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敵討札所の霊験(かたきうちふだしょのれいげん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-12 9:22:13 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



        四十三

やま「はい、あのお前さんが情知らずのお人かと存じます、惠梅様と云う女房にょうぼが災難で切殺されて、明日あした法事をなさると云う、お寺参りにく身の上じゃア有りませんか、その女房にょうぼうが死んで七日もたぬうちに、わたくし其様そんいやらしい事を言掛けるのは、あんまじょうのない怖ろしいお方と、ふつ/\貴方には愛想あいそが尽きました」
又「惠梅も憎くはないが、実はわしが殺したのじゃア」
やま「え……」
又「さア、わしが悪事を打明けたら致し方はない、実は私が殺したのじゃア、お前此の間何と云うた、惠梅さんと云うお方は貴方の女房じゃアないか、のお方に義理が立ちません、私の云う事は聴かれませんと云うから、惠梅がなければ云う事を聴こうかと思うて、殺して此方こちらへ帰って来たのじゃア、何うじゃア」
やま「まアどうも怖いお方でございます」
 とふるえながら云うのを山之助は寝た振りをして聞いて居りましたが、うっかり口出しも出来ぬから、何うしよう、こっそり抜出し、伯父の処へ駈けてこうかと種々いろ/\心配して居りますと、
又「お前これ程まで云うても云うことを聴かれぬか」
やま「聴かれません、怖くって、恐ろしい、お置き申すわけにはいきません、った今おいでなすって下さい」
又「云う事を聴かれぬ[#「聴かれぬ」は底本では「聴かれね」]時は仕方がない、今こそは寺男なれども、元わしは武士じゃア、斯う言出して恥をかゝされては帰られませんわ、さア此処こゝに私の刃物がある」
やま「あれ、脇差を持っておいでなすったね」
又「さア、可愛さ余って憎さが百倍で殺す気に成るが、何うじゃア」
やま「これは面白い、はい、私が云う事を聴かない時は殺すとは恐ろしいお方、さア殺すならお殺しなさい」
又「これさ、何うしてお前が可愛くって殺せやあせぬ、殺すまでお前に惚れたと云うのじゃ」
やま「何を仰しゃる、死ぬ程惚れられても私は厭だ、誰が云う事を聴くものか、厭で/\愛想が尽きたから行って下さいよう」
又「愛想が……本当に切る気に成りますぞ」
やま「さアお切りなさい」
又「う云われても殺す気ならば、是ほど思やアせんじゃアないか、えゝか、ほんに云う事を聴かぬと、わしは思い切って切りますぞ」
 とおどす了簡と見えて、道中差を四五寸ばかり抜掛けました。是を見るとおやまは驚きまして、
やま「あれえ人殺し」
 と云って駈出しました。山之助も驚き飛上り、又市のたぶさって、
山「あねさんを何うする」
 と引きましたが、引かれる途端に斯う脇差が抜けました。一方かた/\は抜身を見たから、
やま「人殺しイ」
 と駈出しますのを又市は、人殺しと云うは惠梅を殺した事を訴人そにんすると心得ましたから、人を殺し又悪事を重ねてもおのれの罪を隠そうと思う浅ましい心からおやまをっては成らぬと山之助を突除つきのけて土間へ駈下かけおり、うしろから飛かゝって、おやまの肩へ深く切掛けました。おやまは前へがっぱと倒れる、山之助は姉の切られたのを見て驚き、うろ/\して四辺あたりを見廻しますと、枕元に合図の竹法螺たけぼらが有りますから、是を取って切られる迄もと、ぶうー/\と竹法螺を吹きました。山家やまがでは何方どちらにも一本ずつ有りまして、事が有れば必らず是を吹きますから、山之助が吹出すとじき隣でぶうーと吹く、すると又向うの方でぶうーと云う、一軒吹出すと離れて居ても山で吹出す、川端の家でも吹出すと、村中で家数いえかず沢山たんとは有りませんが、ぶうー/\と竹法螺を吹出し、何事かと猟人かりゅうども有るから鉄砲をかつぎ、又は鎌あるいすきくわなどを持って段々村中の者が集まるという。これから水司又市を取押えようとする、山之助おやま大難のお話でございます。

        四十四

 水司又市は十方でぶう/\/\/\と吹く竹螺たけぼらを聞きまして、多勢の百姓共に取捲とりまかれては一大事と思いまして、何処どこを何うくゞったか、ひそかに川を渡って逃げた跡へ村方の百姓衆が集って来ましたが、何分にも刃物はし、斬人きりては水司又市で、お山は余程の深傷ふかででございますから、もう虫の息になって居る処へ伯父が参り、
多「あゝ情ない事をした、そんな悪人とは知らずに、恩返しの為だから丹誠をして恩を返さんければならぬと云って、すぐこうと云うのを無理に留めたが、それが現在自分の連れて来た比丘まで殺して、其の上無理恋慕を言掛けて此の始末に及ぶと云うはにくい奴、お山何か思い置く事が有りはしないか」
 と云うと、山之助も涙ばかり先立ち、胸が閉じて口を利く事も出来ませんが、ようやくに気を取直して。
山「ねえさん/\しっかりしてお呉んなさいよ、今お医者様を呼びにりましたから、確かりしてお呉んなさいよ」
 と云う。伯父もお山のそばへ参り耳に口を寄せて、
多「お山やア/\しっかりして呉れよ」
 と呼びまする。その声が耳にったから、がくりッと心付いて、起上って見ると、鼻の先に伯父が居り弟も居りますが、もう目も見えなくなりましたが、やっと這出して山之助の手を握り、
やま「山之助」
山「あいあねさん確かりしてお呉んなさいよ伯父さんも此処こゝへ来て居ますよ、村方の百姓衆も大勢来て、手分をして又市の跡を追手おってを掛けましたから、今にお前さんのかたきを捕えて、簀巻すまきにして川へほうり込むか、生埋いきうめにして憂目うきめを見せて遣ります、姉さん今にお医者様が来ますから、確かりしてお呉んなさい」
やま「伯父さん」
多「あい此処に居りやすから心をたしかに持ってな、此の位の傷では死にやアしなえから、必ず気を丈夫に持たねえではいけないぞ」
やま「あい伯父さん、永々御厄介になりまして、十六年あとにお父様とっさまが屋敷を出て行方知れずになってから、親子三人でお前様のお世話になり、其のうち母様っかさまも亡くなってからは、山之助も私もお前様に育てられ、お蔭で是れまでに大きく成りましたから、山之助に嫁を貰って、私はお前さんのお力になり、御恩を送る積りで居りましたが、何の因果か悪人の為に、私は伯父さんもうとても助かりません、これまで信心をして、何卒どうぞ御無事でお父様がお帰り遊ばすようにと、無理な願掛がんがけを致しましたが、一目お目に懸らずに死にまするのは誠に残念でございます、私の無い跡では猶更身寄頼りの無い弟、何卒目を掛けて可愛がって遣って下さい、よ伯父さんお頼み申しますよ」
多「あいよ、そんな心細い事を云って己も娘ばかりでござりやすし、ほかに身寄頼りの無い身の上、娘はあの通りのやくざ阿魔で力に成りやアしねえから、お前方めえがた二人が実の娘より優しくして呉れたから、力に思って居るのに、今われに死なれては、年を取った己は何も楽みが無いだ、よう達者に成って親父に逢おうと云う心で無くちゃアならないぞ」
やま「はい私は何うも助かりません……山之助や、は、は、は、又市の額には葉広山で受けたきずが有るし、元は彼奴あいつも榊原の家来だと云ったが、彼奴の顔は見忘れはしまいなア」
山「あい見忘れはしません」
やま「てまえも武士の忰だ、心に懸けて又市の顔を忘れるな」
山「あい決して忘れやしません、姉様確かりして下さいよ」
やま「しお父様が御無事でお帰りが有ったら、私は災難で悪人の為に非業な死を致しました、一目お目に懸らないのが残念だと云って、お父様に先だつ不孝のお詫をしてお呉れ」
 とあとを言い残して、かかかかかっと続けて云うのは、咽喉のどかわくから水をと云いたいが、口が利けなくなって手真似を致します。伯父が是を見て、
多「咽喉が涸くだから、水を飲ましたら宜かろう」
 と手負いに水を与えてはならぬと申す事はもとより心得て居りまするが、伯父は心ある者で、もうとても助からぬから、臨終いまわの別れと水を飲ませるのが此の世の別れ、おやまはそれなり息が絶えました。これを見ると山之助はわっと其の場に泣倒れます。なれども伯父は、
多「何うも致し方が無い、幾ら泣いても姉の帰るものじゃアないから諦めるが宜い、若し貴様が煩うような事が有っては己が困る」
 と云い、村方のお百姓衆も色々と云って山之助に力を附け、ようやくの事で村方の寺院へ野辺の送りを致しました。

        四十五

 さてお話二つに分れまして、丁度此の年越中の国射水郡高岡の大工町、宗円寺といふ禅宗寺の和尚は年六十六歳になる信実なお方で、萬助というじゞいを呼びにります。
和「おゝ萬助どんか、来たら此方こっちへ這入りなさい」
萬「へへえ何うも誠に御無沙汰を致しました、一寸ちょっと上らんければならぬと存じましたが、盆前はお忙がしいと思いまして、それ故にはア存じながら御無沙汰を致しました、それに又ばゝあが病気で足腰が立ちませんで、わしもまアとても/\助からぬと思って居ります……なに最う取る年でござりますから致しかたは無いと思いますが、私が先へ死んで婆があとへ残って呉れなければ都合が悪いと、へえ存じますが、何うも婆の方が先へ死にそうで……いゝえなに老病としやみでござりましょうから、思うように宜くはなりません、それ故に御無沙汰を、えゝ只今急にお使で急いで出ましたが、何か御用で」
和「あいまア此処こゝへ来なさい」
萬「へえ御免を蒙ります」
和「さて萬助どん、ほかの訳じゃア無いが、まアお前の頼みに依ってわしとこへ逃込んで来て、何う云うものか、それなりにずる/\べったりに成ってるのは、藤屋ふじやの娘のお繼じゃて」
萬「はい/\/\、何うも御厄介でござりまして、誠にはアわしが貧乏な日傭取ひようとりで、育てる事も出来ませぬなれども、私の主人の娘でようにもとは思いましたが、ついはやい気になって和尚様へ押付放おしつけぱなしにしてなにともお気の毒様、へえ誠に有難い事でござりまして、若し此方こなたが無ければ致し方のないわけでござります」
和「誠にあれ怜悧りこうな者でなア、此処へ遁込にげこんでから、わしが手許を離さずに側で使うてる、私が塩梅あんばい悪いと夜も寝ずに看病をする、両親が無いとは云いながら年のかぬのに、あゝって他人の世話をするのは実に感心じゃ、実にそりゃア立派な者も及ばぬくらい、それで私は彼が可愛いから、小さい時分から袴を着けさせて、檀家へく時は必ず供に連れてくと、彼も中々気象が勝って居て、男の様で、ベタクサした女の様な事が嫌いだから、今迄は男のつもりで過ぎたが、もう今年は十六歳じゃ、十六と成っては若衆頭わかしゅあたまでも何処どこか女と見え、しりもぼて/\大きくなり、乳房もだん/\大きくなって何様どないな事をしても男とは見えないじゃ、すると中には口の悪い者が有って、和尚様はまア男の積りにしての娘をさり抱いて寝るなどゝ云う者も有るで、誠に何うも困るて、それからまア何うか相当の処が有ったら縁付けたいと思って居ると、彼も方々で可愛がられるから、少しずつの貰い物もある、処が小遣や着る物は皆私に預けて少しも無駄遣いはせんで、私の手許に些少ちっとは預りもあり、私も永く使った事だから、給金の心得でけて置いた金も有るじゃ、それに又少し足して、十両二十両とまとまった金が出来たから、支度をして相当の処へ縁付けたいと思って居るのじゃ」
萬「それははや有難い事でござります、それ程に思召おぼしめして下さりますとは、何とお礼の申し様もないでござります、はい/\何うも有難い事でござります」
和「就いてなア彼奴あいつは何ういう訳だか知らぬが、この高岡に永く居る気は無いと見えてなア遠くへでもく心がしきりと支度をして、草鞋わらじを造る処へ行って、足をわぬ様に何うか五足こしらえて呉れえとか、すげの笠を買うて来て、法達ほうたつに頼んで同行二人どうぎょうににんと書いて呉れえとか、それから白の脚半きゃはんも拵え笈摺おいずるも拵えたから、何でも西国巡礼にでも出るという様子でなア」
萬「へえそれは/\何で其様そんな馬鹿な事を致しますえ」
和「何ういう訳か知らぬが、まア此処に居るのがいやなので、並の女では旅が出来ぬから、巡礼の姿に成って故郷の江戸へでもこうと云う心かと思うが、それに就いても預かって居るのは心配じゃから、お前に此の事を話すのじゃ」
萬「こりゃアとんだ事で、何うも此方様こなたさまの御恩を忘れてぷいと巡礼に成って、一体まア何処どこく気でござりましょう」
和「何処と云って、まア西国巡礼だろう」
萬「はいイ大黒巡礼と申しますると」
和「なに西国巡礼だ、西国巡礼と云って西の国をめぐるのじゃ」
萬「成程、へえ成程、そう云えば左様そういう事を聞きました」
和「なにそう云う事を聞きましたも無いもの、西国巡礼を知らぬ奴が有りますか」
萬「和尚様、どうぞ一寸ちょっとお繼を此処こゝへお呼なすって下さい」
和「あい呼びましょう……繼や居るか」
繼「はい…」
 とは云ったが次の間で話を聞いて居りましたから、これは何でも叱られる事かと思いましたが、つか/\/\と出て来て和尚の前へ両手を突きます。……見ると大髻おおたぶさの若衆頭、着物は木綿物では有りまするが、生れ付いての器量しで、芝居でする久松の出たようです。

        四十六

繼「お呼び遊ばしましたのは……おや叔父さん宜く」
萬「宜くたってお前急にお人だから来たんだ、おいお前なにか西国巡礼を始めるという事だが、何うも飛んだ話だぜ、和尚様の御恩を忘れては済まないじゃア無いか、それで和尚様は預かってる者が居なくなると困るから、わしを呼んだと仰しゃるのだ、全体お前、何だって巡礼に出るのだえ、誰か其様そん[#「其様そんな」は底本では「其様そんなな」]事を勧めたのかえ」
和「まア待ちなさい、お前のように半ばから突然いきなりに云い出しても、繼には分りゃアしない、始めから云いなさい」
萬「わしは気が短いもんですから、突然いきなり出任でまかせに云いますので……えゝお繼お前何ういう訳で巡礼に出るのだえ、十二の時から御厄介になって十六まで和尚様が御丹誠なすって、全体お前は両親が無いじゃアないか、そこを和尚様が御丹誠なすって下すって誠に有難いことだ、それのみならず、もう年頃に成るから永く置いてはいけないから、相当な処へ縁付けたいと仰しゃってる、男の積りにして有ったがもう十六七に成ればしりがぶて/\して来るし、乳も段々とぽちゃ/\して」
和「これ萬助どん、余計なことを云わいでも宜いわな」
萬「でも貴方の仰しゃった通りに云うので……それで段々女に見えるからかたづけたいと云って支度のきんまでも出して下さる、それをお前が無にしてかれちゃアわしが申訳が無くて困る、何だってまた、西国とは何だえ、西国とは西の国だ、そんな遠い処へひょこ/\こうと云うのは屹度きっと連れが有るに相違ない、えゝ私は永い間お祖父様じいさんの時分から勤めたのだが、お前のおとっさんが意気地いくじなしだから此方こっち引込ひっこんで来なすった、それで私は銭も何も有りやアしないが、大工町に世帯を持たしたが、引込むくらいだから何も出来やアしない、それから和尚様の御丹誠で悪党の一件のあとの始末を附けられないのを、皆御丹誠下すった、それを今お前がぷいと行ってしまっては和尚様に済まない、己も亦方丈様に済まない、済まないよ、方丈様によ」
和「まア/\そう小言を云いなさるな……お繼何も隠さいでも宜い、何ういう訳で白の脚半や笈摺おいずる柄杓ひしゃくを買ったのだの、大方巡礼にでも出る積りであろうが、何の願いが有って西国巡礼をするのじゃい、巡礼と云えば乞食同様で、野にし山に寝、あるいは地蔵堂観音堂などに寝て、そりゃもう難行苦行を積まなけりゃア中々三十三番の札を打つ事は出来ぬもんじゃ、何う云うものだえ、巡礼に出るのは」
繼「はいう旦那様が笈摺をこしらえた事までも御存じでございますれば、お隠し申しは致しません、叔父さん…萬助さんお前さんにも永々御厄介に成りましたけれども、私の親父を殺して逃げたのは、永禪和尚と継母まゝはゝお梅の両人ふたりに相違ございません、小川様のお調べでも親を殺したのは永禪和尚と分って居り、永禪和尚は元は榊原様の家来で水司又市と申す侍と云う事も、小川様のお調べで分って居りますが、お父さんが非業に殺され堂の縁の下から死骸が出ましたのを見てから、寝ても覚めても今迄一ときも忘れた事はございません、実に悔しいと思いまして、夜も枕を付けると胸がふさがり、枕紙の濡れない晩は一晩もございません、それで何うかお父さんのかたきを打とうと思いましても、十一や十二ではとても打つことは出来ませんが、もう十六にも成りましたし、お弟子さんのお話に三十三番札所の観音様を巡りさえすれば、んな無理な願掛がんがけでも屹度きっと叶うということを聞きまして、何うせ女の腕で敵を打つ事は無理でございますが、三十三番の札を打納うちおさめたら、観音様の功力くりきで敵が打てようかと存じまして、それ故私は西国巡礼に参りたいので、実は笈摺も柄杓ひしゃく[#ルビの「ひしゃく」は底本では「ひゃくし」]も草鞋までも造ってございますから、誠に永々お世話様に成りましたのを、ふいと出ては恐れ入りますが、いよ/\参る時はお断り申そうと思って居りましたところ、ちょうど只今お話が出ましたから隠さずにお話し申します、何卒どうぞ叔父さんからおひまを頂いて巡礼にお出しなすって下さい、私は江戸に兄が一人有りまして、今では音信いんしん不通、縁が切れては居りますが、その兄が達者で居りますれば、それが力でございますから、兄弟二人で敵を打ちまする心得、いずれ無事で帰って来ましたら、御恩返しも致しましょうから、何卒叔父さん和尚様においとまを頂いて敵討かたきうちにおりなすって下さいまし」
萬「旦那様え、敵討え、旦那様」
和「いやはや何うもえらい事を云いるな、何うじゃろう萬助」
萬「どうも、飛んだ事を云い出しました……敵討……年のかぬ身の上で、お父さんの敵を討ちたいというのは善々よく/\此の子も口惜くやしいと見えます、もし旦那様、わしも何うも、それはすがいとは云いにくうござりますが、何うしたら宜うございましょう」

        四十七

和「これは何うもとめることは出来ぬなア、思い立ったらるが宜い」
萬「遣るたって何うもわしは主人の娘が敵討をすると云うなら、一緒にきてえのだが、今いう通り婆が死に掛って居るから、それを置いて行く訳にもいきませんが、一人でかれましょうか」
和「いや其処そこ所謂いわゆる観音力で、んな山でも何んな河でも越えられるのが観音力じゃ、敵を討ちたいというまとが有って信心して札を打てば、観音の功力くりきで見事敵を討遂うちおわせるだろう、こりゃアのぞみの通り立たせるがい」
萬「はい/\/\」
和「じゃアうしよう、是は追々に預かった小遣の貰い溜め、また別にわしが遣りたい物もあり、檀家から貰うた物も有ります、沢山たんと持ってくのは危いから、襦袢の襟や腹帯に縫い付けてなア、旅をするには重いから、軽い金に取換えて、そうして私が路銀に足して二十両にして遣ろうかえ」
繼「有難う存じます」
萬「わしも遣りてえが、銭がねえ、此処こゝにある一分二朱と二百文、これをみんな遣ってしまおう、さ私は是れが一生懸命に遣るのだ」
繼「有難う存じます」
 是から檀家へ此の話を致しますると、孝行の徳はえらいもので、彼方此方あちらこちらの檀家から大分だいぶ餞別が集まって、都合三十両出来ました。その内二十両はぴったりと腹帯肌襦袢に縫付けて人に知れぬように致し、着慣れませぬ新らしい笈摺を引掛ひきかけ、雪卸ゆきおろしのすげの笠には同行二人どうぎょうににんと書き、白の脚半に甲掛草鞋こうがけわらじという姿で、慣れた大工町を出立致しまする。其の時には土地の者もあわれに心得て、とうとう坂井まで送り出したと申す事でござります。これからまず高田へ来ましたのは、水司又市は以前高田藩でございますから、しも隠れて居りはせぬかと、高田中を歩きましたが、少しも心当りがございませんから、此処を出立して越後路を捜したが、とんと手掛りが有りません。だん/\尋ねて新潟へ参ると、新潟は御承知の通り人出入りの多い処でございますから、だん/\諸方を歩いて聞きますると、人の噂に川口には不思議な尼がある、寺男がお経を教えて、尼が教わるということだが、大方あれは野合くッつきあって逃げた者であろう、寺男は何でも坊主で、女は何歳いくつぐらい、是々これ/\是々と云うことが、ぷいとお繼の耳に這入ったから、さてはとぐに川口へ来て尋ねると、つい先日さきのひ出立したと云うことを聞きましたから、さては山越しをして信州路へ掛ったのではないかと思いまして、信州路へかゝりましたが、更に手掛りがございませんから、信州路へ這入って善光寺へ参詣をいたし、善光寺から松本へかゝって、洗馬せばという宿しゅくへ出ました。洗馬から本山もとやまへ出、本山から新川にいがわ奈良井ならいへ出て、奈良井から藪原やぶはらへ参りまするには、此の間に鳥居峠とりいとうげがございます。其の日は洗馬に泊りまして、翌朝よくちょう宿を立って、お繼が柄杓を持って向う側を流して居ると、その向側むこうがわを流してく巡礼がある。と見ると、是も同じ扮装いでたち若衆頭わかしゅあたま、白い脚半に甲掛草鞋笈摺を肩に掛け、柄杓を持って御詠歌ごえいかを唄って巡礼に御報謝ごほうしゃを…はてなの人も一人で流している、私は随分今まで諸方を流して慣れてるから、もう此の頃はそんなに旅も怖いと思わぬが、彼の人は未だ慣れない様子、誰かつれでもある事か、それとも一人で西国へ参詣をするのか、矢張やっぱり三十三番の札を打ちにく人では無いかと思いましたが、道中の事で気味が悪いから、迂濶うっかりと尋ねることも出来ません。その此方側こちらがわを流して通ると云うのは、白島山之助が姉の敵を討ちたいと申して、無理に伯父にいとまを乞うて出立した者、山之助も向うへ巡礼が来るなと思いましたけれども、知らぬ人に言葉を懸けて何様どんな事が有るかも知れぬ、姿は優しいが油断はならぬと思って言葉を懸けません、其の晩は鳥居峠を越して宮之越みやのこしに泊りましたが、丁度八里余の道程みちのりでございます。翌朝お繼は早く泊りを立出たちいでゝ、せん申す巡礼と両側を流し、向うが此方こちらへ来れば、此方が向側と云う廻り合せで、両側を流しながら遂々とう/\福島を越して、須原すはらという処に泊りましたが、宮之越から此処迄は八里半五丁の道程でございます。斯様に始終両側を流して同じ宿には泊りまするが、なれども互いに怖くて言葉を掛けません。これから皆様御案内の通り福島を離れまして、の名高い寝覚ねざめの里をあとに致し、馬籠まごめに掛って落合おちあいへまいる間が、美濃みのと信濃の国境くにざかいでございます。此の日は落合泊りのことで、少し遅くは成りましたが、急ぎ足ですた/\/\/\と馬籠の宿を出外ではずれにかゝりますると、其処そこには八重やえに道が付いて居て、此方こっちけば十曲峠じっきょくとうげ……と見ると其処に葭簀張よしずばり掛茶屋かけぢゃやが有るから、
繼「少々物を承わりとう存じますが、これから落合へまいりますには何う参りましたら宜うございますか」
 と云いましたが、婆さんは耳が遠いと見えて見返りもせずに、しきりに土竈へッついの下の火をいて居りますから、また、
繼「あの是から、落合へくには此方こちらへ参って宜うございますか」
 と云うと、奥の方に腰を掛けて居た侍は、深い三度笠をかぶり、廻し合羽を着て、柄袋の掛った大小を差して、盲縞めくらじまの脚半に甲掛、草鞋という如何にも旅慣れた扮装こしらえ
侍「是々巡礼落合へくなら是を左の方へ付いて行け」
繼「有難う存じます」
 と是から教えられた通り左へ付いて行くと、何処まで行ってもなだれあがりの山道で、見下みおろす下の谷間たにあいには、渦を巻いてどっどと落す谷川の水音が凄まじく聞えます。日はとっぷりと暮れて四辺あたり真暗まっくらになる。とお繼は気味が悪いから誰か人が来ればいと思うと、うしろの方からばらばら/\/\/\
「巡礼、巡礼しばらく待て」
 と云われたが真暗で誰だか分りません。

        四十八

侍「これ巡礼」
繼「はい/\/\」
典「思い掛けねえ、手前てめえ久振で逢ったなア」
繼「はい何方どなたでございます」
侍「何方もねえもんだ、己は桑名川村にいた柳田典藏だが、てめえの姉のお蔭でひどい目に逢って、あれまで丹誠した桑名川村にられないように成ったのだ、その時は家財や田地を売払って逃げる間も無いから、ようやく有合せの金を持って逃げて、再び桑名川村へ帰る事も出来ぬような訳だ、その上右の手の裏へ傷を受け、そのきずを縫って養生するにも長く掛ったが、先刻さっき己が寝覚を通りかゝると汝が通るから、これは妙だ、何ういう訳で巡礼に成って出るかと思って跡をけて来たんだ」
繼「はい何方でございますか、人違いでございましょう、わたくしは左様なものではございません」
典「汝は其様そんなことを云って隠してもいけねえ、先刻おれが笈摺を見たら、信州水内郡みのちごおり白島村白島山之助と書いて有った」
繼「えゝ」
[#「典」は底本では「繼」]「さ其の通り書いて有るから仕方がねえ」
繼「いゝえわたくしは左様な者ではございません、私は越中高岡の者で」
典「えゝ幾ら汝が隠したっても役に立たねえ、姿は巡礼だが、てまえ[#ルビの「てまえ」はママ]余程よっぽど金を持ってる事ア知ってる、さ己がてめえの姉の為にう云う姿になった代りに金を強奪ふんだくって汝を殺すのだが、金を出しゃア命はゆるしてろう、おれは追剥おいはぎをするのじゃアねえけれども、この頃では盗人ぬすびと仲間へへいった身の上だ、斯う成ったのも実はと云うと、汝兄弟[#「兄弟」はママ]のお蔭なんだ、さア金を出せえ」
繼「わたくしは左様な者ではございません、私は其の山之助と云う者ではございません、私は越中高岡の宗円寺という寺から参りました者で」
典「えゝ何と隠してもいけねえや、ぐず/\云わんでさっさと出せ、し強情を張ればたゝんでしまうぞ」
繼「いゝえわたくしはそんな人じゃア」
[#「典」は底本では「繼」]「えゝ打斬ぶっきってしまうぞ」
 と柳田典藏が抜いたから光りに驚いて、
繼「あれえ」
 と一生懸命に逃げに掛るのをうしろから、
典「待て」
 と手をのばして菅笠[#「菅笠」は底本では「管笠」]の端をったが、それでも振払って逃げようとするはずみに笠の紐がぷつりと切れる。一生懸命に逃げる途端道を踏外ふみはずして谷間たにあいへずうーん…可愛そうにお繼は人違いをされて谷へ落ちまする。すると、是を知らぬ山之助は、是も落合までく積りで山道へ掛って来ますると、あとからぱた/\/\/\/\と追掛けて来たのは、勇治ゆうじという胡麻の灰。
勇「おい/\巡礼々々」
山「あい」
勇「己はてめえと須原で合宿あいやどになり、宮之越でも合宿に成った者だ」
山「左様でがすか」
勇「左様でがすかじゃアねえ、これ道中をするには男の姿でなけりゃア成らぬと云うので、そういう姿に成ってるが、汝は女だな」
山「いゝえ私は男でげす」
勇「隠したってもいけねえや、修行者でも商人あきんどでも宜く巡礼の姿に成って来ることが有るが、汝は手入らずの処女きむすめちげえねえ、口の利きようから外輪そとわに歩く処は、何う見ても男のようだが、無理に男の姿に成って居ても乳が大きいから仕方がねえ」
山「何を仰しゃるのだえ、私はそんな者ではございません、全く男でござります」
勇「いけねえ、何でも女に違えねえ、今夜己が落合へ連れて行って一緒に□□□□ようと思って来たんだ」
山「冗談を云っちゃアいけません」
勇「冗談じゃアねえ、汝を宿屋へ連れて行ってから、きゃアぱア云われちゃア面倒くさいから、こゝで己の云う事を聴いたら、得心の上で宿屋へ泊って可愛がって遣るのだ、ぐずッかすると宿場へ遣って永く苦しませるぞ、さア此処はもう誰も通りゃアしねえ、その横へ這入ると観音堂が有って堂の縁が広いから」
山「冗談しちゃアいけません、私は其様そんな者じゃアございません」
勇「そんな事を云っちゃアいけないよ、お前が宿に泊って湯に這入る時に大騒ぎをするから、肌襦袢に縫付けて金を持ってる事もちゃんと承知だ」
山「何をなさる」
勇「何をと云って何うせ此方こっちは盗みが商売だから」
山「無闇な事をなさるな」
勇「無闇が何うする、斯うだぞ」
山「何うもいけません、何をなさるのだ」
 と山之助が勇治の頬片ほゝぺたをぽんと打ちました。処が山之助は白島村に居る時分に、牛をいたり麁朶そだかついだりして中々力のある者、その力のある手で横っ面を打たれたから、こりゃア女でも中々力がある、滅法に力のある女だと思って、
勇「何をする、汝がきゃアぱア云やアよんどころなく叩き斬るぞ」
 本当に斬る気では有りませんが、おどして抱いて寝る積りで、胡麻の灰の勇治がすらり抜くと山之助も脊負しょっているつとから脇差を出そうかと思ったが、いや/\怪我でもしてはならぬ大事の身体と考え直して、
山「人殺ひとごろしい……泥坊……」
 と横道へばら/\/\/\/\。

        四十九

勇「このあまっちょめ」
 と追掛おいかけられて逃途にげどがないが、山之助年は十七で身が軽いから、谷間たにあいでも何でも足掛りのある処へ無茶苦茶に逃げ、蔦蘿つたかずらなどに手を掛けて、ちょい/\/\/\と逃げる。殊に山坂を歩き慣れて居るから、木の根方に足を掛けて歩く事は上手です。なれども始めての処で様子を知りませぬから、一生懸命死者狂いになって逃げると、細手ほそくての勇治は、
勇「なに此の女っちょ」
 とは云っても谷間を歩くのは下手で追掛ける事は出来ません。何うした事か山之助が足掛りを踏外したから、ずずうと蔦が切れたと見えて、両手につかまったなり谷底へ落ると、下には草が生えた谷地やちに成って居り、前はどっどと渦を巻いて細谷川が流れます、
山「はアー何うも怖い事、伯父さんがそう云ったてめえ一人でたとえ敵討をする心でも大胆だ、とても西国巡礼は出来ぬ、道中は、怖いもので、昔これ/\のことが有ったと云って意見をなすった、それでもと云って覚悟はしたが怖いなア、こりゃアいけない、柄杓を落してしまった…だが彼奴あいつはまア何だろう、私を女と思って居やアがって、無闇と人の頬片ほッぺた髭面ひげつらこすり附けやアがって……おや笠を落してしまった、仕様が無いなア……おや笠は此処におッこちてる、先刻さっきおッこちるはずみに柄杓を……おや柄杓も此処におや/\巡礼も此処におッこちてる……」
 と谷地やちを渡って向うへきますると、草の上へ仰向反のけぞりになって居る巡礼が有るから、
山「おう/\/\/\可愛そうに、此の人は洗馬で向側むこうがわを流して居て、宮之越で合宿あいやどになった巡礼だ、其の時は怖いと思ったから言葉も掛けなかったが、何うも飛んだ災難じゃアないか、此の人は何うしたんだろう、目をまわして居る、おい巡礼さん何処の巡礼さんかしっかりしなさいよ、此処は谷の中でございますよ、可愛そうに何うしたんだろう、此の笠も柄杓も此の人のだ、己のじゃアない、だがまア何うしたんだろう、おゝ薬が有ったッけ」
 と貯えの薬を出して、飲ませようと思いましたが、確かり歯をくいしばって居りますから、自分に噛砕かみくだいて、ようやくに歯の間から薬を入れ、谷川の流れの水をすくって来て、口移しにして飲ませると薬が通った様子、親切に山之助がさすって遣りますと、
繼「有難う/\」
山「お前さん確かりなさいよ」
繼「はい」
山「大丈夫です、私は胡散うさんな者じゃアございませんよ、私はお前さんと後先あとさきに成って洗馬から流して来た巡礼でございますよ」
繼「はい有難う怖い事でございました」
山「成程お前さんは何うなすったの」
繼「何うしたんでございますか人違いでございましょうが、私が山路に掛って来ると、あとから大きな侍が追掛けて来まして、左様そうして私にねえ、てめえは白島の山之助とか何とか云って、誠に久しく逢わなかったが汝の姉のおやまゆえに斯んな浪人に成ったから、汝の持ってる金を取って意趣返しをすると云うから、私は左様さような者で無いと云いますと、突然いきなり脇差を抜いたから、一生懸命に逃げようと思って足を踏外して、此処へ落ちましてございます」
山「それはお気の毒様、それじゃア私と間違えられたのだ、白島の山之助と云いましたか」
繼「はい」
山「その男は何と云う奴で」
繼「あの柳田典藏とか云いました」
山「それは大変、何うもお気の毒様、お前さんを私と間違えたのでございます」
繼「左様そうでございますか、私はそんな者でないと言いわけを云っても聞きませんで」
山「そりゃア全く私の間違いです、お…前さん女でございますねえ」
繼「いゝえ」
山「それでも今私が抱いて起した時に乳が大きくて、口の利き様も女に違いないと思います」
繼「左様でございますか、私は本当は女でございます」
山「左様でしょう、それじゃア私はお前さんと間違えられたのだ、私が山道へ掛ると胡麻の灰が来ててめえは女だろうと云うから、いえ私は女ではないと云うと、そんな事を云っても乳を見たから女に違いない、金を持ってるから出せなんと云って私の頬片ほっぺためやアがったから、其奴そいつ横面よこつらった処が、脇差を抜いたから、私は一生懸命に泥坊/\と云って逃げる途端に、足を踏外して此処へおっこちたんだ」
繼「おやまアお気の毒様」
山「私の方がお気の毒様だ」
繼「お前さん何処どこへお出でなさるの」
山「私は西国巡礼に」
繼「おや私も西国へ。よく似て居りますねえ」
山「えゝよく似て居りますねえ」
繼「お前さん何方どちらへお泊り」
山「山道へ掛って様子は知らぬが、落合まで日の暮々くれ/″\はと思って急いで参りました、お前さんは何方へ」
繼「私も落合と思って、何うもよく似て居ますねえ」
山「えゝ何うもよく似て居ますなア」
繼「あなた私を連れて行って下さいませんか」
山「えゝ、一緒に参りましょう」
繼「それじゃア何卒どうぞ
山「一生懸命につかまってお出でなさい」
繼「何卒お連れなすって下さい」
 と互に信心参しんじんまいりの事でございますから、お互いに力に思い思われまして、
山「何か落すといけませんよ」
繼「はい柄杓も此処に有ります」
 と笠を片手にげて、山之助の案内で、漸く往来まで這登はいのぼりまして、これから落合の宿しゅくに泊ったのが山之助とお繼の始めての合宿で、互いに同行二人力に思い合って、これから二人で西国三十三番の札を打ちますと云う、巡礼敵討の始りでございます。



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