ接吻し合った。その口々に絶叫する仏蘭西語の合唱が大事件のようにしばらく凡ての物音を消した。何ごとが起ったのだろうと、上の窓に三つ四つの顔が現われた。 闇黒の度が増すと、タレスから雪の上へかけてホテルの明りが、広く黄色く倒れた。その上を、ダンスの人影が玄妙に歪んで、一組ずつはっきり映ったり、グロテスクに縺れたりして眼まぐるしく滑って行った。 私達の背後には、食堂の真ん中の空地を埋めて弾ね仕掛けのように踊る人々と、紐育渡りのバワリイKIDSのジャズ・バンドとがあった。彼らの三分の二は黒人だった。サクセフォンは呻吟し、酒樽型の太鼓は転がるように轟き、それにフィドルが縋り、金属性の合の手が絡み――ピアニストは疾うに洋襟を外して空へ抛っていた。
Was it a dream ? Say, Was it a dream ? 昨夜あなたは僕の腕の中にあった。 僕の腕はまだその感触でしびれてる! それなのに夢だなんて! Say, was it a drea--m ! Was it a drea--m !?
一曲終る。アンコウルの拍手はしつこい。続いてまた、直ぐに始まる。
Was it a dream ? Say, was it a--?!
限りがない。 ロジェル・エ・ギャレは、ここでいきなり先刻言ったように私に話しかけたのだ。しかも、これが初対面の挨拶なのである。もっとも私は、その後よく彼が、この「サン・モリッツの雪と近代の恋愛」という得意の題目で、到るところで未知の人と即座に交際を開始する手ぎわを見たことがあるけれど、何しろ、その時は最初だったし、それに、果して私にアドレスしてるのかどうか判然しなかったので、私は、彼に不愛想な一瞥を与えたきり黙っていた。すると、ロジェル・エ・ギャレは面白そうににこにこして、勝手に私の横へ椅子を引いたのである。 これでも判る通り、このロジェル・エ・ギャレは百パアセントの希臘人なのだ。古来ぎりしゃは、どこの国よりも多くの独断家を産出した点で、哲学史上有名な民族である。そして、この種の独断家には、出来るだけ思いがけない場合に、出来るだけ思いがけないことを、例えば、同盟罷業を討議中の労働組合総会の席上で、やにわにダフォデル水仙の栽培法を説き出したりなんかして、人をびっくりさせることも、その才能の一つとして公認されていなければならない。 水仙を手がけて最上の効果を期待していいためには、まず、排水の往き届いた、※[#「土+母」、261-10]性粘土の乾涸せる花床に、正五吋の深さに苗を下ろし、全体を軽く枯葉で覆い、つぎに忘れてならないことは、桜草属の水仙だけは、他種に比較してよほど繊弱だから、これは、機を見て早く移植する必要がある。ETC・ETC――と言ったような、こんな主張が、希臘生れの独断家においてのみ、その「頭の熱い」ストライキの議論と、何と不思議に美しく調和することであろう! で、私は、頷首いた。 彼は、自分の唐突な説が、私の上に影響したであろう反応を見きわめるために、身体を捻じ向けて、私の顔を下から仰いだ。 『ははあ! 驚いていますね。しかし、驚異は常に智識のはじめです――。』 こう言って、彼は、少女のように肩で笑いながら、彼のいわゆる「方程式の証明」に取りかかったのだった。 私は、片っぽの耳だけを希臘人に与えて、もう一つの耳では、バワリイKIDSの狂調子を忠実に吸い込んでいた。
Was it a dream ? Say, was it a dream !?
――ほかの国では、誰も、雪になんぞ特別の注意を払うものはあるまい。雪は、要するに、あんまり有難くない白い軟泥の堆積で、あとで、もっと有難くない茶色の街路を作り出す原因に過ぎないとされてる。が、それは、雪がすくないから研究の機会も必要もないまでのことで、瑞西なんかでは、この「冬の地面の外套」を、あらゆる楽宴の必須条件として、皆はそれを見守り、試験し、一種表現の出来ない、したがって外部の人には想像もつかない心遣いをもって愛撫さえもしているのだ。第一、雪が降り出すが早いか、それは非常な心配のこもった眼で看視される。純な白い雪片が、大きく穏かに、そして盛んに落ちて来ると、人々は、二、三日うちにすべてのスポウツ慾が満足されることを知って、歓喜の声を上げる。が、もしそれが、うすい、速い、氷雨に似たようなものであれば、これは徒らに、今までの積雪の表面に余計な硬皮をかぶせるだけの役にしか立たないから、折角の舞台を滅茶々々にされて、みんな恨めしげに空を白眼んで祈るだろう。スケイトやとぼがん橇やカアリング――氷上ボウルスとでも謂うべきウィンタア・スポウツの一種で、三十から四十封度ある丸い石を氷のうえに転がして、TEEと呼ばれる三つのうち中央の円内へ、出来るだけ早く、そして多く入れようというゲイムだ――は、充分の雪量と適度の寒ささえあれば、雪の質にまであんまり八釜しいことを言う必要はない。が、スキイとなると大いに雪を選ぶ。スキイヤアスの一番憎むのは、時ならぬ雨だ。どんなに立派な雪でも、半時間の雨で台なしにされてしまう。単に快走を妨げるばかりでなく、雨を吸った雪が一旦凍ったが最後、そこには、今まで存在しなかった現実の危険が潜み出すからである。 そこで、ウィンタア・スポウツの眼で見た雪の種類。 粉雪・柔かい雪・固い雪・毀れない外皮・こわれる外皮・それから、これは雪じゃないが、地方的にFOEHNと呼ばれる不時の温風――これらの区別が、ロジェル・エ・ギャレによると、近代恋愛の種々相と完全に一致すると言うんだから、確かに一つの「叫び」だ。
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